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151 台北[95点収録]

151 台北[95点収録]

2012年の5月下旬から6月上旬に、台湾政府の海外ツーリスト奨学制度を活用し台湾を訪れました。おもに日本統治期につくられた施設のその後の活用などを調査したのですが、私の想像以上に、統治期の建築物などが活用されていました。日本は60年にわたり台湾を統治し、総督府には後藤新平に代表される辣腕の政治家や技術者が日本から集いました。その結果、非常に高度な建築・工業施設・インフラが整備され、中華民国時代に入ってからも、それらは改修を経ながら大切に利用されました。そのため、戦災や戦後高度経済成長で多くの建築物や施設が更新された日本本国よりも、むしろ台湾で近代建築や産業遺産が大規模に残されたといえ、それが近年の保全意識とうまく噛み合ったと考えることができます。加えて、台湾では日本統治時代を功罪含め冷静な目で見ており、烏山頭ダム建設に尽力した八田與一技師の功績が歴史の教科書に掲載されているなど、統治期の建造物を「負の歴史」のように扱う風潮はほとんどありません。
台湾全土に日本統治期の建造物は多く残されていますが、台北は特に官庁建築と工場が多く残されています。官庁建築は総統府(旧総督府)に代表される西洋式の重厚な意匠のものが多く、台湾の風土への配慮よりも、当時の日本による統治に威厳を持たせ、日本にも植民地経営(正式には植民地ではない)が可能であることを欧米に知らしめる意図が強く表われていると言えます。そうした官庁建築は日本統治期に行なわれた台北の市区改正による、グリッド状の整然とした都市構造とも密接に関係しています。
一方、工場は製糖、樟脳、酒造、煙草などの工場がそれぞれ文化園区として活用されていますが、これはすべて幹線鉄道沿いに立地しており、当時最新鋭の設備の工場と、新時代の交通であった鉄道が合わせて整備され、台湾の近代化に大きく貢献した歴史を現代に伝えています。こうした文化園区への転換は、台北市政府主導の文化・コンテンツ政策によるものです。
そのほか、剝皮寮は日本統治以前の台北の町並みを残しており、四四南村は国民党の台湾逃亡後に建設された軍属とその家族用の団地、トレジャーヒルは芸術活動の場にもなっていた不法占拠住宅の名残で、ともに日本統治前後の台湾の歴史を知る貴重な町並みです。



[撮影者:大森文彦(東京大学都市デザイン研究室)]

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