ポストモダン地理学とは何であったのか?

大城直樹(明治大学)

ポストモダン地理学といって想起されるのは、そのまんまのタイトルをもつエドワード・ソジャの著書『Postmodern Geographies: The Reassertion of Space in Critical Social Theory(ポストモダン地理学──批判的社会理論における空間の位相)』(Verso/邦訳=青土社、2003)(ただし複数形であるが......)と、それと同じ1989年に発売されたデヴィッド・ハーヴェイの『The Condition of Postmodernity: An Enquiry Into the Origins of Cultural Change(ポストモダニティの条件)』(Blackwell/邦訳=青木書店、1999)の2つの書籍のパフォーマンスではないだろうか★1。しかしながらよく知られたこれらの地理学者と著作よりも、むしろ筆者はデレク・グレゴリーこそが、そして彼の『Geographical Imaginations』(Blackwel)こそが、「ポストモダン」な地理学を体現していたのではないかと考える★2。1994年に出版されたこの書のなかでグレゴリーは、地理学というディシプリンとその構制(構造と機制)、すなわち地理的想像力とは何かを鋭く問い、同じく「近代なるもの」によって大きく変貌した都市について、ハーヴェイの第二帝政期パリ論、ベンヤミンのパッサージュ論、アレン・プレッドの世紀末ストックホルム論、さらにはソジャによる「20世紀後半の首都」ロサンジェルス論を読解しつつ解体し、最後にハーヴェイのポストモダニティ論とアンリ・ルフェーヴルの空間の生産論(および『都市革命』)を対比的に論じながら独自の見識を開陳していくのである。


この著作が出版された時期、すなわち1990年前半は、人文地理学における「文化論的転回」(Cultural Turn)、隣接諸科学における「空間論的転回」(Spatial Turn)という潮目の変化を迎えた時期でもあった。地理学においては「文化なるもの」がカルチュラル・スタディーズやポスト・コロニアリズムの大きな影響のもとでクローズアップされ、隣接諸科学では、ソジャによる大声での「時間による空間の絶滅」への糾弾(「空間」の再主張)もあってか、「空間」概念が大きく取り上げられるようになっていった。まさにそうした時期にあたる1997年に、多木浩二、吉見俊哉、水内俊雄といった錚々たる面々による座談の末席に筆者も加わらせていただき、本誌『10+1』(No.11)の特集「『新しい地理学』をめぐって」の一部にそれが繰り込まれ発行されたのであった。空間論的転回の文脈を押さえながら論を進める吉見氏、ブルドーザーのように地理学的コンテクストを語り倒す水内氏に圧倒されつつ、思想史・表象論の視座から放たれる多木氏の重たく鋭い質問に冷や汗をかいたことばかりが思い出される。

そうしたなか、座談会の終わり際に「地理学におけるレトリックとポリティクス」の話題を出したのであるが、これはグレゴリーの言表から引っ張ってきたものであった。彼は「Poetics」と「Politics」と述べているのでちょっとニュアンスは異なるかもしれないが、いずれにせよ、何らかの構制の詩学(修辞学)と政治(力関係)を問うていることは同じである。『Geographical Imaginations』において、彼はこの対項目を、先に触れたハーヴェイとベンヤミンとプレッドによる19世紀都市の歴史地理学に注目することでそれぞれ明らかにしていくと述べている。彼らがモダニティの特定の(ヨーロッパの)場所の「地図」を提示しているからであると。彼の引用関係から推察するに、これらの語はポスト・コロニアリズム的表象分析から引き出してきたものと思われる。(メタファーとしての)「地図」や「マッピング」という語も、さまざまなジャンルでよく使われるようになったものである。だが彼は留保を2つばかり──ひとつは、「地図」が客観的なものという前提がかなりのフィクションであるということ、もうひとつはここでいう「地図」とは、純粋なメタファー的な装置以上の何ものかであるということ。すなわちそれが実質的なマテリアリティを有するということ──付けるのを忘れてはいない。地図なるものに孕まれる詩学と政治学への示唆がすでにここで行われているのである。

