建築の概念の拡張

石上純也(建築家)+田根剛(建築家)

時代を超える建築の価値

田根──石上さんはカルティエの個展で上映されていたインタビューのなかで、「(建築に関して)機能とか用途について語られがちだけれど、そういうことではなくて、パブリックスペース、開かれた場所というのが、建築を支えてくれる原動力なんだ」と語られていました。それは「空間」と言ったり「風景」と言ったりするものだと思いますが、そういうふうにより広い範囲で共有されるものについて話していたのが印象的でした。

石上──最終的には、その場所やそこを使う人にどうフィットするのかということが、僕のなかで重要なんです。要するに、使えもしないものをみんなで使っていることほど滑稽なものはない、ということです。

田根──不自然だということですね。

石上──そうですね。だから歴史的な建造物の改修にしても、いまその場所にあっていいという状態にすることが重要だと思っています。それは先ほどのコンセプトの話も同じです。すごく強いコンセプトがクライアントの要望と一致したとして、そのクライアントがいなくなったときでもそれは成立しうるのか、またクライアントがいたとしても、その空間が現実の場所性とあまりにもかけ離れていると、美しくない。

田根──とくに建築は複合的な要素がすごく多いですし、工期もあれば予算もある。そういう機能や条件が変わっても、きちんと残る強度があるものは何か、そういう考え方にはとても共感します。映像のなかで語られていたパルテノン神殿の例はすごくわかりやすくて、神殿であろうが観光名所であろうが、それがそこに残り続けていることが重要で、それこそが建築だということを仰っていました。

石上──信仰の場であった頃も、観光名所となった後も、人が集い過ごす。それがパルテノン神殿ですよね。使われ方がどうであれ、残っていること。もはや使う人は誰でもいいとさえ思います。だからそう考えたときに、乱暴な言い方かもしれませんが、クライアントの要望にしても設計者が考えたコンセプトにしても、最終的には邪魔なものになる気がする。仮にコンセプトがなかったとしても、その空間がよいと思えるのが建築ではないか、と。

田根──「浸透」という言葉づかいもおもしろいなと思いました。浸透させるということは、最初の時点で強いコンセプトを引き延ばしていくようなことなのだと理解しましたが、それは確かに石上さんの建築を表しているように感じましたし、なるほどと思いました。

石上──スタディをしたりクライアントにプレゼンしたりする最初の段階は、強いかたちのものが多いのですが、それを最終的にぎりぎりのところで抑えるという感じです。

田根──抑えられているし、出来上がったときの違和感のなさと言っていいのか、抑えられたもののなかに強いものが残っているという印象です。

石上──そういう意味で、構造は重要ですね。一般的な意味での、建築を支えるための構造ということだけではなくて、建築によって成り立つ構造です。建築が建築家だけによってつくられるのではなくて、田根さんが言ったように、そこにあり続けた情報の集積が建築を変えていく。必ずしも最初の状態がいいとは限らず、使われた痕跡が積み上げられている建築のほうがよくなると思う。そういう改変がくりかえされていっても壊れない構造というものがあってほしい。

田根──パルテノン神殿はその最もわかりやすい例のひとつでもありますね。いまこの時代にそこに行っても、古代のストーリーから現代におけるストーリーまで、誰もが共有財産として感じることができる。それは建築にしかできないことではないかと思います。

石上──時代が進んでテクノロジーが進化していくなかで、なんでもどこにいてもできるようになってきた。会社にいなくても森の中でも仕事ができるとか、部屋の中にいても海外の友人の顔を見て会話ができるとか、場所のあり方がどんどん軽くなることが、便利さや豊かさにつながっている。でもその原点にあるのは、それぞれの場所は違うという事実です。それが前提にあってこそ、それに対する多様性としての豊かさが成り立っている。

僕らが建築家として多様性のあり方を考えるときに大切なのは、その前提であり発想の原点である「それぞれの場所は違う」という事実だと思います。どこでもなんでもできるという時代に、その場所にしかない、その場所でしかつくれないということが、建築の強い個性だと思うんです。だからそれぞれの場所のあり方とか、その場所に残っていくことを念頭において設計することが大事なのだと思っています。

インパクトを与える

田根──アプローチは違うとしても、石上さんのこれからの建築に対する考え方と目指していることには共感しています。最近考えていることですが、僕はインパクトが重要な時代だと思うんです。

石上──インパクトという言葉は、どういう意味で使っていますか?

