第7回:仕上げのテクトニクス、表層のマテリアリティ

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

モルタルで塗り籠められる外壁

建築の外観がモルタル(漆喰)で塗り籠められるという事例は、日本の木造建築でも歴史的に見られるものである。日本では、土蔵にせよ町家の厨子二階(つしにかい)にせよ、あるいは20世紀の木造モルタル住宅にせよ、漆喰やモルタルで塗り籠めた壁の役割は、主として防火・耐火という機能的な役割であった(漆喰の左官仕上げは美しいと思うのに、木造モルタルはあまり美しいと思えないのはなぜだろう?)。
一方、ここまで見てきたように、西洋におけるモルタル仕上げの役割は、主として壁体の保護と美的な配慮にあったと言えるだろう。西洋の組積造建築では、それ自体が耐火性能を有しているので、そのためにモルタルを上塗りする必要はないわけだ。インテリアとエクステリアを比べたとき、室内側のほうにモルタルの仕上げが多く見られるのは、室内の居住性を高める意図があるのだろう。
時折、煉瓦造の工場や倉庫をホテルなどにリノベーションしたものでは、あえて荒々しい煉瓦積みを室内側にも残した例があり、ドキッとさせられることがある。このショックの感覚は、通常の室内空間であればそうした煉瓦積みがモルタル塗りで被覆されることに私たちが慣らされているがゆえに、煉瓦の荒々しいマテリアリティに驚かされて生じるのだ。それは本来居住空間としての用途ではなかった建物が、ホテルや住宅のような用途へとコンバージョンされたがゆえに起こる、リノベーションらしい効果と言えるだろう。
では、外壁の場合はどうだろうか? 外壁の場合、組積造の石材や煉瓦を露出させることと、モルタルで塗り籠めることと、どちらが一般的なのだろう? この問いに一言で答えるのはなかなか難しそうだ。地域によっても時代によっても、さまざまなバリエーションがあるからである。だが、ひとつ言えそうなのは、巨大な切石で構築されたモニュメントの外観が、モルタルで塗り籠められた事例は少なそうだ、ということである。一方、モルタル塗りで外観を仕上げるものとして多く見られるのは、やはり住宅やそれに類する施設であろう。そして、そのような住宅の場合にも、隅石や開口部のアーチや楣石などに用いられている立派な切石だけは、モルタルで塗られずに、あえて露出させる例も多いようだ[figs.11-13]

fig.11──カンピドリオ広場。ミケランジェロがデザインした正面のセナトリオ宮(ローマ市庁舎)のファサードでは、実際にはすべてが煉瓦積みの壁体であるが、黄色いモルタルと白いモルタルとで、壁面部分と大オーダーの付柱(ピラスター)部分とに塗り分けて、表現をしていることがわかる(筆者撮影)

fig.12──フィレンツェのPiazza della Santissima Annunziataに面した建物。左手の建物は切石の露出と赤いモルタル塗り仕上げ。右手の建物は切石の露出と煉瓦壁の露出仕上げ(筆者撮影)

fig.13──パリ旧国立図書館の一部をなす建物(旧テュブフ館)。隅部の切石と赤い煉瓦壁の露出仕上げからなるデザイン。フランスではルイ13世紀様式などと呼ばれる(筆者撮影)

このことが示しているのは、構造体のマテリアルのうち、モルタルによって隠されるものと隠されないものがあるようだ、ということである。その際、モニュメントの場合にも住宅の場合にも、整形された切石は露出させる仕上げが多いという傾向が読み取れそうである。逆に言えば、隠されているのは切石以外のマテリアル、すなわち煉瓦積みや乱石積み(オプス・インケルトゥム[opus incertum]、連載第6回図版「fig.13-a」を参照)が多いということになるだろう。
煉瓦造の建物の場合にも、建設を容易にし、その精度を高めるために、隅部や開口部まわりでは切石がしばしば用いられる。小さな煉瓦だけを並べて壁の直線やコーナーの直角を出すよりも、最初に切石を用いて壁の起点となる隅石を定めてから、間を埋めるように煉瓦を並べたほうが、正確な直線、直角を出しやすい。また開口部のアーチを小振りな煉瓦だけでつくることも、もちろん可能ではあるが、大振りな切石が使えるならば、それを用いてアーチや楣構造としたほうが、構造的にも安定するだろう。こうして随所に立派な切石を用いて施工精度が高められた建築デザインは、結果的にモニュメンタルな重厚さをも獲得することになるのである。
このようなタイプの構築方法を用いた建築は、宮殿や都市部の邸宅建築などでしばしば見られるものである。煉瓦部分をモルタルで被覆せず露出させるデザインも多い。
また、筆者が伊藤毅先生を研究代表者とする南仏ラングドック地方の都市・村落・領域の歴史調査に同行させていただいた際に、小さな村や町で詳細に観察した小住宅でも、そのほとんどの家の外壁はモルタルで塗り籠められていた。モニュメントの対極とも言えるようなこれらの庶民住宅では、壁は版築とコンクリートの混淆種のような精度の低いオプス・インケルトゥム構造で、おそらく型枠のなかに粗石とモルタルを流し込んで固めたものであろう。その表面をモルタルの塗り仕上げで保護しているのだが、モルタルが剥がれ落ちた箇所などでは、指で触ればボロボロとモルタルや小石が崩れ落ちてくるほどである[fig.14]。こうした構造では、モルタルの被覆は風雨の浸食から壁体を守るために、必須の仕上げだっただろうことが理解できる。

