第5回:21世紀のアール・デコラティフ(後編)

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)
本連載ではこれまでインテリアとマテリアリティの問題を主に論じてきた。「21世紀のアール・デコラティフ」と題した本稿はこの「第1部・完結編」となる。第4回に続く後編を掲載する。

19世紀の大量生産における「テクトニクス」と「マテリアリティ」

19世紀の万国博覧会とその展示品をめぐる問題は、しばしば「装飾」の問題として議論されてきた。鈴木博之『建築の世紀末』(晶文社、1977)および天野知香『装飾/芸術──19-20世紀のフランスにおける「芸術」の位相』(ブリュッケ、2001)は、なかでも英仏2つの国からこの問題を論じた最重要著作といえるだろう。

本稿もまた、これらの先行研究によるところが大きいが、この問題をインテリアおよびそのマテリアリティの観点から再考することで、この議論に新たな色彩を与えることを目的としている。

産業革命の大量生産を、そのデザイン・品質ともに「粗悪品」と語ることは、ペヴスナー以降、当然の前提として考えられがちであった。だが、前稿で見てきたとおり、ヘンリー・コールとその一派は「粗悪なデザイン」を推し進めてきたわけではなかったはずである。そして、その機械生産によるインダストリアル・アートは、19世紀の室内を強烈に個性づけていたはずなのだ。

たとえば、本連載第1回でもとりあげたジャカード織機による複雑な織り模様の自動化は、さまざまなパターンの織物を大量に生み出した。実際、1851年のロンドン万博では、ジャカード織機の機械そのものがいくつも展示され、さらにジャカード織機で織られた、毛織物、絹織物、サテン、ベルベット、モスリンなど、さまざまなファブリックが出展されている。 ロンドン万博以来のインダストリアル・アートにまつわる一連の活動の集大成として設立されたヴィクトリア&アルバート博物館では、そのウェブサイトのなかで、ジャカード織機がどのような働きをする機械だったのか、動画を作成して説明してくれている。このビデオを見れば、機械生産は職人の手作りに比べて粗悪であるという断定は、あまりに短絡的であると気づかされるだろう。ジャカード織機による織物生産は、いわばファブリックの構築法の革新であった。21世紀の新技術である3Dプリンターやレーザーカッターによって、驚くべき3次元立体が作り出される様子を初めて目の当たりにしたときと同じように、見ているだけで心躍るようなこの技術革新が、19世紀のデザインを前に進めたことも、間違いなく事実なのである。

また、天野氏による壁紙装飾に関する指摘も興味深い。19世紀前半のフランスでは、壁画を模倣したパノラマの絵画作品のような壁紙が流行し、「おそろしく手間暇のかかる手仕事によって技倆を誇ることに意を注いだ」という。一方のイギリスは、壁紙の印刷に従来の版木を用いるのでなく、シリンダーを使った連続印刷機を活用することにより、オーウェン・ジョーンズが「植物モチーフによる平面的で抽象化された繰り返しモチーフのデザインに積極的に取り組んで」、技術革新とデザインの方向性を示していた★1。オーウェン・ジョーンズの『装飾の文法』に数多く取り上げられる繰り返しモチーフからなる装飾文様は、無論、古今東西の装飾大辞典としての性格を有していたが、それと同時に、一点物の絵画作品とは異なる、機械生産に適した繰り返しモチーフを活用した、大量生産のためのデザイン教科書という側面を、多分に有していたわけである[fig.1]

fig.1──オーウェン・ジョーンズ『装飾の文法』より、中世ヨーロッパにおける、繰り返しモチーフによる壁面装飾(Diapers on Walls)(引用出典=Owen Jones, The Grammar of Ornament, (first published in 1856), Princeton University Press, 2016.より)

また、鏡壮太郎氏の一連の研究で紹介された、ガルヴァノプラスティ(galvanoplastie、電気メッキ複製法)やカルトン・ピエール(carton-pierre、擬石板紙)の技術も、同じく技術革新とデザインという観点から、きわめて興味深い事例である★2

