身体をリノベーションする
──ケア空間としての障害建築

大崎晴地(美術家)

障害を組みなおすために

現代の精神医学では、健常と障害をはっきりと区別することはできず、そのあいだはスペクトラム(連続体)であると理解される。正常・健常という状態は一定ではない。このため、治したり元通りに戻すといった発想だけではなく、長期的なケアの場として生活空間をどのように捉えられるかが問題となる。本論では、人と建築の関係性を紐解き、バリアフリーではなく障害をともなった「バリアフル」な生活空間におけるケアの可能性について、筆者の「障害の家」プロジェクトを通して検討する。

そもそも筆者が障害に関心をもったのは、身体感覚を通して世界の意味をつくりなおす身体のリハビリに、芸術の制作との繋がりを感じたからだ。主に理学療法の臨床現場の人々と交流し、障害のある人の経験世界に寄り添いながら、認知や知覚に働きかけるための制作物を試作してきた。アーティストとして関わるなかで、関心は精神病理学や医療の諸領域に及んだ。現在は、精神科病院で慢性期の統合失調症の患者さんと向き合い、アートワークを通した研究を行なっている。

今日、日本では医療やケアを脱施設化することで地域に開いていく動きがある。その一方で、日本は世界の精神科の病床の2割が集中する「精神科病院大国」であり、家族関係を理由に病院から出られない患者さんもいる★1。制度的に管理された病院の施設空間に対して、単に制度的な「開かれ」だけではなく、ケア的な視点から建築空間を見直すアプローチが必要である。つまり、日常生活の環境条件を変えていく建築は、人々の意識の変化に繋がる。現状の施設空間の収容が差別意識に繋がることにもなるわけで、社会における個人のアイデンティティの多様化にともない、建築や生活空間のあり方も検討されるべきであろう。

このような視点に至ったのは、「意味」そのものの根本的な解明から建築までを手掛けた荒川修作の宿命反転思想の影響がある。こうした問いを不自由な生活空間からの豊かさを検証するためのプロジェクトとして構想することで、日常空間においてオルタナティブな建築の設計に繋げることを目指している。

そこで、拙論「障害を組みなおす──修復とは別の仕方で」では、障害を介した人と建築の関係性にアプローチした★2。これまで否定的に思われてきた障害(バリア)を積極的に捉え、住みやすく機能主義的で快適な家ではなく、障害のある生活の豊かさを問う建築を「障害建築」と呼んだ。狭小な「正常」をゴール地点に目指すリハビリや治療に対して、障害の動的なネットワークの地勢図を山崩しのように組みなおすことを企図したのである。

ラフとスムーズ

「障害建築」の一例として、2015年に筆者が始動した「障害の家」プロジェクトがある★3。そのコンセプトは、障害のある家を設計し、誰もがその中では「障碍者」になるというものだ。

社会構成主義は、障害の原因を個人ではなく社会の側に見るが、そうした制度的な視点の移動は、差別の解消には繋がっても、「できる/できない」の責任が個人から社会の側にシフトしたにすぎず、障碍者の身体そのものが変わるわけではない。そこで「障害の家」プロジェクトは、社会規範としての機能的な空間が自明なものではない「障害の建築モデル」を追究する。ここでは、包括性(インクルーシブ)や健康、福祉化へのベクトルとは別に、芸術を通じたオルタナティブな「障害建築」によって、障害を組みなおしていく個の身体と生活空間のあり方を提案する。

建築家の岩元真明は近代以降の建築のなかで、スムーズな仕上文化の美学に対抗するものとして、無仕上(仕上げの否定)、未仕上(仕上げを完成させない)、脱仕上(仕上げを剥ぎ取る)という3つを大別して挙げている★4。とりわけ、未仕上と脱仕上は、未完成や半壊を肯定するという意味において「障害を組みなおす」視点に近い。ここで提示されているスムーズな仕上文化とは、本論においては障害がない状態のことであり、規格やバリアフリーによる空間の均質化とも言い換えられよう。公共空間がスムーズさに覆われれば、変化に富んだアートやジャンクスペースが生まれるように、ここでは障害建築というかたちがラフということになる。仕上としての面が多様化し、シミュラークルを含んだスムーズが流動化する社会においては、未仕上、脱仕上などのラフさは仕上への抵抗であるよりも、逆説的に人々にとっての自閉的な場として、ケアの場になっているようにも思われる。

福祉国家の起源をたどれば、福祉は本来、市場の失敗に関わる補完制度として準備され、その背後に家族の失敗が含意されており、フェミニズムの文脈を通じて「私領域」(家族、世帯)のケアの問いに繋がっていく。また「障害者」という言葉も、自立社会の理念として規定された派生的カテゴリーとされる★5。制度設計は当然考えねばならない問題だが、ここではそうした政治的、倫理的な動機からよりも、生活や生命にとっての環境の質または芸術を問題にしている。社会包摂による多様性のスムーズ(均質)化が進行するなかで、ユニヴァーサルなスムーズさを目的にするのではなく、人それぞれにとってのラフネスがケア空間の問題の場所となる。

