地下設計製図資料集成第9回
神田須田町地下鉄ストア

 
  <時刻>の地下街から
山崎泰寛

JR神田駅を秋葉原方面に降りた左手に、銀座線神田駅への入り口がある(写 真1)。地下への階段はわずか1.7メートルほどの高さしかなく、そこでは「天井が低くなっています、ご注意下さい」というアナウンスが飽きることなく反復されている。さらに奥へと進むと――といってもほんの数十メートルだが――、改札の向こうにホームが延びている。ただし神田須田町の地下街は改札までの間にあるわけではない。秋葉原側の改札付近に行かなければ、つまりJRとの乗り換え口付近以外の場所からアプローチしなければ、そこに地下街があることにすら気づけない(写 真2)。あまりにもひっそりとしているのである。

今和次郎編纂『新版大東京案内』(ちくま学芸文庫)には、市電、省電、円タク、飛行機などと並んで、後に営団銀座線に引き継がれる地下鉄についての記載がある。「地下鉄! 地下鉄とはどんなものか、君、地下鉄に乗つたか?……乗りに行つたか等々の会話は昭和2年の暮から数ヶ月に亘つての東京市中のそこここにきかれた。…(中略)…一般 東京人にとっては、地下鉄の存在価値は玩具のそれだ、科学的玩具としてのそれである。」 この書物が編まれた1929年当時、地下鉄はアミューズメントパークだったのである。その二年後(1932年)に開業した神田地下街は、比喩的には全てが揃ってしまう(塩田フィールドノーツ)という楽しさをもった、いわば一大(というには現在ではあまりに狭小だが)アミューズメントストアだったのだろう。

神田地下街(神田須田町ストア)は店舗数に比して業種が多様である。2001年12月現在確認できたのは、理髪店、歯科診療所、テーラー、帽子店、靴屋の5店舗である。秋葉原側の地下通 路の壁面には、各店舗への郵便物を仕分けるポストが設置されている。同年2月10日に取材したとき、かつてそこには「時計屋、スポーツ用品店、掛軸屋、代書屋、判子屋などがあった」との情報を、現在も営業中の理髪店店員(59歳、男性)から聞いた。靴屋と歯医者が地下街でのキャリアがいちばん長いのではないかとも言っていた(なお、既存の店舗が強制的に廃業を迫られることはないようだが、営団と地下街との関係は冷え切っているらしい)。この場所に一対一である関係性(田中フィールドノーツ)が生じるのは、場所としての危うさゆえに獲得された自立性が存在しているからかもしれない。

ところで、この地下街の天井の低さによって、われわれの視界は地下街の細部にまで目が届きやすくなる。ディテールへの距離が近いのだ。すると各々の商店の壁にとどまらず、階段と通 路の境目などに時間の痕跡を見ることができた(写 真3)。各箇所の改装が行われた時期のズレをみてとることができるだろう。このような時間の痕跡に、今回は注目することにした。写 真4は地下鉄神田駅が開業する4年前に開業した上野駅(現在の銀座線上野駅)で使用されていた送電用レールをスライスしたものである。よく見ると、レールと入れ物の間にはっきりと隙間を確認できる。これは地下鉄が走ることでレールがすり減ったために生じた隙間であり、地下に流れた時間の痕跡を端的に示すものであり、地下鉄が不断の現在を刻印し続けたことの証しだろう。また、地下鉄神田駅のホームは全体的に奇妙に四角い空間である。それは神田川から須田町に至る区間を工事した際の工法が側壁導坑から掘り進む方法だったために、複数のアーチ式トンネルが作られたからなのだが、ホームの空間構成にも時間の差異をみてとることができるのである。

八重洲地下街池袋地下街の考察では、地下街もまたプランニングのバリエーションとして捉えることが可能であることに気づいた。それが横浜地下街では、地下に生じた地上的な裂け目を発見することで、地形という「地面 」の状況に計画が強く依存している現実を目の当たりにした。つづく新宿地下街では、地下街が地上の最高地点である超高層ビル群にまで拡張していることを発見し、都市の地上と地下を反転させてなお成立する何者かを思考しようとした。渋谷地下街では、地上もまた地下街にとっての重要な「地形」であることに気づき、地下が地上に誕生している地形に左右されるさまを描いた。新橋地下街では、複数の路線と時間の流れ込んでくるさまに、都市の結節点としての存在感を見せつけられた。横浜を除いて考えてみると、池袋〜東京〜新宿という丸の内線ラインと、渋谷〜新橋〜神田という銀座線ラインの二つの路線を経験したことになる。さらにそれぞれの地下街への思考が、ひとつひとつ完結するテーマと連続的な関心の両面 を持っていることにいまさらながら気づかされる。この両面性そのものが東京という都市を捉えていく場合のひとつの方法ではなかったか。むろん、地下からの視線で都市を発見しようという態度がそれである。

一年前、ぼくたちはこんな宣言をしてフィールドワークをはじめた。「地下を歩き、観察し、記述し続けていくことが、都市の「現在」に寄り添う、われわれのとりうる誠実な態度の一つであるはずだ」 たしかに基本的な態度を継続させてはいるものの、いまは同じ語彙を無反省に反復したりはしない。「誠実な態度」が単なるポーズに堕しては、さまざまな差異や亀裂を生じさせる都市の「現在」の発見はかえって停滞してしまう。発見の絶え間ない更新と構想力への跳躍は、われわれひとりひとりの果 敢な実践にかかっている(瀬山論考)。まずは、歩きはじめることだ。

■フィールド・ノーツ
■論考「ほんとうの地下街」
 瀬山真樹夫































スタッフ

狩野朋子(協力)
塩田健一
瀬山真樹夫
田中裕之
戸澤豊(協力)
山崎泰寛