第8回:西洋建築史に見る鉄のテクトニクス

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

「鉄とコンクリート」は近代の断絶か?

近代の建築を論じるとき、私たちは「鉄とコンクリート」の近代性を強調しがちだ。建築におけるモダニティは、むろん技術や材料ばかりでなく、思想や社会とも緊密な関係を有しているから、「鉄とコンクリート」は必ずしも近代建築誕生の必要十分条件ではない。それでもなお、私たちは、産業革命と鉄の登場、20世紀の鉄筋コンクリートの登場を、近代建築誕生の本質的な要因と捉えがちである。

最近、増補合冊版として再版され話題となっているケネス・フランプトン『近代建築の歴史 1851-1945』(香山壽夫ほか訳、エーディーエー・エディタ・トーキョー、2019)が、1851年から近代建築史を語り起こしたことも、いうまでもなく「鉄とガラス」のパビリオン、ロンドン万博(1851)のクリスタル・パレスを近代建築の始まりと位置づけたためである。

こうした見方は、私たちが近代建築史を語るうえでは、王道的な歴史観であろう。だがその歴史観は私たちに、建築における近代と前近代のあいだの断絶を、必要以上に信じ込ませてしまったのではないだろうか。

本連載第6回「歴史のなかで、コンクリートの尻尾を掴む」では、コンクリートが古代・中世・近世・近代の歴史のなかで、いかに石灰岩の伝統とともに生き続けてきたか、ということを論じた。もちろん従来の歴史記述のなかでも、近代の鉄筋コンクリートと並んで、古代ローマのローマン・コンクリートのことは、よく知られていた。だが、古代と近代という遠くかけ離れた時代に離散的に存在してきたかのように語られてきたコンクリートの構築術は、コンクリートを構成する主要なマテリアルである「モルタル」の歴史として考えれば、じつは歴史上ほとんど途切れることなく連続していたわけである。

むろん厳密にいえば、建築におけるモダニティを切り拓いたのは、「コンクリート」そのものではなく「鉄筋コンクリート」の発明ということになるだろうから、モルタルではなく「鉄筋コンクリート」こそが近代建築を生み出したのである、と主張することは可能だし、それは事実である。だが従来の建築をめぐる議論は、近代のコンクリートの源流に古代のローマン・コンクリートを位置づけることで、あたかも隔世遺伝のごとく、近代の技術が古代のコンクリートを復活させ、そこに鉄という同じく近代技術を組み合わせたと説明してきたように思われる。

たしかにコンクリートと鉄のマリアージュは、19世紀末の技術開発における優れた発明であった。圧縮力に強いコンクリートと、引張力に強い鉄筋の組み合わせは、互いの欠点を補い合い、互いの長所を引き伸ばしあう、すばらしい発明だった。この発明こそ、西洋における組積造による壁構造の伝統を、(石に似た)コンクリート構造によるフレーム構造に置き換えていくことを可能にしたわけである。先行して19世紀後半のシカゴから始まった鉄のフレーム構造とともに、20世紀建築の基本構造は、こうして壁構造からフレーム構造へと、革新的な変化を遂げることになったのだった。

コンクリートと鉄が結びついたことが、19世紀末のジョゼフ・モニエ、ポール・コタンサン、フランソワ・エヌビックといった技術者たちによる偉大な発明であったことは間違いない。だがじつは、前近代の建築でも、石材が圧縮力を担い、鉄が引張力を担うという組み合わせによって、鉄は組積造建築を補強していたのである。こうした建築の歴史を再確認することは、近代建築史が語ってきたある種のタブララサとしての歴史観に対して、確固としたバックボーンを与えることになるのではないかと思う。

本項では以上のような観点に基づき、古代以来、石材と組み合わされてきたさまざまな鉄(およびその他の金属)の歴史について概観してみたい。

古代ギリシアの構築術

従来、古代ギリシアと古代ローマは、基本的には一括りの建築様式として捉えられてきた。「フォルムの学」としての建築様式史は、古代ローマ建築においてアーチ、ヴォールト、ドームが登場したことはむろん強調するものの、ドリス、イオニア、コリントの3種の「オーダー」が、ギリシアからローマへと継承されたことに代表されるように、「形式」の同一性によって両者を同一の範疇に入れて語ってきたといえよう。