fig.14──南仏ラングドック地方の小村クリュジーの住宅壁面。モルタルが剥がれ落ちたところから、内部の粗石が露出している(筆者撮影)

だが、こうした構築方法による建物においても、ファサード側ではモルタルの仕上げに目地を描くなど、デザイン的な処理が同時になされていることもあり、モルタルの仕上げはここでもやはり、保護と美的配慮の両面に必要なマテリアルであり、操作であったことがわかるのである。特にこのような小さな村で、上質のマテリアルを使わず、近隣の川辺などから運んできた小石や川砂を主たるマテリアルとして建設された壁構造の場合、モルタルによる被覆は必須であったし、それらが長年の風雨で剥がれ落ちるなどすれば、モルタルを塗り直すというメンテナンスも重要だったはずである。そうしたメンテナンスは、村内の職人などによって、あるいはセルフ・メンテナンス的になされてきたのだろう。
面白いのは、個々の住宅の所有者による歴史のなかのメンテナンスの積み重ねが、ファサードのモルタル被覆にも表れてくるという、あたりまえの事実である。こうしたモルタルの仕上げは混ぜ物をすることで色味を加えることが容易にできるが、住み手の好みが色の違いとして表れてくることもしばしばであり、通りに沿って長屋状にファサードを揃えて並ぶ家並みにおいても、その仕上げの色の違いにより、どこで所有が分かれているのか、一目瞭然となるわけである。建物(室)の所有関係が立体的になると、それがファサードのモルタルの仕上げの違いに表れてくることすらあり、いっそう面白い[figs.15, 16]。そうして生み出される町並みの景観は、いかにも「中世村落」といった様相を呈しているが、じつはそのメンテナンスは現代まで継続されているものだったわけだ。

fig.15──南仏ラングドック地方のカペスタンにて(筆者撮影)

fig.16──南仏ラングドック地方のクリュジーにて(筆者撮影)

以上のような、モルタルをべったりと塗り重ねた平面的で滑らかな壁面は、英語ならばプラスター仕上げと呼ばれることが多い。また、その煉瓦や石積みの壁面にプラスターを塗る行為(特にその下塗り)を「レンダリング」と呼ぶこともある。
現代建築の世界で「レンダリング」といえば、コンピュータの画像処理のなかで、抽象的な3次元情報に質感(テクスチャ)を与える操作のことが、まっ先に思い浮かぶだろう。組積造建築におけるプラスター塗りのレンダリングと、コンピュータの画像処理におけるレンダリングは、リアルとバーチャルの差だけで、基本的には同じものであるように思われる。コンピュータ用語としての「レンダリング」が、プラスター塗り仕上げを直接的な語源として参照したのかどうかは不明だが、いずれも英語の"render"が意味する「表現する」「再現する」といった意味から派生した用法であろう。
英語の"render"の語源となったのは、「元に戻す、返す」を意味するフランス語の"rendre"である。プラスター仕上げも、画像処理のレンダリングも、何度でも「元に戻し」、「再現」可能な手法であったわけだ。それはまさにモルタルを壁面に塗り重ねる「メンテナンス」を指し示す言葉のようでもある。むろん、「レンダリング」という言葉に「メンテナンス」の含意まで読み取ろうとすることには、牽強付会の誹りを免れないかもしれない。だが、前近代的なものづくりのあり方と、デジタル的なものづくりのあり方の重なり合いを指摘したマリオ・カルポの主張と、「レンダリング」の概念が示す3Dレンダリングの再現性とモルタル塗りのメンテナンス性とは、どこか通じ合うようにも思われるのだ。

ルネサンスの立体的な壁面仕上げ

「プラスター」の仕上げが「面」をつくりだすものだとすれば、「スタッコ」の仕上げは彫刻的な立体物をつくりだすものと定義することもできるだろう。ルネサンス建築のファサードを飾るさまざまな彫刻や、コーニスのようなファサードを分節する突出部は、通常は石材を彫刻して制作されたものと考えられがちである。だがじつは躯体が煉瓦造の場合には、表面だけを覆った石材で彫刻する場合と、煉瓦の表面をスタッコで覆い、そこに彫塑的な手法で立体的な造形を施していく場合とがあったようだ。16世紀のフィレンツェを中心に活躍したルネサンス期の重要な建築家・著述家であったジョルジョ・ヴァザーリは、次のように説明する。