ガルヴァノプラスティは、19世紀前半からヨーロッパ各国で研究されてきた電気分解の化学反応を利用した電気メッキ(electroplating)の応用技術であり、電気分解の仕組みを利用して複製型(electrotyping)を作成することで、彫刻作品を複製する技術として確立されたものである。この技術は、なかでも19世紀半ばのパリで設立された銀製品メーカー、クリストフル社で大いに活用された。クリストフルの銀細工、銀食器は、この電気分解の原理を応用した精巧な複製技術によって、大成功を収めることになったのである。

ガルヴァノプラスティ(あるいはエレクトロタイピング)による彫刻複製のプロセスについては、19世紀にティファニー社が行ったという銀製の壺の複製を解説する動画を、メトロポリタン美術館が公開しているので、これが理解の助けになるだろう。



ガルヴァノプラスティの彫刻複製プロセスにおいては、まず対象となる彫刻を蝋や天然ゴムなどで型取りし、その表面をグラファイトで被覆する。そしてこれを陰極に、陽極には銅片をつなぎ、硫酸銅中で電気分解すると、陽極の銅が溶け出し陰極のグラファイトの表面に析出することになる。この原理によって、複雑な形態の彫刻作品を精巧に複製することが可能になるわけである。メトロポリタン美術館の動画では、銅によって壺の複製を完成させた後、電気分解法による銀メッキで銀製の壺の複製を完成させている。

fig.2──1851年のロンドン万博に出品された壺、裁縫台、書き物机、花台、裁縫箱(電気銀メッキ製)。(引用出典=The Crystal Palace Exhibition: Illustrated Catalogue, London (1851), an unabridged republication of The Art Journal Special Issue, Dover Publications, 1970. より)

この技術もまた、近代科学が発明した新技術による、デザインと物づくりの新たなかたちである。機械生産の内実を知らないままに「大量生産による粗悪な物づくり」と聞かされて、「まあそんなものか」と納得していた人も、この動画を見れば考えを改めるのではなかろうか。そこにあるのは、彫刻作品の製法を根底から革新する驚くべき構築法である。そしてもうひとつ強調したいのは、この技術がディテールまで正確に形態の複製をすることを可能にしたばかりでなく、同時に、銀のような伝統的で上質のマテリアルを用いることも可能にしていた点である。すなわち、樹脂のような安価で扱いやすいマテリアルに置き換えることで形態を自在に操るのではなく、伝統的なマテリアリティを継承するものだったという点は、19世紀を再評価すべき重要なポイントになるのではないかと思うのだ★3

ガルヴァノプラスティによって製作された彫刻は、シャルル・ガルニエによって設計されたパリのオペラ座(1875年竣工)の屋根の上を飾ることになったし、カルトン・ピエール★4によって製作された壮麗かつ複雑な彫刻作品は、同じくオペラ座のインテリアを豊かに装飾することになった。第二帝政期のネオ・バロックなどと呼ばれる豪華絢爛な建築とその内装が、こうした装飾やマテリアルの新技術と結びついていたということは、きわめて興味深い事実といえるだろう。

フランスにおける「アール・デコラティフ」の問題

ガルヴァノプラスティやカルトン・ピエールによるさまざまな新しい物づくりが、シャルル・ガルニエのオペラ座を飾ったように、大量生産のインダストリアル・アートは、19世紀後半のフランスにおいて、建築とインテリアに結びつく重要なプロダクトになっていく。

これについては天野知香『装飾/芸術──19-20世紀のフランスにおける「芸術」の位相』で詳細に論じられているので、ここではフランスにおけるこの問題の中心的組織である「装飾芸術博物館」の沿革をfig.3にまとめるにとどめよう。1905年に開館した「装飾芸術博物館」こそ、19世紀後半のフランスにおける大量生産のデザインに関する議論の結実といえる。この博物館開館までの関連組織の名称の変遷を見ると、産業芸術(l'art industriel、1845)、応用芸術(arts appliqués、1863)、そして装飾芸術(arts décoratifs、1877)と、fig.4の表にまとめた概念が次々に使われ、最終的に「装飾芸術」が博物館の名称に採用されたことがわかる。19世紀後半を通じてフランスでは、インテリア装飾と強く結びついた大量生産のデザインの問題が、こうして「アール・デコラティフ」という概念に収斂していくことになったのだった。

fig.3──パリの「装飾芸術博物館」開館および「アール・デコ博覧会」開催までの沿革(筆者作成)
[画像をクリックして拡大]

fig.4──19世紀のデザインをめぐる用語群(筆者作成)

