第10回:マテリアル・カルチャーとテクトニック・カルチャー

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

理論としてのオーダーと、実践としてのスポリア

ルネサンスの抽象的形態理論としてもっとも重要なものこそ、オーダー理論の発明である。むろん、オーダー理論の根幹にあるのは、古代ギリシアや古代ローマの円柱であった。古代ローマの建築家ウィトルウィウスも、これらの円柱のデザインのバリエーションについて説明している。古代の円柱はモノそのものであった。とくに古代ローマでは大理石というきわめて特徴的なマテリアルが多く用いられていたし、それは柱という構築部材のマテリアルであったはずだ。

にもかかわらず、ルネサンスのオーダー理論が抽象的な形式論だったと筆者が主張するのは、それが実体としての素材や構築の技法ではなく、デザインの形式と標準化をもたらしたからである。セルリオやヴィニョーラをはじめとするルネサンスの建築家たちが、こぞって5種のオーダーを図面化して書物に掲載したことは、ヨーロッパ中の建築家たちに「標準化」された円柱デザインの使用を可能にした。この形式を用いることでルネサンスの建築家たちは、古代の建築と同等の形式を備えた円柱がずらりと並ぶ新築の建築を建てていくことができるようになったのだった。

fig.2──新築のための建築理論としてのオーダー(セルリオ『建築書』第4巻「建物の5様式」[左]とヴィニョーラ『建築の5つのオーダー』[右])
(引用出典=Sebastiano Serlio, Tutte l'opere d'architettura et prrospetiva di Sebastiano Serlio Bolognese,1600[ETH-Bibliothek Zürich所蔵]、Jacomo Barozzi da Vignola, Regola delli Cinque Äi0Ordini d'Architettura, 1562[Bibliotheca Hertziana, Roma所蔵])

オーダー理論はイタリアで始まったが、ルネサンスの印刷革命、情報革命との相乗効果により、ヨーロッパ中へと伝播することが可能になった。オーダーとは、ルネサンスという国際様式を実現させた、もっとも重要な形態理論だったわけである。多くのルネサンス建築において、オーダーが柱という構築部材としてではなく、単に煉瓦造の壁面の膨らみに漆喰を塗って半円柱に見せかけただけの付柱(ピラスター)としてデザインされたことも、オーダー理論が構築理論ではなく形式理論だったことを明瞭に示しているといえるだろう。

一方、同じ古代の円柱デザインでも、ルネサンスの抽象理論と対照的な実践的手法といえるのが、古代末期から中世にかけて盛んに行われた部材再利用(スポリア)である。古代遺跡から不要になった大理石円柱を運び出し、別の建築で再利用するこの手法は、結果的にはドリス式やイオニア式、コリント式などの古代の円柱を用いる点で、ルネサンス建築と共通点を有しているようにも見える。しかし、再利用される円柱は規格品ではないため、多様な円柱が共存することになった。たとえばローマのサンタニェーゼ・フオーリ・レ・ムーラ教会堂[fig.3]では、コリント式とコンポジット式の円柱が混在しており、そのシャフトに用いられている石材の種類もまちまちである。滑らかに仕上げられた円柱もあれば、縦溝(フルーティング)を備えた円柱もある。明らかに、さまざまに異なる遺跡からかき集めてきた円柱が、ひとつの建築のなかで再利用されているわけだ。その結果として生じるデザインの多様性には、なんともいえない魅力がある。

fig.3──実体としてのモノの再利用(スポリア)によって生み出される多様性、ローマのサンタニェーゼ・フオーリ・レ・ムーラ聖堂(筆者撮影)

一方のルネサンス建築で用いられるのは、オーダー理論によって量産された規格品の円柱である。この場合には、すべての円柱が整然と揃うことで、完全なるデザインの統一性が生み出されることになるわけだ。

fig.4──規格品としてのオーダーによって生み出される完全なる統一性、フィレンツェのサント・スピリト聖堂。16世紀にオーダー理論が登場する以前の15世紀にこの建築空間を完成させたブルネレスキの先駆性からは、理論の成立に先行する建築実践があったことに気づかされる(筆者撮影)

