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167 押上界隈──《東京スカイツリー》以後

167 押上界隈──《東京スカイツリー》以後

2012年、東京の下町に世界一高い塔が建った。言わずと知れた《東京スカイツリー》である。新たな電波塔、新たな観光文化の拠点を目指して建設された摩天楼の足元は、いまどのような姿をしているだろうか。
今回紹介する写真は、東京都墨田区の一角、業平・押上界隈の日常の一断面である。あらかじめ断っておくと、ここではいわゆる大文字の建築はほとんど登場しない。あくまで生活する者の目線で、あるいは旅人の目線で、押上界隈の風景を記録した。
業平・押上一帯は《東京スカイツリー》の建設・開業時に多くのメディアに取り上げられたため、実際に訪れたことはなくても、なんとなくのイメージが思い浮かぶ人も多いだろう。一時ほどの勢いはないが、この地ではまだまだ都市の更新が続いている。道路の拡幅、護岸整備、建物の改装、新築など。永らく続く開発ラッシュの傍らで、下町特有の空間は消えつつある。
しばしば用いられる都市開発の手法に、街の「顔」となるような巨大建築物の建設によって活性化を図るものがある。成功の可否はその街のポテンシャルや、それに見合ったプログラム・建築規模であるかを含めた事前・事後のフォローが重要となる。押上界隈も類似した状況にある。近世以降、泥臭く発展してきた街並みと、新たな文化拠点としての広告塔。このクロスブリーディング(異種交配)は、押上一帯をホモジニアスな都市空間にしてしまうのか、それともヘテロジニアスな要素が混交する独自の魅力を持たせることになるのだろうか......。
今後の発展についてはまだまだわからないが、都市空間の変容を感じながら街を歩くには、いまがほどよい時期である。整然と立ち並ぶ超高層のビル群のすぐ側で地元馴染みの商店街からはレトロな音楽が流れ、それらに埋もれるようにして崩れかけたバラックや廃屋が点在する。観光客の客足に一段落が付いたいま、押上界隈は古くから根付く生活圏と、新たにつくられた商店街によって不思議な調和を見せている。日常のなかにあるささやかな風景は、今後どのような空間を失くし、生み出していくのだろうか。



[撮影者:中東壮史(東京理科大学大学院)]

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