『Geographical Imaginations』の刊行後、グレゴリーは、社会理論の方面ではラカンとルフェーヴルの影響関係に関する研究、サイードやその大元のフーコーの著作をベースにした「知・権力・空間」論を展開していく。また、これと並行するかたちでポスト・コロニアリズムの流れに掉差しつつ、近代エジプトをはじめとするオリエントに関する紀行文や諸表象の分析に励んでいたものの、とりわけ2001年の9.11以降、大きく方向転換することになる。おかげで、早い段階で出版が予告されていた『Dancing on the Pyramids: Orientalism and Cultures of Travel』は未完のまま放置されている。オリエンタリズム表象批判の代わりに、9.11以降は、イラン・イラク戦争でもそうであったように「地図的想像力」およびGISと結びついたテクノロジーと戦争の関係性を糾弾していく。人も都市もモニターのなかで抽象化され、脱=具象化された単なる着弾のターゲットに還元されてしまうことへの批判を基盤に、対テロ戦争、地図・GIS・ドローン、可視性、地理的スケールへと関心を向けるようになった彼の成果は、2004年に『The Colonial Present: Afghanistan. Palestine. Iraq.』(Blackwell)として結実した。


そこで彼は、心象地理と地政学的想像力のあらたな結合関係、すなわちアメリカ合衆国とそれを支持する国々に敵対するイスラム世界(の一部)に対して構築されている結合関係を暴き出していく。グレゴリーによれば、テロとの戦いでは、「敵=他者」を仕立て上げる構図が、3つの異なった空間において3つの異なった戦略をもって稼働しているという。1つめは抽象的で幾何学的な空間の座標とピクセルのなかにターゲットとなるものを還元しようとする、技術=文化的位置づけの戦略であり、2つめは野蛮で粗野な空間から「文明」を攻撃する未開の人々へと「敵=他者」を反転させる、文化=政治的転化戦略であり、3つめは、アガンベンの概念を援用するならば、そのなかでは死が何らの重要性も持たないような逆説的で位相的な例外空間に「敵=他者」を人間味の欠片もなく格納する、政治=法的例外化の戦略である。しかしながらこうした構制のなかで表象された「彼らの空間」のなかにあっても、「抵抗の心象地理」を実践する人々がいることをグレゴリーはSNSでの現地からの発信等を分析することによって明らかにしている。これらは権力・実践・表象をめぐる支配的な体制によって押し付けられた心象地理を、日常生活のレベルから置換し転覆させ競合させるものである。心象地理の専制への抵抗の一端がそこに垣間見えるのである。一見すると、関心が離れてしまったかに見えるとはいえじつは、表象の空間と空間の表象のせめぎあいを露わにしているというところに、彼のルフェーヴルへの強いこだわりを感じることができる。

話を戻すと、こうしたグレゴリーの研究の一見すると「変化」と取れる動きは、底流にあっては一貫したものであって、地理(学)的想像力の詩学と政治学を暴いていくことの先に、こうした「戦争」という地理的実践を見据えているのである。地理学というディシプリンの外に「空間」(ならびに「地理」)の孕む問題構制を押し広げていくことが「ポストモダン地理学」なるものであるとするならば、このグレゴリーの実践はまさにそれを先鋭的なかたちで体現するものであるといえよう。先に触れた座談では、多木氏がヘイドン・ホワイトのメタ・ヒストリーについて言及し、地理学においても歴史記述におけるトロープのようにな何らかの修辞法ないしはテクスト生成の方法を見つけることができるのか、と地図的表象を超えたメタ・ジオグラフィーの可能性を問いかけていたが、先に指摘した「心象地理と地政学的想像力のあらたな結合関係にみられる技術=文化的位置づけの戦略、文化=政治的反転の戦略、政治=法的例外化の戦略」などは、その一端と解せるのではなかろうか。まさに「地図」および「地理的想像力」のマテリアリティが戦争遂行を実現させているという事実をグレゴリーは激しく突き上げるのである。

