地下空間に関する考察(5)|松田達

非対称的論理空間

五十嵐太郎のある仕事を手伝うため、首都高から何が見えるかを調べた。都心環状線、中央環状線、レインボーブリッジ、アクアラインと5時間近くも首都高を走り続けた [fig.1]
 
首都高からの風景

fig.1── 首都高からの風景
なお、後日さらにヴィデオで撮影したものを下(↓)に用意した。

 
 
首都高という特殊な道路  
首都高速道路は1964年の東京オリンピックに向けて、1960年代に整備が始まった。1962年に京橋−芝浦間の1号線4.5キロメートルが開通して以来延伸を続け、現在263.4キロメートルが開通している。都心環状線を中心に、放射状に1号羽田線、2号目黒線、3号渋谷線、4号新宿線、5号池袋線などいくつもの路線が延び、また横羽線と湾岸線によって神奈川方面ともつながっている。さらに現在も中央環状線など7路線が建設中、3路線が建設準備中であり、ほとんど自己生成的とも言えるほどに首都圏のネットワークを形成しつづけている。
首都高は高速道路の中でも極めて特殊である。まず第一に、高速とはいっても制限速度は一般道並である。都心環状線では時速40キロメートルか時速50キロメートルに制限されているし、首都高の大部分は時速60キロメートル、湾岸線の一部などが時速80キロメートルに指定されているに過ぎない。高速と呼ばれるのは、自動車専用の道路であるなどの条件を満たしているからであり、必ずしも高速で走れるからというわけではないのだ★1。そして第二に、いくつものジャンクションや出入口が連続するため運転が極めて難しい。分岐や合流地点では行き先を判断する余裕がないうえに、一度進路を間違うとやり直しがきかない。さらにカーブの多い複雑で立体的な形状や、どこから乗れてどこに降りられるかという一般道との関係の複雑さが、ドライバーに経験と緊張を強いる。また第三に、渋滞が多すぎるという条件を付け加えれば、首都高は一般道とも他の高速道路とも全く異なる特殊な道路だということが明らかになるだろう。
 
★1──いわゆる「高速道路」とは、(1)自動車だけの通行に限られること、(2)出入はインターチェンジに限られること、(3)往復車線が中央分離帯によって分離されていること、(4)他の道路、鉄道等との交差方式は立体交差であること、(5)自動車の高速通行に適した線形になっていること、以上の条件を備えている道路を言うものとされている。
圧縮された情報のランドスケープ  
渋滞や事故といった不安定要素を度外視すれば、首都高から見る東京は小さい。例えば新宿から汐留まで20分もかからない。その間に、新宿副都心、ドコモタワー、東京体育館、ホテル・ニューオータニ、アークヒルズ、東京タワー、東京モノレール、シーバンス、ゆりかもめと、東京を構成する代表的な風景が次々と視界を駆け抜ける。どういうルートを通っても、ひどい渋滞のない限り、首都高では地上での距離感とはかなり異なった距離感が得られるだろう。首都高によって東京という情報は圧縮されている。
そこへ追い打ちをかけるように、五十嵐太郎が首都高から見える建築物を絶え間なく言語化する。普通に首都高を走っていても決して気がつかないような建物が一気に視界に浮上する。これは驚くべき体験だった。首都高自体が圧縮された情報空間であるのに、〈五十嵐太郎〉というもうひとつの情報の圧縮装置によって★2、首都高から見える風景が、圧縮された情報のランドスケープへと変容する。そのとき首都高は、圧縮された情報空間を突き抜けるジェットコースターだ。情報のつぶてが飛んでくる。対象が主体の知覚に先立って潜在的情報を提供するというアフォーダンス理論を実感した。首都高に乗ってたった1時間、1度目の休憩の時には、僕はすでにふらふらになってしまっていた。
 
★2──情報の圧縮装置という意味で、首都高と五十嵐太郎は似ている。本論とは外れるが、五十嵐太郎=首都高説に加えて、五十嵐太郎=スーパーフラット説も挙げておこう。五十嵐太郎は何度かスーパーフラットに言及し、スーパーフラット的建築や建築家を取り上げている。けれども、むしろ最もスーパーフラットを実践しているのは五十嵐太郎自身だと思う。あらゆる情報が分け隔てなく処理され、高速にテキスト化されている。
図と地のない都市  
塚本由晴が言ったように東京で最大の構築物は首都高である★3 。首都高は東京の上に立体的に重なる超巨大構築物である。通常、道路が地だとすれば建物は図である。都市には基本的に図と地の関係が成立している。けれども首都高の場合は図と地がない。図の上に図が重なっている。そして地上も地下もなく東京を縦横に走りめぐる。
圧縮された東京の体験のために、速度はそれほど問題ではない。むしろ地上を歩いていて決して結びつけられないもの同士が首都高によって結びつけられるということが重要だ。例えば首都高では丹下健三の建築が異様に多く現われる。東京都庁舎、新宿パークタワー、赤坂プリンスホテル、静岡放送東京本社ビル、フジテレビ本社ビル、東京ファッションタウン、それらを1時間の間にすべて見ることができる [fig.2]