だが興味深いことに、両者の「素材と構築」に着目したとき、そこには大きな違いを見出すことができる。古代ローマ建築の特徴が「コンクリート」ならば、古代ギリシア建築の特徴には「鉄」を挙げることができるからだ。

古代ギリシアの組積造には、そもそもほかの時代と異なる特徴がある。それは、石材と石材の接着にモルタルを用いない「空積み」によって構成されるものが多いという点だ。むろん、実際にはさまざまなヴァリエーションがあることから、すべてを単一の特徴として説明しきることはできない。だが、古代ギリシアに先行するエジプトでも組積造には主にモルタルを用いていたし、ギリシア建築を継承したと考えられがちなローマ建築においても、モルタル、そしてローマン・コンクリートの構築術を発展させたことに比べると、ギリシアにおける巨石を用いた空積みの構築術は、きわめて特徴的である★1

古代ギリシア建築においては、石材をモルタルで固定する代わりに、水平方向に並ぶ石材を鎹(かすがい)状の部材で固定し、垂直方向に積み上げられる石材を太枘(だぼ)のような部材で固定する方法が採られた。そこで頻繁に用いられたのが鉄(あるいは銅)の部材であり、それらの部材は鉛で包み込まれて、必要な箇所に固定された。

古代ギリシアの建築を語る際には、「アルカイック期」(紀元前8世紀から紀元前5世紀)、「クラシック期」(紀元前5世紀から紀元前4世紀)、「ヘレニズム期」(紀元前4世紀から紀元前30年頃)という様式史的な時代区分で説明されることが多い。さらに長期の視野を持つ考古学的な時代区分によれば、先行する「石器時代」「青銅器時代」があり、アルカイック期、クラシック期、ヘレニズム期はすべて、続く「鉄器時代」に包含されることになる。すなわち私たちが古代ギリシアの建築といったとき、それは考古学的には「鉄器時代」の建築ということになるわけだ。ただし、建設技術としての鉄の使用はすぐに普及したわけではなく、ヘレニズム期になってようやく一般化したようである★2

上述のとおり、古代ギリシアの建築では組積造建築を、モルタルを用いない空積みによって構築する点が特徴的であった。そして積み上げた石材がずれないように固定するための重要な部材こそが、鉄の鎹や太枘だったわけである。

たとえば、壁を構成する石材を積み上げていく際には、隣り合う石材を固定するために、両端がT字やL字(Γ:ガンマ)になった金具(fig.1中のFIG.67-69)、あるいはホッチキス状(日本の鎹に似た形状)(Π:パイ)の金具(fig.1中のFIG.70)、日本の木工の伝統のなかでも用いられる「千切り(ちぎり)」によく似た形状のリボン状の金具(fig.1中のFIG.71〜72)などが用いられた。水平に並ぶ石材をつなぐ場合には、石材の上面に金具に合わせた形状の窪みを彫り込み、鉄の鎹をそこに設置してから、熱で溶かした鉛を流し込んだようである。鉛が冷えて固まれば、石の窪みと鉄部材の間に生じた隙間を埋めることができる。鉄と石材の隙間を柔らかい鉛で充填することにより、わずかなずれにより鉄が石を損傷させることを防ぐ効果があったものと考えられる。また、こうして鉛で被覆された鉄には、錆び防止の効果も期待できたようだ★3。鉄筋コンクリートに類比して考えれば、鉄材の錆びによって生じる爆裂の防止ということになるだろう。

fig.1──古代ギリシア建築に見られる「鎹」のさまざまなタイプ
引用出典=Harold North Fowler, James Phillips Stevens, A Handbook of Greek Archaeology, American Book Company, 1909, p.106.

fig.2──「千切り」状の鎹のために設けられた石材上面の窪み
引用出典=Marie-Christine Hellmann, L'architecture Grecque, tome 1, Les principes de la construction, Picard, 2002, p.94.