もう一点、フランスにおける装飾芸術(l'art décoratif)の概念の新規性についても、指摘しておく必要があるだろう。建築理論の伝統においては、「装飾」は英語の"ornament"にあたる言葉で議論されてきた。アルベルティが『建築論』の第6章で「美と装飾について(De pulchritudine & ornamento)」を論じたとき、彼は「装飾」をラテン語の"ornamentum"を使って論じた。アドルフ・ロースの「装飾と犯罪」も、"Ornament und Verbrechen"である。一方、ラテン語の"decorum"は、元来、「相応しさ、適切さ」などを意味する言葉として、古代のウィトルウィウス以来使われてきた言葉だが、それが転じて「適切さ、飾り立てること、装飾、美、優雅、魅力」などの意味を孕んでいくようになったものである。すなわち"decoration"という言葉は、語源的には「装飾」そのものを示す概念ではなかった。

その延長線上にフランス語の装飾芸術(l'art décoratif)という概念が登場するわけだが、それが登場したのはようやく19世紀後半のことであった。1862年に、当時はまだ「産業芸術」を組織名に冠していた「産業芸術進歩協会(Société du progrès de l'art industriel)」[fig.3]の会報のなかにこの言葉が登場し★5、また同年のアカデミー・フランセーズの辞書の補遺で、新語(ネオロジスム)として登場する★6。そしてこの新時代のキーワードを正式名称に、いよいよ「装飾芸術博物館協会」による博物館設立の準備が、1877年以降、進められていくことになったわけである。

ただし、天野氏の指摘によれば、「産業芸術」や「応用芸術」の概念が、一直線に「装飾芸術」の概念へと移行したわけではないようである。1863年に設立された「産業応用美術中央連合」のメンバーは、レース、銀器、壁紙などの産業芸術に携わる商業的な制作者たちが中心だったのに対し、1877年に設立された「装飾芸術博物館協会」の方は、収集家として有名な貴族出身の政治家を代表に、文化行政官や美術愛好家などを含むエリート的な美的趣味を持つ人々で構成されていた。フランスではアカデミーを中心とする長年の「美術」の伝統があり、その「大芸術」としての格式と、国家的な産業振興政策のあいだに横たわる矛盾が、根強く存在していたわけである。これら2つの立場を代弁する組織が統合され、1882年の「装飾芸術中央連合」が結成されることになったのであり、その際、新しい概念である「アール・デコラティフ」のほうが選択されたのだった★7

その結果、「装飾芸術(l'art décoratif)」は「芸術」としての側面と「産業」としての側面の両面を内包するようになっていく。フランス製品は、その芸術性ゆえに、産業としても国際的な競争力を持ち得たのである。それらはとくにインテリア装飾を中心に発展し、19世紀末になると、パリでサミュエル・ビングによる有名店「アール・ヌーヴォー」が開店し(1895)、アール・ヌーヴォーの室内装飾が大流行することになる。実際、フランス製の装飾芸術の人気と成功はめざましかった。1900年のパリ万博ではビングのアール・ヌーヴォー館や装飾芸術中央連合館などのパヴィリオンも出展され、アール・ヌーヴォーのデザインを身に纏ったフランス製の装飾芸術が、国際的に発信されていくことになったのである。