東京都庁舎と新宿パークタワー

fig.2── 東京都庁舎と新宿パークタワー

首都高から見る東京はわれわれがいつも見ている東京とは別の東京である。首都高は東京Aと東京Bを縫い合わせる。つまり東京の上にもうひとつの東京が重なっている。だから図と地の関係が成立していないのだ。そのような首都高に〈地下空間〉的な特性を感じるとしても不思議ではないだろう。首都高には外部がない。
 
★3──塚本由晴ほか「首都高速ガイドブック」(『10+1』No.16、INAX出版、1999)。
見られることのない建築  
首都高は最も巨大な構築物であるにもかかわらず、走り続ける空間である。首都高自体は全く動かないにもかかわらず、首都高から見える東京はつねに動き続ける風景だ。首都高とは定着されない観察物である。対象の定着には観察者の位置の定着が必要だが、ここでは観測者と対象物はつねに不安定な関係をとることになる。つまり、見る/見られるの関係が対称的ではない。地上から見える首都高がいかに醜悪で暴力的に見えようと、首都高自身からそれは見えない。むしろ首都高から見える東京の速度のランドスケープは美しくスリリングな体験だ★4
ところで川崎と木更津を結ぶ東京湾アクアラインの中間地点に浮かぶ海ほたるは★5 、名前の割にはひどく不格好な建物だった [fig.3−5]。海ほたるは東京湾を見渡す展望台でありながら、逆に陸地からはほとんどその姿を確認できない。見られることを想定していない建築。だからデザインされる必要がないのかもしれない★6 。ここでも見る/見られるの関係がずれている。

海ほたる

海ほたる

海ほたる

fig.3−5 ── 海ほたる
fig.1−5 筆者撮影


海ほたるには外部の視点がない。見られることのない首都高の特異点である。だからこそ海ほたるは外形の必要ない建築だ。それはインテリアでしかない都市を連想させる。見るための外部の視点が存在しない図と地のない都市。もしくは見るために外にでることができない〈地下空間〉としての東京。海ほたるの不格好さが示唆するのは、東京の不格好さそのものだ。

 
★4──TOKYO DRIVE
http://www.warp-crew.com/tokyodrive/

★5──東京湾アクアラインのトンネル部と橋梁部の接続地点に位置する海上パーキングエリア。1階から3階までは約480台収容できる駐車場。4、5階はショッピング施設と展望台など。アクアラインは川崎側が約10キロメートルのトンネル部、木更津側が約5.1キロメートルの橋梁部である。
http://www.aqua-line.com/

★6──五十嵐太郎談
http://www.cybermetric.org/50/twisted_column/index.html#306
実現可能なバベルの塔  
再びレム・コールハース/OMAに戻ろう。《コングレクスポ》(1994)はその巨大さのためにひとつの視点から見ることができない建築である。見る視点がないのではなく複数になることによって、見る/見られるという関係がずらされている。後藤武の分析によれば、コールハースはこの巨大さを利用しながらピロティ、基壇、直接接地というモダニズムの複数の接地形式を単一の建物に押し込めているという★7 。巨大建築の論理はモダニズムの論理を超える。
《コングレクスポ》が与える示唆は大きいが、ここでむしろわれわれが取り上げるべきはゼーブリュッヘの「シーターミナル」(1989)★8のコンペ案である。《コングレクスポ》を垂直に起こしたような外観は、むしろ海ほたると呼ぶに相応しい [fig.6]。「シーターミナル」は海岸の防壁をまたぎ、下層部には交通施設、中層部にホールやホテルやオフィス、上層部にカジノや会議場を含んだコンプレックスであり、ビルディング・タイプとしても海ほたるとよく似ている。

ウミホタル

fig.6 ── ウミホタル
出典=「ウミホタルとはどんな生き物?」(海ほたるチラシ)。


ゼーブリュッヘはベルギーの小さな港町であり、北欧やイギリスへのフェリーが就航する街である。コールハースによれば、この「シーターミナル」のコンセプトは「実現可能なバベルの塔(A Working Babel)」だという。バベルの塔とは空想的で実現不可能な計画のことを指すのだが、その実現がここに必要だというのだ。ボールとコーンを異種交配したと彼が言うその形態は、実はバベルの塔を逆さまにしたものだ [fig.7]。皮肉にも結局実現されていないこのウィットに富んだプロジェクトは、けれどもここでもう少し考察されるべきである。

