TNプローブが、原宿の表参道に移り、そのリ・オープンを記念して「NEW URBAN CONDITIONS――都市を変える力」と題されたレクチャー・シリーズが始まった。そのオープニングを飾るのは、2000年の11月から2001年の3月まで、フランスのボルドーで開かれたエキジビション「MUTATIONS」(変化、突然変異の意)を企画したレム・コールハース(建築家)やハンス・ウルリヒ・オブリスト(美術評論家)、ステファノ・ボエリ(建築家・都市計画家)、そしてサンフォード・クウィンター(思想家)の4名である。その第1回目を飾るレム・コールハースによるレクチャーのようすをレポートする。

■MUTATIONS
 
今でもコールハースは挑戦的だ。アカデミズムによって無視されてきた、都市の現状に対してあくまでも果敢に立ち向かっていく。  


20世紀の始めには、世界人口の10パーセントが都市に住んでいた。そして2000年には、50パーセントが都市に住んでいる(データソース:Global Urban Observatory)。
 
 

 
ボルドーで開かれたエキジビション「MUTATIONS」のカタログは、この文章から始まっている。黄色いビニールのカバーに覆われたこのカタログは、レム・コールハースの最近の出版物の例に漏れず、約800ページもの分厚いボリュームに、都市の写真や挑戦的なデータや言葉が散りばめられた事典のような作りになっている。そして、このエキジビションの前提は、都市の状況が20世紀の100年の間に著しい変化に見舞われ、そして過去30年の間にさらなる劇的な変化があった……ということである。特にここ20−30年間は、資本主義のグローバル化によって世界経済や都市状況が大きく変転し、それぞれの都市のローカルな個別性を考えることが無効になりつつある。そして『MUTATIONS』は警告する。それよりはむしろ、資本主義のグローバル化とシンクロしつつ「新たな都市状況」が浮上しつつある、というのだ。
fig.1――『MUTATIONS』(ACTAR、2001)
カタログからいくつかの統計を引用してみよう。まずは冒頭で述べたように、すでに世界人口の50パーセントが都市に住んでいるという事実。2025年には、都市人口は50億に達するという。1950年にはロンドンとニューヨークだけが800万人を越えるメガロポリスだったが、現在は世界の22もの都市がすでにメガロポリス級の規模であるという。現実の世界都市は、想像以上のスピードで変化を続けており、過去の都市モデルは時代遅れなものとなりつつある。建築家のモラルや意志を超えたところで世界は形づくられてきているという事実を、まずは建築家自身が把握する必要があるのだ。だが、都市の固有の違いやバックグラウンドの差異に目を奪われると、それは見えにくくなるものであり、コールハースも指摘するように、センチメンタルでナイーヴな建築家像や理念を振りかざしては、現実の都市は遠ざかるばかりである。そういったものを越えて見渡したときに、新しい都市の状況は見えてくるのだ。

fig.2――レクチャーの模様
今回のレクチャーでは、主にコールハース率いるハーヴァード大学のリサーチプロジェクトによる四つのプロジェクト「ローマ」「珠江デルタ」「ショッピング」「ラゴス」の研究が紹介された。

■ローマ帝国のシステム
 
まずはローマ帝国の歴史を、その権威や物語性を巧みに避けて、都市生成およびそのネットワーキングのシステムとして捉え、今日の都市のありかたにつながるものを抽出しようとする。たとえば、バシリカやテンプル、シアターやフォーラムといった古代都市の中心エレメントにシステマティックな解析をあたえ、道路ネットワークや物流や権威づけなどを、感傷論に陥らずに、ドラスティックに図象化していくなかで、今日的なシステム論へと展開していく。コールハースは言う「ローマを現象として捉えるのではなく、数々ものオペレーションシステムとして捉えることによって、今日の都市に応用できるものを見つけだすのである」。  