どんな種類の装飾の仕事でも、まず切石をつくり、次いで装飾彫りをほどこすという手順でなされないものはなく、それは斑入り大理石や大理石や他のあらゆる種類の石材の場合でも同じことである。また煉瓦の場合でも、その上をストゥッコで覆って装飾彫りをほどこすので、やはり同じである。
──ジョルジョ・ヴァザーリ「序論」(『芸術家列伝』)★8

マテリアルとしてのルネサンス期のスタッコ(ストゥッコ)は、古代の建築家ウィトルウィウスが室内仕上げで説明したモルタルに大理石粉末を混ぜたものと、だいたい同じものと言えそうだ。ただし、ウィトルウィウスの時代のラテン語には、スタッコ(ストゥッコ)に相当する用語が存在しなかったことは、すでに見たとおりである。ヴァザーリはウィトルウィウスよりも詳細に、このマテリアルについて次のように説明していた。

さて次に、ストゥッコの練り方について述べよう。まず、石の鉢のなかで、乳棒で大理石の欠片を細かく砕く。石灰は、大理石か石灰華を砕いてつくった、白い石灰以外は使わない。砂の代わりに、砕いた大理石を細かく篩にかけ、砕いた大理石の粉末を三分の一、石灰を三分の二の割合で混ぜ合わせる。そして、仕上がりを粗くするか、滑らかにするかによって、粉末を粗くしたり、細かくしたりして調節する。
──ジョルジョ・ヴァザーリ「序論」(『芸術家列伝』)★9

こうして練り上げられたスタッコを用いて、建築の壁面を装飾する方法は、ヴァザーリによれば大きく2通りあった。ひとつはコーニスのような壁体そのものに設けられた凹凸や装飾などを美しく仕上げる方法であり、もうひとつはスタッコを用いて壁面を飾る彫刻的な装飾をつくりあげる方法である。
ひとつ目の方法では、煉瓦や石材を用いて、必要な形の骨組みが成型される。そしてまず粗い粒子のスタッコでさらに形を整え、その上から細かい粒子のスタッコを塗り重ねて、美しく仕上げられることになる。

古代の人々は、白いストゥッコで、穹㝫や仕切り壁、扉口、窓や他の装飾をつくろうとするとき、焼成煉瓦や凝灰岩といった柔らかくて彫りやすい石によって壁の骨組をつくるのが慣わしであった。これらを用いて壁をつくるには、まず骨組みをつくるのだが、それには煉瓦や石を切断して、コーニスや人物像や望むものの形にし、それらを漆喰で壁に塗り込める。次に(...中略...)大理石の粉末と石灰華を練り合わせたストゥッコによって、前述の骨組に最初の粗づくりをしなければならない。その際に、粗いストゥッコ、つまり粒状のざらざらしたストゥッコを用いるのは、下塗りの漆喰が凝固して固まり、しかも完全には乾き切らないうちに、より細かい粒子のストゥッコを上に塗り重ねられるようにするためである。
──ジョルジョ・ヴァザーリ「序論」(『芸術家列伝』)★10

もうひとつの方法は、石材や煉瓦の骨組みを使わず、スタッコだけで形をつくりあげるやり方である。それは粘土細工のような、スタッコのもうひとつの可能性を見せてくれる技法と言えるだろう。

またコーニスや葉飾りを形づくろうとするときには、つくりたいと望む形そのものを凹型に彫り込んだ木型を用意する必要がある。そして硬すぎも軟らかすぎもせず適度に粘り気のあるストゥッコを準備し、形づくろうとするものの分量だけその上に置く。そして前述の木型に大理石の粉末を振りかけてから、上から押しつけ、槌で叩くと、型取りされたストゥッコが残されるのである。次いで、それを細工が正確で均等になるようにきれいに仕上げる。しかし装飾物が外に向かって大きく突出しているようにつくりたいときには、ストゥッコが宙に浮いた状態で保たれるように、必要な箇所に鉄芯や釘、その他の類似した金具を打ち付ける。ストゥッコがそれらに非常によく付着することは、古代の建物に見られるとおりで、そこには今日にいたるまでストゥッコや金具が残っているのが見られる。
──ジョルジョ・ヴァザーリ「序論」(『芸術家列伝』)★11

