第7回:仕上げのテクトニクス、表層のマテリアリティ

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

現代建築における仕上げと表層の問題

本連載をはじめてから早くも1年が過ぎ、今回は2度目の4月となる連載第7回である。日差しもすっかり暖かくなり、花粉のことさえ目をつぶれば、散歩が楽しい季節となった。
住宅街を散歩していて、最近、改めて住宅のサイディングが気になってきた。一度、気になりだすと、日本の住宅街の景観、町並みのファサードは、サイディングボードがつくりだしているとしか、思えなくなってくる。それらのサイディングは、色とりどりでデザインもさまざまだが、いかにも安っぽいものもあれば、うまくデザインされていて少々感心するようなものに出会うこともある。
「建築」のことばかり考えていると、サイディングのことなどほとんど目に入ってこないし、建築理論の対象として論じるべきものとは思われないかもしれない 。建築家のディスクールにおいては、頭ごなしに批判されることもしばしばであろう。だが、「建築理論」がごく少数の「建築」だけに適用され、そのほか大多数の町並みのファサードと断絶してしまっていていいのだろうか。サイディングを用いた建て売り住宅的デザインに背を向けて、特殊解としての建築家的デザインを追求するばかりだとしたら、「建築理論」の影響力など、たかが知れていると言われても仕方あるまい。
ではなぜ、建築家はサイディングを嫌うのだろうか? 構造体になにかを貼り付けることを忌避する感覚? それとも、それらのサイディングがしばしば煉瓦風、石積み風、左官仕上げ風など、何かを模していることに対する、偽物を批判するモラリティだろうか? 木造住宅を煉瓦風サイディングで仕上げることと、たとえばガルバリウム鋼板で仕上げることの、本質的な差異はいったいどこにあるのか? それはハウスメーカーや工務店の建売住宅ではないことを示す、建築家の署名に過ぎないのではなかろうか? 同じことは、コンクリート打放し仕上げと、コンクリートにタイルを貼り付ける仕上げの差異についても言えるかもしれない。

本連載でここまで論じてきたことは、こうした形式的で近代的な装飾批判や、虚偽建築論争的なモラリティを超克し、テクトニクスとマテリアリティの観点から、建築理論を再考することである。こうした現代的な問題意識を胸に抱きながら、本稿ではいつもの通り、この論点へと真っ直ぐに飛び込むのではなく、一歩も二歩も引いた視点からこの問題を俯瞰的に論じるために、建築史の2000年のスパンから、この問題を考えてみたい。

古代ローマのプラスター/スタッコ仕上げ

前稿「歴史のなかで、コンクリートの尻尾を掴む」でも、「煉瓦の表層+コンクリート充填」壁の素材と構築を理解するために、古代ローマのウィトルウィウスに頼ったわけだが、今回もまた、ウィトルウィウスを参照することから始めてみよう。ローマの壁構造の表層の仕上げについて、ウィトルウィウスは彼の『建築書』第7書において、詳細に説明している。

できるだけ粗く壁に下塗り(trullissentur)が施される。その後で下塗りが少し乾いた時、その上に砂入りの(中)塗りが(...中略...)形づくられる。(...中略...)(中塗りは)少し乾いたら二度三度と塗重ねられる。こうして砂入りの層がだんだん固まると、それによって上塗り(tectorii)の硬さが年を経るにつれていよいよ強くなるであろう。
下塗りの他に(中塗りが)少なくとも三層に砂入りでつくられたなら、こんどは大粒大理石(marmore graneo)の層が付けられるべきである。(...中略...)大粒層が施されて乾くと、別の中粒層が塗られる。それが施されてよく擦られた時、細粒層が塗られる。こうして、三層の砂入り層と三層の大理石入り層で壁が固められる時は、亀裂その他の欠陥がそれに起こりえないだろう。
──ウィトルウィウス『建築書』VII-3-5,6★1