田根──単にモニュメンタルなものを目指すという意味ではありません。建築がその場所になじむとか消えてしまうとかそういうことではなく、そこにちゃんと人が集まるとか、その場所に存在する意味があるかが問われている。だから建築が場所に何かしらのインパクトを与え、現実を変える力があるかどうか、という意味でこの言葉を使っています。その意味では、インパクトがなければ未来に何も残らないのではないかと思っています。

そういうふうに考えたとき、やはり近代建築の原理には限界があって、新しいという価値だけでは、その価値が古くなったときにどんどん壊されていってしまう。建築家の名前や建築界で名作とされているだけでは残れない限界が訪れたときに、人や場所のどこかに残るような強いインパクト──それが記憶ではないかと考え始めたのですが、それを建築を通して探すことが大事ではないかと思っています。

田根剛

石上──確かに近代から現代に至るまでに、新しいということが建築だけでなくすべての原動力になってきましたよね。新しくないと経済も先に進まないし、何かを守り続けるだけではいまの社会のシステムとして満足しえない。でも僕も、それに代わるものがある気がしています。流動しつつも何かを保存できるようなあり方が必要ではないかと思っているんです。

田根──具体的にはどういうことでしょうか?

石上──最近、中国のプロジェクトをいくつか手掛けているのですが、通常、ある地域を再開発するときは、個々の土地の所有者にネゴシエーションをしていきますよね。でも中国では、日本と違って土地自体が国家のものだから、住んでいる人にネゴする必要はないんです。政府とディベロッパーが一対一で交渉し、交渉が成立したら有無を言わさず住人を退去させることができる。だから巨大な開発ができるのですが、そういう日本とは違う過程をたどりながら、しかし結果はおおよそ似たような状態になっている。本来は、実現までの過程が違うなら、違うものができる可能性があるはずなんです。どちらがいいという話ではなくて、再開発のような大きな規模のプロジェクトに建築家が入り込んでいる状況がありながら、実際にはそこに建築家が入り込めていないからこそ、差異が生まれていない。それぞれの場所が持っているあり方は、街をつくるストラクチャーの重要な要素だから、そこを読み解きながらつくっていくのは、建築家にとって重要な仕事のはずだと思うのですが。

田根──そうですね。建築家の構想力はもっと役に立つ気がします。経済的な考え方もありますが、現代の都市計画はもっと可能性があるはずですから。クライアントに勇気がないといけないということも、石上さんのプロジェクトを見て思いました。

石上──ディベロッパーがクライアントになったとき、規模が大きくなる分、人格がなくなりますよね。そのことは、建築家が直面している大きな問題だと僕は思っています。建築家は、それに向き合って考えていかなくてはいけない。ああいうものでは力を発揮できないからと、小さなプロジェクトばかりやっていればよいかと言うと、それは違う。そういう大きなものに対して、建築家としてどう提案できるのかということを、僕は考えなくてはいけないと思っています。

田根──日本だけではなく、海外でも同じですか?

石上──そうです。近代と現代の違いというのは、リアリティの違いだと思うんです。ル・コルビュジエは都市も計画しているけれど、彼らが提案していたようなスケールの建築がリアルな状況で現れてきているのが現代です。もっと言うなら、すでに彼らが描いていたスケールはとうに飛び越えています。建築家が建築として構想していた都市が、ある段階から、建築家が関われないほどのスケールを含むようになった。そこではモダニストたちの理想とは違うものが建っていると思いますが、むしろそこにこそ何かしら可能性があるのではないか。問題が多いからこそ可能性もあると考えているんです。

田根──なるほど。彼らのヴィジョンとは違うところに可能性を求めるという。いまはディベロッパーによって、建築家の役割が経済の原動力として使われている状況もありますよね。

石上──マスを相手にしていたから、そういうシステムに乗りやすかったのかもしれませんね。現在では建築家がディベロッパーの計画に入るとき、ボリュームやファサードのかたちとか、そういう表層的な部分だけに関わると考えがちですが、本当はその内側の構造にこそ可能性がある。それはみんなすこしずつ気づき始めていると思います。

これまではオフィスとしての機能しか持たなかった高層ビルでも、もっと違うプログラムや可能性が複雑に入り込んできてほしいし、そういう可能性は十分にある。最終的には、オフィスという機能すらも必要としない巨大な環境を含む構造物として現れてきてほしい。そのくらい、建築を機能やプログラムから解き放って考えられるようになってほしい。「自由な建築」というタイトルには、そういう意味を込めたつもりです。


202003

特集 [最終号]建築・都市、そして言論・批評の未来


独立した美術・批評の場を創出するために
いまこそ「トランスディシプリナリティ」の実践としてのメディアを ──経験知、生活知の統合をめざして
リサーチとデザイン ──ネットワークの海で建築(家)の主体性と政治性を問う
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