同時期のフランス国外にも目を向けてみると、たとえばミュンヘンでは1897-98年に、フリードリヒ・ブルックマンとユリウス・マイヤー=グレーフェによって雑誌『装飾芸術(Dekorative Kunst)』が創刊されている。この雑誌は、パリとリエージュでフランス語版(L'Art décoratif, Revue internationale d'art industriel et de décoration)も発行され、ドイツのユーゲント・シュティル的なデザインの装飾芸術と、フランス・ベルギーのアール・ヌーヴォー的なデザインを特徴とする装飾芸術の、国際的な流行を橋渡ししたともいえるだろう。さらにマイヤー=グレーフェは、1899年のパリで、ビングの店舗「アール・ヌーヴォー」の向かいに、同じく装飾芸術を扱う店舗「ラ・メゾン・モデルヌ」を開店した。パリの街中の一画に、アール・ヌーヴォー時代のパリにおける、装飾芸術発信の中心拠点がこうして構成されていたわけだ。

そして1905年になるとついに、ルーヴル美術館に隣接して、同じく旧ルーヴル宮殿を構成していた建物(マルサン翼)内に「装飾芸術博物館」が開館した。ここでは中世以来のフランスにおける室内装飾や室内調度品のコレクションが展示され、いわばフランス・インテリア史の博物館が完成したわけである。

1900年のパリ万博でアール・ヌーヴォーが世界に向けて華々しく発信され、1905年には装飾芸術博物館が開館するという勢いに乗って、1912年になると、今度は「装飾芸術」をテーマにした次なるパリ万博の計画が立ち上がる。19世紀後半に繰り返し開催されたパリ万博においても、1851年のロンドン万博と同様に、生活用品やインテリアに関するさまざまな製品が出展されてきたが、どちらかといえば鉄とガラスの大空間にさまざまな産業機械の巨軀を展示した「機械館(galerie des machines)」のほうが花形だった。しかし1900年のパリ万博の成功を受けて、今度は巨大な産業機械ではなく、小さな「装飾芸術」に特化した次世代の万博の計画がはじまったのだった。

この万博は1915年に開催される計画だったが、1914年に勃発した第一次世界大戦のため、結局10年遅れの1925年に開催されることになった。これこそが「現代装飾芸術・産業芸術万国博覧会(Exposition International des Arts Décoratifs et Industriels Modernes)」、通称アール・デコ博覧会として知られる、1855年の第1回パリ万博から数えると第6回目のパリ万博であった。

1900年のパリ万博で一世を風靡した「装飾芸術」のスタイルが「アール・ヌーヴォー」だったとすれば、1925年の万博のスタイルは「アール・デコ」であった。1862年には「新語」に過ぎなかった「装飾芸術(art décoratif)」が、ついに世界中の人々に認知された瞬間である。一方で、ここには概念の地滑りとでも呼びうる現象が起こっていたことも理解されるだろう。「装飾芸術」は、産業革命以降の生活とインテリアに関わるすべての製品を包含する概念であった。そのデザインの趣味は、19世紀を通じてリバイバリズムや異国趣味(シノワズリ、ジャポニスム)など、さまざまな要因に影響されて変化し続けてきた。19世紀末には曲線や植物モチーフなどが多用されたデザイン(アール・ヌーヴォー)が流行し、20世紀に入ると、今度はドイツ・オーストリアからの影響を受け幾何学的装飾モチーフ(アール・デコ)が流行した。デザインの趣味はこうしてさまざまに移り変わったとしても、そこで生産された椅子やテーブル、照明器具、壁紙、食器、ステンドグラス、宝飾品、そしてカーテンから衣類までを含むようなありとあらゆる布製品が、「アール・デコラティフ」の名で呼ばれうる製品群だったわけである。

しかしながら、そのデザインの変遷、流行の変遷の最後のフェーズだけが「アール・デコ」の呼称で強烈に定着することになってしまった。そのことに注意しながら、1925年に起こった事件を、最後に見ていこう。

  1. 19世紀の大量生産における「テクトニクス」と「マテリアリティ」/フランスにおける「アール・デコラティフ」の問題
  2. 1925年のアール・デコ博覧会/アール・デコ博覧会とル・コルビュジエ/第1部完、そして第2部へ

201812

連載 アーキテクトニックな建築論を目指して

第5回:21世紀のアール・デコラティフ(後編)第4回:21世紀のアール・デコラティフ(前編)第3回:建築史学の現代性第2回:マテリアリティとは何か?第1回:素材と構築が紡ぐ建築史
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