ウィトルウィウスが説明した壁面仕上げをまとめると、次のようになる。

下塗り:粗めのモルタル仕上げ
中塗り:きめ細かい砂入りのモルタル仕上げ
上塗り:大理石粉末を混ぜたモルタル仕上げ


この壁面の仕上げは、前稿で見た古代ローマのコンクリート構造のことを考えると、よりよく理解できるだろう。古代ローマでは、石材や煉瓦の表層壁でカエメンティキウム(粗石+モルタル)を挟み込む壁構造が主流だった。その表層の、特にインテリア側の壁面で、積層された煉瓦のゴツゴツとしたマテリアリティを覆い隠すように、何重にもモルタルを塗り重ねることで、滑らかな質感の壁面へと変貌させたわけである。なかでも大理石の粉末を混ぜ込んだモルタルは、磨き上げれば磨き上げただけ、硬く滑らかな、大理石そのもののような質感を獲得しえたのである。
後述するように、ルネサンスの建築家たちは、大理石を混ぜ合わせたモルタル塗りのことを「ストゥッコ(スタッコ)」と呼んだ。だがウィトルウィウスはこれをストゥッコとは呼んでいない。じつはルネサンス期のイタリア語で定着した"stucco"の語源はラテン語にはなく、「外皮、かけら、断片」などを意味するゲルマン語の"stukki"にあったからである。ウィトルウィウスはその代わりに、壁面仕上げの「塗る」という行為をラテン語で"trulliso"と呼び、またその仕上げを"tectorium"と呼んでいる。
現代語において、これらの仕上げについて論じる際には、たとえば英語圏では"plaster"★2と"stucco"の2語を使い分けて論じることが一般的である。日本語では、カタカナを用いなければ「漆喰」の1語があるのみだ。だが日本の伝統的な素材である漆喰は、西洋で用いられる仕上げ材と同系統の素材ではあるものの、厳密にはウィトルウィウスが論じたマテリアルとは分けて考える必要があるだろう。そこで本項では、西洋の事例を説明するうえでは「漆喰」の訳語を用いないこととする。
 一方で、英語で「プラスター」と「スタッコ」と使い分けた場合にも、両者の定義は必ずしも明確ではない。一般的にはプラスターが内装、スタッコは外装という大まかな区分けのニュアンスもあるようだが、むろんスタッコを内装に用いることも多い。また、マテリアルとして見たときには、「プラスター」は石灰と砂をベースとしたモルタルを指し、「スタッコ」は石灰、石膏、大理石の粉を混ぜ合わせたものを呼ぶのが一般的である。だがそれすらも、必ずしも厳密な定義というわけではなく、両者はよく似た境界の曖昧なマテリアルと見るべきであろう★3
ウィトルウィウスに戻ると、彼はほかに"albarius"という語も用いている。この言葉は、"albus"(白)あるいは"albarō"(白くする)から転じた語と考えられ、すなわち壁を白く塗ることを指す。森田慶一氏はこの語を「スタッコ塗り」と訳している。白い大理石の粉を混ぜた上塗りを磨き上げれば、白く輝く壁面ができあがる。マテリアルとしてはたしかにスタッコであり、その効果は壁面を「白くすること」だったわけだ。 壁面の仕上げには、さらに別の手法もあった。

堅固に固められ大理石の白さに磨き上げられた層は、研磨と同時に色彩を施すと、光沢のある輝きを発する。色彩がしめっている上塗りに注意深く施される時は、消失しないでいつまでも永続する。
──ウィトルウィウス『建築書』VII-3-7★4

上塗りが乾いていない「フレッシュ」な状態で、色彩を施す手法。これが「フレスコ」と呼ばれる手法である。ウィトルウィウスによれば「このように正しくつくられた上塗りは年が経っても風化することなく、拭っても色彩を失うことがない」のだという★5。よく知られたフレスコの技法もまた、一連の壁面の仕上げとして見ることが可能である。

