刊行記念対談:石川初『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』

石川初(ランドスケープアーキテクト)+大山顕(フォトグラファー/ライター)

東京湾埋め立てから考える「ランドスケープ」

大山──さて、後半は僕が埋立地のランドスケープについて、そしてマンションポエムから考えるランドスケープについてお話ししたいと思います。よろしくお願いします。

埋立地って面白いなと思っていて、写真を撮ったり調べたりしています。面白いのは東京が埋め立て地に島をつくっているのに対して、千葉は陸地を延長しているんですよね。だから千葉は川が延長しているんですよ。例えば花見川という川は流域の半分が新しい陸地なので、長さが2倍に伸びています。東京湾の埋立地の変遷を、元の陸地、1965年、1975年という年代別に調べました。

これは浦安にある堤防跡です。3キロにわたって陸の真ん中に堤防跡が残っています[fig.24]。要するにかつて海に接していた場所がある時代に海を失ってしまって、堤防の上部だけが陸地に残っているのです[fig.25]

堤防って巨大な波をコンクリート塀で止めるための構造物を抱えているので、簡単に壊せず残りがちなんですよ。そうすると、陸地化された後も年輪のように残っていくんですね。この浦安の堤防跡を先ほどの年代ごとの航空写真で確認すると、1975年の時点では現代も残っている3キロ一帯の内側がすでに陸地になっています。それ以前1965年は一部のみが陸地化されていました。この堤防は海を失ってから意味のないものとして2世代にわたって年輪のように残っているということなんです。面白いのは堤防の反対側は新しく陸地化されたので地盤が高いんですね。ここは中央分離帯のような形で堤防が残っています。

地形図で見ると、さっきの堤防から海側のほうが高くなっているんです。そのため排水が海から内陸側に向かって流れてくる、という現象が見られます。

fig.24──浦安にある堤防跡
(Google earth/ Image Landsat/ Copernics/ Data SIO, NOAA, Navy, NGA, GEBCO/ Imga IBCAO/ Data Japan Hydrographic Associationに大山顕加筆)

fig.25──陸地に残存する堤防の上部
撮影=大山顕

ここからちょっと「ランドスケープとは何か」ということについてお話しします。港千尋さんが『風景論』(中央公論新社、2018) という本で「ランドスケープ」の語源に関して言及されています。そこでは、アメリカ人環境史家のジョン・スティルゴー(John R. Stilgoe)が、「ランドスケープ」の語源は、現在のオランダ北部から北ドイツの海岸地帯にかけての海抜の低い地域で使われていたフリジリア語の「ランドショップ(landschop)」ではないかと紹介しているんですね。そしてランドショップの「ショップ」というのは「スコップ」なのではないか、さらにはシャベルで土を掘って海に放り投げ埋め立てていく行為がその語源なのだと主張しています。
つまりこれに従うと、ランドスケープは埋立地であるということなんですね。これは僕にとってはすごく納得のいく話で、ランドスケープというと自然あるいは田園の風景という認識がありますが、そもそもは人工の土地である、と。

そこで思い出したのはゲーテの『ファウスト』という小説で、これは埋立地小説なんですよ。ファウストは誘惑の悪魔メフィストーフェスに何でも願いを叶えてやると言われてあらゆる快楽を体験し、皇帝に仕えて広大な所領をもらうのですが、ファウストが最後に望んだのは埋め立て地をつくることでした。そして魔女によって両眼を失明させられたファウストは、悪魔たちが自分を埋める墓穴をスコップで掘っている音を、人々が休まず埋立地を拡張している音と勘違いして、恍惚のなか死んでいくという話です。あらゆる快楽を経て、最後に望んだのが埋立事業だということです。

『旅する本の雑誌』(本の雑誌社、2018)という本に埋立地についての論稿を寄稿しました(「団地団・大山顕とたどる東京都市計画──東京湾を埋め立てろ!」)。東京湾を埋め立てる計画というのは昔からあって、そのひとつに大友克洋の『AKIRA』(1982-90)という漫画があります。『AKIRA』は、2020年の東京オリンピックのために東京湾の中心を埋め立てて建設した新首都「ネオ東京」を舞台としています。「ネオ東京」の元ネタは丹下健三が描いた「東京計画1960」です。

