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50 メキシコ

世界の果ての風景を見に行こうと思ったことがありました。レイテ島や強制収容所や核実験場などの戦争との関わりで生み出された風景ではなく、距離も時間も行為も限りなく遠い果てへ行こう。選んだ先はメソアメリカの遺跡の数々でした。

地球の裏側にあり、2千年ほど栄え、やがて捨てられ、数百年前に宣教師などによって発見された場所。若々しい童貞男の生きている心臓をむしり取り神に捧げ、彼の肉体は皆で喰ってしまう。そんな世界の果てがあったのだという。そこに住んでいた人々は私同様モンゴロイドでトウモロコシなどを主食とし、天文を熟知し、巨大な構築物や都市を造っていたらしい。

「あちらのジャングルや砂漠の中の廃墟には世界の果てがあるらしいぜ!」と、お気楽な観光気分で出掛けたのは大きな誤りでした。目の前に確かに物体が存在しているのに、まったく理解できない代物の数々。汗や涎はダラダラハアハア。急な階段や構築物に立つと風は強いし狭いし手摺りなど有りはしない。足を踏み外し転げ落ちそうで恐い。暗がりは糞だらけのようでフンゲロ臭う。白日夢の様な遺跡の数々を通過し宿のベットに横たわると体験したことのない悪夢が襲って来て叩き起こされます。寝ても覚めても摩訶不思議な世界の果てが押し寄せて来て、我が身は耐えきれず体重は見る間に落ちました。メキシコを離れるときには賢治作『注文の多い料理店』から出てきた客のように骨と皮でできた干からびた人形細工になっていました。世界の果てでのカルチャーショックとはこの様なことなんでしょう。

建築関係者には役立つとは思えませんが偶然残っていた写真を編集者の方に選んでいただきました。「コレなんです?」と聞かれても答えようがありません。現地で求めた日本語版解説書に名称がありましたが、生きていた時空のものではなく、後世の者どもが自分の体験をもとに付したもので、腑に落ちるような名称ではありませんが今回はそれに倣いました。

世界の果ての風景を通過して今は日本の片田舎で生きていますが、日々更新されている目の前の事も世界の果ての風景のひとつであると思います。



[撮影者:佐藤敏宏(建築家/TAF設計)]

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