地下設計製図資料集成第2回
池袋(西口・東口)地下街フィールドワーク

3月から4月にかけて、わたしたちの思考は池袋地下街を巡る。
なぜ池袋なのか? 理由はいくつかあげられるが、まずは、前回の八重洲地下街と簡単に比較しながら、その歴史に触れておくことで、関心の所在を示そう。

池袋は東西に独立した地下街を有しているが、それらは山手線を軸とした線対称にはない。経営主体を違え、異なる日付のもとに誕生した二つの地下街なのである。

東口地下街は、八重洲地下街と同じ1957年12月28日に計画が決定され、八重洲地下街よりも一年近く早い1964年9月1日に開設されている。延床面積は、八重洲の73,253平方メートルに対して、池袋東口では15,357平方メートルと狭いものだった。ともかくも、池袋東口地下街は少しばかり早く産まれた八重洲地下街の双子の兄/姉なのである(実は、より遅い時期に計画され、より早い時期に開設された地下街に新宿東口地下街があるのだが、この地下街についてはいずれ検討されることになるだろう) 。

それに対して西口地下街は、東口地下街が開設された翌年、1965年6月7日に計画が決定され、1969年4月2日に開設されている。延床面積は14,709平方メートルと西口とほとんど変わらない。西口地下街の開設を受けて計画されたこの地下街には、なんらかかの形で東口地下街の成果が反映されていると考えられるし、また、西口地下街における結果がさらに東口地下街に反復して影響した可能性を考えることもできるはずだ。

まとめよう。もし、地下街を独立した都市モデルとして思考することができるのならば、池袋の東西地下街のように近接しながらも異なる地下街の計画がいかに継承/変更されてきたのかを探ることで、「計画」という発想そのものに肉薄できるのではないか。また、池袋は、地上においても東西にデパートが覇権を争う、いわば消費の激戦区である。言い換えれば、欲望を喚起する差異化の戦略が剥き出しになる場所であり、地下街にもその影響を見ることができるかもしれない。

今回、私たちが掲載するのは、複数の人間が池袋の地下で思考した断片を記したフィールド・ノーツである。正直に告白すると、参加者は池袋地下街にとまどいながらフィールドワークを開始した。しかし、私たちの思考は回を追うごとに練られ、いまだその途上にある。そこで、今はそのような「動き」を提出したい。

断片化された言葉は、まとめられ、拡張され、次回5月初旬に「更新」されるはずである。地下への思考は、深まるばかりである。(山崎)


フィールド・ノーツ

池袋(西口・東口)地下街フィールドワーク その2

スタッフ

狩野朋子(協力)
塩田健一
瀬山真樹夫
田中裕之
戸澤豊(協力)
山崎泰寛