幽い光、あいだの感触

田村尚子(写真家)

たとえば「椅子」と名付けられたものを、名前のない「ただの物」として見てみる。フィルムを入れたカメラで撮影することで初めて見えてくる物があり、そこには偶発や発見がある。情報を失って輪郭から浮かび上がる新たな像。写真という行為にはそんな高揚感が伴うことがある。わたしの初めての写真集である『Voice』(青幻舎、2004)のテーマは夢や知覚だった。時間や空間のうつろい、境界の曖昧さをフィルムで写し取ろうとしていた。いったん概念を外した直観や、麻痺した感覚からくる余韻のような幽(くら)い光をわたしは好んで追いかけた。そのあやうくもいとおしい時間をどう繋げていくのか、目を閉じているあいだにどんな感覚が身にまとわりつくのか。

「眼の森」の展示

2004年に開いた個展「眼で触れる」をきっかけに、京都大学医学部附属病院の食堂で15ケ月にわたる展示を行なうことになった。個展を見に来てくださった、京大附属病院の食堂や喫茶室を運営する方から「病院の食堂の雰囲気を変えたいので、作品を展示してもらえないか」とお声掛けいただいたのだ。展示会場となる食堂は、廊下側の一面がガラス張り。正面に食事を提供する調理場と白い壁、左右の白い壁の間にはいくつかの柱が並んでいる。そこは、水平の取れていないアンティークの木枠に入った油絵がぽつんと掛けてあるだけの、蛍光灯の空間だった。ここに異なる色彩とイメージを点々とおくことは、この場所のありさまを変えるだろう。この空間に仮想の「窓」を据え付けてみたいと考えた。

京都大学医学部附属病院食堂喫茶 展示風景(2014-2015)

「『眼の森』写真プロジェクト」と名付けたその展示のテーマは、日常の内と外を意識させる「窓」や「うつろい」だ。白壁と柱に10点ほどの作品を展示し、季節ごとに展示替えをした。時折、食堂に出掛けて様子を見に行くと、車椅子の老人が写真の前でずっと眺めている姿に遭遇したり、誰も直接眼を向けていない時にも、人々の背景になんらかの色彩と風景があることに安堵したりもした。3度にわたり、食堂が閉まったあとにゲストを迎えて座談会を開いた。フランス現代思想史の研究者、建築家、精神科医、実際に入院していた女性をお招きし、さまざまな視点から病院のハードやソフトの問題に触れ、話し合った。

まもなくして、フランスのラ・ボルド精神科病院のジャン・ウリ院長との出会いがあった。その後、彼が亡くなるまでの10年近くウリ院長と関わることになると、その時どうして想像できただろう。わたしは彼の話にすっかり惹きつけられた。医療という太い幹の枝葉には、音楽や文学、芸術や病院建築、経済、政治とさまざまなことが連なっており、彼はその幹の中で病院の運営をしているという。長年、彼が患者さんたちと演劇を行なっていることも興味深かった。写真を撮ったり見たりすることだって、医療と本質的に関係している──。ウリ院長の講演はわたしにも感覚的に共感できるものだった。

その頃のわたしは、ものを見つめ、その「聲」を聴くように写真とつきあっていた。フランス語の「声」(voix)をもじり、アナグラムで「il la vos, xi la vox」と呪文のようなものにしていた。「Voice」と名付けた写真集を渡したウリ院長から、「潜在的で、瞑想のような感覚」との言葉をいただき、機会があればラ・ボルドに来るようお誘いを受けた。

© Naoko Tamura, courtesy of Taka Ishii Gallery,

ラ・ボルド病院の夜

ウリ院長との出会いの翌年、わたしは早速ラ・ボルドを訪ねることにした。そこでは白衣を身に着けている人は誰もいず、誰もが私服で過ごしている。それは見えない壁をつくらないことの、ひとつの顕われであったといえる。わたしは精神病院という場所への先入観とのギャップを感じていた。そこにいる患者さんたちを撮ることは、最初から許されることではなかったが、小さな村に入り込んだかのような、自然と共生する場所の景色を撮るだけでも構わないと思った。そしてラ・ボルドに何度か足を運ぶうち、この場所で暮らす滞在者(患者さんたち)を、ありのままそして繰り返し撮影していこうという思いが湧いた。

