平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ

八束はじめ(建築家、建築批評家)+市川紘司(建築史家)+連勇太朗(建築家)

建築家の職能はどこまで切り分けられるか──リアリズムとコンフォーミズム

八束──プラットフォームを問題にするならば、建築教育のことに触れないわけにはいかないでしょう。今の日本の建築学科の教員のほとんどはそれまで自分たちがやってきたことに何の疑いをもっていないし、自分が得てきたものを学生に効率的に伝達していくことへの熱意はあっても、既存のフレームワークを越えようとはしませんね。国土交通省からの要請で、カリキュラムががんじがらめになり、今ここで議論しようとしている「建築」を殺そうとしているようにも思います。まさにコンフォーミズムが跋扈しています。

市川──カリキュラムの自由度が低いことで、メタアーキテクト的な振る舞いを教えるような余地が単純になかなか取れないように見えます。ただ、多くの建築学生はもっと一般的に、われわれの世界や生活を成り立たせている容れ物としての個別の建築や都市に興味があることが基本です。その関心に応えなければならないとは素朴に思いますが。

八束──クラシックな建築家像は放っておいても生き残りますよ。需要があるわけですから。じつを言えば、昭和世代の僕もそういう「建築」にはいまだに惹かれるものがあることは否定できません。ただ、最近の若い子はそもそも大文字の「建築」に興味がないと思います。芝浦工業大学で僕の後任をやっている西沢大良さんが『新建築住宅特集』2019年1月号の総評で、最近の建築家による文章の稚拙さを嘆いていました。無知(と言うときついかもしれないけど)のうえに市川さんの言う多くの建築学生の興味が築かれていて、それから社会性などと言われると昭和世代的にはなんだか釈然としませんね。それは日本に限らない問題で、ハーバード大学で丹下健三をテーマに博士論文を書いた中国人の友人が、バンクーバーのブリティッシュコロンビア大学の建築学の教員に誘われてアプライしようとしたのですが、向こうの教員と話をしたら話題は環境とソーシャルジャスティスばかりでうんざりしてやめたそうです。僕のいた芝浦工業大学も、SDGsの問題が大きく取り沙汰されています。それ自体が悪いとは言いませんが、批評性をもたず真面目に取り組むだけでは思考停止に陥りますし、そうした学生が社会に進むのは絶望的です。


市川──学生が「建築」に興味がない、と一刀両断することは僕にはあまりできませんが......。卒業設計などを見ても、既成のビルディングタイプを再編成しようとか、都市を変えうるほんのわずかな糸口でも見つけようというプロジェクトは多いですし、それはやはりコンフォーミズムというよりは、「建築」を再検討すること、それを通じて現実を少しでも変革しようとする批評的な姿勢の現れだと思います。「ささやか」ではあるかもしれませんが。とはいえ、社会を「みんな」と平均値でくくったり、真面目なヤツが現状追認するだけのような態度を「リアリズム」と言うことは批判したい。マーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』(セバスチャン・ブロイ、河南瑠莉訳、堀之内出版、2018)でまさに言っていることですが、今の世界には「この道しかない」というある種の諦念が蔓延していて、それとは異なる現実の可能性を立ち上げることが困難になっています。でも、そのうえで、この現実と徹底的に付き合いながらそれをわずかでも組み替えたり、あるいは別の現実を立ち上げようとする試みもまた「リアリズム」のはずで、そういうリアリズム的実践のバリエーションを考えていくべきだと思っています。

八束──資本主義(キャピタリズム)とリアリズムには両方「イズム」という言葉がついていますが、少なくとも資本主義は、共産主義や社会主義と違って、思想ではなく状態のことです。リアリズムは思想と状態の両方あって、芸術運動や文学としては前者ですが、後者は現状追認でもあります。主体不在の気持ち悪い「イズム」が徘徊しているのがポスト冷戦の状況で、それに対してどう対応していくかが問われています。

市川──レム・コールハースは、まさにその得体の知れない状態としての資本主義リアリズムに徹底的に向き合うことで建築は逆に歪んだり更新される、というリアリストの態度ですよね。建築家という主体が「イズム」をもつのでは必ずしもない。以前、丸山洋志さんにお話を聞いたことがありますが★6、『錯乱のニューヨーク』(鈴木圭介訳、筑摩書房、1999、原著=Delirious New York: A Retroactive Manifesto for Manhattan, Oxford University Press, 1978)によって「建築理論」が終わったとおっしゃっていたことが印象的でした。ここ言う「建築理論」とはなんらかの危機的状況を建築が解決する可能性を提示するもの、というような意味でしたが、『錯乱のニューヨーク』にはそれがまったくないと。確かにコールハースがあの本で行ったのは、資本主義都市の象徴であるニューヨークで生成された奇妙な建築の観察であって、それをなんらか解決することではない。コールハース的リアリズムは「ポスト冷戦=平成」の建築の通奏低音だと言えますね。

