地下設計製図資料集成第4回
横浜駅東西地下街フィールドワーク

5月、6月と、われわれは横浜駅の東西に広がる地下街を考察する。
今回は、本格的な考察の前提として、筆者が2000年12月23日に書いた日記を若干補足しながら、横浜駅地下街の概略と論点を簡単に述べておこう。

横浜駅が現在の位置に設置されたのは1928年だが、現在の建物に改築されたのは1981年。地下道も81年の時点で現在の東西自由通路(幅36メートル)への拡幅工事が完了している。現在でこそにぎわう西口周辺だが、1950年代後半に開発が始まるまでは砂利、材木などの資材置き場で、表玄関は東口だったらしい。横浜そごうが完成した1980年あたりから、東口は再び開発される[詳しくはココココ]。現在の駅舎に明確な正面が存在しないのも、西口と東口が競って開発をしたからかもしれない。西口地下街(事業主体は横浜地下街(株))の商業地的な雰囲気に比して、東口地下街は、みなとみらいの開発を眼前に控えていることからも行政主導の計画であるように感じる(事業主体は横浜駅東口開発公社)。それぞれの場所がばらばらに開発されてきたのだ。西口地下街の西端は、写真のように首都高と川に突き当たる形で寸断されており、また、三ツ沢と呼ばれる小高い丘が迫っているため、これ以上西方向には延伸しようがないといえよう。しかし、東口は目の前が横浜港であり、みなとみらい21という大規模な開発地区への連絡路としての役割もあるために、今後の開発からも目が離せない。

なお、西口地下街は1964年12月に開設されているので、1965年6月開設の八重洲地下街よりは早く、1964年9月開設の池袋東口地下街とはほぼ同時期である。東口地下街は上述のように、1980年を待たなければならない。いずれにしろ、横浜駅を中心とした地下は、現在大きく3カ所に分かれている。「ダイヤモンド地下街」と名付けられる西口、JRを中心とした駅、そして「ポルタ」と呼ばれる東口である。東西の各地下街は延床面積がほぼ同じで、西口は約20,500平方メートル、東口は約20,000平方メートルである。

歩きはじめると、奇妙なことに気づく。西口地下街と駅、駅と東口地下街とが同じレベルでは接続していないのだ。西口から東口まで一般的なルートをまっすぐに歩き通すと、二度も「地下ではない場所」を通過することになる。「地下ではない場所」ともってまわった言い方をした理由は、「1Fではないのに地上的な場所」に出ることがあるせいである。わかりにくいかもしれないが、より正確に言うと次のようになる。

1――西口地下と駅の改札階はともにB1Fなのだが途中でなぜか1Fを通らねばならない。ただし屋根がかかっている。
2――東口地下街に行くために駅ビルのB1F(JR改札階)を歩いているはずなのに、東口地下街はB2Fにあたる階にあるので、境目のところで一旦地上に出たと錯覚してしまう(境目には大きなガラスの屋根がかかっているが、左右には壁がなく半屋外になっている)。地下街の東端は「横浜そごう」なのだが、そのように階数が曖昧な場所を経てしまうために、そごうのメインの入り口はB2Fになってしまう(わかりにくい説明!)。東口地下街には、「そこが何階なのか」を示すサインは存在しない。

つまり横浜駅地下街は、西口地下街とJRの境界上にある「地上」、またJRと東口地下街の境界にある「ほぼ地上」的な場所(南北方向に吹き抜けるガラスの大屋根)で、計二回分節されているのである。これには、横浜駅地下街の立地的な要因があると言えるだろう。東側の海と、西側の山に、東西からしっかり挟まれているのだ。そのため、西口から東口にかけて、急激に地表面が下がっているのである。だとすれば地下街は、その地表面の真下に潜り込むように存在するために、西口西端の高さと東口東端のそれとは、かなり異なっているはずである(次回、この「高度問題」を扱う予定)。このように、地形に強く依存する横浜駅東西地下街は、ときとして内部に亀裂を生じさせ(地上的な場所の経験)、八重洲、池袋の両者ともまた異なる形式を発見させる契機に満ちているのである。 (山崎)


フィールド・ノーツ
 

スタッフ

狩野朋子(協力)
塩田健一
瀬山真樹夫
田中裕之
戸澤豊(協力)
山崎泰寛