以上のような「白くする」仕上げや「色彩を施す」仕上げに加えて、プラスターやスタッコの仕上げには、立体的で彫刻的な仕上げも存在した。たとえばウィトルウィウスは、室内仕上げにおけるヴォールト天井の下縁にめぐらせるコローナ(コーニスの一部を成す突出部)について、次のように説明している。

円筒天井が研ぎあげられたなら、その下にコローナが付けらるべきである。それは特に軽快に繊細につくられるのが適当だと思われる。それが肥大である場合には、重さのために下に引かれて自分を支えることができない。これには石膏は少しも交ぜらるべきでなく、一様に篩分けられた大理石粉でつくらるべきである(...中略...)コローナのうち、あるものは平滑でありあるものは浮彫りが施される。
──ウィトルウィウス『建築書』VII-3-3,4★6

このような彫塑的な仕上げが、壁面を平滑に仕上げる仕上げと、まったく同種のマテリアルを用いて実現されていたわけである。むろんそのモルタルは、壁面の塗り仕上げに用いるものと比較して、最上級ともいうべき質を有している必要があっただろう。完成した彫塑的な装飾は、大理石のような硬さを有し、壊れることなく長い時間に耐えることができた。ウィトルウィウスは石膏は少しも混ぜるべきではなく、篩(ふるい)にかけた細かい大理石の粉だけを混ぜるべきと論じたが、歴史上の実例を見ると、大理石粉末に石膏を混ぜたモルタルも多く用いられたようだ。
こうした材料をブレンドした上質のモルタルを壁面の必要な箇所で凸状に厚塗りし、それが固まる前にテンプレートを用いて余計な部分を掻き取りながら直線状の装飾をつくればそれが刳り型になるし、判子のように型押ししていけば、容易に浮き彫り(レリーフ)装飾をつくることができたわけである。

以上のような、壁面を白く塗る仕上げ、壁面に色彩を施す仕上げ、刳り型やレリーフを施す仕上げなど、さまざまな仕上げが石灰(モルタル)ベースのマテリアルを用いて、古代ローマの建築を彩っていた。そしてそれらの手法は、古代から中世、そしてルネサンスへと継承されていくことになる。

中世建築に見るフレスコ彩色壁面仕上げ

ここではまず、フレスコ仕上げのような、壁面に色彩を施す仕上げについて、いくつかの実例を取り上げながら考えてみよう。特に中世の建築では、壁の表面をモルタル塗りで仕上げる例が多く見られる。
はじめに、ヴェローナのサン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂を見てみよう。これはイタリアのロマネスク教会堂のひとつとして、よく知られた建築である。この聖堂は、ファサードを見ると切石で覆われているのだが、側面を見ると切石と煉瓦が交互に積まれて層をなし、独特の縞模様をつくりだしている[fig.1]。この縞模様はインテリアの壁面にも同様にあらわれており、床の敷石や柱頭彫刻などで使われる赤みがかった大理石の効果も相俟って、白と赤のコントラストが効果的なインテリアをつくりだしている[fig.2]

fig.1──ヴェローナのサン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂。中庭側から見た聖堂側面の縞模様の壁(筆者撮影)

fig.2──同インテリア(筆者撮影)

こうした表層の石材や煉瓦そのものが、ここでは美しく特徴的なマテリアリティを成しているのだが、この聖堂の側廊や内陣、地下礼拝堂(クリプト)を歩き回ると、そこには無数のフレスコ画を見出すことができる[figs.3, 4]。さまざまな聖人たちが描かれたこうしたフレスコ画は、建築史分野ではほとんど顧みられることがない。通常、こうしたフレスコ壁画は、美術史の図像学的な分析などに任されてきた。建築的な議論のなかでは、「補助的な装飾」に過ぎないものとして、存在しないものとして扱われるばかりだったように思われる。


figs.3, 4──サン・ゼーノ・マッジョーレ聖堂の側廊の壁面に描かれたフレスコ画(筆者撮影)

