建築と文化的景観
──北山杉の里・中川の調査研究を通して

本間智希(奈良文化財研究所景観研究室アソシエイトフェロー)

北山杉の里・中川を紐解く

2014年度より、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所文化遺産部景観研究室(以下:景観研究室)では京都市文化市民局文化財保護課から委託を受け、京都市北区中川北山町(以下:中川)の文化的景観の調査研究を行なってきた。

京都市街地から国道162号線を北上して車で30分。中川にたどり着くと、「北山杉」と呼ばれる細長い杉林が所有ごとに細かく区分された、モザイク状の山林景観が目に飛び込んでくる[fig.1]。中川は北山林業の発祥地として「北山杉の里」と呼ばれている★1

fig.1──モザイク状の山の谷に広がる中川の集落 撮影=筆者

北山杉は伐採されると、里で銘木の北山丸太に加工される。北山丸太は京都の茶の湯や数寄屋の文化に需要され、数寄屋建築や茶室の垂木材や床柱、長押などに使用されてきた。

fig.2──北山丸太を運ぶ中川の女性
提供=京都北山丸太生産協同組合

中川は京都市街地まで5.5kmという至近の距離に位置する。この"近さ"が生業として成立しうる重要な要素となった。かつては女性がその距離を歩いて丸太を運搬し、現金を得て、米や生活物資を買って持ち帰っていた[fig.2]。生活においても生業においても京都に依存した都市的な性格を帯びた林業地域と言える。

fig.3──佳水園の軒まわり 撮影=筆者

北山丸太は戦後の高度経済成長期に、住宅の建設ラッシュと床柱需要によって拡大し、平成のバブル崩壊直前に売上総額がピークを迎えた。後に映画化された川端康成の小説『古都』(1962)、東山魁夷による一連の絵画作品などによって、北山杉の里・中川は全国的に知られることとなった。また北山丸太は戦後、建築家らにも好まれ、北山丸太を使用した数寄屋建築・和風住宅が多く設計された[fig.3]★2

バブル崩壊以後、現在に至るまで北山林業は厳しい局面を迎えている。しかし、500年ほどの歴史をもつ中川で北山丸太の台頭は近代以降、明治から戦後にかけて拡大し、産業としての隆盛は高度経済成長期以降のことである。それまでは京都の他の北山地域と同様に多様な山の恵みを得て山稼ぎで生きてきた。近代以降、主要な生業を北山丸太の生産に特化してきた中川において今一度、多様で現代に見合った生き方や働き方が模索されている[fig.4]

そのような背景から中川の文化的景観の調査では「北山杉の林業景観」だけではない、より総体としての「中川らしさ」を実証することもテーマのひとつに掲げられた。詳細は2019年3月末に刊行予定の文化的景観保存調査報告書★3に譲るとして、筆者は建築史を専門とする立場から、中川の建築に見出した「中川らしさ」について、「林業倉庫」「住まい」「離れ」の3つに着目したい。

fig.4──急峻で狭隘な谷の中川 撮影=筆者

最適化されていく生業のための形

中川は大消費地の京都に至近ゆえ、北山林業も市場の動向に機敏に対応でき、社会的動向に応じてスタイルを変え、その都度、生業に関わる建築も最適化されてきた。

北山丸太の加工は、杉皮を剥き、水に浸けて肌目を洗い、乾燥させ、出荷前に「磨き砂」と呼ばれる近在で採取される砂を使って素手で肌目を磨いて仕上げる(そのため北山丸太は「磨丸太」とも呼ばれる)。きわめてシンプルな加工工程のなかで高度に細分化された、大規模な加工機材が不要な林業である。

fig.5──明治大火を免れた小屋 撮影=筆者

中川で北山丸太の製造が本格化するより以前、近世には多様な林産物による山稼ぎを主とし、作業空間も家の前庭で小さな小屋があるに過ぎなかったと考えられる。これらの小屋は、軒の出が半間(90cm)近くあり、軒下が作業場として確保されているのが特徴と言える[fig.5]

fig.6──主屋と同じ敷地内に建てられた納屋
以下特記なきかぎりすべて撮影=桜木美幸

明治期、北山丸太の生産が産業として軌道に乗ると、生活空間である主屋と同じ屋敷地内に、北山丸太の加工場や在庫を保管するための納屋(中川では「納家」の記述が散見される)が建築された[fig.6]。林業の労働単位はそれまでの山稼ぎと同じ家庭内労働が基本となるため、職住一体の屋敷地が形成されたのである。かぎられた屋敷地にもかかわらず、主屋よりも林業に関するスペースの方が広い事例も見受けられる。

fig.7──林業空間の方が広い職住一体の
屋敷地 撮影=筆者

昭和4(1929)年の昭和恐慌によるデフレは北山丸太の売上にも打撃を与え、それまで家庭内労働であった北山林業は組合化・組織化することで逆風に対抗しようとした[fig.7, 8]。同時に、育林や製造の技術も改良され生産量が増大し、北山丸太の乾燥と在庫保管の機能を兼ね備えた複層の巨大な倉庫が屋敷の外に建設されていく。異様に深い1階の軒下空間は杉皮剥きや磨き作業の場となり、丸太を乾燥させるため風通しの良い2階にテラスが大きく開け放たれた。内部空間も、長尺材を上げ下ろししたり保管したりできるよう吹き抜け空間となり、多様な長さの材を立て掛けられるようスキップフロアの床が形成された。