八束──でもレムの射程はそんなに短いものじゃないでしょう。彼は歴史に関心があるし、建築物がある限界を越えて大きくなると善悪の彼岸にいくとニーチェ風に言いのける「ビッグネス」の人ですから、「ダーティ・リアリズム」です。僕は『錯乱のニューヨーク』はおもしろい本だと思いますが、ロバート・ヴェンチューリらの『Learning from Las Vegas』(MIT Press、1972)を越えているかと問われればそうではなく、レムのその後の本のほうがエポックメイキングだと思っています。

市川──コールハースの射程が短いなどとは僕も思いません。コールハース的リアリズムが矮小化・陳腐化された先にコンフォーミズムがあるのでは、という考えです。

──私はここであえて、建物を設計する建築家と、最終的な成果を建物にこだわらず社会システムまでを含めてデザインしようと試みる建築家がいるなら、このふたつを(同じ建築家だけど)職能として切り分けることを提案したいと思います。

世の中全体としては、各専門性が島宇宙化して、コミュニケーションが切れている状態です。そうしたなかで、建築固有の知の蓄積は守りたいし、専門性内部での閉じた議論にも価値はあるので、それはそれで保存したい。ただ、そうした個別の建築の実践だけでは社会の話はできないので、先ほど挙げたような大髙正人を評価するような枠組みが必要であり、その枠組みをもとにした教育が求められます。それらは既存の建築論とは別ジャンルのものとして定義し、切り分けて議論する必要があります。実践的・直接的な都市や社会へのアプローチは、やはりそれ相応のテクニックやテクノロジーが必要で、他方、個別の実践、建築家コミュニティ内での作品や作家性にも相応の機能や役割があるわけですし、社会変革という意味においても人々の想像力を変えていく可能性があるという意味で有効です。じわじわとあとから効いてくる類のものだと思いますが。社会において文学が有効なのだとすれば、それと同じですね。


市川──メタアーキテクト的な活動と、いわゆる作家的な建築家の活動の両方に別の価値を見る、というのは僕もとても共感します。ただ、そこまで切り分けるべきでしょうか。建築教育のカリキュラム設定の問題とか、どれくらい解決できるかは現実的にはわかりませんが、個人的には切り分けるよりはそれぞれ建築論として一括して捉えておきたい気持ちです。例えばリアリズムの深度の違い、というようなかたちで捉えられないでしょうか。例えば、映画には「リアリティライン」という考え方があるそうです。映画内リアリティの下限を設定する基準線のようなもので、この設定さえしっかりしていれば、低予算のモキュメンタリーでも、きわめて空想的なSF映画でも、別のかたちで「リアリティがある」と感じられる。メタアーキテクトも作家的な建築家も捉えようとしている、コミットしようとしている現実のセッティングの高さ・低さが違うだけで、「建築」という手段を介して現実にコミットしているという点では通底する、という考え方のほうが、建築カルチャーが痩せ細っていかないのではと思うのですが。もちろん、コンフォーミズム的振る舞いは避けるべき、という前提のうえで。

──当然、建築カルチャーとしてはグラデーショナルに存在していることが豊かさになるのとは思うのですが、戦略的に今の建築と、今日ここで議論した建築のあり方は切り離したほうがいいのではないかと思います。今までは前者に軸足があったので、ズルズルやるとあまりにもそちらに引っ張られすぎてしまいます。実際は私も葛藤があるわけで、もっと自由に発想してもいいんじゃないかと思うことがありますが、しかし建築家の哲学やメンタリティを変えなければいけないし、「建築設計」や「大文字の建築」の延長で考えていてはいけません。ただ、理論や哲学のレベルでは、歴史的な整理や、過去の言説や実践との文脈を丁寧につくっていく必要があると思います。両者が融合するとしたらその作業を経てからでしょう。

市川──その作業をぜひやりましょう。僕としては、単純に、そのような想像力をテーブルの上に載せられるように建築の考え方を再構成していけばいいのではと思うのですけどね。学部生の頃に磯崎新『建築の解体』(美術出版社、1975)を読んだとき、ハンス・ホラインの「すべては建築である」という言葉を知って衝撃を受けたのですが、自分の考え方はすべてそこから出発している気がします。今、大学で一年生の教育に関わるようになって、建築を学ぶことというのはどういうことなのか、みたいなことを改めて考えるようになったのですが、建築(の想像力)を介すれば世界のあらゆる側面に関わることができるし、逆にあらゆる体験が建築を考えることにつながるから、単純に建築を学ぶと「生きること」が楽しくなるよ、ということをよく言っています。だからあくまでも「すべては建築」なのであって、違うのはどの現実を切り取るのか、あとその切り取られた現実とどのように関わるのか、ということにすぎないと思いたい。その付き合う現実の高低を、フェーダーをいじるように主体的にコントロールすることが、ひとまずコンフォーミズムに陥らないために必要なのだろうと思います。それは建築家だけでなく歴史や評論をやる人間も同じでしょうね。ちょっと相対主義っぽいですが、「ポスト冷戦=平成」のさらにあとの建築を考えようとするとき、ひとまずはそのような態度でいることが重要だと思っています。

