3/14(水)

池袋。行き慣れない街の地下空間は、原点を欠いた座標みたいだ。今、自分のいる位 置がわからない。当然だが、ランドマークがないからだろう。そうか、自分の居場所がわかるというのは、つねに、ある目印(多くの場合、最寄駅と目的地など)に対して現地点がどういう距離と方向にあるかを認識するってことなのか。有限の領域の場合は、外枠と中心からの距離。つまり、全体の大きさと幾つかの道しるべの位 置関係を簡略地図として頭の中に描き、それをナビゲーターとして参照しながら僕たちは歩いているのか。それには、指標になる建造物を外側からオブジェクトとして確認しないと無理なのかなぁ……。 でも、西武デパートの地下1階辺り(厳密には地下街ではなくデパ地下を含むが)を歩いていたときは自分の居場所が概ね把握できた。ということは、地下街にいても場所を認識するヒントとなるオブジェクトは……「商品」の山と強い「方向性」だ! 例えば、同じ階の食品売り場でも、“ギフトデリカ”と“おかず市場”ではそれぞれに特有の品揃えと店構えから、沸き立つ雰囲気が随分と異なる。「マキシム・ド・パリ」等の洋菓子、ワインが集中して並ぶゾーンと、「なだ万」等の惣菜、弁当がひしめくそれとでは店員のユニフォーム、店先の色合いも含め、明らかに場の様子の差異を体感せずにはいられない。無論、どちらにいても激しい食欲も体感せずにはいられないことは言うに及ばないが。 そしてもう一方。「方向性」の強さとは、通路上の長細い空間が先のほうまで見渡せるということだ。JRの駅舎に沿った細長い敷地に効率よく店舗を配した結果なのかもしれないが、わかりやすい通路が食品街を貫いているため、上記の場の雰囲気と相俟って進行方向が想像し易い。この「見通しのよさ」は地下空間計画の重要な要素なのかもしれないな……。同じく東口、その食品街の奥にあった雑貨屋と書店も地下からアプローチできるのだが、見通しが悪くて散策しにくい。階段の先も壁の向こうも見えればいいのに。
夕方
あっ、この「FAUCHON」の前をさっきも歩いたな。2回目だ。あの「無印良品」の前も数分前に通ったような……。だんだん、空間構成がわかってきたぞ。そうか、地下都市でいつも僕たちは事務的な案内表示ばかりに頼って移動しているから、道順を把握しにくいのかもしれない。もっと、景色を見ながら歩こう! 景色なんてない? あるよ、地上でもよく見かける親しみ深いチェーン店の看板が、たくさん。 建物や改札口の名称、あるいは「A1/A2……」という地上連絡口番号を掲げて直接的に誘導を意図する案内表示群より、むしろ見馴れたジャンクフード店の「M」字サインのほうが僕たちにとって遥かに有効な道標として機能してくれるようだ。(塩田)

東口地下街案内図

 


3/15(木)
・池袋駅の東西にある地下街に行く。横浜在住の身としては、池袋は遠い場所。天井が低く込み入った場所という記憶はあるが、数えるほどしか行ったことのない街で、全然勘が働かない。案の定、待ち合わせの「いけふくろう」に到着できず。
・歴史の古い東口から歩くことにし、出発。
・いけふくろう近くのコインロッカーなどいかにも古そう。八重洲と同時代のものであることを思い出す。
・東口地下街は、八重洲よりも断然狭い。あっという間に一回り。一同呆気にとられる。
・気になるのは、地上の西武でパートを思わせる意匠。色やフォントが明らかに西武的に見える(写真参照)。しかも、なんだか新しい。昭和40年代のままとはとても思えない。どういう意図で改装されているのか。そのときの変更点など知りたい。そして、これで、西口が東武的だったら面白い。
・店舗が大きく2ブロックに分割されており、服飾系中心のそれと、惣菜などの食料品が入ったそれがある。そういえば、惣菜などのいわゆる「デパ地下」的な要素は、八重洲にはなかった。これで西口地下にも食品系があれば、池袋という立地ゆえかと想像できるが、西口地下には発見できなかった。とすれば、経営方針か。デパ地下がここから始まっていたら面白い。西武との関連も含めて、要調査。
・東口地下駐車場は暗い。こんなもんだろうという感想だが、精算は機械ではなく、人がやっている。
・駐車場と地上は、地下街内の巨大な円筒内を通るスロープで結ばれる(写真参照)。この中を車が通っているとはにわかには信じがたい。
・西口に移動。東武HOPEという名称。通路と通路の間を埋めるような形で商店街が形成されている。八重洲は全ての商店が通路に面していたが、ここは違う。面積を適当に分け合っている印象を受けた。
・通路にすごく風が通っている。地上の通風口らしきものが強烈な造形。
・西口駐車場はなぜか明るい。(山崎)