このような独立型の巨大で複層の倉庫が、昭和初期から戦後にかけて清滝川の対岸に立ち並び、中川の象徴的な林業景観を形成することになった。

fig.8──昭和30年代の林業倉庫(個人蔵)
fig.9──昭和30年代以降に移転した
集落外の工場群

昭和30年代に入ると高度経済成長による住宅増産と床柱需要に応じて北山林業も隆盛を極め、剥皮や乾燥といった作業にも機械が導入されるようになる。巨大な工場が中川の集落外に建設され、北山林業の主戦場も集落外へ移転していく[fig.9]。鉄骨造の工場は、丸太の加工・乾燥・保管の工程がより合理的に行なえるよう動線や機能が考えられた。これにより中川の集落は林業機能の中心から周縁となり、林業の作業場だった屋敷地内の前庭は植木鉢や庭園樹木で彩られていった。

このように時代の変化に北山林業も適応し、林業倉庫も最適化されていったのだが、中川にはその進化の過程を読み取ることができる各時代の林業倉庫が点在していることにも文化的景観の魅力がある。

アナザーアプローチとしての民家のみかた

中川にある多くの伝統的な家屋は、民家史研究の分野で「北山型民家」と分類されており★4、この形式は国選定重要伝統的建造物群保存地区の京都府南丹市美山町に多くある★5。そのような学術的な分類や形式の地域的な伝播の把握は、民家研究史においてはたしかに重要な研究である。しかし中川で生活する人たちにとっては、時代の変化と向き合いながらもその土地で暮らしを維持するために、どのような変化を許容し、何を大切に守るか、文化的景観における建築調査から「中川らしさ」という暮らしの作法を見つけることが求められた。次の図は中川の典型的な主屋の間取りと配置である[fig.10]。図中の「イノモト」「ロジモン」「ダシ」「ツマド」「エンデ」などの呼称は、北山の他の中山間地域にはなく中川独自の概念と言える。ここでは「ダシ」と「ツマド・エンデ」を紹介したい。

fig.10──中川における北山型民家の配置平面図 作成=奈良文化財研究所景観研究室
[画像をクリックして拡大]

1 内外を繋ぐダシ

fig.11──前庭の畑に面した仕事師の
家のダシ
南北方向の谷筋に沿った集落の地形は、そのまま屋敷地にも反映される。中川では主屋を敷地の北側に寄せ、南側にできるかぎり前庭空間を確保する。農村の伝統的な家屋では座敷が南面し、縁側や前庭に開けているのが一般的だ。しかし中川の民家のほぼすべてが妻入で、座敷が北側の一番奥に位置し、座敷に面する谷側の外部空間は極端に狭い。また室内の土間のスペースも極端に狭い特徴がある。代わりに敷地の南側に確保された前庭は貴重である。主屋の南面する居室は「ヘヤ」と呼ばれ、小さな炉が切られ、居住者の集まる居間として機能している。このヘヤと前庭の間に、「ダシ」と呼ばれる露台が設えられている。ダシは「出し」で中川の言葉で上がり口を意味し、「ヘヤノダシ」とも言う。このダシはかつて冠婚葬祭時に座敷まで続く出入り口として機能し、日常的には前庭での作業時の休憩用の腰掛け、あるいは近隣住民との交流場として現在でも機能している。立派なダシもあればささやかなダシもあるが、屋敷の規模や家格にかかわらずダシが中川の住空間の内外を繋ぐ装置となっていることに意味を見出せる[fig.11, 12]

fig.12──ザシキまで一列に繋がる出入り口として機能する山主の家のダシ

2 ツマドとエンデのふたつの庭

fig.13──ツマドの庭
中川の民家の敷地には狭い東西両面にそれぞれふたつの庭がある。山側の囲炉裏が切られた「ダイドコロ」と呼ばれる居室に面した軒下空間を「ツマド」と呼び、上段の宅地を形成する石垣を舞台の書き割りのように背景としながら、斜面からの湧水を水源とした池のある庭が設えられる。その反対側の「ザシキ」や「ナカノマ」に面した軒下空間は「エンデ」と呼び、対岸の山肌を借景としながら極端に奥行きのない外部空間にアカマツや庭園樹木としての台杉を植えて、遠景と近景を設える。また眺望を確保するため塀はその箇所だけ低く構えられる。このように中川ではどの家も土地の制約を受けながらも東西両面にふたつの性質の異なる庭を仕立てることで住空間の質を高めている[fig.13, 14]