たしかにこれらのフレスコ画は、壁に掛けられた額縁の絵画ような存在に過ぎないかもしれない。しかし本連載でここまで論じてきたように、壁紙やタペストリー、あるいはアドルフ・ロースが論じたように壁の四周に掛けられた絨毯すらも空間を特徴づける重要なマテリアリティだったとすれば、フレスコ画もまた、きわめて重要な建築的要素だったはずなのだ。そのうえ、その製法を考えれば、フレスコとは壁面表層の仕上げでもあったわけであり、そもそも建物と壁画とを分けて考える必要はあるまい。そう考えると、壁の一部にまばらにフレスコ画が配されたヴェローナのサン・ゼーノ聖堂の場合であろうと、あるいはたとえば14世紀初頭にジョットが描いたフレスコ画で壁面から天井まで埋め尽くされているパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の場合であろうと[fig.5]、その印象は大きく異なるものの、構築とマテリアリティの関係からいえば、本質的な差異はないと言えるかもしれない。

fig.5──パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂のインテリア。ジョットが描いたフレスコ画で埋め尽くされた壁面とヴォールト天井(筆者撮影)

ただし、そうは言ってもスクロヴェーニ礼拝堂は、ジョットのフレスコ画こそが主役であり、建物そのものがそのために建てられたと言ってもよいだろう。ここではフレスコ画が主、建物は従である。建物は、絵画の画布として建設されたようなものであり、やはり特殊な事例と言えるだろう。
それと比べると、ヴェローナでは建物が主、フレスコ画は従である。内陣ではヴォールトのリブを額縁として、ある種の全体計画に基づいてフレスコ画が描かれている。一方、側廊のフレスコ画は、まったくもって場当たり的な様相を呈している。大きさも、揃っているところがあるかと思えば、不揃いの箇所もある。そればかりか、後から壁に開口が設けられたのか、扉口によって壁画の一部が欠落してしまっている箇所すらも見受けられる。こうした「時がつくる建築」的な建築の時間変化と、それによって壁画にもたらされた改変を考え合わせると、やはり、これらの壁画はあくまで建築の仕上げなのだ、ということを改めて認識させられる。たとえば有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》[fig.6]は、ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれた壁画だったが(ただし厳密には、これはフレスコ画というよりはテンペラ画であり、本来壁の仕上げとして用いられる絵画技法ではなかった)、後世の建物の改変により壁に扉口が設けられ、その結果、テーブルの下のキリストの足の辺りが描かれた部分は失われてしまっているのだ。これほどまでに有名な絵画すらも、建築の時間変化とともに変化してしまうという事実は、額縁のなかの絵画作品ばかりに見慣れた私たちにとって衝撃的だ。

fig.6──ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂に描かれた、レオナルド・ダ・ヴィンチ《最後の晩餐》(筆者撮影)

拙著『時がつくる建築──リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会、2017)では、建築とは本質的に時間のなかで変化するものである、ということを論じたが、建築の一部である壁画もまた、その影響を必然的に受けざるをえないのである。このあたりにも、壁画を独立した美術作品としてではなく、建築の仕上げとして見る可能性が隠されているように思われる。ここまで何度も論じてきたように、従来の(アルベルティを誤読した)建築論は、後から付加されたものすべてを「装飾」と断じ、それは建築にとって補足的で補助的な、すなわち本質的ではないものと論じてきた。建築を飾る、柱頭の彫刻も、壁のフレスコ画も、建築の本質とは関係のないものとして、美術史の分野に譲り渡してきたわけである。
しかしながら、現代建築においても近年さまざまな場面で盛んに挑戦されている、建築の仕上げの挑戦や表層のマテリアリティの実験を単なる流行として片付けてしまうのではなく、建築の可能性を拡げる重要な試みと考えるならば、これらの建築の仕上げを歴史のなかで理解することは重要なことだろう。そればかりか、フレスコの壁画を建築の仕上げ材として論じることが可能なのは、美術の領域ではなく建築の領域だけだろうと思うのである。