しかしこれ以前の1958年に東京湾を埋め立てる「NEO-TOKYO PLAN(東京湾埋立による新東京建設提案)」という計画がありました[fig.26]。計画者である産業計画会議の加納久朗は後の日本住宅公団初代総裁で、団地は当時の究極の夢だったということもわかります。「NEO-TOKYO PLAN」が描く東京湾埋め立てについて、人々はそれほどの土をどこから持ってくるんだと異見したそうですが、加納は核を使って鋸山や房総山を吹っ飛ばし、その土で埋め立てるというソリューションをもっていました。彼は核の平和利用が謳われた戦後のひとつの回答としてこう考えたのです。加納はこの後千葉県知事になりますが、就任してすぐに亡くなり、副知事で加納の右腕と呼ばれた友納武人が後任に選ばれます。友納は副知事時代からの東京湾埋め立て計画を進めて京葉工業地帯を形成し、後に東京ディズニーランドを誘致します。東京湾の埋め立ては、まさに「ランドスケープ」そのものだと言えると思います。

fig.26──「NEO-TOKYO PLAN(東京湾埋立による新東京建設提案)」
引用出典=産業計画会議『東京湾2億坪埋め立てについての勧告』(ダイヤモンド社、1959)

千葉の埋立地で僕が思い出深いのは、南船橋です。この航空写真に埋立地らしからぬ曲線がありますが[fig.27]、1989年にはすでに存在していました。さらに遡ると、ここにはかつて船橋ヘルスセンターという総合レジャー施設の巨大な人工ビーチ「ゴールデンビーチ」がありました。要するに埋め立て地にこのビーチの境界線が今でも道として残っているということなんです。

fig.27──埋立地を利用したかつての船橋ヘルスセンター跡地に残るビーチ境界線
(Google earth/ Image Landsat/ Copernics/ Data SIO, NOAA, Navy, NGA, GEBCO/ Imga IBCAO/ Data Japan Hydrographic Associationに大山顕加筆)

船橋ヘルスセンターというのは、1952年に船橋市がガスの採掘を行ったところ天然ガスとともに温泉が湧き出てきたことからつくられた、年間400万人を集めたすごい施設で、巨大天然温泉はもちろん、観覧車があれば遊覧船が運行し、遊覧飛行機も飛ぶ、本当にディズニーランドのような施設だったんですね[fig.28]。冬には人工スキー場が稼働します。そして1977年に船橋ヘルスセンターが閉園した後にできたのが、ららぽーとスキードーム「ザウス」です。雪国でもないのに同じ場所が2回も雪国になるという、これはもう雪国になりたい何かがあるんでしょうね(笑)。

fig.28──船橋ヘルスセンター(船橋市ウェブサイト内「FUNABASHI Style」より。1962年撮影)
引用出典=http://www.city.funabashi.chiba.jp/charm/photo/p009901.html

石川──「ザウス」は私の以前の勤め先によるものですね。

大山──鹿島の冷蔵・冷凍倉庫を業務とする部門が、その技術を使って行ったプロジェクトと聞きました。船橋ヘルスセンターを所有していたのが朝日土地興業という会社だったんですが、1970年に三井不動産の所有に代わり、同年に朝日土地興業は三井不動産に吸収されました。さて、三井不動産といえば埋め立て地の代表的テーマパーク、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを運営する株式会社オリエンタルランドの株主なんですね。つまりこの船橋ヘルスセンターで培ったノウハウをディズニーランドで活かすことになるわけです。

マンションポエムは街を売る

ところで僕はマンションポエムというのをずっと集めています。マンションポエムとはこういうものです。「洗練の高台に、上質がそびえる。」「DIVA 女神は輝きの頂点に舞い降りる。」。

要はマンションの広告ですが、僕はなぜこういうことをしているのか。津田沼に「奏であう洗練の邸」という宣伝のマンションがあるんですね。「パークホーム奏の杜」という名前のマンションですが、ポエムの由来にもなっているこの「奏の杜(かなでのもり)」というのは地名です。もともと津田沼駅前には谷津(やつ)という地域があり、津田沼の「津」は谷津の「津」が由来なんです。しかしこの谷津という地名が新興住宅地の開発により大規模に抑え込まれて、谷津1、6、7丁目が奏の杜1、2、3丁目になってしまいました。このとき、暗かったりネガティブだったりする地名を捨て、地名をポエム化しているんじゃないかということを思いつくのです。東京にも各所にありますが、「自由が丘」もそうですよね。いかにも江戸時代から続いている名前ではない。