西武風のフォント。奥に見えるI.S.P.(池袋ショッピングセンター)のロゴも西武風か。

右手奥に見える円筒状の形態(柱の向こう側に見える、湾曲した壁面が円筒の一部分)のすぐ内側を自動車が通行している。

 

 


行く前は、実はそんなに八重洲と変わらないのではないかと予想していましたが、実際に行ってみるとやはり色々なことが違いをもって見えてきました。
まず端的に、八重洲より規模が小さかった。これは、単純に延べ床面積を比較した結果の小ささでもあるのですが、そのことが店舗のあり方などにも反映される形で現れているため、単に面積的な小ささにとどまらない差が見て取れるのだ思います。 例えば、八重洲地下街における各店舗は、それぞれが独立したファサードを持って通路に面しているという計画だったのに対し、池袋では店舗は個別の店舗同士が集合し合ってひとつのまとまりになっている。ちょうど、デパートの地下の食品売場のように。そして、そのひとかたまりに対して、大きな入口があるという感じでした。つまり、店舗に面している通路が八重洲に比べてずっと狭い。これは地下街の大きさから来る要請なのではないでしょうか。
ちなみに、この差は結構重要だと思います。 というのも、上記の差から、前回のように地下街をひとつの「都市」として見るという比喩が、池袋においてはそれほど有効ではなく感じられたからです。八重洲に比べて池袋のほうが、インテリア度が高いというか。
それと、直接のフィールドワークの対象ではないのですが、西口の地下に面白い場所を発見しました。立教大学方面に抜ける地下通路なのですが、わりと天井が高い空間に規則正しく50本ほど並んでいる柱が全てストライプ状に装飾されている。というわけで、なかなかインパクトのある風景です。 (瀬山)

 

 


明るい! 風が吹いている! ここは地下なの?? そんな印象だ。これは、ひとえに地上連絡階段の影響によるところが大きいのではないか。ここでは、地上にある地下からの階段を覆う屋根は、細い柱に支えられた小さ目の薄い板だ。そうした出入り口の幾つかは、日中、偶然にもビルの影にならず自然光が当たる位置にある。また、強い風が吹くところは、地上へ続く折れ曲がらない階段が二つ向き合っているためだろう。ただ、出入り口付近でないのに、そよ風が吹いていたのは不思議だ。何より、池袋地下街が深度の浅いところにあるあることが一番の理由かな。階段数が新宿の場合より多かった。もしこれらの推測が正しければ、地下の様子・印象の変化が地上での操作によってコントロールされる可能性があるなんてオモシロイ。いや、むしろこのことは、地上といかに関係をもたせるかが個性的な地下空間設計の際のヒントになりうることを示唆しているのか。 あぁ、そうか。今まで感じていた池袋地下街の「明るさ」が偶然の産物ではないことが、地下駐車場に歩みを進めてみるとわかる。明るいのだ、ここも。このパーキング、地下ショッピングモールより1フロア深いはずなのに、その上下関係をまったく感じさせないほど、照明の照度が強い。そして、内壁も、その光を心地よく反射させる白色。通 常、最低限の人工光で照らし出された無愛想なコンクリートと恥ずかしいほど剥き出しの配管設備の数々が、建設未完了かと錯覚させるほどの不完全さと「超機能的」な雰囲気をもって僕たちを迎えてくれるであろうことが、地下駐車場インテリアに対する当然の先入観としてある。それを裏切ったギャップも含めて、この明るさは印象的。地下街への階段付近が特に明るくしてあるのも誘導的で親切。正確には、単に、蛍光灯の本数の多さとその設置位置の低さのおかげだろうが、つまり、地上からの距離に対する体感的認識は階段の段数より、むしろ光量に関係しているのかもしれない。 そう言えば、店舗街も前回の八重洲より道幅が広いところが多いな。そんなわけで、池袋地下街が従来の暗くてじめじめした地下からの脱却を意識して計画された痕跡が伺われる。地上にある建物でも、デパート、美術館、書店などのように外部の空気や風景から隔離された室内のほうがずっと「地上」との距離を感じるくらいだ。もしかして、「地下らしさを排する」なんていうコンセプトが、この地下都市の計画の根幹に据えられているのかもしれないな。 残念。せっかく目印にしていた「FAUCHON」が今日、暗い空家になっていた。3/14で閉鎖らしい。昨日、ウィンドウ越しに見たフランスパンたちは断末魔の叫び(香り?!)をあげていたのか。(塩田)