プラネタリー・アーバニゼーションのテーマからは程遠くなってしまったが、地理(学)的想像力の詩学と政治学の追求については、グレゴリーに限って行われているわけではない。いずれも非アングロ圏であるが、例えばイタリア・ボローニャのフランコ・ファリネッリは、抽象化をともなう「地図学的論理体系」がいかに地理学から多くのものをある意味剥奪してきたかを、ギリシアのアレクシマンドロスから現在に至るまで解き明かしてきたし、スイス・ジュネーブのクロード・ラフェスタンは、「景観は領域性を隠蔽する。同一の景観がいくつもの領域性を隠蔽する。なぜなら諸過程は、諸関係の結果だけを示す景観の地理学において把握されないからである」として、こうしたなかから「領域性の地理学が非対称的な多くの諸関係を唯一説明しうる権力の観念に大きな位置を開けねばならないことは明らかである」という。景観は人々の生きる場の領域性の隠蔽装置であるとまで言ってしまう彼は、また先のグレゴリーの実践に連動するかのように次のように語っていた。「地理学が戦争に役立つならば、それは同時にわれわれの日常的な存在に各審級で介入する権力を隠蔽することにも役立ち、それはおそらく一層狡猾であるのでより深刻である」とも。イヴ・ラコストがフーコーをその気にさせた対話を彷彿とさせるではないか★3

建造環境と資本主義の結託性を露骨に暴いていったハーヴェイ。もはやそこを避けて、所与のものとして都市空間を前提することができなくなったように、グレゴリーの地理的想像力批判を棚上げして、他者・他所を表象することはもはや困難なことになったと考えるのは私ひとりだけではないはずである。


★1──このほか、おそらく地理学で最初に「ポストモダン」なる言辞を弄したマイケル・ディアの存在も「ポストモダン地理学」について語るうえでは重要であろうが、ディシプリンの外へのインパクトという点ではハーヴェイやソジャとは異なるので、ここでは省略した。
★2──Derek Gregory(1951-)。専門分野は歴史地理学および地理思想史。ケンブリッジ大学のアラン・ベイカーのもとで歴史地理学を学び、ヨークシャーの羊毛産業に関するE・P・トムスン的な資本主義の歴史的理解を地理学に取り入れた博士論文をまとめた『Regional Transformation and Industrial Revolution』(Palgrave)を1982年に出版するが、すでに1978年には地理学理論・方法論に関する『Ideology, Science and Human Geography』(St. Martin's Press)を著しており、早い時期からこの領野ならびに社会理論全般への関心を高く有していた。1981年から10年弱、ケンブリッジ大学シドニー・サセックス・コレッジのフェローであったが、1989年には大西洋を(遥かに)越えてカナダ・ヴァンクーヴァーのブリティッシュ・コロンビア大学の教授に着任し現在に至る。
★3──これにスウェーデン・ウプサラのグンナー・オルションの言説実践も加えねばなるまいが、語るだけの紙幅は残されていないので省略する。

参考文献
- フランコ・ファリネッリ「地理学の一般理論のために」(遠城明雄訳、『空間・社会・地理思想』7、2002、138-186頁/原著=1989)
- クロード・ラフェスタン「景観と領域性」(遠城明雄訳、『空間・社会・地理思想』1、1996、61-67頁/原著=1977)
- Derek Gregory, Geographical Imaginations, Blackwell, 1994.
- Derek Gregory, The Colonial Present, Blackwell, 2004.
- David Harvey, The Condition of Postmodernity: An Enquiry into the Origins of Cultural Change, Blackwell, 1989.
- Edward Soja, Postmodern Geographies: The Reassertion of Space in Critical Social Theory, Verso, 1989.

大城直樹(おおしろ・なおき)
1963年生まれ。文化地理学、地理思想史。明治大学文学部教授。主な著書=『空間から場所へ──地理学的想像力の探求』(共編著、古今書院、1998)、『郷土──表象と実践』(共編著、嵯峨野書院、2003)、『都市空間の地理学』(共編著、ミネルヴァ書房、2006)、『モダン都市の系譜』(共著、ナカニシヤ出版、2008)、『人文地理学』(共編著、ミネルヴァ書房、2009)など。主な訳書=デヴィッド・ハーヴェイ『パリ』(共訳、青土社、2006)、エドワード・ソジャ『ポストモダン地理学』(共訳、青土社、2003)など。


201906

特集 プラネタリー・アーバニゼーション
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ポストモダン地理学とは何であったのか?
忘却された空間からの視角──ロジスティクスと都市のインフラストラクチャー
都市はだれのものか?──レイ・パールの都市社会理論の現代的再構成に向けて
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