第10回:マテリアル・カルチャーとテクトニック・カルチャー

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

Studies in Material Culture

最近20年ほどのあいだ、考古学、文化人類学、歴史学、美術史、地理学といったさまざまな人文系の学問領域において、物質文化研究(Material Culture Studies)が盛んに行われ、新たな研究領域が切り拓かれてきた。

たとえば、絵画やドローイングの研究においては、そこに描かれた図の作者やその内容、モチーフ、意味、文脈などについて論じるのが、従来の研究の王道であった。それに対して、紙やインク、筆記具などの種類、質感、性質、耐久性、大きさ、制約などに着目する研究が、新しい刺激的な研究として立ち現れてきている。

歴史学の分野では、今も変わらず文献こそが最重要の史料なのであろうが、一方で文字史料以外のモノを史料として扱う試みにも、新たな可能性が見出されている。その傾向は、考古学や文化人類学への接近、あるいは学際的な取り組みともいえるものかもしれない。歴史的なモノそのものを科学的な分析によって調査する試みは、文理融合による共同研究を促進している。

モノ、物質、オブジェクト(Things、Material、Object)から考えるということ。こうした関心は思想分野のなかでも盛んである。それは古くからある実在論(Realism)や存在論(Ontology)、唯物論(Materialism)に対する関心を呼び起こし、「思弁的実在論(Speculative Realism)」や「オブジェクト指向存在論(Object-Oriented Ontology)」などと呼ばれるような現代思想の潮流を生み出した。あるいは物質に対する関心をより直截的に示す「新しい唯物論(New Materialism)」という流派もあるらしい。いずれの思想潮流も、従来の観念論あるいはテクスト主義の超克を目指して、モノ、物質、オブジェクトに深い関心を示している。

この秋、筆者の研究室では、2つの研究会を立ち上げた。いずれの研究会とも、学術支援職員として研究室に所属するスタッフがそれぞれ担当しているもので、「近代建築研究会」と「模型研究会(もけけん)」という研究会である。「近代建築研究会」のほうは、『近代建築理論全史──1673-1968』(拙監訳、丸善出版、2016/原著=2005)の著者であるH・F・マルグレイヴが編者をつとめた4巻本『Companions to History of Architecture』(Wiley-Blackwell、2017)★1に収録された論文の文献読解を基本として、論文の読解と執筆の作法習得を目的とするもので、いうなればテクスト読解に重きを置く従来型の研究会といえる。もう一方の研究会は、対照的に「建築模型」というモノから、建築文化全体を捉え直してみようという試みであり、こちらは典型的な物質文化研究の手法による研究会といえるかもしれない。

おもしろかったのは、従来型のテクスト分析による研究会と思われた「近代建築研究会」で、この研究会の担当者として初回ガイダンスをつとめた松井健太が取り上げた収録論文「イタリア・ルネサンスにおいて素描は何をしたか?」(Cammy Brothers, "What Drawings Did in Renaissance Italy?")というテクストが、じつはルネサンスの図面研究における物質文化研究の可能性を強調していた点である。

建築図面が15世紀から16世紀にかけて、大きく普及していったことはよく知られている。ルネサンスのイタリアにおいて、建築図面が突如として建築実践の基本ツールとなったことは、マリオ・カルポが、ルネサンスの印刷革命、情報革命の側面から指摘したことでもある。本論文の著者C・ブラザーズによれば、多くの先行研究は、ルネサンス図面の多様性や役割を、現代的な図面のそれと同等のものと見なしてしまったため、ルネサンス図面の可能性と限界を見誤ってきたのだという。それに対して、彼女がルネサンスの図面研究における6つの論点として上げたうち第1の論点は、「ドローイングにおけるマテリアルと表層」の問題であった。

15世紀から16世紀にかけて、羊皮紙はしだいに安価な紙に取って代わられ、そのことが図面そのものの増加をもたらした。筆記具も、鉄筆(スタイラス)を用いた基準線、黒チョークによる下書き、ペンと黒や茶のインクによる仕上げというオーソドックスな技法から、しだいに赤チョークやカラーインクの使用が現れ、筆も広く用いられるようになっていった。こうした紙や筆記具への注目により、たとえば鉄筆による下書きの有無や、そこで用いられた仕上げ材などからは、図面の使用目的の違いが判別できるという。また羊皮紙と紙の双方を選択できた15世紀末に、羊皮紙が選ばれた場合には、図面の豪華さや、保存性能、あるいは再利用可能性などが考慮に入れられていたが、16世紀になると豪華本においても紙が用いられるようになっていく。一方で紙の普及当初は、サイズの問題という物理的制約も存在した。そのため、建築家の図面はしばしば複数の紙片に描かれたものを貼り合わせるという手法で描かれたという★2