バベルの塔

fig.7──ピーテル・ブリューゲル(父)《バベルの塔》
出典=http://www.users.dircon.co.uk/~nonsuch/dict/glossary/babel.htm


 
★7──後藤武「基壇/ランドスケープ:妹島和世+西沢立衛論」(『建築文化』1998年12月号)
★8──図版については以下のURLを参照。
http://architecture.about.com/arts/architecture/library/blkoolhaas-seaterminal.htm?IAM=sherlock_abc&terms=zeebrugge
アシンメトリックな論理形式  
この海坊主のようなのっそりした外形の中におさめられた内部の空間は驚くほど複雑だ。詳細に見てみよう。最下層にはトラックの、第二層には一般車の通路が通り抜け、船への桟橋に続く。第三層にはバスとタクシーのレーンが巻き付き、その発着場が中央のロビーに面し、またチケットブースを抜けて船への歩行ブリッジがかかる。その上層にはスパイラル状の駐車場が三層にわたって続き、いったん周囲のパノラマが開けるホールのレヴェルに到達する。ここが全体の中間の高さにあたる。その上部は垂直的な要素で空間が分割されており、オフィスのヴォリュームが縦に大きく空間を貫き、陸地側にはホテルがアーチ状に外壁に面する。ロビーのフロアの中央にはヴィデオ・スクリーンが下部のアトリウムの上に浮かび、最上層ではカジノと会議場の空間がブリッジによって結ばれている。
この「シーターミナル」の内部には、三つの見る/見られるの形式がおさめられている。最上階からの視線は海側へと開かれる。中層部のホールの視界は全方位へと開かれる。アトリウムやロビーの視界は内部に閉じられた視界だ。けれども「シーターミナル」の丸い外観はこの建築が全方位から同じように見られる施設であることを示している。三つの見る形式に対するひとつの見られる形式。
複数の形式と単数の形式を同一の建物に内包させる。《コングレクスポ》やゼーブリュッヘの「シーターミナル」でのコールハースの戦略はそこにある。ビッグネスをまとう建築は、単一の論理では処理しきれない。けれども建築は単体だ。では単体の建築に複数の論理を内包させるにはどうするか。それにはアシンメトリックな論理形式を見つけなければならない。単数と複数を対応させるミラーシェードのような観察点。

 
〈地下空間〉の不可逆性  
おおむねはっきりしてきたことは、当初外部から見られることのない空間という意味で考えていた〈地下空間〉という概念が、またしてもコールハースを経由して、さらに一般化して拡張できるという可能性を持っているということだ。見ることと見られることの非対称性は、単純にその特異点を突き詰めるという論理的な脱構築の方法論によっては必ず内部と外部の似たような問題系にいきついてしまう。それは結局インテリア都市、図と地のない都市、外形のない建築といった繰り返し回帰する地点にしか到達しない。
整理しよう。「見る」という形式が「見られる」という形式と対応している空間が通常の空間である。一対一の論理である。けれどもこの空間の中には「見る」という形式に対して「見られない」という形式をもつ特異点のような空間が含まれている。それが海ほたるであり、インテリア都市であり、外部のない空間である。一対ゼロの論理である。それに対して、「見る」ことと「見られる」ことが複数の形式をとりもち、その観察点と対象物を入れ替えることができないような不可逆的な空間の関係が見えてきた。首都高で感じられたその関係は、《コングレクスポ》や「シーターミナル」にはっきりと現われている。一対多の論理である。
これはおそらく見る/見られるという関係だけに限らない。複数の論理形式と単数の論理形式が対応する空間が〈地下空間〉なのである。もはや〈地下空間〉などという地下を連想させてしまう名前は必要ない。ただ新しい言葉が見つからないから用いているだけである。〈地下空間〉という言葉で考察しようとしていたのは、不可逆的な論理を可能とする空間だったのかもしれない。

*  
首都高ではつねに視点が移動し続ける。その経験が「見る」ことと「見られる」ことの関係をずらし続けた。もうひとつ、首都高で飛んできた情報のつぶて。それは「見られる」ものが「見返す」ような、そんな主体と客体の絶え間ない転倒関係を示唆していた。


首都高ヴィデオ1 (240×180、1分20秒)

首都高ヴィデオ1

metropolitan expressway(rmファイル=1.1MB) ダウンロード
metropolitan expressway(QuickTimeファイル=3.6MB) ダウンロード


首都高ヴィデオ2(240×180、1分32秒)

首都高ヴィデオ2

asymmetrical space(rmファイル=1.3MB) ダウンロード
asymmetrical space(QuickTimeファイル=3.9MB) ダウンロード

rmファイルを見るためには、最新のRealPlayer Basicが必要です。
QuickTimeファイルを見るためには、QuickTime4.0以上のQuickTime Playerが必要です。

 
▲TOP
SERIES
■HOME