滞在中は院内のシャトーの屋根裏部屋や、空いているドクターの部屋、インターンの宿泊場所などに泊まった。静かな夜、広場や裏手の敷地にはほとんど街灯はなく、暗闇の中にかすかに緑が見える程度の夜、月明かりがあたりをぼんやりと照らしていた。そしてモノクロ写真のグラデーションを思い浮かべた。黒と白のあいだに境界線はなく、ゆるやかに繋がっていること。どこに立っていてもどちらか一方に振り切れる可能性を秘めていること。そして、ここに住む滞在者や治療に来ている人たちのことを考えた。彼らばかりではない。都会に住み日常生活を営む私たちも、いつでも黒と白の深い淵に吸い込まれていくことがあるのだと思った。

© Naoko Tamura, courtesy of Taka Ishii Gallery,

2011年のことだったか、1年ぶりにラ・ボルドに行くと、新しい病棟をつくったから見てくるようにと、ウリ院長からすすめられた。日本を意識してつくったという。その外観はほかの病棟と比べると少し違っていて、いわゆる現代の新建材で建てられた箱型の細長いものであった。数部屋を通り抜けると坪庭のような空間が現われた。棟に隣接している小さな広場には竹が配され、その前に緩やかなカーブを描いたベンチがあった。風が優しく吹いてさらさらと笹の葉が揺れている。「ここは落ち着くんだ」と言って何人かが座っては去っていった。

ラ・ボルドは周りをぶどう畑や木々に囲まれていて塀はない。入り口には門もない。仕切りや敷居のない地続きの、オープンな空間は心も縛らない。閉じ込められないから、逃げない(一概にはいえないが)。押し付けられた空間ではないから振る舞いがそれぞれで変わる。ルールを先に決めて強いるのではなく、相談して決める。

経験と浸透──ソローニュの森

「ここでは人をコード化しない」と、ウリ院長や創設当時から関わっている医療秘書から聞いたことがある。手間や時間をかけている分、そこに循環している空気や雰囲気には独特のものがあったように思う。内と外をやんわりと繋げている棟のテラス側は、一面芝生が広がり、その奥に木や小さな池がある。木製デッキは外の環境を取り込んでいて、日本の縁側や、アントニン・レーモンドの建築のことなども思った。龍安寺の石庭の前で腰を下ろし眺めるウリ院長の姿や、彼が知恩院の渡り廊下に立つ風景がそこに重なった。

自然との接続を意識したこの病院は、人間の「本質的な欲求」に呼応すると思える空間がいくつもあった。そうやって過ごすうち、滞在者の写真を撮るにあたり、カメラを通してこちらから視線を投げかける以前に、こちらが見られているのだ、と思うことがしばしばあった。ぎくしゃくとした関係になったりもした。思い切って相手に近づいてみたり、あるいは口笛を吹きながら森のほうへ歩き出してみる。ともに時間を過ごし、互いを認識し始めると、ここには「あなたはどういう人か」という根源的な問いがあるだけだと気づく。そこに劇的な表象など必要なく、自然に過ごしてフラットに接した先に写真があればよいと思った。

すぐに打ち解けるわけでもないし、わたし自身の存在も不確かだった。わたしは写真家という立場で滞在するよそ者だ。カメラだけがここにとどめおくツールであったように思う。どこへ向かうのか。目の前の他者との関わりに向き合うこと。その場所でどう過ごすのかを考えることが一番になった。さて、この空間をどうフィルムにどう焼き付けるのか。時間を共有することで少しずつ自分自身も変わっていった。これまでと違った光が浸透してくるようにも思えたのは、しばらく経ってからのことだった。2012年、その幽い光は『ソローニュの森』(医学書院)という写真集になった。

"ジュメル" Polaroid 4x5inch 2008 ©Naoko Tamura

部屋の中、森の木々の間、既存の物質的な壁や線から見るのではない、その間にある新たな面を写真は立ち上げることができる。空間をとりわけ認知しながら撮るというわけではなかった。その場に立った時の衝動や直観で感じ取ったものを、あっという間にさらい、触れるように撮影していたのだと振り返る。人間の体と空間、自然の中に存在する人や物とのあわいのようなものに、わたしは無意識に惹かれていたのかもしれない。


田村尚子(たむら・なおこ)
写真家。国内外での展示、作家活動とともにポートレートや書籍装丁写真などを多数手がける。装丁=鷲田清一『感覚の幽い風景』(紀伊國屋書店、2006)、ジャン・ウリ『コレクティフ』(多賀茂ほか訳、月曜社、2017)。写真集=『Voice』(青幻舎、2004)、『attitude』(青幻舎、2012)、『ソローニュの森(シリーズ ケアをひらく)』(医学書院、2012)、『タウマタ』(タカ・イシイギャラリー、2015)ほか。展示=「Thaumata」(タカ・イシイギャラリー・フォトグラフィー・パリ、2015)ほか。ヴュッター公園主宰。