C・ブラザーズは、建築家が描いた図面だけでなく「無名の作者が描いた図面ですら、アイデアの複製、変異、伝播における行為主体(agents)として機能しうる」と書いている★3。図面というモノが行為主体(エージェント)となるという表現には、いうまでもなくブリュノ・ラトゥールの言葉遣いを見て取ることができるだろう。物質文化研究に対する現代的な関心は、広い範囲に及んでいる。

Studies in Tectonic Culture

だがこうした物質文化研究の方法論、あるいは換言すればニュー・マテリアリズム的な関心は、建築学研究に何をもたらすだろうか。本連載が試みてきたことは、そのケース・スタディとしての実験であった。

建築は、それが建物である以上、根源的にはモノである。したがって、いまさらニュー・マテリアリズムの観点など持ち出さずとも、従来からモノの研究をしてきたではないか、という反論もあるだろう。それならばなぜ、本連載では執念深くこの観点から建築を論じようとしてきたのか。

それは、ルネサンス以来の近代的建築論が、本来モノであるはずの「建物」の内面にある観念的な側面を強調することで、単なる「建物」とは異なる高尚な「建築」を論じてきたように思われるからである。その結果として、建築を成り立たせているもうひとつの重要な側面であったはずのモノとしての存在は、高尚な思想や文化とは無関係の、実務(Practice)や工学(Engineering)の側に追いやられてきてしまったのだった。

こうした「理論」と「実務」の二分法は、たとえば近代日本の建築教育における、「意匠」と「構造」の対立のようなかたちで、わかりやすく露呈することとなった。建築構造学は地震から人命を守ることを明瞭な旗印として掲げ、文化的・哲学的な高尚さをアピールした建築意匠学を迎え撃ったわけである。

だが、いうまでもなく、建築計画学の側に人命を貴ぶ精神が存在するように、建築構造学の側にも美を求める心が存在する。両者のあいだに、それほど明確な壁を立てることができないことくらい、建築に携わる人々は、本当は理解しているはずである。それにもかかわらず、文化的で観念的な側面こそが高尚な「建築」の本質であると捉えてきたルネサンス以来の長年の伝統が、私たちの前に頑強に立ちはだかってきたのだった。

本連載において、筆者が「構築(Tectonics)」について論じてきたのは、建築における構造や材料の側面を、文化的な歴史として捉え直したいと考えたからである。しかし「構造」というタームを持ち出すと、そのとたん、そこには建築学の長い伝統のなかで培われてきた別の文脈が立ち現れてしまう。建築の本質のひとつである「構造物」というモノとしての側面を、文化的に論じることが筆者の目的なのだが、構造と文化を結びつけようとしても、構造+意匠=構造表現主義(あるいは構造デザイン)というような、20世紀的な議論に収斂してしまうように思われた。

そこで本連載では「構造」ではなく「構築」という概念によって、この問題に取り組んだわけである。「構造」というと静的で瞬間的なイメージがあるのに対して、「構築」というと動的で継続的なイメージが含まれそうな点でも、この言葉は筆者の問題関心に合致していた。なによりも、ケネス・フランプトンの『テクトニック・カルチャー(Studies in Tectonic Culture)』(松畑強+山本想太郎訳、TOTO出版、2002/原著=1995)が、物質文化研究(Studies in Material Culture)と対をなしうるものであることに気づいたとき、この観点は建築を物質文化として再考するうえで、きわめて重要な可能性を秘めていると確信したのだった。すなわち、彼の『テクトニック・カルチャー』とは、1990年代からさまざまな研究分野で盛んになり始めたマテリアル・カルチャー研究の、建築史版とも呼びうる試みだった。物質文化の観点から建築を論じるためには、ただモノとしての建物を論じようとしても不十分である。構築(テクトニクス)という観点を持ち出すことによって初めて、建築が持つ物質文化としての(少なくともある重要な)側面を論じることが可能になったのである。

