神田須田町地下鉄ストア

ほんとうの地下街
瀬山真樹夫 SEYAMA Makio


 

 

JR神田駅で降りてから神田須田町地下鉄ストアに入るには、ちょっとした迂回が必要だ。神田駅北口の改札を出て向かって左手の隅から、「地下鉄銀座線方面 」と書かれた案内板に導かれ、極端に天井高の低い階段を下りる。階段を下りてからそのまま地下通 路をまっすぐに進み(fig.1)、再び現れる階段を下りると銀座線の改札にたどり着く(fig.2)。ここまではよい。さて、そこから地下鉄ストアはもうすぐなのだが、それは改札の対岸に霞んでいる。ここで我々は、そのまま地下道を利用して地下鉄ストアに入るには、一度改札の中に入らなければならないということに気がつくのだった。しかしここでわざわざ160円も払う人はいないだろう(注1)。というわけで我々はそこから「出口3」と書かれた案内板に沿って地上へと向かい、いったん地上に出て、数十メートル歩いた後に現れる地下鉄の入り口(fig.3)から再び地下へと潜ることになる。そうすることでやっと、地下鉄ストアにたどり着けるのだった。ずいぶんと回りくどいが、実際に我々はこのような迂回を強いられた。そしてこの「迂回」という現象こそが、須田町地下鉄ストアを語る際にきわめて重要な要素として我々の前に現れることになるだろう。


fig.1——地下通路


fig.2——銀座線の改札


fig.3——再び地下へ

神田須田町地下鉄ストアには、今年の初めにも一度潜っている。実はこのフィールドワークのシリーズを始めたとき、一番最初に来たのがこの地下街だった。事前に集めた東京都の資料から、そこが都内最古の地下街であることを知り、そこを出発点にしようという考えだったのだ。初めてそこを訪れたときの印象は「東京にまだこんな所があったのか」という驚きと、なにか秘境を発見してしまったという興奮とともにあった。そこは、微妙に古めかしい印象のタイルで覆われたファサードをもった数件の店舗が、実にコンパクトに建ち並ぶ空間だった(fig.4)。奥にある店舗は、その日は雨戸状の扉で覆われていたが(fig.5)、隙間から覗いた様子ではここも同じように「まるで時間が止まってしまったような」雰囲気を持った店舗が入っていることが容易に確認できた(fig.6)。そこで我々は最初にこの地下街に潜れたことを大いに喜んだが、同時に我々自身が未だこの地下街を語り得る言語をもたないことを直感し、時期が来たら再びこの地下街に戻ってくるだろう事を確認したのである。



fig.4——かわいらしいファサード


fig.5——雨戸状の扉を隙間から覗いてみる


こうして我々は幾度かのフィールドワークを経て現在この地下街に再び戻り、そこには以前と同じように数軒の店舗がこぢんまりと建ち並んでいる。そしてあらためてこの地下街について某かの言葉を語ろうとしているわけだ。 それにしてもこの地下街は今までに我々が見てきた他の地下街とは何か決定的に違う印象を与える。例えばそれは、意匠の問題なのだろうか?確かに、そこに立ち並ぶ商店のファサードは他の地下街で見てきたものとは趣が異なる、独特の雰囲気を持ったものだし、それだけでも語るに値するものに違いない。しかし、ここで感じられる違いとはそのような外観(内観?)の違いを越えたところにある、なにかもっと大きなものであるように思えるのである。 ここで我々は須田町地下鉄ストアの案内図(fig.7)を注意深く見てみる必要がある。案内図を見ると須田町地下鉄ストアには「出口5」と「出口6」の2つの出入り口しかないことがわかるだろう。また、「出口6」は「出口5」よりも改札から離れたところにあるが、それは、単に地上の道をトレースする形で延長されている。つまりこの地下街は「どこからどこまでを通 り抜けるために使う」といったショートカット通路としては機能しないのだった。例えば、外神田方面 から地下鉄銀座線神田駅を利用する人にとって「出口5」を利用しようが「出口6」を利用しようが機能的にはまったく差がないのである。これは、そこが極端に小さいということにも関係しているのかもしれない。ここは、都内最小の地下街でもある。延べ面 積はわずかに144平方メートルであるから、ほんとうに小さなものであることがわかるし、都内最大の地下街である八重洲地下街の延べ面 積が73,253平方メートルだから、両者の間には実に約509倍もの落差があることになる。前回、ユーラリールとの比較から小規模と論じた「しんちか」でも延べ面 積は11,849平方メートルであり、こちらですら82倍である。(すこし大規模な住宅では延べ面 積が144平方メートルを越えるものなどざらにあるのだから、この大きさは果たしてここに「街」という呼称がふさわしいのかという気にすらさせるものだ。)大規模な地下街であれば、出口が地上の道をトレースするような形で配置されていたとしても、地下道の距離が長いために別 種の機能が事後的に与えられて使われるということはあり得るだろう。例えば人はしばしば「雨をしのぐ」ためにそこを利用する。しかし、須田町地下鉄ストアにおいては、そこがあまりにも小規模であるがためにこのような事態がきわめて見えにくくなっているのである。その地下街は「地下街である」事以上に意味を見いだすことが困難な場所だといっていい。 また、これも案内図から見て取れることであるが、須田町地下鉄ストアは何かと何かを繋ぐような役割を果 たしていない。我々が今までに見てきた地下街はすべからく何かと何かを繋ぐ役割を果 たしていた。例えばしんちかであれば「ゆりかもめ」や「JR」「地下鉄」といったインフラを繋ぎ止めていたし、横浜、渋谷といった地下街で見てきた事態もこれに等しく、八重洲に至っては首都高と連結してすらいた。そこでは繋がれているインフラ同士を利用することのうちに地下街を利用するということが含まれていたのだった。人々は知らずのうちに何らかの形で地下街を利用していたし、また、地下街自体のうちにそのような利用を可能にする契機が潜んでいる。しかし須田町地下鉄ストアは「何も繋いでいない」のであるから原理的にこのような事態は起こりえない。だから言ってみれば、この地下街に来る人は、この地下街自体に何か目的を持ってやって来るのだ。そしてこの事実が、我々が今までフィールドワークを行ってきた様々な地下街と、この地下街を決定的に異質なものにしている。そこには我々が今までフィールドワークを行ってきた様々な地下街にに対して与えてきた「不断に拡張」しているという形容詞はふさわしくない。そこは限りなく小さいが、しかしれっきとした目的を与えられた対象物として、そこにあったのである。



fig.6——そして実際にその通りだった


fig.7——
須田町地下鉄ストア案内図

今ではここに目的を持って訪れる人は少なくなってしまった。そこは、ただ地下に、骨董品のようにひっそりと佇んでいる。おそらく、次にこの地下街を訪れる人は「この地下街を訪れるために」ここを訪れるだろう。そう、この地下街を訪れることは「迂回」することに似ている。「地下街」は、ほんとうにあったのだ。

 

■註

★1——とはいえ我々は、数回目のフィールドワークの途中にあえて160円を払い地下鉄銀座線神田駅構内を通 り抜けて須田町地下鉄ストアに入ってみたりもした。
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