「障害の家」プロジェクト──「斜面の床」と「中層」

2018年に墨田区の京島で行なった「障害の家」では、2つのプランを発表した★6。ひとつは「斜面の床」である。人間の身体を支える床の存在は自明ではない。歩行を前提とする床は発達した身体にとって機能的だが、脳性麻痺や脳損傷で麻痺した身体の現場では、不自由な重心を制御するために知覚と身体の協調に働きかけるケアの場面がある。眼を閉じた状態で片足で立つとふらつくように、身体は視覚的にも重心を支えている。こうした視覚的な支持面と、身体の重心移動がどう関与しているかは建築的な問題であり、支持面としての床と知覚との連動関係のなかに選択肢(ラフさ)が考えられる。これは平らさへの抵抗ではなく、身体と世界の関わりの再形成なのである。


「斜面の床」外観と内観。二軒長屋の2階の床を外し、梁だけを残して3つの斜面を新たに施工した。傾斜の角度はばらばらで、斜面に人が通ることのできる穴を複数空けた。階段はなく、穴をよじ上っていく空間。[撮影=金川晋吾]

もうひとつは「中層」というプランである。壁はそのままに、床と天井を垂直方向に移動させた。1階は這いつくばって移動しなければならないほどの天井の低い空間になり、直立できるところがない。階段を上がり既存の梁の下に降りる。ここを「中層」と呼んでいる。既存の生活用具は、通常と異なる高さに位置する。例えば、エアコンや給湯器は自分の目線と同じ高さになる。物の機能性が後景化し、物そのものと身体の関わり方をつくりなおす。


「中層」内観(上=中層の空間、下=2階)。五軒長屋の2軒分を改装した。共有壁を壊すことで、鏡面のように線対称な空間が生まれる。また2階の床を下に下ろし、1階の天井を上に引き上げた。天井裏や床下に隠れていた隙間が相互貫入することで、人が入れるほどに広がり、家の中央に暗がりの空間がつくられる。間仕切りの障壁をくぐり、這いつくばって移動するため、身体の節々の硬さが顕在化するが、次第にその生活空間に合理的な動作を身につけていく。2階の半分の床は屋根の瓦をそのまま下ろし、既存の屋根はスケルトンにすることで、家の中に外部を取り込んだ。[撮影=金川晋吾]

この家屋は、もともと部屋ごとに天井の高さに違いがあるため、「中層」では部屋を移動すると天井が低いところと高いところとで不連続に姿勢を規定することになる。既存の天井高の差異が際立つのである。もともと押入だった空間は「くぐり抜ける」ための通路となる。こうした効果を狙うことで、身体と建築空間の関係性を過激に調整している。

ル・コルビュジエは、身体のスケールから建築の寸法体系を「モデュロール」として作成したが、「中層」は天井の低さが心地の良い空間であり、狭いところを好むとされる自閉症のように自分の姿勢とともに調整される。「障害の家」では、静止した身体サイズではなく、動く身体がモノサシとなるのだ。天井の低さは安心感をつくり、その狭さによる動物的な身体への効用は、ひとつの「ケア」と言えるだろう。それは、子供がトンネルや秘密基地をつくって遊ぶ感覚に近い。「障害の家」は身体の姿勢と運動とともにある建築、いわば動詞的な「建築する身体」による建築なのである★7

ケアには記憶にアプローチする側面もある。京島では、既存の長屋を改装したことで、当然、その環境の匂いや雰囲気などの家屋に染み付いた記憶が前景化した★8。とりわけ、同じ地域の長屋に住む人は「障害の家」を体験して、「普段、生活のなかでは見えてこない『家』そのものに、はじめて触れた気がする」と語ったことが印象的だった。区画整理のため、取り壊しが予定された長屋地区の住人に対して、家(生活)の記憶を昇華させる効果があったと言える。

荒川+ギンズの建築が単独で成立するモデルとして設計されているのに対して、「障害の家」は既存の家屋の条件を活かしながら、未仕上、脱仕上のラフさを取り入れている。そこに本来想定されていない動線や分岐、時間や記憶の層が立ち現われるのだ。建築の経年変化や身体の履歴からがすでに建築なのであり、その障害を組みなおす未仕上、脱仕上の体験はケア的に働いていたといえるだろう。

規格外の身体から建築のあり方

「障害の家」におけるケアの空間とは、機能化する器官や役に立つことへの抵抗(反体制)ではない。制度を組み替え、凡庸な日常生活のなかにある些細な事柄に価値を見出すラ・ボルド精神病院の活動はその先駆的事例であるが、その時代は反精神医学や反芸術として特徴づけられていた。しかし、現代のオルタナティブな実践によって、ラフな空間における新しい精神医療と芸術の場が生まれるだろう。

