11月19日




新橋駅の前にある「ニュー新橋ビル」の地下を歩いてみた。計画的につくられたはずの地下商店街だが、どこか無計画な感じを覚える。つまり、「つくられた」というより「できた」に近い、ありふれた飲み屋街(地上)のような印象を受ける。理由はいくつかありそうだ。まず、矩形でない不正形な平面と通路。台形をしたこの建物の形にも由来する。直角に交わらない通路で構成されているだけで、身体感覚のうえではずいぶんとその空間が複雑さを増す。全体を把握しにくいのだ。ニュー新橋ビルの場合、無論、これは偶然の産物だろう。周辺の街区がもつグリッドに対し斜めにJRの線路が通過するため、新橋駅の駅舎も周辺の道路に対して平行や直角ではなくなる。それに合わせて駅前道路ができ、敷地が刻まれることで、その敷地いっぱいに建つこのビルは台形の平面形を得たと思われる。だが、このような把握しにくい平面計画は、室内に擬似的な外部空間を創出しようとする商業施設において、意図的な操作として行なわれる。たとえば、横浜のラーメン博物館やカレーミュージアムでは、矩形のフロアに対し平行や直角を避けるような通路で区切り、現実の街を歩いているかのような無限の広がりを体感させる、把握しにくさを作り出している。また、この地下空間が把握しにくい要因に、店舗同士の類似性や建物内とは思えないバラエティに富んだ店構えがある。居酒屋、居酒屋、ゲームセンター、居酒屋、ゲームセンター、居酒屋、居酒屋……という雰囲気。実際本屋などもあるが、地下1階のどこを歩いてもほぼ同じような景色が展開している。だが、よく見るとどの店も広さやつくりが異なり、通路にはそれぞれ赤提灯や立看板を並べている。ビール瓶のケースやダンボールを積み上げている店もある。新橋駅前には戦後、バラックのような飲み屋が乱立していたというから、それらが収容されたのだろうか。一方で、目印が欠如している。広場的な空間があるでもなく、経済効率の悪い吹き抜けもない。ただ路地のような空間が続いている。中国人と思しき女性たちが居酒屋の店先で呼び込みをしているのも、どこか雑多な空気を演出してくれる。おそらく、期せずしてできてしまったリアルな街路のような空間が、飲み屋によく似合う。ちなみに2階にはマッサージ店がいくつもあり、3階にはカプセルホテルまである。これらの業種が新橋駅の利用者層をよく表わしている。このビルは日本の「疲れたお父さん」を必死に癒そうとしているのだ。
新橋駅から近い汐留エリアでは、JRの車庫跡地に、大手広告代理店の本社やテレビ局、高層マンション、ホテルを含む大規模な一帯開発が進んでいる。その開発における大きなセールスポイントのひとつとして、緑に囲まれた歩行者用道路やペデストリアンデッキが多く作られることが喧伝されており、汐留に限らず、同じくJRの車庫跡地を利用した品川駅東口やさいたま新都心での大規模開発でも、歩行者デッキの充実に重きが置かれている。車に虐げられてきた歩行者のために、都市的なスケールで自動車交通から分離させた擬似的な街路を作り出そうとする点や、駅周辺の建物への快適なアクセスを提供する近道であるという点で地下空間的な要素をもつ。私たちが見てきた横浜でも、高速道路やバスターミナルを潜り抜けるようにして地下街が発達していたし、新宿西口では、高層ビルを樹木とするなら地中から養分(人間)を吸い上げるその根っこ(地下街)は、遠回りや危険な横断歩道を避け、目的地までの最短距離をわれわれに提供していた。自動車交通や鉄道網の喧騒が地上を占拠し、歩行者は地下か空中街路に追いやられてしまった。歩行者空間の充実はそれだけでなく、高いお金を払って「オシャレな空間」を買う時代が終わり、質の高いパブリック・オープンスペースを見つける「嗅覚」と使いこなす「能力」をもった利用者が増えてきたことにも起因するのだろう。かつて、高層建築を建てる際、地上部分に人々に開放する公開空地を設ければ法規制での高さ以上の階数が建設可能になるという制度に従って、床面積欲しさに足元にはオープンスペースをもった建物が続出した。新宿西口の高層ビル街もその典型だ。しかし、それらの広場に連続性や関連性はなく、都市的な計画として成功したとは言えなかった。そのような事態に比して、上記の例はより目的に近づくと思われる。だが、汐留、品川、埼玉の例のように、大規模開発の中に歩行者空間を充実させていく動きは、われわれ都市を利用するものに心地よく都合のいい空間を享受させてくれると同時に、ある種の不安も投げかけているように思う。それは、本来人間が歩いていた街路が、もはや歩くべき場所でなくなり、「歩きたくない場所」へと変貌しつつあることを意味するからだ。さらに、それを補完するように生まれてくるペデストリアンデッキによる解決は、従来の街路空間の荒廃という抗し難い現実問題への、一種の諦めをも感じさせるからだ。話が随分と地下街から逸れ地上に顔を出してしまったが、新橋付近を歩いていると、これまでの既存の都市で地下街、地下通路が担っていた徒歩での移動のしやすさ、自動車交通からの隔離による安心という機能を有した「地下街的空間」が地上に少しずつ表出しつつあるように見える。数年後、新橋駅から、そんな「無菌空間」を歩いて汐留の高層マンションの自宅に帰り、眼下を深緑に染める浜離宮の眺めと、遠くに見えるお台場の観覧車、その遥か彼方の水平線への眺望を楽しみながら、「今日も平和な一日だった」と呟き、ネクタイをはずす人がいるのだろう。(塩田)