■フォトショップ都市

中国の香港や深やマカオを含む珠江デルタは、現在でも1200万人が住んでいるが、2020年には3600万人にふくれあがるという。これは、500平方キロの大きさの都市が毎年ひとつずつ――つまりは、東京サイズの都市が毎年新しく――誕生していることになる。外国資本の大量な投下によって成長のスピードはすさまじく、過去のどの時代にもありえなかったスピードで都市が増殖しているという。コールハースは極めてアイロニカルにこの現象に切り込みつつ、かつての著書『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、ちくま学芸文庫)で、経済と高層都市が結びついたニューヨークの現象を風刺したように、この中国での増殖に対しても、大胆でアイロニカルな批評を試みる。つまり、「フォトショップ」(画像処理ソフトウェア)的なコラージュ都市だと断言するのだ。たかだか10年も経たない間に、中国的な田園風景の上にスカイスクレーパーがコラージュされ、都市生活のレクリエーションとしてゴルフコースなど様々なものが同時に重ねられていく。このスピードでは、あらゆる隣り合わせのものが何の必然的な脈略もなく不自然に並置され、歴史のなかで摺り合わされて行く暇もなく、次々に新しいメガロポリスが誕生していく。これもひとつの都市状況なのだと言う。そんな状況の下では、モラルにこだわる建築家の役割はなく、経済的なパワーがすべてを左右することになる。
fig.3――会場風景

■ハーヴァード・ショッピングガイド
 
そして、経済と言えば消費活動であり、「ショッピング」である。これは、あらゆる都市の重要な都市活動でありながら、常に商業的なものとして都市論の中では無視されてきた。だが、かつての教会や美術館やフォーラムといった都市を司るエレメントよりも何よりも、今日の都市においてはもっとも重要な都市の経済活動であり、都市活動そのものでもある。つまり、コールハースに言わせれば「都市=ショッピング」なのだ。そして「ショッピングモール=公共スペース」なのだという。たとえば、統計から導き出してみると、世界のリテール面積は、トータルでは19億平方メートルにもなるという。これはマンハッタンの面積の33個分にもなるそうだ。圧倒的な存在感である。そして、もっともリテール面積が多いのは、圧倒的に東京であるという。この事実は日本の都市論者はかみしめるべきであろう。「東京=ショッピング」なのだ。そして、コールハースはショッピングを巡る空間状況に切り込み、ラスベガスやアメリカでのショッピングモールを例に出しながら、「ジャンクスペース」という概念を導入する。ジャンクスペースというのは、スペースジャンク(宇宙におけるゴミ、残骸)を反転させた造語で、つまり都市の近代化のプロセスの中で生み出された残骸であるという。コールハースはラスベガスやショッピングモールの写真を見せながら、その定義を述べる。それは、質の悪い材料でできあがっており、リアルな自然を模しているようであり、歴史を模していたり、いつも新品同様であったりするが、どれも非常に記憶しにくいものなのだという。そして、世界中のいたるところで氾濫しており、そういったものが我々の都市環境の中で大きな比重をしめるようになった。  


■ラゴス

 

そして、ナイジェリアのラゴスでのリサーチでは、60−70年代に西欧の都市計画家によって形づくられた都市構造が、当初の意図とは無関係に都市活動が重ねられ、極めて非文明的に見えるその利用の仕方にスポットライトをあて、その中から新たな都市計画のエッセンスを描き出そうとする。道路網のインターチェンジが未完成のままに終わり、交通をスムーズに連結させるために計画されたはずのものが、かえって交通をスローダウンさせる要因となり大渋滞が起きる。そしてそこには鉄道がとおり、人が住み、マーケットとして使われている現状がある。かつての都市計画では考えられなかったような使用方法であり、人々の都市活動は、はるかにダイナミックな展開で都市を再活用していく。インターチェンジは時には駐車場になり、時にはゴミ捨て場になり、様々な利用方法が住人によって編み出されていく。こういったラゴスの現状をコールハースはつぶさに観察し、ひとつひとつひもときながらも、人々のダイナミックな活動に目を向け、都市の新しい可能性を示唆する。

