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48 パリ、近代から現代へ

パリ、近代から現代へ(20世紀後半、多様性に向かって)
20世紀後半、パリは複数の都市計画の亡霊を抱え込んだ都市であった。ル・コルビュジエの「ヴォアザン計画」(1925)も、ヨナ・フリードマンによる「空中都市」(1960)も当然実現しない。レイモン・ロペス★1が提出した《プラン・ロペス57》(1957)は、「結晶化されたパリ」(パリの中心部)以外の1500ヘクタールの面積を取り壊し建て直すという壮大な計画であったが、これも実現しない。パリにおいて、都市計画のスケールは次第に断片化し、むしろ個々の建築が都市計画的な試みを始めていく。

20世紀のパリ建築史に、ジャン・プルーヴェの名前は通底して現れる。鉄細工職人としてスタートしたプルーヴェは、戦後、アルミニウムの可能性も追求する。《ムードンの金属住宅群》(1950)でアルミの量産性と軽量性を利用し、《モザール広場の集合住宅》(1954)では、可動式ファサードパネルを開発した。プルーヴェほど多くの建築家と協働した人物はいない。驚くほど多くのパリの建物にプルーヴェの軌跡が残されている。コルビュジエやロベール・マレ=ステヴァンはもちろん、ロペス、ベルナール・ゼルフュス、オスカー・ニーマイヤーらとも協働し、《ポンピドゥ・センター》(1977)のコンペの審査委員長としてパリのひとつの未来を示唆した。

1959年から77年の間に、パリの景観は大きく変化する。セットバックや最高高度上昇を容認した都市計画規定により★2、ファサードによる街区構成が崩れ始めるためである。ロペスによる《CAF(家族手当金庫)》(1959)と、翌年に建てられたパリで最初の超高層《トゥール・アルベール》はその象徴である。ロペスの死後完成した《フロン・ド・セーヌ》(1977)が、この時代の最後を締めくくる。あるいは実現してしまった都市計画の亡霊といえるかもしれない。

1980年代以降、パリの建築の方向性は混迷を極める。ポール・シュメトフらは従来の街区構造を超える建築を《大蔵省》(1989)で提示し、ドミニク・リヨンらはカーブして後退するファサードを実現してみせる。ひとつの方向性が見出せるわけではないが、フランシス・ソレールが《文化通信省》(2004)を金属パネルで囲ったように、パリにおいてはしばしばファサードがプランに勝る。とはいえ、われわれは個々の建築にそれぞれの都市計画の亡霊を見ることができるのではないだろうか。断片化し、互いにずれ、重なり合った複数の未来を、パリの建築から感じることができるだろう。

★1──レイモン・ロペス(1904-66)は、オースマン以後、パリにとって最も重要な都市計画家だといえる。アメリカでミース・ファン・デル・ローエやエーロ・サーリネンの影響を受けたロペスは、パリに戻って来た後、《建設業会館》(1951)(ファサードはプルーヴェが担当)や、《CAF(家族手当金庫)》を建てた。ロペスは、パリ市議会議長のベルナール・ラファイの要請を受け、パリの交通問題を解決するため、「プラン・ラファイ」(1954)と呼ばれる計画案をもとに、《プラン・ロペス57》を提出した。これはパリのレントゲン写真を撮るような緻密な調査の上で製作されたものであったが、今日このプランは失われてしまった。ロペスはその後、モンパルナス、レ・アール、フロン・ド・セーヌと多くの都市計画プランの起草に関わる。

★2──指導都市計画プラン(PUD: Plan d'Urbanisme Directeur)が1959年に定められ、18世紀以来の都市計画規制が、容積率をもとにした規制に変化する。セットバックとともに最高高度を上昇させることが可能となり、高層ビルが建設される素地を作った。その後、土地占用プラン(POS: Plan d'Occupation des Soles)が77年に定められ、セットバックが原則禁止され、再びパリは伝統的な街区構成を取り戻そうとする。パリのほとんどのタワーはこの間に建てられている。



[撮影者:松田達]

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pic  A・ラプラード、L・ジョスリーほか/J・プルーヴェ、R・スュベ《アフリカ・オセアニア国立美術館》

pic  J・プルーヴェ《ムードンの金属住宅群》

pic  P・エルベ、J・ル・クトゥール/J・プルーヴェ《ジャン・ド・ボヴェ通りの集合住宅》 [1] [2]

pic  L・ミラボー/J・プルーヴェ《モザール広場の集合住宅》[1] [2]

pic  B・ゼルフュス、R・カメロ、J・ド・マイイほか/J・プルーヴェ《国立産業技術センター(CNIT)》

pic  B・ゼルフュス、M・ブロイヤー、P=L・ネルヴィ/J・プルーヴェ《ユネスコ本部》

pic  I・ノグチ《ユネスコ庭園》/安藤忠雄《ユネスコ瞑想空間》/D・カラヴァン《寛容の庭》

pic  R・ロペス、M・ルビィ、M・オレイ《CAF(家族手当金庫)》

pic  R・アンジェ、P・プッチネッリ/L・ヴェデ、J・プルーヴェ《ピレネー通りの集合住宅》

pic  E・アルベール、R・ボワロー、J=H・ラブーデット《トゥール・アルベール》[1] [2]

pic  G=H・パンギュッソン、O・デュガ《収容所犠牲者追悼メモリアル》

pic  F・プイヨン《シテ・ムードン=ラ=フォレ》[1] [2]

pic  F・プイヨン《シテ・ビュファロ》

pic  F・プイヨン《シテ「ポワン・デュ・ジュール」》

pic  A・ヴォジャンスキー《ネッケ医学部校舎》[1] [2]

pic  C・パラン《マドレーヌ・ミシェリ通りの集合住宅》

pic  C・パラン《ジェネラル・ブーレ通りの集合住宅》

pic  R・ロペス《ル・フロン・ド・セーヌ》

pic  D・カラヴァン《大都市軸》[1] [2]

pic  P・シュメトフ、B・ウイドブロ《大蔵省》

pic  P・デュ・ベセ、D・リヨン《イル・ド・フランス都市整備計画研究所(旧ル・モンド誌本社)》

pic  P・ベルジェ、J=F・ジョドリィ、J=P・ヴィギエ/G・クレマン、A・プロヴォ《シトロエン公園》[1] [2]

pic  J・ヌーヴェル《広告代理店CLM/BBDO本社ビル》

pic  F. O・ゲーリー《旧アメリカン・センター》

pic  P・シュメトフ、B・ウイドブロ《自然史博物館「進化大ギャラリー」》

pic  F・ソレール《エミール・デュルケム通りの集合住宅》

pic  A・ラカトン、J=P・ヴァッサル《パレ・ド・トーキョー改装》

pic  F・ソレール《文化通信省》

pic  ムフタール街

pic  セーヌ川河岸のダンス大会

pic  シテ・ドゥ・ラ・ミュジック

pic  クリスマスのパリ


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