フランプトン自身、その書籍のサブタイトルに「構法の詩学」(Poetics in Construction)という表現を用いているが、これもまた構法/建設(Construction)という即物的な行為に、詩的で文化的な面を見出そうとする彼の意図が表れている。ルネサンス以来、建築における哲学・文化の側面は、建築家による設計・デザイン・理論・アイデアだけが請け負うものと見なされていた。しかしフランプトンは、この書籍のタイトルとサブタイトルによって、泥臭い現場の建設の側にも詩的な文化があることを明瞭に示したといえるだろう。

中世とルネサンスの断絶

だがフランプトンが論じたのは、あくまで19世紀と20世紀の建築にすぎなかった。しかし、以上のように考えてくると、近代建築よりも前近代の建築を物質文化・構築文化の観点から再考することに、いっそう大きな可能性があるように思われてくる。とくに重要なのは、ルネサンス以前の建築である。マリオ・カルポが論じたように、15世紀のアルベルティとともにデザインと制作の分離が始まったのだとすれば、「構築」の観点から建築の歴史を再考することは、プレ・アルベルティ時代とポスト・アルベルティ時代のあいだの断絶を解消し、建築文化の長い歴史を再考するまたとない観点となりうるだろう。

一般に、現代建築とのつながりから建築の歴史を参照する場合、以下の3通りいずれかの射程で建築史を捉えることが多い。とくに現代的な関心が強まれば強まるほど、以下の「短期の近代」か「中期の近代」によって、建築史は語られてきた★4

  短期の近代:(モダニズム以降の)20世紀建築史
  中期の近代:(産業革命以降の)19-20世紀建築史
  長期の近代:(ルネサンス以降の)15-20世紀建築史

ルネサンス以降の建築史(長期の近代)もまた、伝統的な歴史観といいうるものである。日本ではあまり一般的ではないが、ルネサンス以降を(現代に繋がる)建築の歴史として捉える見方は、西洋の建築界では普通に見られるように思われる。

それに対して、古代・中世を含むいっそう長期の射程を視野に入れた建築史は、西洋であれば美術史分野ばかりで扱われ、日本であれば、あくまで「西洋建築史」という独立した科目としてのみ扱われるのが一般的だ。長期の建築史は、現代建築とはほぼ無関係の存在と認識されてきたわけである★5

その理由はいくつもあるだろう。ルネサンスから始まる作家主義が、その背景にあったかもしれない。芸術家の作品として、建築・絵画・彫刻を同列に論じた16世紀のジョルジョ・ヴァザーリの『芸術家列伝』(1550年初版)が、現代まで続く「作家と作品」という考え方をもたらしたことは間違いあるまい。ルネサンス以前にも実際には、たとえばゴシック大聖堂の建設者として、名の知られた石工棟梁(マスター・メイソン)は何人も存在した。ゴシック大聖堂は、けっして無名性の建築ではなかったのだ。あるいは、建設に長い時間がかかったというならば、それはルネサンスも同じであった。ローマのサン・ピエトロ大聖堂が、次々に交替したルネサンスやバロックの巨匠たちによる設計変更を受けながら、どれほど長い時間をかけて完成されたか、私たちはよく知っている。にもかかわらず、私たちはゴシック建築を「作家と作品」の観点からは語らず、ルネサンス以降の「長期の近代」に属する建築だけを「作家と作品」の範疇に位置付けてきたのだった。

fig.1──マリオ・カルポ『アルファベットそしてアルゴリズム』における史的枠組み(筆者作成)

そこには、「知的な建築家像」の確立というもうひとつの重要な見方があったはずである。中世の大聖堂を建てたのは「建築家」ではなく、単なる職人の親方にすぎなかったというまことしやかな説明は何を意味しているのだろうか? それはカルポがまさに指摘したように、彼らが設計者であると同時に現場の親方であったという、職人的な原著者性を示していると説明することもできるだろう★6。土にまみれた現場での建設作業は、知的な建築家像にはそぐわなかったのだ★7

だがこのような「知的な建築家像」の意図的な強調は、建築の形式主義的な側面を強めることになった。建築家による「デザイン」が「制作」から切り離されれば切り離されるほど、そのデザインは抽象性を増していくことになった。ルネサンスの建築理論は、構築や素材の側面を弱め、抽象的な形態理論としての側面を強めていったわけである。


201910

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