ルネサンス時代の建築ファサードに(それは古代においても同様だったわけだが)、石材そのものによる彫刻で装飾されている場合があったことと、スタッコの彫刻的あるいは彫塑的な技法によって装飾されている場合があったことを、筆者自身もこれまで、ほとんど意識していなかった。だが、凹型に彫り込まれた木型によって、装飾的なモチーフの連続を大量生産することが可能だったとすれば、それは、職人が一点一点手彫りで彫刻していた中世のゴシック建築で見られるような装飾と比べて、きわめて合理的な手法だったといえるだろう。それは工期短縮、工費削減にも大いに貢献したと思われる。なによりもこの手法は、ひとつの建物のなかに多様なデザインが詰め込まれていたゴシック的世界から、統一された画一的デザインでひとつの建物を埋め尽くしていくルネサンス的世界への移行とも、大いに関係していたように思われるのである。
通りを歩いて建築を見上げているだけでは、ルネサンス建築のファサードを飾る彫刻的要素が、石材そのものが彫刻されたものなのか、それともスタッコによって形づくられたものなのかを判別するのは難しそうだ。スタッコのほうが壊れやすく、風雨による浸食も受けやすいのではないかと想像するのだが、それについてもヴァザーリは次のように主張している。

こうしてつくられたストゥッコ装飾は耐久性に欠けるのではないかとなどと疑ってはならない。なぜならそれは限りなく長持ちし、つくられた状態のまま固くなって、時とともに大理石のようになるからである。
──ジョルジョ・ヴァザーリ「序論」(『芸術家列伝』)★12

煉瓦躯体の表層に石材を固定する方法

イタリア・ルネサンスの町並みをつくりだしている美しいファサード。わたしたちはそれを、ごく単純に「石造りの建築」と考えがちである。だがじつは、その表面を飾る彫刻は、石ではなくスタッコ彫刻の場合も多かったし、またその表層の石材の裏側は、煉瓦造となっていることも多かったというわけだ。ヴァザーリと同時代を生きたイタリア・ルネサンスの建築理論家セバスティアーノ・セルリオは、「煉瓦は建物の肉であり、石はそれを支える骨である」という説明★13とともに、次のような3通りの図解を示した[fig.17]

fig.17──セルリオ『建築書』第4巻「建築の5様式について」より

左側の図Aは、煉瓦造の躯体の表面に石を積み、1階部分を粗い仕上げの組積造(ルスティカ仕上げ)とし、2階にバルコニーを設ける構成をつくる場合に、石材と煉瓦をどのように組み合わせて積み上げるかを示している。ルスティカの石材は、表面から見るといずれも同じような大きさの石材に見えるが、じつは1段おきに煉瓦の躯体の奥深くまで差し込むような構成になっており、これによって2つのマテリアルによる混構造の安定性を高めていることがわかるだろう。
中央の図Bは、壁の表面に円柱(オーダー)を配置する場合の構築術を示している。fig.18のほうに色をつけて示したが、赤色が円柱の柱頭(キャピタル)、青色が柱身(シャフト)、黄色が柱礎(ベース)である。この場合、完成した姿を正面から見れば、1階部分の壁に、下部で台座状になった部分の上に円柱が立ち上がっているように見えることになるはずである。しかし実際には、滑らかな1本の円柱に見えるシャフトを構成する石材が、長いシャフトの部材を安定的に支えるために、比較的短い部材を煉瓦壁の奥深く挿入することで、構造的な安定性を高めていることが理解できる。その上部では1階と2階の壁面を分節するコーニスが壁面から突出しているが、こうした部材も、少し煉瓦壁の奥まで差し込まれているなど、構造的な工夫を読み取ることができる。

fig.18──fig.17に色付けしたもの

右側の図Cは、表面に大理石板など、高価な石材を貼り付ける構築方法である。この場合、表面の石材(大理石)は、もはや図Aや図Bのように積み上げられているわけではなく、タイルのように貼り付けられているだけである。ただし、その固定の仕方は、図Aや図Bの場合と同様に、間隔をあけて煉瓦壁の奥まで差し込まれた部材がある点がポイントで、大理石板はそれらの安定した部材に対して、セルリオが「燕の尾(coda di Rondine)」や「カササギの尾(coda di Gazza)」と呼ぶ継ぎ手のディテールで固定されている★14
しかしセルリオ自身は、特に外壁の仕上げの場合には、図Cのように大理石板を貼り付ける構築法よりも、図A、Bのように組積造として組み合わせるほうが優れていると指摘している。なぜなら「大理石やその他の貴石で覆われていた古代の建物は、今日ではそうした被覆が失われ、煉瓦が露出してしまっている」からだ。