規格外の家で体を動かすことによって行為の選択肢の系列が組み変わり、規格外の身体に気づく。そこから障害を組みなおすこと。それは日常生活を規定している既存の環境に対する生きた批評であり、建築が別様にもありえることを実物で提示することで、無意識に拘束されていた縛りから解放していくモデルとなる。これは規格内での選択肢を超え、規格外の身体の可動範囲を動かすところから設計するという想像力を促す。「障害の家」を体験した方から、江戸川乱歩の小説『芋虫』や『屋根裏の散歩者』を想起したという感想が挙がったことは興味深い。異質な身体のイメージを動かし、フィクションによって身体の可動範囲を広げることで、新たな想像力が生まれる素地になる。

「斜面の床」が字義どおり開放的な空間であるのに対して、「中層」はどこか座敷牢のような陰湿さが感じられるかもしれない。しかし、ケアの空間において大事なことは、単なる「開かれた」環境ではなく、現実性を規格や規範、制度で狭めないことであり、個々人が自分なりに共同性の閾を更新できることだ。それは規格外の身体から新たな知恵や関係をつくれるような建築のあり方でもある。未・脱仕上が内包するラフさには、意味を柔軟に組み替える弾力性があり、周囲の環境が変化しても生きていく可塑性を持つ。建築をリノベーションするように、それぞれの個人の身体とその生活空間との関係のなかで、障害を組みなおしていかなければならない。



★1──『ETV特集 長すぎた入院』(NHK、2018.2.3放送)
★2──大崎晴地「障害を組みなおす──修復とは別の仕方で」(『哲学のメタモルフォーゼ』河本英夫+稲垣諭編、晃洋書房、2018)
★3──「障害の家」プロジェクトは、2015年2月にアサヒ・アートスクエアにて筆者が立ち上げたプロジェクト。「障害」や「バリア」のある生活のほうが「健常」者よりも豊かで多様であることを検証し、建築家の笠島俊一(bask design)とともに「家」を建てる。
★4──岩元によれば、ル・コルビュジエの初期作品に代表される近代建築では、近代以前の仕上文化を否定するために白く平滑な面を志向した(仕上げの否定=無仕上)。一方、フランク・ゲーリー《自邸》(1979)のむき出しの合板や、レム・コールハース《ヴィラ・ダラヴァ》(1991)のコルゲートは、建築の仕上を未完に留めることで、規格化住宅への批評性を担保したという(仕上げを完成させない=未仕上)。そして、既存の建物への部分的な介入によって、仕上の意味を再構築する方法論を「脱仕上(仕上げを剥ぎ取る)」と呼んでいる。脱仕上による痕跡や構造体を露出させる方法は、昨今の日本の建築家によるリノベーション作品にも多く見られる。岩元真明「仕上、無仕上、未仕上、脱仕上」(『ねもは 003「建築のメタリアル」』2012)
★5──上野千鶴子『ケアの社会学──当事者主権の福祉社会へ』(太田出版、2011)第4章。ここでは19世紀の救貧法に福祉国家の起源を求めている。
★6──「障害の家」を発表した展覧会「HYPER-CONCRETENESS──フィクションと生活」(2018.3.9-3.30)の展覧会名は、ティモシー・モートンの"hyperobjects"(元はBjörk の歌う"Hyperballad")から着想を得た造語であり「超具象」「共約不可能な現実性の硬さ」という意を込めている。ちょうど東京オリンピック・パラリンピックに向けた区画整理のため、京島の長屋一帯が壊される手前の時期に開催し、まさに社会の流動化に抗する建築として、「障害の家」がモニュメンタルな意味を持った。
★7──荒川修作+マドリン・ギンズ『建築する身体』(河本英夫訳、春秋社、2004)
★8──「中層」では、五軒長屋の共有壁を取り壊すことで、隣り合った階段や、便器が2つ並んだラフな空間が生まれた。関東大震災で焼けた当時の梁がそのまま使われていたり、改装されて比較的新しい設えになっていたり、それぞれの長屋の新旧の差異が際立っていた。


大崎晴地(おおさき・はるち)
1981年生まれ。美術家。東京藝術大学大学院美術研究科博士課程修了。博士(美術)。心と身体、発達のリハビリテーション、精神病理学の領野に関わりながら作品制作、研究活動をしている。展示=「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」(KAYOKO YUKI、駒込倉庫、2016)、「あなたが感じていることと、わたしが感じていることは、違うかもしれない」(はじまりの美術館、2017)ほか。プロジェクト=「『障害の家』プロジェクト(Barrier House Project)」(2015-)、「エアートンネル・プロジェクト」(2013-)ほか。


201812

特集 ケア領域の拡張


ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ
身体をリノベーションする──ケア空間としての障害建築
幽い光、あいだの感触
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