シン・ケンチク

青木淳(建築家)

5 正道であること、すでに「建築」を逸脱していること

小林秀雄と坂口安吾との間で交わされた、「伝統と反逆」という有名な対談がある。

坂口 一つの時代の正しい生き方、つまり時代的に限界された生き方というものがあって、それを表現する芸術形式というものがあってさ、そこで芸術が時代の正道になる、そこに芸術が、時代的に完成することによって、他の時代にも生命をもちうる意味があると思うのです。梅原氏の芸術形式には、時代の精神や思想がもたらした真実の足場をもたない。つまり骨董的玩味からきたものだと思う。(『定本 坂口安吾全集 第十二巻』冬樹社、1971、初出=『作品』創刊号、1948年8月)

梅原龍三郎が「骨董的玩味からきた」と批判されている。坂口安吾がここで言う「骨董的玩味」とは、安全な場所に身を置いて、「一番幼稚なもの、つまり人生、その一番正しいものと関係がない」という姿勢を指す。梅原龍三郎は、自分のまわり現実に対して対峙していない、だから、その絵がどんなにすごいものであっても、それは「脇道」であり、「畸型」にすぎない、というのだ。
「芸術なら芸術で、どんなインチキなものでも、スタンダードというか、正道をとっていなければならん所があると思うんだよ。」

古い事物に対してだけ「骨董的玩味」が働くというのではない。新奇なもの、刺激的なものとつくっても「骨董的玩味」でありえることに、坂口安吾のポイントがある。
今までやられてきたこと、あたりまえのこと、普通を、引き継ぐのではない。かと言って、目を惹くもの、今まで、見たことも感じたこともないものをつくろうとするのでもない。もっとも身近なこと、「バカなこと」と誰もがとりあわない「卑近」な現実から出発し、そこに横たわる規矩をいちいち「反省」し、次段階の現実をつくりださなくてはならないと言うのだ。そうなれば、それはもはや従来の「小説」ではない。
「小説は一つの作り物だからね、或る一つの人生を作るものでなくちゃ嘘だと僕は思うんだよ。」

同じ意味で、《唐丹小学校/唐丹中学校/唐丹児童館》は、もはや従来の「建築」ではない。
それは、日常生活で体験する空間そのものではないし、そういう空間に潜在する規矩に導かれて自然に生成する空間でもない。その一方で、それは日常生活で体験することから切断された、まったく新しい体験を与えてくれる空間でもない。今までなかった新しいものを次々に消費しながら、止まることなく先に進みつづける社会の構成要素でもない。

そこには、こういうものが「いい」、というあらかじめの価値基準がない。もちろんコンセプトもない。実現しようとしているイメージもない。あるのは、とりあえず目の前にある事物、とりあえず従わざるをえない規矩、つまり「現実」だけ。そこからはじまって、しかしその現実をなぞるのではなく、次段階の現実をつくろうとすること。ここにある「建築」とは、結末が約束されていない、そのような無謀のことだ。

このことをもう少し穏便に言うなら、「チューニング」という言葉に行き当たる。前に、こんなふうに書いたことがある。

チューニングとは、狂った調べを正しい調べに調整する、という意味だ。ピアノなら正しい音律に、ラジオなら正しい周波数に。弦を絞めて音を上げたり、緩めて音を下げたりして、良い響きを探す。あるいは、ツマミを左右に回し、きれいに音が出るところを探す。
良く響くところはひとつだけではない。音律にはオーセンティックなピッチもあるけれど、若干上げたのを好む奏者もいる。ラジオなら、もちろん、局ごとに周波数は違う。試し、探し、この響きで良いと判断できるツボは複数ある。このことは、チューニングということが、一つの理想からの具体化というのとは逆の方向を持った行為であることを暗示している。つまり、チューニングとは、目の前の具体からはじまって、それを一つの理想を体現した具体に近づけていく行為なのである。
チューニングが開始される段階では、明確には目的地は見えていない。わかっているのは、その目的地に辿りついたときに感じられるはずの漠然とした気分、「気持ちよさ」だけだ。なにかを試す。設計では、現実に試すのではなく、頭のなかで試す。それで目的地に近づくのかどうかをそのたびごとに考え、判断する。目的地が見えているわけではない。いわば、光のわずかな変化を嗅ぎ取りながら、霧のなかを進む感じ。目的地が見えたときにはじめて、理想と具体が合致して、結果として、目的地が知れる。(青木淳『フラジャイル・コンセプト』NTT出版、2018、初出=「月評」『新建築』2015年4月号)

「結果として、目的地が知れる」とは書いたものの、じつのところ、目的地は、約束されていない。辿りつけないかもしれないし、そもそもないかもしれない。
つまり、チューニングということの核心は、そこに辿りつくことにはなく、それを目指すにせよ、しかし五里霧中を行くことにある。

もしも「震災後の建築」というものがあるとしたら、このような建築のことを言うのだ、と考えている。


青木淳(あおき・じゅん)
1956年生まれ。建築家。青木淳建築計画事務所主宰、東京藝術大学教授、京都市京セラ美術館館長。主な作品に、《潟博物館》(1997、日本建築学会賞)、《ルイ・ヴィトン 表参道ビル》(2002)、《青森県立美術館》(2006)、《大宮前体育館》(2014)、《三次市民ホール きりり》(2014)ほか。主な著書・作品集に『原っぱと遊園地』(2004)、『原っぱと遊園地2』(2008、以上王国社)、『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |1| 1991-2004』(2004)、『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |2| AOMORI MUSEUM OF ART』(2006)、『青木淳 JUN AOKI COMPLETE WORKS |3| 2005-2014』(2016、以上LIXIL出版)、『フラジャイル・コンセプト』(2018、NTT出版)ほか。http://www.aokijun.com/


201908

特集 乾久美子『Inui Architects』刊行記念特集


建築のそれからにまつわるArchitects
シン・ケンチク
なぜそこにプーさんがいるのか──『Inui Architects──乾久美子建築設計事務所の仕事』書評
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