石材の垂直方向の積み上げについても、さまざまな形状の金具が用いられた。円柱のように、ドラム状の石材を積み上げる場合には、特に単純に軸を固定する太枘の手法が適していた。この場合にも詳細に見ればさまざまなやり方があったようで、たとえば円柱の石材が回転してしまうことを防ぐために、複数の太枘を用いる場合もあったようだ(fig.3の写真右)。

fig.3──円柱に設けられた太枘のための穴
引用出典=Roland Martin, Manuel d'architecture grecque, 1965, Pl.XXV.

壁体の建設の際には、上下に積み重なる石材と金具の組み合わせは、もう少し複雑になる。上記の通り、水平方向を鎹で固定することも必要となるため、立体的に複雑な組み合わせが生じてくるわけである。

もっとも単純なタイプの太枘は、直方体状のピンであり、これは単に上下に並んだ石材のずれを防ぐために用いられる。fig.4において、FIG.60、62、63、65、66は、いずれも単純な形状の太枘の例である。ここで興味深いのは、溶かした鉛を流し込むための経路が、石材に設けられた溝や穴として存在している点である。石材上面に設けられた窪みに設置される鎹の場合には、上から容易に鉛を流し込むことができるが、太枘の場合には、石材を立体的に積み上げた後に、溶かした鉛を流し込む必要がある。そのため、このような工夫が必要になったわけである。この構築方法から、溶かした鉛で鉄材を被覆することには、錆防止の役割だけではなく、隙間を埋めてがたつきを防止する役割も、同様に重視されていたことが理解できるだろう。

fig.4のFIG.61に示されているのは、T字が立体的に立ち上がったような形状の太枘である。fig.5では、同様の部材が「垂直方向を繋ぐ鎹(vertical connection cramp)」と説明されている。すなわちこれは、水平方向のずれと垂直方向のずれを同時に防ぐための部材ということになるだろう。FowlerとStevensの『A Handbook of Greek Archaeology(ギリシア考古学ハンドブック)』においては、壁の隅部で用いられ、コーナーの石の2方向のずれを防ぐものと説明されている★4

同様にfig.4のFIG.64で示されているのは、fig.1中のFIG.67で示されているL字の鎹の応用的な設置法ともいえる手法であり、この部材も垂直方向と水平方向のずれを同時に防ぐものになっている。

fig.4──古代ギリシア建築に見られる「太枘」のさまざまなタイプ
引用出典=Harold North Fowler, James Phillips Stevens, A Handbook of Greek Archaeology, American Book Company, 1909, p.105.

fig.5──壁体を構成する石材と鉄部材の組み合わせ方
引用出典=Carmelo G. Malacrino, trans. by Jay Hyams, Constructing the Ancient World: Architectural Techniques of the Greeks and Romans, Paul Getty Museum, 2010, p.107.

以上のように、古代ギリシアの神殿建築の構築術において、さまざまな鉄部材が重要な役割を果たしていたということは、興味深い事実である。従来の西洋建築史では、ギリシア建築の特徴的な形態、平面形式、さまざまな用途(機能)といった観点からの理解が中心で、本稿で確認したような構築術の観点はあまり語られてこなかった。しかし「素材と構築」という観点から歴史を振り返れば、そこには新たな建築像が浮かび上がってくることがわかるだろう。

様式史的な観点からすればギリシアとローマは連続に見えるが、構築史的な観点からすればギリシアとローマのあいだには、大きな断絶が感じられる。古代ギリシアの鉄の構築術は、ローマ、そして中世ヨーロッパに、どのように継承されていったのだろうか?

古代から中世へ

ギリシア建築で発展した組積造と鉄の組み合わせによる構築術は、ローマ建築にも継承されたのだろうか。実際のところ、鉄の技術は古代ローマ建築にも継承されていたと思われる。たとえばローマで多用された大理石円柱の固定には、鉄の太枘が用いられることも多かった。だが全体的に見れば、ローマの構築術は、ギリシアとは異なる方向を目指したといえる。それはギリシア的な巨石を用いた組積造から、煉瓦のような小スケールの部材で構成される新たな組積造への変化であった。

組積造において積み上げられる部材が小さくなったことによって、一つひとつの石のブロックを鉄の鎹で固定していくようなギリシア的構築術よりも、積み上げられた無数の煉瓦からなる壁面全体を一気にモルタルで接着するような構築術が、ローマでは発展することになったわけである。