fig.14──エンデの庭

北山林業の賜物として発展した離れ座敷

北山林業の流通を担っていたのは京都市内の千本通沿いの銘木問屋であったが、明治中期から丸太の生産量が増大すると、中川で在庫を抱えるようになり、販売力を持つ産地問屋が出現する。北山丸太のブランド力も全国に知られ、大阪や東京から大手の業者が中川に直接丸太を買い付けに訪ねた。中川には旅館が1軒もなく、遠方からの商人は問屋の家に泊まった。そのために生まれたのが、主屋に接続した附属屋2階の「離れ座敷」である[fig.15]

fig.15──離れ座敷のある産地問屋の家
fig.16──柱や長押に北山丸太が多用された
離れ座敷

中川の民家は明治に見舞われた大火で多くが明治後期に再建されたが、じつはこれらの主屋には北山丸太があまり使用されていない。しかしこの離れ座敷には北山丸太がふんだんに使用された[fig.16]。座敷からは対岸の山肌を見渡すことができ、宿泊者はモザイク状の北山杉の風景を眺めながら過ごすことができた。このように離れ座敷は北山林業のブランド力を誇示する場として機能した。

生活と生業が渾然一体となった中川の文化的景観

このように中川は、住まい・林業倉庫・離れ座敷のそれぞれにおいて、東西を尾根に挟まれ南北に抜けた急峻で狭隘な谷に規定されながら独自の発展を遂げてきた。また谷の地形にひな壇状に形成されている中川の屋敷地では、離れ座敷の眺望に象徴されるように、どの家も上の家の眺望を妨げないよう配慮されながら建てられているのである[fig.17]。このように北山杉の里・中川の文化的景観は、風土に寄り添いながら、生活と生業が渾然一体となっていることに特徴があり、未来に残していきたい中川らしさのひとつと考えている[fig.18]

fig.17──客をもてなす離れ座敷からの眺望
fig.18──中川集落の連続立面図 作成=奈良文化財研究所景観研究室
[画像をクリックして拡大]


★1──「北山杉の里」という言葉が普及したのは、随筆家の相馬大が執筆した『北山杉の里』(白川書院、1977)からだと思われる。
★2──例えば、京都の佳水園(村野藤吾設計、1959)は垂木など軒周りに北山丸太が多用され、八勝館「御幸の間」(堀口捨己設計、1950)、志賀直哉邸(谷口吉郎設計、1955)、岡崎つる家(吉田五十八設計、1964)などにも北山丸太が利用されている。戦後の建築家による使用例は枚挙にいとまがない。
★3──奈良文化財研究所編集『北山杉の里・中川の林業景観保存調査報告書(仮題)』(京都市、2019年3月末刊行予定)
★4──中川をはじめ京都洛北の民家については大場修教授(京都府立大学)の研究にくわしい。
http://www.kyobunka.or.jp/tradition/part_04/index.html
[2019年1月18日最終確認]
★5──『かやぶきの里・南丹市美山町北伝統的建造物群保存地区保存計画』(南丹市、1993)
http://www.city.nantan.kyoto.jp/www/kurashi/101/009/007/index_14197.html
[2019年1月18日最終確認]

本間智希(ほんま・ともき)
1986年生。建築史・都市史。独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所文化遺産部景観研究室アソシエイトフェロー。2013年より京都を拠点とする建築リサーチ組織RADに加入、2017年より京都市立芸術大学および銅駝美工高等校移転整備にリサーチ・機運醸成チームとして参画。共編著に『地域のみかた──文化的景観学のすすめ』(文化的景観スタディーズ01、2016)、『営みの基盤──生態学からの文化的景観再考』(文化的景観スタディーズ02、第7回文化的景観研究集会報告書、2016)、『川と暮らしの距離感──四万十・岐阜』(文化的景観スタディーズ03、2017)、『都市の営みの地層──宇治・金沢』(文化的景観スタディーズ04、2017、いずれも奈良文化財研究所)ほか。


201902

特集 文化的景観の現在地
──四万十、宇治、伊庭、中川から「地域らしさ」の射程を測る


文化的景観15年で問われてきたもの
いま地域の変化を許容し、価値を認めること──文化的景観の課題と可能性
インフラと文化的景観──「伊庭内湖の農村景観」にみる地域らしさ
建築と文化的景観──北山杉の里・中川の調査研究を通して
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