201812

特集 ケア領域の拡張


ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ
身体をリノベーションする──ケア空間としての障害建築
幽い光、あいだの感触
このエントリーをはてなブックマークに追加
INDEX|総目次 NAME INDEX|人物索引

PROJECT

  • パブリック・トイレのゆくえ
  • TOKYOインテリアツアー
  • 建築系ラジオ r4
  • Shelter Studies
  • 再訪『日本の民家』 瀝青会
  • TRAVEL-BOOK: GREECE
  • 4 DUTCH CITIES
  • [pics]──語りかける素材
  • 東京グラウンド
  • 地下設計製図資料集成
  • リノベーションフォーラム
『10+1』DATABASE

INFORMATIONRSS

刊行記念イベント「建築のそれからにまつわるArchitects」乾久美子×中山英之(渋谷区・6/3)

乾久美子さん、中山英之さんの建築作品集が、それぞれLIXIL出版とTOTO出版から刊行されます。同じ...

「新しい時代のはじまり」展(神奈川県・4/20-5/6)

「旧神奈川県立近代美術館 鎌倉」が「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」として生まれ変わります。 鶴岡八...

「ある編集者のユートピア──小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校」(世田谷区・4/27-6/23)

編集者にしてウィリアム・モリス研究家の小野二郎(1929-1982)が生涯を通して追い求めたテーマ...

連続講義「建築とアーカイブズを巡る論点」(武蔵野市・5/11-)

近年、開催される大規模な建築展も多く、建築や建築に関する資料への関心が高まっているように感じられま...

シンポジウム「日本の近代建築を支えた構造家たち」(新宿区・5/18)

我が国の近現代建築の発展を技術的側面から支えた構造設計手法や施工法などに関する構造資料は、これまで...

「ル・コルビュジエ 絵と家具と」(渋谷区・3/29-5/18)

20世紀に最も影響を与えた建築家、ル・コルビュジエ。建築と都市計画においてのパイオニアであり紛れな...

「わたしはどこにいる? 道標(サイン)をめぐるアートとデザイン」(富山県・3/9-5/19)

「サイン」とは、人を目的地に導く目印のこと。普段意識することは少なくても、駅や空港、商業施設、美術...

「宮本隆司 いまだ見えざるところ」(目黒区・5/14-7/15)

東京都写真美術館では、現在も国内外の美術展などで発表を続ける宮本隆司の個展を開催します。宮本隆司は...

豊田市美術館リニューアル記念イベント「谷口吉生──美術館を語る」(6/15・愛知県)

豊田市美術館のリニューアルを記念して、同美術館を設計した谷口吉生のトークイベントが開催されます。 ...

日本橋高島屋と村野藤吾(中央区・3/5-5/26)

高島屋史料館TOKYOは、1970年に創設した高島屋史料館(大阪)の分館として、重要文化財である日...

NPO建築とアートの道場 2019春レクチャーシリーズ「これからの建築を考える──表現者と建築家による対話実験」(文京区・4/27-)

これからの建築を考えてみたいと思います 確固たるビジョンがあるわけではありません ただ葛藤や矛盾は...

シンポジウム「感性×知性=建築の新たなる可能性を求めて」 (港区・5/7)

21世紀も2020年代が近づき、AI、生命科学、宇宙といった新たなイノベーションが進行し人類のサス...

建築学生ワークショップ出雲2019開催説明会、講演会(東京・5/9、京都・5/16)

2019年夏、古代より現代に受け継がれてきた、わが国を代表する神聖な場所、出雲大社周辺区域にて、小...

杉戸洋「cut and restrain」(港区・3/16-4/13)

杉戸洋による展覧会が「cut and restrain」4月16日まで小山登美夫ギャラリーで開催し...

鏡と天秤─ミクスト・マテリアル・インスタレーション─(中央区・3/12-5/11)

私たちは非日常(ハレ)と日常(ケ)の境界が曖昧な社会におり、個々が非日常(ハレ)と日常(ケ)のバラ...

- Green, Green and Tropical - 木質時代の東南アジア建築展(品川区・2/6-5/6)

建築倉庫ミュージアムでは、2月6日より「- Green, Green and Tropical -...
建築インフォメーション
Twitter Feed
ページTOPヘ戻る