多様性を礼讃するという新しい価値観を獲得した21世紀の私たちは、中世のスポリアがつくり出す豊かな多様性(Diversity)を秘めた建築空間も、ルネサンスのオーダー理論がつくり出す整然とした統一性(Unity)からなる建築空間も、いずれも美しいと評価することができるようになった。だがオーダー理論を生み出した16世紀のルネサンス人たちが、スポリアが生み出す多様性を嫌悪したことは想像に難くない。ルネサンスの人々は、古代盛期に美の理想を見出していた。そのため、古代の優れたデザインでつくられた建築部材を剥ぎ取り、古代のモニュメントを無残な廃墟にしてしまった中世の人々を、彼らは強く批判したのだった。「スポリア」いう言葉そのものも、古代の優れたモニュメントを台無しに(spoil)してしまった、というルネサンス人による謗言が語源である。ルネサンス人の悪口が元になった建築史・美術史の用語としては「ゴシック」(ゴート風)もあるが、斯様にルネサンス人たちは徹底して中世の建築デザインを嫌ったのだった。

ルネサンス以降の「知的な」建築理論は、中世建築に内在する多様性を混乱・無秩序として嫌悪してきた。16世紀のヴァザーリも、18世紀のゲーテも、よく似た表現を用いて中世の建築デザインを批判している。

さて、ここにもう1つ、ドイツ式と呼ばれる別の種類の建築がある。これらは装飾も比例も、古代やわれわれの時代のそれとは非常に異なっている。また今日ではすぐれた人々はこれを用いない。それどころか彼らはあたかも怪物か野蛮人から逃げ出すように、これらから逃げ出した。というのは、これらは秩序などというものは一切持って居らず、いっそ混乱とか無秩序とか呼んだほうがいいようなものである。(...中略...)この様式はゴート人が創案したものである。
──ジョルジョ・ヴァザーリ『画家・彫刻家・建築家の列伝』(1550)★8

はじめて大寺院〔引用者註:ストラスブール大聖堂のこと〕に出かけたとき、私はよき趣味〔引用者註:ルネサンスのこと〕についての通念で頭がいっぱいになっていた。きき覚えで、質量(マス)の調和とか形式の純粋さをあがめていたから、ゴシック的粉飾の勝手気ままな乱雑ぶりは絶対許せぬものと思っていた。ゴシックという題目に対して、私はまるで辞書の見出しのように、あいまい、混乱、不自然、ごたまぜ、つぎはぎ、飾りすぎなど、およそ私のあたまをかすめたかぎりの間違いだらけの同義語をかき集めたものだ。よその世界はすべて野蛮と呼んですましている国民に勝るとも劣らぬばかさ加減で、自分の体系にあわぬものはことごとくゴシックと言って片づけたわけだ。
──ゲーテ「ドイツの建築」(1774)★9
ともに下線部は筆者強調

16世紀のヴァザーリに端を発し、18世紀のゲーテの時代を通じて★10、19世紀、20世紀の近代的な価値観のなかでますます定着していったこのような美意識こそ、「中世には建築家がいなかった」といって憚らない、私たちの「常識」をつくりだしていったといえるだろう。中世には建築家は存在せず、ましてや建築理論など見る影もないと、誰もが思い込んでいたわけである。

たしかに中世には、ルネサンスと同じような理論はなかったのかもしれない。だがルネサンス人たちが否定して以来、私たちが頭ごなしに無視してきた中世建築に見られる多様性、とくにスポリアに見られる物質性、そこに内在する時間性などに、21世紀を生きる私たちはふたたび惹きつけられている。こうした側面を冷静に再評価し、理論化するためには、ルネサンス以来の「常識」を相対化し、よりいっそう長期の射程のなかから建築を捉え直す必要があると思うのである。


201910

特集 建築・都市・生環境の存在論的転回


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生環境構築史の見取り図
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