タイトルの“アンビルト”とは実現しなかった建築のことである。ギャラリー・間の会場には、磯崎新によるそうしたプロジェクトが年代ごとに並んでいる。60年代における一連の「空中都市」、70年代の「コンピューター・エイディッド・シティ」、80年代の「東京都新都庁舎」コンペ案、90年代に中国で計画した海上都市「海市」など。模型とパネルからなる展示を見ると、これらのアンビルト作品に対して、実際に建てられたプロジェクト以上に磯崎が情熱を傾けて取り組んだことがわかる 。

「磯崎新」展は、
2001年3月24日(土)まで、
東京乃木坂のギャラリー・間にて開催。
建築家にとって建築的なアイディアは財産と言うべきものだろう。それを投じて設計するのは、なんらかの見返りが期待できるからにちがいない。しかしアンビルトの場合は、せっかく自分の財産をつぎ込んだにもかかわらず、形にならないままとなってしまう。こういうものを世間では今、不良債権と呼ぶ。
不良債権は日本経済を揺るがす元凶とされ、その対処がいそがれている。たとえばその処理策として、債券市場の拡大などが検討されているが、アンビルトを展覧会というメディアで流通 させようとする磯崎のやり方は、こうした不良債権の流動化スキームにほかならない。眠ったままなら何の意味ももたない20年前、30年前のアンビルトを引っ張りだしては光を当て、現在にその意味を再生させる。磯崎が本当に際だっているのは、個々のプロジェクトのつくり方ではなく、こうした後始末の仕方にあるのではないか。そんなことすら言ってみたくなる。
磯崎はアンビルト作品を集めて展覧会を行なう意味を、展覧会に併せて出版された『UNBUILT/反建築史』(TOTO出版)の中で、こう説明している。

 

われわれが考えている建築の歴史というものは、どうも「アンビルト」で考えているのであって、リアルに建ったものなんかだれもあまり気にしていないんじゃないか。
 

この論を補強するために磯崎が挙げるのが、ミース・ファン・デル・ローエの「ガラスのタワー(フリードリッヒ街のオフィスビル)」や丹下健三の「大東亜建設記念造営物」である。なるほど、これはうなずかざるをえない★1
★1――磯崎新『UNBUILT/反建築史』
(TOTO出版、2001)p.102
ひとくちにアンビルトといっても、大きく二つに分けることができる。ひとつは実現を前提として設計されながらも建設に至らなかったもの。もうひとつは、実現の可能性が最初からまったくなかったと考えられるものである。  
実現を前提にしたアンビルトには、コンペの落選作や資金が足りなくて建設されなかったものまで含まれる。結果 的にアンビルトとなったプロジェクトは、建築の世界ではありふれたものともいえるが、なかにはジュゼッペ・テラーニの「ダンテウム」のごとく、実現を目指して精緻な設計が行なわれたにもかかわらず、非現実性をあらかじめ中心原理としていたかのような、成るべくして成ったアンビルト作品もある 。  
磯崎のプロジェクトでいえば、コンペ応募作の「東京都新都庁舎」がこのタイプに当たるのかもしれない。『UNBUILT/反建築史』で、磯崎新アトリエの元所員である渡辺真理がコンペ時のエピソードを披露しているが、これを読むと磯崎のアンビルトがどのようにつくられていくかがわかる。この時アトリエでは、超高層1棟、超高層2棟、中層1棟の3案をスタディしていたが、このうち中層案は要項に照らすと相当に無理があり、所員のだれもが「これはないだろう」と踏んでいた。しかし磯崎が最終的に選んだのは、その中層案だった。アトリエ派の建築家は元来、常識的な設計から少し外れたところで勝負しようとするものだ。しかし磯崎の場合は外れるなんて生やさしいものでなく、常に一番遠いところまで行ってしまう。それが磯崎の「反建築」たるゆえんだ。
「東京都新都庁舎」模型
撮影=五十嵐太郎
一方、実現を前提としないアンビルト建築の流れにはルイス・カーンの「シティ・タワー」、バックミンスター・フラーの「マンハッタンのジオデシックドーム」、アーキグラムの「ウォーキング・シティ」などがある。こちらの系譜には磯崎の「空中都市」、「コンピューター・エイディッド・シティ」などがあてはまる。
「コンピューター・エイディッド・シティ」
撮影=五十嵐太郎


★2――浜田邦裕『アンビルトの理論』
(INAX出版、1995)p.31。

とはいっても、本当に実現を前提としていないと言ってよいのかどうか、その判定は意外に難しい。客観的に無理だろうと思えるプロジェクトでも、設計した建築家自身は、条件さえ整えば実現すると強く信じていることが少なくないからである。例えば「エンドレス・ハウス」を設計したフレデリック・キースラーは最後まで建設にこだわっていたし、ピーター・クックも自分が描いた「シャドーハウス」のドローイングを見ていつかクライアントが現われるのではと夢見ていたという★2。なかにはパオロ・ソレリのように、地道に少しずつ自分でつくり始めてしまう人もいる。こういう建築家にとっては、アンビルトという呼び方は失礼千万なものになるだろう。

それに対して磯崎のアンビルトへの態度はまったく正反対である。『UNBUILT/反建築史』に収められた座談会のなかで「海市」に触れたところがあるが、そこで磯崎は、中国の担当者に「東京都庁をひとつつくるのと同じ値段であのインフラが全部できるということが分かった。だからできる」と言われて「僕は困った」と告白している★3。磯崎はまるで、プロジェクトが実現へと近づくのを恐れているかのようだ。 ★3――磯崎、前掲書、p.181。
アンビルトはビルトの失敗ではない。アンビルトはそれ自体が目指すべきゴールであり、ビルトはアンビルトの失敗にすぎない。磯崎はそんな立場から自らの反建築史を記述しようとしている。  
   

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