すでに連載第6回で見たとおり、古代ローマにおける壁は、2枚の石積み(煉瓦積み)の壁面と、それらの間に流し込まれたモルタルと粗石(カエメンティキウム)から成立していた。このローマ的な壁の構築術と比較してギリシアの壁構造を説明したウィトルウィウスは、次のように述べている。

ギリシア人は、実は、そうではなく、平を置いてその長手を交互に厚みの中に据え、中身を充填するのではなくて表積みから連続している厚さ一様な壁を固める。その上、厚みいっぱいにわたる一本の表積み石をところどころに配置する。それをかれらはディアトノイと呼ぶ。これが主として連結することによって壁の強さを確実にするのである。
──ウィトルウィウス『建築書』(II-8-7)★5

fig.6──古代ギリシアにおける壁体の石の積み方
引用出典=Carmelo G. Malacrino, trans. by Jay Hyams, Constructing the Ancient World: Architectural Techniques of the Greeks and Romans, Paul Getty Museum, 2010, p.99.

すなわちウィトルウィウスにとって、ギリシアの壁構造の特徴は、鉄部材の補強によって成立しているという点ではなく、二重壁と充填材のサンドイッチ構造になっていない、という点であった[fig.6]。ローマ人から見たときには、このような石材の積み上げ方こそ、ギリシア的に見えたということであろう。一方、ローマ的な積み方といえば、連載第6回で見たような、オプス・インケルトゥム、オプス・レティクラトゥム、オプス・テスタケウムなどであった。それらの石材や煉瓦の積み方が、ローマン・コンクリートの構築術と密接に関係していたことは、すでに見たとおりである。

一方で、巨石積みのギリシア的な組積造と密接に結びついていたはずの鉄材の使用は、ウィトルウィウスにとって、必ずしも「ギリシア的」とは見えなかったようである。ウィトルウィウスが彼の『建築書』のなかで、鉄と鉛による石材の固定法に言及するのは一カ所のみである。そこでは、モルタルや石材の質が悪い場合に、「石灰が砂から離れて粉々になると同時に、割り石はこれらと固着していることができないで、長年のうちには壁が崩れ落ちてしまう」ために★6、次のような解決法もあるとして、この金属を用いたやり方を説明している。

表層は鉄の鎹と鉛を用いて連結される。このように、雑然とでなく整然と造られた壁体は欠陥なく長く保つことができるであろう。なぜなら、それの合い口も目地も互に落ちついて継ぎ目で連結されて、壁体はせり出すことなく、また表層も互に結ばれていて滑り落ちることがないから。
──ウィトルウィウス『建築書』(II-8-4)★7

ウィトルウィウスにとって、ここでも重要なのはコンクリートの構築術だったといえるだろう。鉄はその補助的な役割として、わずかにその有用性に触れられただけだったわけである。

中世の修道院や近世の建築家たちによって読み継がれてきたウィトルウィウス『建築書』に、ギリシアの鉄材の用例があまり積極的に説明されなかったことは、古代ギリシアの鉄を用いた構築術が、「知的レベル」では、その後のヨーロッパ建築にほとんど継承されなかったことを意味しているといってもいいだろう。実際、古代ローマ以降の中世建築の伝統のなかでは、少なくともその前期にあたるロマネスク時代には、ギリシア的な鉄の用例はほとんど発展しなかったようだ。組積造を構成する石材の積み方も比較的乱雑だったロマネスクの建築においては、石材同士を鉄の鎹で繋ぐような構築術は、ほとんど不要だったわけである。

だが12世紀頃になると、再び建築の構築術において、鉄が重要な役割を果たすようになってくる。鉄のリバイバルの時代の到来である。


201906

連載 アーキテクトニックな建築論を目指して

第8回:西洋建築史に見る鉄のテクトニクス第7回:仕上げのテクトニクス、表層のマテリアリティ第6回:歴史のなかで、コンクリートの尻尾を掴む第5回:21世紀のアール・デコラティフ(後編)第4回:21世紀のアール・デコラティフ(前編)第3回:建築史学の現代性第2回:マテリアリティとは何か?第1回:素材と構築が紡ぐ建築史
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