こういうことは今に始まったわけではない。1,400物件のマンションポエムすべてを書き起こして、ポエムにどういう語彙が使われているか、ランキングしました。これが非常に面白くて、第1位から順に「街」「都心」「暮らし」「緑」「邸宅」となっています[fig.29]

fig.29──マンションポエムの語彙ランキング
作成=大山顕

マンションポエムは、商品である建築としてのマンションのことはひとつも言わず、ひたすら街をポエム化しているということがわかりました。つまりマンションポエムは何かを言い表すのではなく、隠そうとしている。隠しているのはほかならぬマンション自体なんですね。例えば津田沼の3,000万円の3LDKと港区の1億2,000万円の3LDKを並べたときに、この9,000万円の差は何なのかとうことは建築内装設備では説明がつきません。商品は同じなのに1億円近くの差がうまれるのは立地ゆえです。つまりマンション販売とは、建築的商品ではなく、あなたがどういう街に住みそこでどういうライフスタイルを得るかを売っているのです。マンションポエムから得られる真理とはこういうことです。

いくつか紹介します。「東京都心に住む。それは選ぶ地に自身の姿が投影されるということ。」。これは自らマンションポエムの定義を見事に表明していますね(笑)。続いて「その『邸宅』には、成熟した街が似合う」。この成熟した街にはこの家が似合う、ではなく、家にこの街が似合うという語順操作は、マンションを隠す大胆な手法です。消費者にとって街は選ぶ対象であり、コミットして変えていくものではないということなんです。これはかなり大きな問題を内包しているのではないかと思っています。

そしてマンションポエムには図柄として古地図が度々使われます。この街がいかに良い街かということをアピールするときに、必ず歴史を引用するのです。京都のマンションポエムはすごいですよ。マンションの説明をするときに、平安京から始まる年表が書いてあって、時代の覇者は京都を目指したとか、応仁の乱で燃えたとか、そういうことを散々書いて、最後に「ここにマンションが建ちます」で締めるという(笑)。日本史のなかにマンションを位置づけるぐらいの勢いなんですね。東京はせいぜい江戸時代なのですが、いずれにせよマンションポエムの特徴として、内容的には歴史(一番登場するのは徳川家康)、ビジュアル的には古地図というのが伝統芸としてありました。だからマンションポエムがいかに針小棒大な表現で糊塗したとしても、一応史実には基づいていたのです。

石川──マンションポエムも「本物の正義」をあてにしているんですね。

大山──しかしですね、昨年「イマジネーションランドの世界へようこそ」というポエムによってマンションポエム界に激震が走りました(笑)。「くじらアイランドの伝説」で綴られる5つのゾーンと12のシーンストーリーで構成されるイマジネーションランドという設定から立ち上がる、浦安の大規模なマンション開発です。

このマンション開発は「妖精のしわざとしか思えないこと、いくつになってもありませんか?」とポエムを続けます。「フレンドシップゾーン」のなかのハーベストテラスという家庭菜園のエリアを説明するのに、「ある時、野菜を食べない子どもたちのために異国から訪れた農夫が菜園をつくりました」「その後、街の住人みんなで引き継ぎ街の菜園としたのがハーベストテラスです」と語りかけます。もはや史実はなにも関係ありません。

石川──どこに立地しているのかを言うこともやめてしまったんですか。

大山──ええ、もう一線を飛び越えてしまったんですね(笑)。しかしこのマンションが建つ予定地は埋め立て地なので家康との関係を押し出せないから、ある意味ではこのストーリーは正解なんですよ。まだ建ってもいないのに伝説の形態で描かれるというのは非常に面白いですね。

石川──植栽はどうするんでしょう。日本の植栽でやるのかな。全部造花でやったとしたら僕は感心しますね。

大山──浦安は埋め立てられる前に干潟だった場所がありました。小説家の山本周五郎が1926年から3年ほど浦安に住み、その体験を元にした『青べか物語』(新潮社、1963)という小説を書いています。「沖の百万坪」と呼ばれていたこの河口の湿地帯に「何かをぶっ建てようと思った」が「なんにもおっ建たなかった」という会話が面白い。つまり干潟なので地質が悪く、何かを建てようとしてもなかなか建てられなかったということなんですが、ここには後に東京ディズニーランドが「おっ建つ」のです。その顛末を知っているわれわれにとってこの小説が興味深いのは、「沖の百万坪」にはカワウソやイタチが住んでいて人を「隙さえあれば化かそう」としていると記される逸話です。また、「太陽が二つ、東と西の地平線にあらわれる」という記述。つまりここは昔からイリュージョンを見せる魔法の国だったんですよ(笑)。