もうひとつの実例として、南仏のトゥールーズのサン・セルナン大聖堂を見てみよう。この大聖堂でも、古代ローマ的な煉瓦の平積みを主とした構造を見ることができる。
大聖堂内部で、その組積造の手法を観察してみると、平瓦の煉瓦と合わせて、切石がところどころに用いられ、ここでもヴェローナのサン・ゼーノ聖堂のような煉瓦の赤と切石の白が縞模様を成していることがわかる[fig.7]。ただし、トゥールーズでは壁を構成する大部分は煉瓦なのだが、全体が薄くモルタル(プラスター)で上塗りされているため、ヴェローナのインテリアでは強調されていた「赤」の存在感が抑えられ、全体的にピンクがかった淡い色合いがひろがっている[fig.8]

fig.7──トゥールーズ、サン・セルナン大聖堂。支柱を構成する煉瓦と切石のディテール(筆者撮影)

fig.8──トゥールーズ、サン・セルナン大聖堂。身廊立面(筆者撮影)

また、ヴェローナでは煉瓦の層と切石の層とが強烈な水平線を生み出していたのに対し、ここサン・セルナン大聖堂では、水平線があまり強調されず、たとえば身廊に面した半円の付け柱などで分断される箇所も多い。そのため、遠目に見ると煉瓦4枚分程度のまとまりと、切石1個分のまとまりがだいたい同じくらいの大きさに見えることから、漫然と見ているだけでは、白っぽい切石とピンクがかった切石をランダムに積んだ切石組積造建築と錯覚しがちである[fig.9]
その感覚をさらに強調させているのが、身廊から内陣側を眺めたときに見えてくる壁の仕上げである。交差部のアーチ左手の支柱にはさまざまな色合いの切石が規則的に並べられ、美しいデザインを生み出しているが、よく観察すれば、下のほうで上塗りのモルタルが剥げ落ちていて、下から煉瓦組積が露出していることに気づくだろう[fig.10]。右側の支柱と同様の構造だとすれば、左側の支柱の大部分は、煉瓦の平瓦を積んでつくられているはずなのである。

fig.9──トゥールーズ大聖堂。身廊から内陣方向を見る(筆者撮影)

fig.10──交差部の支柱に描かれたカラフルな切石積み風のデザイン。下部でモルタルが剥がれ、下地の煉瓦積みが露出しているのが見える(筆者撮影)

つまり、これもフレスコ画と同様、壁面仕上げのモルタル上塗りに描かれた「絵画」なのだ。ただしここではその画題が聖人ではなく、カラフルな組積造の目地だったというわけである。
またその上部のアーチは、煉瓦4枚のグループと白い切石を交互に積み上げて、市松模様になるように構成されているように見えるだろう。だがじつは、これもまた「描き目地」である。このような「アーキテクトニックな仕上げ」とも呼ぶべき表層のデザインは、じつは古代ローマ時代から見られるものだったらしい★7。「描き目地など偽物に過ぎない」と斬って捨てることは簡単だが、現代のサイディングにおける煉瓦風の表層や、プリント技術の向上によってますます本物そっくりになっている木目調の表層のことを議論するうえでは、古代以来のモルタル(プラスター)の仕上げのバリエーションを考えることは、大きなヒントを与えてくれるものと思う。

  1. 現代建築における仕上げと表層の問題/古代ローマのプラスター/スタッコ仕上げ/中世建築に見るフレスコ彩色壁面仕上げ
  2. モルタルで塗り籠められる外壁/ルネサンスの立体的な壁面仕上げ/煉瓦躯体の表層に石材を固定する方法/壁構造からフレーム構造へ

201904

特集 建築の実践と大きな想像力、そのあいだ


平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ
ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために
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