二次元の中の三次元と三次元の中の二次元
イタリア・ルネサンス展とジョルジュ・ルース展を見て
             
 

ルネサンス以来の西洋美術は、遠近法との関わりと共に変化してきたと言ってよいだろう。その歴史を辿れば、遠近法を手に入れたばかりの時代、遠近法に支配されていた時代、そして20世紀キュビズムなど遠近法からの逸脱を試みた時代を経て今日へ至るが、今春、東京において、遠近法が生みだされた時代の美術・建築を扱ったイタリア・ルネサンス展と、それから数百年を経た現代においてこの遠近法を用いてそのトリックを見事な美しさでみせたジョルジュ・ルースの展覧会が行なわれた。ここでは、遠近法という視点により二つの展覧会から幾つかの作品を紹介したい。
ジョルジュ・ルースは1947年にパリに生まれ、現在世界的に活躍している現代美術作家であり、日本においては阪神淡路大震災後における兵庫県立近代美術館でのインスタレーション(図1、2)によっても広く知られている。今回行なわれた展覧会では、これまでのインスタレーション作品の写真やスケッチ50点余りと、実際の会場に制作された実物のインスタレーション作品1点が展示された。1980年代初頭のルースの作品では、部屋の隅の天井や壁に人物像が描かれている(図3)。もし天井や壁の面に、ただ人物像を描いたら、斜めから見た時にその像は歪んで見えるだろう。しかし、その歪みを補正するように、あらかじめ逆に歪ませて像を描いたらどうなるか。それを実行したのが、これらの作品だ。H・ホルバインの『大使たち』をはじめ、このような歪像を描いた作品は多いが、ルースはこれを実際の建物を用いて制作した。ここで、写真を撮ったカメラのフィルム面は、そこに写る部屋の壁面や天井面のいずれとも平行ではない。しかし2面以上の壁面や天井面にまたがるように連続して描かれた人物像は、ちょうどこちらからきれいな形で見える。これらの作品においては、視線に対して斜めに置かれた面と、そこに描かれた図の構成についての問題が提起されている。
まもなくして、ルースは人物像ではなく幾何学的造形を扱う作品を制作し始めた。たとえば、「アルル」(1986)や「ローマ」(1986)を見ると、部屋の中央に斜めの物体が浮いているように見える(図4、5)。しかし、実際にはそこにはなにもなく、ただ、奥の壁や床に色が塗られているだけだ。つまりここでは遠近法が逆説的に用いられ、そのトリックであたかもそこに何かがあるような錯覚に陥るのである。
遠近法とは、遠くのものと近くのものとを絵画の画面において描きわけ、さらには無限に広がる三次元の空間をキャンバスや紙といった二次元の平面に表現する画法である。古今東西には、中国、エジプト、古代ローマなど文化圏によりさまざまなタイプの遠近法が存在した。その中で、特にイタリアにおいてはルネサンス期に線遠近法が発達したが、ここでは狭義の遠近法としてこの線遠近法を扱う。遠近法に関するルネサンス時代の記述をみてみると、アルベルティは『絵画論』(1435)で次のように述べている。「絵を眺める者は、その絵が前に述べたようにして描かれたものであれば、視的ピラミッドの一截断面を見ることになろう。それ故、絵画とは、与えられた距離と視点と光に応じてある面状に線と色とを以て人為的に表現されたピラミッドの截断面に外ならない」★1。ここでいう「視的ピラミッド」とは、すなわち、視点をある一点に定めた場合にそこから前方の視界に広がる視線の総体であり、そのピラミッドの切断面が人間の目に映る画像に相当するという大前提の下に、この遠近法は成立している。アルベルティの『絵画論』は、遠近法についての具体的な著述の最古のものとされているが、これより時代が下るとより具体的な作図方法について論じられた著作もあらわれるようになり、今回のイタリア・ルネサンス展で展示されたピエロ・デッラ・フランチェスカの『透視図法論』(図6)はその代表的な例である。
では実際に絵画作品において、遠近法によって空間のひろがりはどのように表現されたのだろうか。空間の奥行きを描くためにさまざまな工夫が生み出されたが、中でも格子模様の床は、特にルネサンス期の絵画に多く見られる。パノフスキーは『<象徴形式>としての遠近法』において、ここで床面そのものに全く新しい意味が生まれていることを指摘した★2。この格子模様の床は、単に床であるということ以上のはるかに重要な意味を持っている。つまりこの格子は、無限の空間の広がりを示すと同時に、空間の中において物体と物体の大きさや相互の位置関係を示す抽象的な座標であり、そして、この格子模様こそが近代の「体系空間」を芸術という具体的な領域で直感化してみせる座標系の最初の例だという★3
ここで、実際にイタリア・ルネサンス展の作品の中からいくつかの例を見ていくことにしたい。 S・ボッティチェリの「受胎告知」(図7)を見ると、左側の天使の空間の床には正方形と円で構成された模様が縦に二つ並び、右側のマリアの部屋の床にはもう少し細かい正方形の模様が描かれ、空間の奥行きを示している。同様にティントレットの「ソロモンを訪問するシバの女王」(図8)や「理想都市の景観」(図9)にも格子模様の床が見られる。「シニョーリア広場でのサヴォナローラの処刑 」(図10)をみると、広場の床面の格子が単に奥行きを表現しているだけでなく、ものの大きさの関係や相互の位置関係を示す指標にもなっており、その結果それぞれの位置によって描かれる人物の大きさの違いが理解しやすくなっていることがわかる。より正確に、空間に点在するものの大きさや位置関係を考察するには、二次元的な格子模様の座標だけでなく、3次元に広がるグリッドを画面上に想定するとよいだろう。G・ベッリーニの「受胎告知」(図11)では、床面だけでなく壁や天井にも格子模様が描かれ、より整然と空間の奥行きが表現されている。また、レオナルド・ダ・ヴィンチは、三王礼拝のエスキス(図12)において、無限に広がる透明なグリッドを想定し、その内部でものの大きさや位置関係をスタディしており、A・アルトドルファーによる「マリアの誕生のための下図」(図13)ではその透明なグリッドが垂直方向にも設定されていた。空間は実際に目に見ることができないために、このようなグリッドが補助線として有効となる。その座標軸上では、物体も空虚な空間も等価に扱うことができ、それぞれが位置を持ち、相互の距離関係が明白になる。つまりここでは世界はグリットの中に存在し、無限に広がる空間が表現されているのだ。
