ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ

金野千恵(建築家)+矢田明子(Community Nurse Company代表)

「10+1 website」2018年12月号ではケア領域の拡張を考えます。本対談では、ケアに関わる空間や場所の設計をしている建築家の金野千恵さんと、各地で「コミュニティナース」という看護のあり方を提唱し、その普及に努める矢田明子さんに、それぞれの具体的な活動の紹介と議論をしていただきます。

暮らしの動線にいるコミュニティナース──予防的ケアとおせっかい

矢田明子──簡単に自己紹介をすると、私は島根でいろいろな仕事をしてきましたが、ケアについて深く関心を持ち始めたのは、父を癌で亡くした26歳の時です。その後、2014年に島根大学医学部看護学科を卒業し、2017年にCommunity Nurse Company株式会社を設立して、主に東京と島根を拠点としてコミュニティナースの育成・普及に取り組んでいます。

コミュニティナースにとっては具体的な場がとても重要で、それによって人に直接関わることの効果が最大化されるので、今日はとてもありがたい議論の機会です。

金野千恵──私は建築の設計をやっていますが、大学院修士課程の頃から継続的に、「ロッジア」の研究をしています。これは、フィレンツェにあるルネサンス期に建てられた屋根がかかった吹放しの半屋外空間で、当初は儀式的な空間でしたが、今でも市民の憩いの空間として、また、演奏会などにも使われつつ現存しています[fig.1]。こうした空間は対象者や目的を定めずに数百年維持されてきた、という強度があります。近代建築では、病院、図書館、学校といったプログラムに沿って型が計画され、それに従って建物がつくられてきましたが、ロッジアのような機能の曖昧な空間は世界中にあり、多様な世代や他人同士、仕事する人や休む人が同時に存在できる懐の深さを持っています。また、街に人の「現われ」があることで、街としての許容力が高まると感じています。大学院で「現代建築作品におけるロッジア空間の性格」(2011)という博士論文を書いてからも、ライフワークのようにロッジアを研究していて、あとで紹介しますが、こうした街の中の寛容な空間に関する研究が、今、ケアの空間や場所の実践につながっています。今日は、コミュニティナースの活動について伺えること、とても楽しみにしていました。

fig.1──フィレンツェの「ロッジア・ディ・ランツィ」[撮影=金野千恵]

矢田──コミュニティナースとは、ある特定の職能というよりも「あり方」で、現在の定義としては、日常的に暮らしの動線のなかに存在し、予防的観点から街の人びとと関わる医療や看護の知識・技術を持った人、です。普通の人は病気になってから病院へ行ったり、年老いてから介護を受けたり、その当事者になってから医療制度、介護制度のお世話になりますが、もっと健康な状態から日常のなかで知識や技術を享受できてもいいはずです。私は個人としてもコミュニティナースの活動をしてきましたが、今、看護師免許を持っている人たちを中心にもっと広げていきたいと思っているところです。

現在、全国で100名弱のコミュニティナースが私たちの仲間として活動していますが、実践する人や地域によって、それぞれの表現の仕方がまったく異なっています。例えば、ガソリンスタンドや人気の喫茶店、居酒屋にいるコミュニティナースもいますし、おにぎりスタンドを経営しているコミュニティナース、「まちライブラリー」という図書スペースを運営しているコミュニティナースもいます。なぜかと言えば、ある街にとってはそのガソリンスタンドは生活に欠かせないもので、90%の住民が月に一度は利用するような場所であるからです。

矢田明子氏

コミュニティナースは、ガソリンスタンドではガソリンを入れていますし、喫茶店や居酒屋では店員としてサーブをしていますが、そうした日常への馴染みがとても大事です。普通の店員として、挨拶をしたり、世間話をしたりするなかで、じつは看護師というケアの専門性を持っていることが効いてきます。例えば洗車の合間に、わざわざ病院に行くまでもないと思っていたり、なかなか言えないような健康の話になります。ガソリンスタンド側もじつは問題意識を持っていて、お客さんが年老いていくのを見ていたり、お客さんの家族が病気になった話などを聞いているのですが、どう対応したらいいかがわかりません。経営者の方には、街の人との接点を持つために定期的に常駐させてもらえないかというお願いをして協力を仰ぐのです。居酒屋も面白く、効果的です。中高年のおじさんたちがお酒の勢いから、店員につい相談をしてしまいます。その流れで「病院へ行ったほうがいいよ、また今度来た時にその結果を教えてよ」などと言うと、普段病院に行かないような人でも素直に行ってくれるのです(笑)。コミュニティナースの表現は多岐にわたっていますが、共通しているのは保健室のような施設をつくるのではなく、暮らしの動線へ入り込むこと、日常に融合するかたちで存在していることです。コミュニティナースのパフォーマンスを最大限に発揮しようと思った場合、保健室以外のかたちがあって然るべきです[fig.2]

fig.2──魚屋にいるコミュニティナース[提供=Community Nurse Company]

また、活動のキーワードとしてあるのは「おせっかい」です。人がおせっかいを焼くのは、相手の将来への予測が立っているからこそであり、その人を大事に思っていることが前提になっています。ある予兆を放っておくと病気になるという予測があり、回復する力があることを信じているから踏み込むわけです。コミュニティナースたちは、その専門知識を予測に使い、友人関係を超えておせっかいを焼くことで、人びとが元気でいられる時間を増やすことができます。

それは病院の中で起きていることとは大きく違います。人が病院に来る時には、何か気になることや自覚があって来ているわけですから、基本的に受け身で、アドバイスをすれば聞いてくれますし、処方にも従ってくれます。一方、街中で突然他人からおせっかいを焼かれても怪訝に思われてしまうので、必要なのは事前の関係性です。白衣も着ていない、病院のような環境による保証もないなかで、コミュニティナースがおせっかいを発動するにはスタンスと手法が問われることになります。

いわゆる「まちの保健室」のようなものをつくったこともありましたが、施設の維持が目的化してしまうこともあり、よほどガソリンを入れているほうが人の役に立つことに思い至りました。ガソリンスタンドのスタッフも世間話のなかでさりげなく「じつはあの人ナースなんですよ」と言ったりして、「なんだお前、ナースなのか。病院で働けよ」とか言われつつも、「体のことで気になることがあれば気軽に声かけてくださいね」と言っておくと、やはりそのうちに話が出てくるのです(笑)。そうした状況が定着してくると、今度は逆にコミュニティナースがいるかどうかを尋ねられるようになり、さらに住民が自ら「今日はコミュニティナースいます」という看板までつくってガソリンスタンドに掲げてくれるようになります。最初から保健室を開設したとしても、そこに来る人は限られているので、待つのではなく、自分から住民の暮らしの動線に乗っていくのです。ゆるやかな関係を事前につくることで、初めてコミュニティナースの存在が認識され、信頼されるのです。


201812

特集 ケア領域の拡張


ケアを暮らしの動線のなかへ、ロッジア空間を街のなかへ
身体をリノベーションする──ケア空間としての障害建築
幽い光、あいだの感触
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