地下空間に関する考察(1)|松田達

地下空間化する地上空間

 
大江戸線の狭さ
撮影=大須洋
平成12年12月12日、都営地下鉄大江戸線(都営12号線)が全線開通 した。東京の地下を、ほぼ6の字型に運行する地下鉄である。環状部をもっているものの、円環状の運転はされないために、「東京環状線」という名前が変更されたことも、まだ記憶に新しいだろう。「地下の山の手線」「ゆめもぐら」といった名称もあったが、いつの間にか消えてしまった。
ところで、実際、開通 当日にその大江戸線に乗ってみたのであるが、その時に驚いたのは、車両の小ささである。他の地下鉄より、明らかに一回り車内の空間が小さい。その大きさの印象は、パリのメトロやシンガポールの地下鉄などに近いような気がした。都営新宿線と比べると、車両の長さが20.0mから16.5m、幅が2.8mから2.5m、高さが4.10mから3.15mに縮小ということだから、確かにかなり小さくなっている。天井高も2.1mだというから、おそらく車内空間としてギリギリの高さを選択したのだろう★1[fig.1, 2] ★1——http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/go-oedo/
大江戸線車内大江戸線構内 fig.1——大江戸線車内
fig.2——大江戸線構内
その最大の理由は建設費の削減ということらしいのだが、東京の複雑に入り組んだ地下空間の利用を考えると、コストの問題以上に、サイズの問題があったのではないかと思う。このサイズでないと、物理的に地下鉄の通 せない区間があったのではないだろうか。例えば、六本木駅では、地下鉄日比谷線のほか、東京電力の地下洞道、水道管、下水管、さらに首都高の基礎杭など、あらゆる地下埋設物が蜘蛛の巣のように張りめぐらされており、そのため上下線を左右に通 すことができず、上下二段に重ねられたのだという★2 ★2——平井堯編著『地下都市は可能か』
(鹿島出版会、1991)。
そもそも大江戸線は、既存の地下鉄の路線の編み目をかいくぐらなければならないという条件から、やたらに深い駅が多いのだが、中でも六本木駅の深いほうのホーム面 は地下42.3mであり、大江戸線の中でも最も深い位置にある★3 ★3——http://www.asahi-net.or.jp/~zq8a-kaz/

外部に出られない空間
 
地上40mならば、ビルの10階あたりに相当する。地上40mを走る鉄道があったとすると、それは相当異様な風景をつくるだろう。例えば、同じく平成12年に全線開通 したばかりの多摩都市モノレールは、非常に高い軌道上を走っており、初めて見たときはそのスケール感にかなり驚いたのだが、それでも、高架部の高さは、10mから20m程度だという★4 ★4——http://www.tama-monorail.co.jp/
多摩都市モノレールは、平成10年11月27日に「立川北〜上北台」駅間が、平成12年1月10日に「多摩センター〜立川北」駅間が開通 した。立川を中心とし、東京西部を南北に走るモノレールであり、おそらくその存在がそれほど知られていないのではないだろうか。筆者は、いずれ多摩都市モノレール沿線についても、フィールドワークを行なうつもりである。
だが、40mという高さ/深さを走る鉄道が、実際地下においては実現しているのだ。都心の地下空間にさまざまな地下埋設物が存在していることは容易に想像がつくが、見えない空間であるだけに、具体的な位 置関係はわかりにくい。地下40mまで、いったいどのように地下埋設物が網の目を張っているのか、断面 図や模型、CGなどで、その位置関係がわかったとしても、それを直接この目で見ることは不可能である[fig.3]
大江戸線飯田橋駅 fig.3——大江戸線飯田橋駅の
エスカレーター
地上であれば、建物の外形が、どのような構築物であれ、外側に現われるのだが、地下空間では基本的に建物の形というものがない。あるのはヴォイドとなった内部空間のみである。地下鉄はチューブの形をしているではないかと反論があるかもしれない。だが、そのチューブを「見た」人はいない。つまり地下において、構築物は常にその内部から覗かれることになる。
 
通 常の建物、地上の建物のなかであれば、われわれは自分の位置を、建物の形との関係で捉えることが可能だ。窓から外を見れば、自分が何階あたりにいるかは想像がつくし、外形がカーブしていれば、内部の空間にもそのカーブは現われる。内部の空間と建物の外形は少なからず関係がある。一方、例えば地下鉄の駅構内を歩くとき、その地下構築物の形そのものを想像することはあまりないはずだ[fig.4]。確かに地図はある。そこには駅の外形も示されている。だが、われわれがそこで見ているのは、ほとんどサインである。移動は、ほぼサインに従って行なわれる。サインなしに複雑な地下空間を歩くことは困難であろう。地上に比して異常にサインが多いのも地下空間の特徴である[fig.5]  
駅構内(飯田橋)

サイン(新宿西口)
fig.4——地下鉄の駅構内(飯田橋駅)
fig.5——サイン(新宿西口駅にて)

外形を失った都市
 
ところで、ここで唐突だが、磯崎新とレム・コールハースの言葉を引き出しておこう。すなわち「インテリア都市」と「ビッグネス」。磯崎新は、東京はいくら建築物がでかくなってもインテリアにすぎず、輪郭を持った建築という発想が意味をなくしていると言った。またコールハースはビッグネスという概念を提出し、建物がある臨界の大きさを越えて巨大化すると、内部と外部の関係に論理的破綻が生じることを言った。  
どちらも、建築の内部と外部の古典的な関係の消滅についての言葉であり、巨大建築における外形の無意味さが問われている。内部と外部は境界によって整合性を保っていたはずなのだが、その境界である外形が意味をなくしてしまう。レムは内部と外部の、磯崎は境界の破綻を指摘したが、内部空間と外部空間のずれという意味で、この二つの指摘は同じ現象の表裏でもある。  
この二人の言説を取り出したのは、地下空間が巨大建築であるということを言いたかったわけではない。現にそれはそうなのであるが、むしろ強調したいのは、地上の空間が地下空間の特徴を持ち始めているということである。外形のなさ。それが地下空間の本質的な特徴である。とすれば、それは既に地表面 下の空間に限ったことではない。地上であろうと、地下であろうと、外形がないという性格は、地下空間的な性格を帯びはじめる。  
この論考では、引き続き、地下空間を様々な角度から取り上げ考察していく予定である。ただし、あらかじめそのパースペクティヴを物理的な地下空間からは広げておく。地下空間に関する考察が必要だと思われるのは、何も、ウォーターフロントからジオフロントへと、都市論の戦線を単純に拡張したいがためではない。地上空間そのものが地下空間化していからである。  
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