だが私たちは、ルネサンスの建築作品の名作のひとつとして、煉瓦の壁体に大理石が被覆された実例を知っている。アルベルティが設計したことで有名な、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラのファサードである[fig.19]。この建物は、もともとは13-14世紀に建設された中世聖堂であり、14世紀に白色と緑色の大理石で被覆されたファサードの建設が始められた。未完だったこのファサードの建設を引継ぎ、これを完成させたのがアルベルティだったのである。
アルベルティがここでデザインした色大理石で被覆されたファサードは、したがって中世的なファサード・デザインのリノベーションであった。彼はここで、中世的な壁の被覆の色合いとマテリアリティを継承し、そこにルネサンス的な形式とプロポーションの美学を加えたのである。ルネサンス的なペディメントを戴き、数的比例によって整えられたファサードを実現するために、おそらくアルベルティはファサードの壁面を煉瓦を積み上げることで継ぎ足したのであろう。裏側からファサードの壁面を見ると、身廊や側廊の屋根のラインとは無関係に、ファサードの壁面が張り出し、書き割りのような状態になっていることがわかる[fig.20]。そこに露出しているのは無骨な煉瓦造の壁面だ。しかし正面から見たときには、ファサードの全面が美しい大理石で被覆されているわけであり、おそらくその大理石板は、セルリオが説明したようなテクトニクスによって、煉瓦の構造壁に固定されているものと推測されるわけである。

fig.19──サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂、ファサード(筆者撮影)

fig.20──同ファサードを裏側から見る(筆者撮影)

煉瓦の躯体に大理石板を被覆すると言えば、思い起こされるのが、近代建築の名作オットー・ヴァーグナーの《ウィーン郵便貯金局》である。ここでは煉瓦造の躯体に対して薄い大理石板がアルミニウムの金具で固定されている[fig.21]。19世紀後半を通じてゼンパーが論じたテクトニック論や、ゼンパーとロースが論じた被覆論の結実ともいえそうな、ヴァーグナーの《ウィーン郵便貯金局》の外装は、19世紀ドイツの建築理論の集大成であり、20世紀を切り拓いた建築作品として重要視されてきた。

fig.21──オットー・ヴァーグナー
《ウィーン郵便貯金局》(1904-12)
引用出典=ケネス・フランプトン
『テクトニック・カルチャー
──19-20世紀建築の構法の詩学』
(TOTO出版、2002)
だが同時に、煉瓦造の躯体に大理石板を貼りつけるという仕上げそのものは、古代・中世・近世を通じて、建築の高級仕上げとして、しばしば試みられてきたことだった。ヴァーグナーによる、大理石板を金属金具で固定し、そのディテールを隠さずに露出させてしまうという構築法とそのデザインは、ある種の開き直り的な態度によって、コンセプチュアルな強度を獲得したものとも言えるかもしれない。だが、建築の歴史を2000年のスパンで見るならば、ヴァーグナーのやり方ばかりを「近代における理論的実践」として高く評価するのでなく、前近代の職人的な建築家たちが、「燕の尾」や「カササギの尾」状の継ぎ手によって、構築のディテールを丁寧に隠しながら大理石被覆を固定してきたことを、21世紀のいま、改めて評価することができるだろうと思うのである。

壁構造からフレーム構造へ

最後にもう一度、現代のサイディングの問題に戻って、被覆と仕上げの問題について考えてみたい。理論的な(あるいは建築家的な)建築デザインの問題を考えるとき、私たちがしばしば住宅におけるサイディングと距離をとったり批判したりする理由はなんだろうか?
日本のサイディングのメーカーのひとつであるニチハ株式会社は、長年「わが家のかべ自慢」コンテストを行っていたが、同コンテストを2010年にNICHIHA SIDING AWARDに改称、2011年には故杉本貴志氏を審査委員長に迎え、2012年からは難波和彦氏も審査委員に加わっている。さらに2017年からは難波和彦氏が審査委員長に就任、同審査委員に飯島直樹氏が加わり、審査が行われているようだ。こうした新建材を用いた現代日本の住宅の壁に対する関心は、サイディング・メーカーの側から建築家やインテリアデザイナーにアプローチすることで、サイディングを用いた住宅デザインを頭ごなしに否定するのではなく、デザインの問題、建築の問題として再評価する可能性を見出そうとする新たな試みといえるだろう。
建築理論のなかでサイディングが忌避されがちな最大の理由は、それが煉瓦風、左官仕上げ風、木目風など、なにか別の仕上げを模倣する「偽物」だ、という点である。しかし、そのような近代以来の偽物批判、「虚偽建築」批判は、じつは建築理論や建築デザインの可能性を狭めたばかりではなかったかと、個人的には思うのである。
日本における「虚偽建築論争」は、中村達太郎「虚偽建築なりや否」(1915年9月、第345号)に端を発し、山崎静太郎「虚偽建築に就いて中村先生へ」(1915年11月、第347号)、そして中村達太郎「再び虚偽建築に就いて」(1916年1月、第349号)と、大正年間の日本建築学会『建築雑誌』上で繰り広げられた議論として、よく知られている。ここでの論点は、まさに「被覆」の問題であり、鉄骨の被覆、鉄筋コンクリートの被覆、そして木骨の被覆が順次論じられていた。
当時55歳、東京帝国大学の建築学科の最長老でもあった中村達太郎に対して、学会誌に反論記事を投稿した山崎静太郎は、大学を卒業して6年ばかり、30歳の若き建築家(?)だった。2人の論争を見ると、一方の中村が「必要」の観点から被覆をある程度許容する姿勢を見せているのに対して、若き山崎は次のように「モラル」を強調して虚偽建築を真っ向から否定する。