 

■建築家のモラル
 
スライドを一枚一枚見せながら、強いダッチアクセントの英語でまくし立てるコールハースのプレゼンテーションには、強い意志が感じられた。また、一つひとつの絵や写真が極めて美しく、繊細な感覚に満ちていながらも、大胆かつアレゴリカルに論を展開する様は、だれもが引き込まれたであろう。  
その一方で、磯崎新氏および浅田彰氏のモデレーションによって行なわれた最後のディスカッションは、後のレクチャーで浅田氏も認めたように、消化不良であった。都市の細かな分析を繰り返す中で新たな概念を導入しようとしているコールハースのレクチャーの後では、日本側の両氏によるコメントや壇上に登場した経済学者やアートキュレーターのコメントは、コールハースの投げかけた設問とはかみ合わず、さらには繰り返し日本側から「建築家モラル」に関する質問がなされ、コールハースもとまどいを隠せなかった。もう「モラルはない」、あるいはそういった「モラル」など関係ないところで都市が発展してきている……という事実を突きつけた氏のレクチャーの後では、「新しい」モラルなどは、センチメンタルな最後の希望にすぎないのではないだろうか。そして、レクチャーの最後に、浅田氏が二項対立図式を超えていくことが必要だ……と述べるにあたっては、そういったことを超えて、新たな概念を提示しようとしているコールハースを前にして、なんらカウンターパンチを繰り出せない日本側の態度に、半ばいらだちさえも覚えた。日本における90年代の都市論の空白は隠しようのない事実であり、ホスト国のテンションの低さを感じさせた。
fig.4――ディスカッション

■新しい都市論へ向けて
 
レクチャーの最後で、コールハースは四つの言葉を挙げた。
「第三、多様性、断片化、地域、小さい」
この四つの言葉を指しつつ、コールハースは言う。「第三世界とか多様性とか断片化とか地域やローカルやグローバルといった概念のレパートリーでは、現在の都市を描き出すことは、できない」と。つまり、都市は多様であるとか、第3世界とか文明化されているとか、あるいはアジアの都市はカオスで西欧の都市はオーダーである……といったありきたりの概念では、今、まさに生まれつつある新しい都市状況の現実のまえでは無力であるという。さて、この挑戦に対して、日本側の都市論は、どこへと向かうのであろうか? いや、コールハースの言説に従って言えば、日本対世界という図式こそがセンチメンタルで古くさいものであり、日本も世界都市の連関性の中で存在している……のであれば、ラゴスや中国の問題を、自分のものとして捉え、分析していくことこそが重要であろう。

fig.5――レム・コールハース

fig.2−5 撮影=ナカサ・アンド・パートナーズ

最後に筆者としては、このレクチャーシリーズをきっかけに、都市論の再興を期待している。なぜなら、我々は、都市のグローバル化の前に、新たな概念やモデルを組み上げていく必要性に迫られている。ならばまずは、つぶさに都市の現状を把握してみるのはいかがであろうか。様々な新しい状況が見えてくるはずだ。「NEW URBAN CONDITION」に対する次の一歩は、「都市=人々」「都市=社会」、あるいは「都市=ネットワーク」という観点から提出されるべきなのだ。建物の集合体としての都市は、都市活動の残骸……であり、都市=建築ではないのだから。


New Urban Conditions――都市を変える力」の今後のスケジュールは以下の通り。
詳しくはTNプローブのホームページを参照。

モデレーター=磯崎新+浅田彰


第8回 2001年5月16日[水]
塚本由晴+貝島桃代[アトリエ・ワン](建築家)
メイド・イン・トーキョーの風景

第9回 2001年5月31日[木]
ハーバート・ミュシャン(建築評論家、ニューヨークタイムズ記者)
カルチャー・ツーリズム

第10回 2001年6月4日[月]
セルジャン・ヨヴァノヴィッチ=ヴァイス(建築家、評論家)
失われた記憶?――ベオグラードの新しい状況
 
 

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