 

 

 




新橋駅ドトール(名前はポン・ヌフ店!)にて瀬山と待ち合わせをし今回のフィールドワークを開始する。
さすがに僕らのフィールドワークも板についてきたようで、地下空間の見るべきポイントはお互い言わずともわかりあっているという気がする。実際、「なるほど、ここはこうなっているのか」なんて結構手際よく進んでしまって、時間的にもあまりかからなかった。
「わかりあっている」というのは僕が一方的に思っていることで、他のみんながどう思っているかわからないが、実はマンネリズムのようなものに陥る危険な兆候であるとも考えられる。
「笑っていいとも!」「タモリ倶楽部」のような「偉大なるマンネリ」と言えるような例もあるが、例えば「笑っていいとも!」の場合、曜日別レギュラーやゲストよりも司会者のタモリは、全体の進行を考えず、はめを外し、ゲストやレギュラー陣に絡み、突っ走るという構成が一貫してあるような気がする。それが同時間帯の他局との決定的な違いであり、長く続いている理由のようにも思える。
毎回訪れるゲスト地下街に対し、僕らにもうちょっと「タモリ的」な要素が加われば、フィールドワークが違った展開を見せるかもしれない。その場合それを決して計算高くやってしまってはいけないのだけど。
新橋は地下の特性というものをもっているようだし、演歌番組のセットのような地下の飲み屋街もそれはそれでおもしろいと思う。しかし、今回はなんだかとてもあっさりと、とりとめもなく終わってしまったような感じがする。このフィールドワークでは毎回なにかしらおもしろいことを発見しているが、今回はとても難しい……。

話を新橋に戻そう。

そしてその難しさのあまり、かどうかはわからないが、僕らは地上へ出て有楽町のほうへと歩き出した。
今まで途中で地上に出たとき、例えば池袋のときは、地下の屋上庭園という発見をしたが、今回もはたしてそのような発見があるのだろうかなどと考えつつ、高架下を歩く。僕らの歩いた「インターナショナルアーケード」一帯はどうやらJR東海の所有物らしいのだが、中の部屋らしきところのほとんどは、空室で現在は使われていないようだ。閑散としていて人通りも少ないが、実は新橋と有楽町を結ぶ近道であるらしい。有楽町の出口には「新橋方面への近道」というような看板もたしか出ていたと記憶している。そしてこの出口付近は首都高とJRがこのあたりでは最も接近する地点であるようだ。

と、ここまでの話だとなんだか地下とは関係がないんじゃないかと思ってしまうが、実は新橋の地下街にも適応できる考え方がこの中にある。詳しくは瀬山の論考を参照されたいが、新橋の地下は単体で見るだけではわからない構造(例えば都市のインフラと密接な関係をもっている)を内包していることがわかる。先の話では有楽町への近道や、地下ではないが首都高と接近してできる空間などがそれにあたるのかもしれない。地上と地下を分け隔てなく考えるということは僕らのやってきたことに少し反するかもしれない。でもそのことが地下の話にも直結することが今回のフィールドワークでなんとなく見えてきたことである。(田中)

 


1──線路側外観。かつてはこちら側にも建物が建っていたため窓はひとつもない



2──通り側外観



3──有楽町側入り口


 




ひとしきり地下街の散策を終えた後、田中と二人で新橋駅周辺をうろうろする。偶然、いつも山手線の窓から見えて気になっていたビルを間近で見ることができた[fig.1, 2]。周辺の再開発に伴って、街区の一角に3m×6mほどの小さな5階建ての建物がそこだけ取り残されたように建っている。この残され方がなかなか特徴的でおもしろい。写真を見てもらえればわかると思うのだが、小さなビルが壁面に何も付加されることなくきれいに塗装され、まるでモノリスのように建っているのである。なぜこのような残り方になったかは不明だが、とにかく「単に残されてしまった」建物でありながら、それとは無関係に意図を感じさせるような(とはいえ意図的にこのような建物を造ることはなかなか困難だと思われるが)、独自の存在感をもった建物になってしまっている。ちなみに、上階にはいくつか空き室があり現在テナント募集中。その後、JR高架下の「インターナショナルアーケード」を有楽町方面に向かって歩く[fig.3−5]。新橋−有楽町間を最短距離で結ぶ道でありながらかなり秘境的な趣をもったアーケードである。これを読んでいる人の中にも知らない人が大勢いるのだろうか。JRの高架下には居酒屋だけでなくこんなダンジョンもある。そういえばここも「地下街」の一種だ。(瀬山)


 


4──内部



5──JRが高速と併走し隙間に谷間ができている。右側のヴォリュームの内部がインターナショナルアーケード