虚偽建築を忌むという根本擬は、即ち言其者が道義的熟語である如く、これは美術道徳の一箇条でございませう。私共は現代の社会が所謂文明の進むといふにつれて、道義がだんだん頽廃し行くのを嘆いてゐます。
──山崎静太郎「虚偽建築に就いて中村先生へ」★15

こうしたモラリティに支えられた近代的な建築観は、おそらく20世紀初頭以来のインターナショナルな関心事だったといえるだろう。ロースの「装飾と犯罪」にも、同様の道徳的な価値観にもとづいた近代礼讃を読み取ることができる。
それに対して、本連載の一貫した被覆のマテリアリティに対する関心は、このようなモラリティに支えられた20世紀的な建築観が見落としてきた建築のもうひとつの可能性に、改めて光を当てようとする試みである。実際、トゥールーズ大聖堂で例に挙げた「描き目地」にしても、ヴァザーリが説明したスタッコの「石造風」彫刻にしても、サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂の大理石被覆にしても、いずれも近代的モラリティの観点からすれば「虚偽」として批判しうるものばかりだった。しかしながら、これらの西洋建築史における「被覆」のさまざまな事例は、むしろ建築を豊かにする可能性のひとつとして考えたほうが、豊潤な建築観を構築できるのではないかと思うのだ。
一方、日本国内の「虚偽建築論争」における議論の中心であった木骨の被覆構造については、中村達太郎自身も次のように述べ、「必要」の観点から許容しうると論じながらも、やはりこうした被覆に基づく虚偽的な存在が、将来には駆逐されることを希望すると断言していた。

然れども予は決して木骨被覆造に賛成するものでは無い。将来此の如き構造を駆逐する時代の速に来らん事を希望するので有る。
──中村達太郎「虚偽建築なりや否」★16

しかし歴史はその逆の道筋を辿ることとなった。この4年後の1919年、「建築基準法」のもととなった最初の法律として知られる「市街地建築物法」が制定される。この法律によって、日本の木造建築のうち屋外に面した部分は、防火・耐火の観点から、モルタル、漆喰、石綿などで被覆されることを余儀なくされ、いわゆる「木造モルタル」と呼ばれる、モルタルで被覆された木造が日本中を覆い尽くしていくことになったのである。
大雑把な推測になってしまうが、日本近代の建築理論はこの時点で、法的に木造モルタルを受け入れざるをえないという状況と、虚偽建築を忌避したいという近代的モラリティの矛盾に挟まれ、この問題から撤退したのではないだろうか。日本中の住宅街を埋め尽くしていった木造モルタルの問題は地場の工務店に任せ、建築家たちは抽象的なモダニズムの議論へと没入していったのだ。20世紀後半には、建材メーカーによる窯業系サイディングが登場したが、木造モルタルに代わるこの新建材も、「建築家の作品」とは別物扱いされる住宅メーカーや工務店の建て売り住宅で大活躍することになったのである。
理論的建築家たちは20世紀前半の時点で、この議論から離脱していた。それにもかかわらず、いまだに虚偽建築を忌避するモラリティだけは継承し続けることで、感覚的にサイディングを嫌い続けている。だが、窯業系サイディングボードを貼り付けることと、ガルバリウム鋼板を貼り付けることの本質的な差異は、いったいどこにあるというのだろうか?
20世紀の終わり頃から、現代建築の世界において、建築の表皮(surface)に対する関心が世界的な高まりを見せはじめた。こうした建築界の関心と連動するように、建築理論の側からこの問題に迫ったのが、デイヴィッド・レザボローとモーセン・ムスタファヴィによる『サーフェイス・アーキテクチャー』である。本書の序章の末尾には、以下のように書かれていた。