八束──昭和の人間として、僕は「メタアーキテクト」としてのポジションをなかなか手放せないと感じています。それに若いおふたりに同意していただくことは難しいだろうし、必要もないと思うけど。

おふたりが挙げられるモデルは映画だったり、ビジネス(起業)モデルだったり、アーバニズムだったりもしますが、それは(繰り返しになりますが)どの程度の射程をもちうるのでしょうか。もし短い射程での有効性しかないとしたら、「大きな物語」から「小さな物語」の集合(アジャイル型?)になっていったとしても、アキレスと亀のように、短いもの、それもどんどん短くなっていくのを総計しても長期的な見通し(ヴィジョンそのものですが)にはつながっていかないということにはならないでしょうか。そうなるとアキレスが亀に追いつけないように、平成的なものもけっして終わらないかもしれない。

長期的な見通しなんか知らないよ、というレスポンスはありえなくはないだろうと思いますが、そうなると、僕もそれならいいよ、とか背を向け合うことになってしまいます。僕が批評的言説としてメタボリズムや、今度出す『汎計画学』でロシア革命の時代を取り上げるのは、そういう状況への反発もあるのかもしれません。精神衛生上そういうものを取り上げたほうがいいのよね、きっと(笑)。将来市川さんが歴史家として「平成」を総括するとしたら、結構息苦しいことになりそうな気がします。僕はもういないだろうから、今のうちにご苦労様といっておこうかな(笑)。ちょっと意地悪な言い方ですけど。

市川──でも、現実にはアキレスは快調に亀を追い抜くことができるじゃないですか。バカっぽい返しですが(笑)。アキレスと亀のパラドクスというのは、要するに亀の出発点を目標としてあらかじめ設定することによって生じるものですよね。そうではなく、それこそ「現実」のアキレスが足を回し続ければ亀を追い抜くように、ひたすら仮説とその検証の繰り返し作業をすばやく続けていく必要がある、というのが今日の話だったかと思います。射程がどんどん短くなっていく、という感覚が僕には正直ないです。長期的な見通しがつかない、「大きな物語」が語りえない、というのは単に前提条件だし、「息苦しい」というのも前提条件(こんなに余裕のない社会のなかで息苦しくないわけがない)。でもわれわれは単純にそこから始めるしかないし、ではその場所からどういう建築の考え方であれば遠くにボールを投げられそうであるのか、というのは、ひとまず今日テーブルに上げられたのではないでしょうか。そう悲観的になる必要はないだろうと思いますけどね。

★6──丸山洋志+南泰裕+天内大樹+市川紘司「〈建築理論研究 01〉──レム・コールハース『錯乱のニューヨーク』」「10+1 website」(2013.10)


[2019年3月1日、東京・銀座にて]


八束はじめ(やつか・はじめ)
1948年生まれ。建築家、建築批評家。東京大学大学院修了後、磯崎アトリエを経て、1985年株式会社UPM(Urban Project Machine)設立。作品=《美里町文化交流センター ひびき》ほか。著作=『思想としての日本近代建築』(岩波書店、2005)『ハイパー・デン・シティ──東京メタボリズム2』(INAX出版、2011)『ル・コルビュジエ──生政治としてのユルバニスム』(青土社、2013)『ロシア・アヴァンギャルド建築 増補版』(LIXIL出版、2015)『メタボリズム・ネクサス』(オーム社、2011)ほか。

市川紘司(いちかわ・こうじ)
1985年生まれ。中国近現代建築都市史。明治大学理工学部建築学科助教。東北大学大学院博士課程修了。2013年から2015年まで中国政府奨学金留学生(高級進修生)として清華大学に留学。編著=『中国当代建築──北京オリンピック、上海万博以後』(フリックスタジオ、2014)。共著=『中国的建築処世術』(彰国社、2014)、『20世紀の思想から考える、これからの都市・建築』(彰国社、2016)、『卒業設計で考えたこと。そしていま〈3〉』(彰国社、2019)ほか。

連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)
1987年生まれ。建築家。特定非営利活動法人モクチン企画代表理事、株式会社@カマタ代表取締役、慶應義塾大学非常勤講師、横浜国立大学非常勤講師、法政大学大学院非常勤講師。共著=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017)ほか。


201904

特集 建築の実践と大きな想像力、そのあいだ


平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ
ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る