明るい駐車場

 

東口(西武側)の地下街は東武側に比べて統一的なデザインが施されているように感じた。 八重洲と同様に池袋でもなぜか「英国式マッサージ」が繁盛している。 (田中)  

 


3/17(土)
池袋の地中に埋まるこの「都市」は、本当に地上の代替的、補完的目的で作られたのか? 東西に広がる地表面下の繁華街のほうが賑やかで、どっちがメイン・スペースなのかわからない。地下が容量オーバーしたから、地上にも街を作ったのかと疑いたくなるくらいだ。 珍しく地下空間で“風景”らしきものに出会った。従来の美的観念による評価の尺度をひとまず保留にし、近くから遠くまで見渡せて、さらに何らかのイメージをともなって後まで印象に残るような眺めを“風景”と呼ぶのなら、今日、やはり僕は池袋の地下空間で幾つかの風景に遭遇した。特に、西口公園の下を通る地下通路は圧巻。青い縦のストライプが入った数十本に及ぶ列柱はダニエル・ビュランによるパレ・ロワイヤルのインスタレーションを彷彿とさせてくれた。大袈裟かな? でも、あのデザインは「低い天井、太い柱」という地下空間の暗いイメージを払拭し、逆に「高い天井、細い柱」を指向して工夫されているんだろう。そんなふうに地下には、もっともっと「色」があってもいいんじゃないか。だって、もしこのストライプの柱が単調で無愛想なグレーの柱だったら……? 前回、八重洲地下街を巡るテーマは「植栽」だったけど、今回は「色彩」だったりして……。 “見通し”について。ほかにも、メトロポリタンプラザ付近の地下広場からJR改札口付近への視線など、緩やかにカーブするコンコースの中を膨大な人並みすら追い越して突き抜ける見通 しのいい眺めが気持ちよかったなぁ。地下空間であんなに遠くに目をやったのは初めて。というより、それが可能な地下空間を体験したのが初めてと言ったほうがいいのかな。 オブジェクトではないけれど、多用な要素が集積して得られる、つかみみどころのない“ボンヤリとした景色”も、インパクトがあり大きな空間内のアクセントとして知覚されるのなら、それもまたひとつのランドマークになるのかもしれない。(塩田)

 

 


3/21(水)
・この日は短時間。あらためて東口から歩く。
・東口地下街の地上はロータリーで、ぽっかりとそこだけ空き地のように低いままである。しばしそこに座ってなごんでいると、まるで地下街の屋上のようだと誰かが言う。屋上を「どこでもない場所」と呼んでいた社会学者がいたことを思い出す。この空隙はいったいどこなのかと思い、しかしどこでもいいのかもしれないとも思う。周囲がとにかく高いビルなので、中庭、などという健康的な場所ではなく、落とし穴から地上を見上げたらこんななのかなと思う。もし落とし穴ならば、やはり抜け出しにくいのか。(山崎)

 

 


東口地下街から地上に抜ける階段を上ると、ちょうど駅のロータリーの中心にある広場の中に出ました。広場の形はその下にある地下街をトレースしており、また、そこだけが周囲から独立した区画として島状にあるために、まるで屋上に出てきたかのような印象を受けました。昼間、デパートの屋上にのぼると、いささか所属が曖昧な人々が、何をするでもなくベンチに腰を下ろしていたり、ペンキが剥げかかった子供用大型遊具などがまるでうち捨てられたように置かれていたりと、独特のユルーイ雰囲気が漂っているものですが、この広場にも所属不明なカップルやレゲエのおじさん達が集い、同じような雰囲気が漂っているのでありました。おりしも気候がとてもよい日で、ジブチから帰ってきたばかりの田中と、山崎、瀬山の3人でしばし佇んでしまいました。それにしても「地下街の屋上」というのは、面白い考え方なのではないでしょうか。(瀬山)


地下の屋上?