建物の外皮(external surface)が有する困難および可能性に対する関心は、理論上も実践上も、"surface"を建築デザインにおけるサブ的な問題として孤立させることからはじまった。"surface"の自律性──つまり「自由なファサード」──とは、建物のエレメントを構造部材と非構造部材、すなわちフレームと被覆とに区別できるとみなすことである。この区別は、19世紀末から20世紀初頭の、世紀の変わり目のシカゴで鮮烈に登場した。
自由なファサードは、テクトニックとマテリアルの属性における、前例のない変化を伴って見出された。フレーム構造がこれほど広範に使われるようになる以前は、建物の採光・換気・眺望という要求は、開口部──壁に空けられた孔──によって実現された。これらの開口の大きさは、壁体のテクトニックの問題あるいはデザイン理論の問題を第一に考えることによって、定められてきた。しかしフレーム構造は、そのすべてを変えてしまった。窓は壁体のなかの孔であることをやめ、壁そのものになった。しかしこの変化が起こったとき、荷重を支えない非耐力壁の機能が、再考されることになったのである。
──David Leatherbarrow & Mohsen Mostafavi, Surface Architecture★17

ここで指摘されたフレーム構造と建築の表皮(surface)の関係性は、筆者にとってきわめて興味深いものである。本稿で取り上げた古代、中世、ルネサンスの事例はもちろん、そして20世紀初頭のオットー・ヴァーグナーの《ウィーン郵便貯金局》すらも、組積造の壁構造の建築であった。したがって本稿で論じてきたのは、いずれも切石や煉瓦の組積造(モルタルと粗石のコンクリート的充填物を挟む壁構造も含む)の、仕上げや表層の問題だったわけである。レザボローとムスタファヴィが指摘したように、組積造の壁構造においては、窓は壁に開けられた孔に過ぎなかった。しかし19世紀末のシカゴにおける鉄骨フレーム構造の高層ビルの登場、そして20世紀の鉄筋コンクリートによるフレーム構造(柱・スラブ構造)の登場によって、フレームの骨組みがつくりだすすべての面が窓になったのである。壁はただ、窓の大きさをコントロールして、フレームの隙間を塞ぐものになった。全面をガラスにすることも、またサッシュの大きさに合わせて窓をつくり、残りを「壁」として塞ぐことも可能であった。
この「壁」は、組積造の「壁」とは本質的に異なるものである。その違いは、構造的には「非耐力壁」と「耐力壁」の違いとして説明されてきた。だが仕上げと表層の問題として考えたときには、もうひとつの違いが、そこに見えてくる。すなわち、西洋建築の歴史において19世紀末に初めて起こった壁構造からフレーム構造への転換は、被覆すべき壁体の不在という、まったく新しい地平をつくりだしたわけである。煉瓦造や切石組積造の耐力壁の表層を保護し、同時に装飾する役割を持っていた仕上げと表層の問題が、「空間を囲う面/ファサード」そのものに転換したのだった。
一方、当然ながら日本においては、伝統工法の時代以来、フレーム構造が基本であった。たとえそこに下地としての構造用合板があったとしても、日本の木造建築の場合、サイディングのような仕上げ材は、フレーム構造のなかで建築空間を囲い込む「壁」そのものでもあったわけである。煉瓦風のサイディングボードを、いかにも嘘っぽいものとして批判するのは簡単だ。だが、フレーム構造の空間を囲い込む外壁として、虚偽のないデザインなど、そもそもありうるのだろうか? 伝統的な土壁や下見板に回帰することが正しい態度というわけではないだろうし、原理主義的に突き詰めれば、下地の構造用合板を露出させることが、もっともモラルある態度のようにも思えるが、もちろんそれも正解のはずがない。むしろデジタル・ファブリケーションが、建築の可能性を大きく切り拓こうとしている現代だからこそ、サイディングのデザインのような問題も建築理論の側に取り込んで議論していくことが肝要だろうと思うのだ。