一方、ルースの「コブレンツ」(1994)、「メッツ」(1994、図14)、「トリノ」(1999、図15)を見てみたい。これらの作品は、写真の上から色を塗ったようにも見えるが、もちろんそうではなく、実際にそこに半透明のスクリーンが存在しているわけでもない。あたかもそこに浮いているように見える半透明スクリーンは、実際には奥にある壁や床の一部分である。つまり、まず仮想のスクリーンを想定し、視点からそのスクリーンを結ぶ直線をさらに先に延ばす。そしてその延長線上に当たる壁や床に彩色することにより、彩色された部分があたかも手前――すなわち仮想のスクリーン――にあるようにみせているのだ。これは、遠近法を用いた作図において、視点から対象とを結ぶ直線が仮想の切断面に交わる点を求めるという過程に逆行している。
遠近法が二次元平面の中に無限に広がる空間を描き出す方法だとすれば、ルースは空間において無限に拡散していく視線を、あるひとつの二次元平面に集約させようとしたということができるだろう。もっと端的に言うならば、遠近法は三次元空間を二次元平面上に表現する方法であり、ルースは逆にその遠近法を用いて、三次元のものを二次元のごとく見せたのだ。ここに現れた半透明スクリーンは、「マリアの誕生のための下図』に見られたあの無限に広がる透明なグリッドの一面を、勝手気ままな色で塗ったようにも見える。また、「メッツ」(1994)や「ディジョン」(1994、図16)では、その透明な空間の一面だけが、青い色彩を帯びて浮かび上がったかのようだ。ルースの空間に現れるのは平面だけではない。「ディジョン」(1994、図17)では、部屋の中央に巨大な半球が横たわり、「リヨン、サキュニ」(1997、図19)では建築の一部のような構造材が突出している。もちろん何もない空間に色を浮かべることは不可能であり、実際は壁や床に塗られた色にすぎない。にもかかわらず私たちの眼には、空間が色を帯びたかのようにこの架空の像が映り、時にはそれらは立体となり、空白のはずの空間に浮遊する。見事なまでの正確さで色を塗り分けることにより、ルースはこれらの一連の作品において、本来眼に見えないはずの空間を見せようとしたのではないだろうか。
ところで、パノフスキーはルネサンス期の線遠近法を含め、古今東西に生まれたさまざまな遠近法を、単なる作図法ではなく視覚形式として相対化してとらえたが、ルネサンスにおける遠近法は客観的なまなざしの象徴とみなされた。それは、そこではそれまであいまいだった視点が確固たる位置をもつ一点に固定され、対象との距離や位置関係が厳密に決定されており、その結果、そこで見ている眼と、見られている対象とが自ずと明確に区別されるからである。視点がはっきり定められているがゆえに、先に紹介した格子模様を持つ絵画においては、作図過程をトレースすることによって、この唯一の視点の位置を再確認することも可能だ。一方ルースの作品では、この唯一の視点という問題は、はるかに顕著な形で現れる。つまり作品は、予め想定されたある一点で見るほかはなく、他の場所から見れば美しかった幾何学的造形はばらばらな断片へと崩壊し、全く異なる姿になり果てた色彩の残骸となってしまう(図20)。だが実を言えば、作品を見るための唯一の視点からですら、人間の眼では作品を見ることができない。そもそも遠近法の二つの大前提とは、第一に私たちが「ただ一つの動くことのない眼で見ているということ」★4そして「視覚のピラミッドの平らな切断面が、われわれの視像の適切な再現と見なされてよいということ」★5だったが、現実には私たちの眼は二つであるし、その網膜に映る画像は、厳密に言えば平らな切断面上の像に置き換えることはできないからだ。それゆえに、ルースの作品を見るためにはカメラで撮影された写真で見るほかはないということになる。
しかしそれ以前に、ルースの作品をこの眼で見ることが不可能なのには、そもそももっと根本的な理由がある。すなわち、これらの作品はいずれも壊されることが決定された建築でのインスタレーションなので、今では既に取り壊されてこの世に存在していないはずなのだ。彼によって選ばれた建築とは、軍需品の倉庫や石炭工場の事務室などであり、どれもが人間の歴史の中で作られたものの、社会の変化と共に捨て去られる運命に至った建築である。このような廃墟は彼にとって、「人間の悲惨さを思わせる空間」ではあったが★6、と同時に「放置されて閉ざされた空間は、神聖なものを生み出すことがある」と考えたという★7
「東京」(1988、図21)では、真っ暗な階段室の一部だけが白く塗られて浮かび上がって見える。しかしもう一方で、周囲も全て同様に白く塗られていて、ただここだけが強い光で照らされて光っているようにも考えられる。これは写真を見ただけでは判断し難く、この意味において、光と色によってもたらされる視覚的効果は互いに依存しあっているといえる。明るさは光だけでなく色によっても与えられるのだから。そう考えると、ルースにとって廃墟に色を塗るということは、そこに光を与えるということでもあったのかもしれない。ルースが廃墟に作り上げた造形は写真という形式でしか写すことできないが、実物が取り壊されてもなお、彼が空間に与えた光はまさにその写真によって残されたのだ。