 


今日はとてもいい天気だった。地下を歩き回ったあと、東口駅前の広場に出たら屋上に出たような 気分だった。晴れていたということもあり、単なる駅前広場なのにとても居心地がよい。広場には 植栽もあり、さながら屋上庭園のようなおもむき。地上は地下の屋上なのだろうか?(田中)

 


4/8(日)
実をいうと、僕はこのフィールドワークのメンバーの中でも一番池袋歴が長い。僕の住んでいる家が赤羽にあるということもあるけれど、予備校に通っていたころから考えると、池袋歴はかれこれ6、7年になる。赤羽から埼京線に乗れば一度も地上に出ずに西武と東武に行けるもんだから、本は「リブロ」で済ませ晩御飯のおかずはデパ地下で済ますことは僕にとっては、今でもよくあることだ。だから今回の池袋フィールドワークは自分自身にとって、ある意味「得意分野」となるはずだった。「だった」と書いたのは本当はそう簡単にはいかなったということなのだけれど、実際、意識的にフィールドワークとして経験する「地下空間」は無意識に遊歩者として経験する「地下空間」とはあきらかに別種のものだった。無意識に地下を経験をするとき、地下は単に交通空間でしかなく、目的地までの通過地点でしかない。これは地下に限ったことではないけれど比較的誰にでも当てはまるのではないだろうか。通勤、通学、もしくは誰かと話し込んでいたら周りの景色なんて全然気にならないはずだ。しかも八重洲地下街のフィールドワークをしていたころや池袋のフィールドワークを始めたころの僕は、ことさらに地下空間の「建築的」な特異性について関心があったから、フィールドワークをしていても、まだ「無意識」下の状態、あるいは、「うわの空」にあったのかもしれない。3月から4月上旬にかけて「地下設計製図資料集成」と名うったにもかかわらず、未だ明確な指針を僕自身が持ちえないのは、僕自身が「建築的」特異性や、建築、身体的スケールに固執しているからかもしれない。実際に地下がつくられる過程では建築家ひとりが関わるというよりも鉄道会社など、複数のより規模の大きな設計者の介入が不可避であるのは事実だ。そしてそれが地下をより困難なものにしているのかもしれない。しかし、だからといってそのまま土木的なスケールへの安易な思考転換は危険である。前回八重洲で植栽に注目したように、その建築的または土木的なスケールにとらわれずに地下をめぐる問題を顕在化させることが僕らの使命だし、まだまだそのような問題は地下に埋められているはずだ。このように未だ糸口を見つけられないのは、はたして僕自身の「無意識」が問題なのだろうか。(田中)

4/11(水)
ひょんなことから僕は東大の佐々木正人さんの研究室(正確には所属は違うらしい)で助手をされている宮本英美さんから一本のビデオを借りることができた。「視覚障害者ナビゲーション──池袋地下街」と題されたそのビデオは池袋地下で盲人が天井の高さや梁のでっぱり、壁や柱の位置を言い当てるというもので、10分程度に編集されたものだったにもかかわらず、非常に興味深い内容だった。被験者の盲人は壁や天井にからはね返る残響音のわずかな差によってそれらを認知し、次々に与えられた設問を言い当てていく。いわゆる認知科学やアフォーダンスという分野のフィールドワークであるが、機会があったら僕らのフィールドワークとともに何かできたらおもしろいのではないかと思う。ところで、僕はやけにこのビデオを「意識的」にみているような気がした。今までの感覚というのは周りの風景が「地」として霞んでいるのに対し、ビデオをみているときには画面全体にピントが合っているような気がした。何度もみているから全てに気を配れているのかとも思ったが、どうやらそうではなさそうだ。カメラによって地下がフレーミングされ、地下という風景が切り取られるという事実がこのような奇妙な感覚を引き起こしているのだろうか。でもそれもまた違う。とにかく地下とは断絶した僕の部屋でこのような感覚が発生したことは僕自身非常に興味深いと「意識」せざるをえない。(田中)