最後に一言。
そうは言っても、筆者自身、サイディングボードに覆われた現代の住宅に対する違和感を拭えずにいることも、じつはまた事実である。その違和感は、サイディングのデザインが単に商品としてカタログのなかにのみ存在しており、建築理論としての議論がなされてこなかったことに起因するものだけではない。デザインとしての成熟は、建築家たちの関心が今後少しずつでもサイディングに向かったとすれば、自然になされてくると期待できそうな気がする。
むしろ筆者自身の問題関心は、建築と時間の観点から浮かび上がってくるメンテナンスフリーの問題だ。サイディングボードの商品価値のひとつとして、メンテナンスフリーがある。ピカピカの商品としてのサイディングボードが、同じく商品としての建て売り住宅をつくりだす。それを購入した住民は「メンテナンスフリー」というマジックワードに幻惑され、この商品の「新築同様の姿」がずっと維持されるという幻想を抱くことになる。実際、現代の高性能の新建材は10年、20年という単位で、ある程度所有者を満足させてくれるだろう。
しかし当然のことながら、あらゆるマテリアルは経年劣化をとげる。それはメンテナンスフリーを目指して開発された商品でも同様である。むしろ高い性能で新築時の姿を長い期間保った住宅ほど、あるとき突然始まる劣化が、所有者にもたらす落胆は大きいだろう。それまで新築同然の姿を保っていたはずなのに、気づくとサイディングのシーリングがペロリと剥がれ、またボード自体が反り曲がってきたりする。それは所有者にとって、あたかも建物そのものが寿命を迎えたかのような誤解すらも与える衝撃である。
建設業の側から見れば、これは単に、この住宅がメンテナンスのタイミングを迎えたということに過ぎないのだが、10年、20年のあいだ「メンテナンスフリー」で、いっさい住宅に手を触れずに暮らしていた所有者にとって、やはり住宅にメンテナンスが必要だったという衝撃の事実は、ひどい場合には詐欺のようにも感じられるかもしれない。あるいは「もう建て替え時ですね」というサインと受け取って、建て替えの検討をはじめてしまうかもしれない。こうして日本の住宅、日本の建築は、圧倒的に短命のスクラップ&ビルドの道を突き進んできたといえるだろう。
メンテナンスフリーとは、メンテナンスを拒否する姿勢である。メンテナンスフリーの商品を、所有者が勝手に「メンテナンス」すれば、住宅に限らずほとんどのプロダクトが「保証対象外」の扱いになるだろう。メンテナンスフリーのプロダクトは、所有者がメンテナンスしてはならないのだ。しかしそうした姿勢は、モノに対する愛着を生み出させず、使い捨て文化を助長してきたといえるだろう。
建築の仕上げの問題、表層の問題は、風雨にさらされ続ける箇所であるからこそ、メンテナンスの問題に直結する。「ウェザリング」が建築にとってプラスに働くためには、「メンテナンスフリー」よりも「メンテナビリティ」こそが重要ではないだろうか? 所有者自身がメンテナンスの喜びを享受できるような仕組みこそが大切であると、個人的には考えている。



★1──ウィトルーウィウス『建築書』(森田慶一訳註、東海大学出版会、1979)186頁
★2──英語の"plaster"の語源としては、ラテン語の"emplastrum"がある。
★3──Carmelo G. Malacrino, Constructing the Ancient World, Architectural Techniques of the Greeks and Romans, trans. by Jay Hyams, Paul Getty Museum, 2010, pp.73-74. 本書においてマラクリーノは、両者を区別することの難しさを指摘しつつ、英語のプラスターにラテン語の"opus tectorium"を、スタッコに"opus albarium"をあてている。
★4──ウィトルーウィウス『建築書』186頁
★5──同書、187頁
★6──同書、185-186頁
★7──Carmelo G. Malacrino, op.cit., p.75.
★8──ジョルジョ・ヴァザーリ『美術家列伝 第1巻』(森田義之+越川倫明+甲斐教行+宮下規久朗+高梨光正監修、中央公論美術出版、2014、原著=1550)35-36頁
★9──同書、43頁
★10──同書、65頁
★11──同書、65-66頁
★12──同書、66頁
★13──Sebastiano Serlio, On Architecture, Volume One, trans. by V. Hart and P. Hicks, Yale University Press, 1996, p.372.
★14──Ibid., p.372.
★15──山崎静太郎「虚偽建築に就いて中村先生へ」『建築雑誌』第347号、1915年11月、768頁
★16──中村達太郎「虚偽建築なりや否」『建築雑誌』第345号、1915年9月、659頁
★17──David Leatherbarrow & Mohsen Mostafavi, Surface Architecture, MIT Press, Paperback edition, 2005, p.8.


加藤耕一(かとう・こういち)
1973年生まれ。西洋建築史。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻教授。博士(工学)。東京理科大学理工学部助手、パリ第4大学客員研究員(日本学術振興会海外特別研究員)、近畿大学工学部講師を経て現職。主な著書=『時がつくる建築──リノべーションの西洋建築史』(東京大学出版会、2017)、『ゴシック様式成立論』(中央公論美術出版、2012)、『「幽霊屋敷」の文化史』(講談社現代新書、2009)ほか。訳書=P・デイヴィース『芸術の都 ロンドン大図鑑──英国文化遺産と建築・インテリア・デザイン』(監訳、西村書店、2017)、H・F・マルグレイヴ『近代建築理論全史1673-1968』(監訳、丸善出版、2016)、S・ウダール+港千尋『小さなリズム──人類学者による「隈研吾」論』(監訳、鹿島出版会、2016)などがある。


  1. 現代建築における仕上げと表層の問題/古代ローマのプラスター/スタッコ仕上げ/中世建築に見るフレスコ彩色壁面仕上げ
  2. モルタルで塗り籠められる外壁/ルネサンスの立体的な壁面仕上げ/煉瓦躯体の表層に石材を固定する方法/壁構造からフレーム構造へ

201904

特集 建築の実践と大きな想像力、そのあいだ


平成=ポスト冷戦の建築・都市論とその枠組みのゆらぎ
ある彫刻家についての覚書──それでもつくるほかない者たちのために
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