図1=「神戸」1995
図2=「神戸」1995
図3=「ヴィシー倉庫」1982
ジョルジュ・ルース



図4=「アルル」1986
図5=「ローマ」1986
ジョルジュ・ルース

図6=『透視図法論』15世紀

図7=S・ボッティチェリ「受胎告知』1481年頃
図8=ティントレット「ソロモンを訪問するシバの女王」
図9=「理想都市の景観」
図10=「シニョーリア広場でのサヴォナローラの処刑」



図11=G・ベッリーニ「受胎告知」


図12=レオナルド・ダ・ヴィンチ「三王礼拝のエスキス」
図13=A・アルトドルファー「マリアの誕生のための下図」1520年直後

図14=メッツ1994
図15=「トリノ」1999

図16=
メッツ1994
図17=「ディジョン1994
ジョルジュ・ルース

図18=「ディジョン1994
図19
=「リヨン、サキュニ1997
図20=横から見た「メッツ」1994
図21=「東京」1988
ジョルジュ・ルース


★1―― L・B・アルベルティ『絵画論』三輪福松訳、中央公論美術出版、1992年、20頁
★2―― E・パノフスキー『〈象徴形式〉としての遠近法』木田元訳、哲学書房、1993年、51〜52頁
★3―― E・パノフスキー、同書、52頁
★4―― E・パノフスキー、同書、66〜67頁
★5―― E・パノフスキー、同書、11頁
★6――「イタリア・ルネサンス展」カタログ、日本経済新聞社、2001年、9頁
★7―― 同カタログ、7頁

参考文献

「イタリア・ルネサンス展」カタログ、日本経済新聞社、2001年
「ジョルジュ・ルース展」カタログ、財団法人東京都歴史文化財団
、2001年
L・B・アルベルティ『絵画論』三輪福松訳、中央公論美術出版、1992年
E・パノフスキー『〈象徴形式〉としての遠近法』、木田元訳、哲学書房、1993年

『オックスフォード西洋美術辞典』の「遠近法」項目、佐々木英也監修、講談社、1989年
小山清男『遠近法』朝日選書、1998年
佐藤忠良+中村雄二郎+小山清男+若桑みどり+中原祐介+神吉敬三著『遠近法の精神史』平凡社、1992年
辻茂『遠近法の誕生』朝日新聞社、1995年

図版出典

図1〜4、14〜21――「ジョルジュ・ルース展」カタログ
(ルースの作品名称は制作地と制作年とによってつけられるため、幾つかの異なる作品が同一の名称となっている)
図5〜11――「イタリア・ルネサンス展」カタログ
図12―― 小山清男『遠近法』
図13―― E・パノフスキー『〈象徴形式〉としての遠近法』

展覧会データ

●イタリア・ルネサンス展
2001年3月20日〜7月28日
於:国立西洋美術館

●ジョルジュ・ルース展
2001年4月7日〜6月3日
於:東京都庭園美術館