写真e01


写真e02

4/15(水)
・午後2時過ぎ、池袋東口地下街(池袋ショッピングパーク)中央通路で、瀬山、田中、塩田に合流。・前回発見した東口の「屋上」に上り[写真e01]、その後、西口にも屋上を発見できるかどうか検証しに行く。・印象としては、東口とはまったく異なる様相を呈している。東口では集落を形成していたホームレス[写真e02]も、西口にはいない。時間帯が違ったせいか、日当たりも悪く、寒い。ホームレスにさえうち捨てられた、まさに「空き地」の姿である[写真w01]。・西口の屋上は端的に狭いのだ。構成要素は違わない。地下街への入り口も備えている。東口においてはほぼ画面中央に、頭と手足の先だけを密着させた像を見ることができるし、わかりにくいが、西口にも画面右側にある「島」に像を発見できる。・実は、東口で圧倒的な存在感を誇っているのは、画面中央のビルである。行けば、その威容にしばし言葉を失う。そしてこのビルは、東武地下街の直上にある。不規則な大きさの壁を幾面にもわたって晒すが、その角度や長さは、直下の地下街の敷地を反転させたヴォリュームを描くのである。左手に伸びた通路は、写真では見切れているが、駅ビルに直結している。・地上ではその密度で壁が内側から膨張しているようにも見える。だが、地下ではその密度は解放され、「ワンルーム」の区画の中も店舗間の境界は破綻し、通路には商品がだらしなくはみだしている[写真w02]。この写真以外の場所にも顕著だったが、残念ながら写真を撮り忘れた。全体に、西口のほうが東口よりも雑多な印象を受けた。(山崎)



写真w01


写真w02

漂流、漂流……漂って、彷徨って。居場所も方向もわからない、戻っているのか進んでいるのかもわからないけど、とにかく進んで……。何だか、知らないところへ着いたみたい。空からは、燦々と日光が降り注いでいる。ここなら安めそう。立ち止まって、改めて周りを見回してみると、いろんなものがあるのに、何もない感じ。ここは、どこだ?……『キャスト・アウェイ』の主人公じゃありませんよ。池袋の駅前にある小さな「孤島」のお話です。そこには先住民の方々もいました。食糧はおそらく下に潜れば確保できそうです。素潜りで魚を? いえいえ、階段で大丈夫。お好きな「洞穴」からどうぞ。「孤島」の下はだいたい「消費の海」ですから。なぜそこは孤島なのでしょうか? 孤島のようになってしまうのでしょうか?薄々お気付きかもしれませんが、人間用の空間ではないのです。その昔、1960年代頃(もっと以前からも言われていましたが)、歩行者と自動車の通るレベルを分けてしまうべく、ペデストリアン・デッキ(歩行者専用道路)という方法が考案されました。現在の日本でも、郊外のターミナル駅の前や地方都市の駅前で見られます。そう、同じ顔をしたバス停がひたすら並ぶバスターミナルの上を走る、あの橋のような、道路のような構築物です。あそこでは、みんな移動だけが目的ですから、ひたすらうつむき加減で歩いていますよね。でも、そんな彼/彼女らも車と隣り合って歩くよりは爽快で歩きやすいはずです。ペデストリアン・デッキの眼下に広がる自動車のための空間、つまりバスやタクシー、搬入トラックが縦横に行き交う駅前ターミナルは、無論スケールもスピードも車のものだからです。私たちには馴染みません。そこで、レベル差による歩車分離という解法なのです。さて、歩行者用通路が空中に設置できない場合に、歩行者の空間を車の上ではなく、下に埋設してしまったもの。それが地下街や地下通路なのかもしれません。もちろん、それは存在理由のひとつに過ぎないのですが。すると、デッキの場合と同様、地上のレベルは車のための速さと大きさになります。にもかかわらず、そのど真ん中に人間のためのポケットパークがあります。このコントラスト! そこから見る周囲の雑踏は、非常に遠く彼岸のことのように感じられます。大量の人、車、建物、サイン……すべてが他人事、どこか街を「外側」から眺めている気さえします。こんなに中心にいるのに! もしかしたら、自分がよくある映画のようにゴーストになって街に戻ってきたら、こんな風によそよそしく景色を見つめるのかな、と感じます。景色がよそよそしいのではなく、景色との関係がよそよそしいのです。あるいは、その感じ、『ドラえもん』に登場する「石ころ帽子」にも近いかもしれません。うーん、まとまらないけど、この感覚は異様です。ん? 地下には触れてない?(塩田)