日本橋、その表象

大山──首都高日本橋区間を地下化する議論が動きはじめました。日本橋のマンションポエムには例えば「瞳に、空を。心に、都を。」というのがあります。日本橋の首都高を取り払えと言っている人たちが最初に言い出したのが「空を取り戻す」というキーワードだったから、マンションポエムもしきりに「空」というワードを出してくるんですね。

日本橋の歴史を辿ると、まず15世紀に日本橋川が当時最先端の技術を駆使して整備されました。その後、街道整備と日本橋地域の開発が進み、1962年に首都高が架けられました。地下には銀座線が走っていて、各時代のインフラが地層のように重なっています。僕はこれこそが日本橋のランドスケープだと思うのですが、今、日本橋はあまりにも写真的に語られすぎているんじゃないでしょうか。パースがついた写真的な構図は、オランダ風景絵画から始まったある一時代の特殊な見方なのであって、あれは本来的なランドスケープじゃないと思うんです。つまり「空を取り戻す」というのはあまりに写真的発想で、そんなに空が欲しければ首都高の上に橋を架ければいいじゃないか、取り戻したくなるたびにどんどん架けていけばいいんじゃないかと思う(笑)。画家の山口晃さんは《百貨店圖 日本橋 新三越本店》(2004)という作品で日本橋の首都高の上に太鼓橋をかけていますよね。

石川──例えばニューヨークの廃線となった高架を空中緑道、公園として再設計しているハイラインなどをはじめ、最近では高架空間が使い回されていますよね。首都高のような高架はバリアフリーにつくられているので、歩けたらすごくいいと思うんですけどね。

大山──日本橋の首都高の問題を挙げるとしたら下から上は見えるのに、上から下が見えないということですよね。車窓から日本橋や街が見えないのです。視線の非対称性が問題だと思っていて、あそこをパークウェイのようにしたら、みんなの首都高の受けとめ方が変わりますよ。日当たりも良いですし、ソーラーパネルなんか設置すればすごい発電量でしょうね。FAB-G的なしたたかさでどんどん使っていっちゃえばいいんです。

石川──大学院で日本橋のまちづくりの研究をしている学生がいました。昔からある商家や老舗の人たちにインタビューをしていたのですが、彼ら、彼女らが思う日本橋らしさとか日本橋の良さというのは、路地の活気や祭りの賑わい、のれんの信用といったものなんだそうです。そこからは、ランドマークに関する言述が出てこない。これが日本橋の記号だということに関して頓着が感じられないんですね。日本橋=「空」というのは、開発側が勝手に期待していることかもしれない。
2004年に「東京キャナル」というワークショップをした際に、オランダのランドスケープ・アーキテクトのエイドリアン・グースがゲストで来日してくれて、日本橋についていろいろ議論をしたんですけれど、首都高はとてもクールだと言っていました。そのうえでもし日本橋で新しく何かをするとすれば、首都高の上に新しい技術で新しいアーチをつくって、日本橋川に江戸時代の橋を沈めると。このように断面的に歴史の厚みを持たせる、それが日本橋の望ましいランドスケープだ、と言っていました。この話は五十嵐太郎さんが著書で紹介されていましたけれども。

思考としてのランドスケープ

石川──今日は大山さんから首都高日本橋問題について伺うことも目的のひとつだったので、ランドスケープという観点から話が聞けてよかったです。

では最後に、「ランドスケープ思考とは何か」という今日の総括ともいえる話をさせてください。『思ラ本』の第8章「ランドスケープの思想」で、アメリカ・ランドスケープ・アーキテクト協会(1899-)による「What Is Landscape Architecture?」の一文を掲載しました。

ランドスケープ・アーキテクトは、建築、土木、都市計画の実践的な知識をもちつつも、それぞれの領域から要素を取り入れ、土地(ランド)との快適で機能的な関係をつくりだす。
(石川初訳)

地球と人間の両方の事情や仕組みをわきまえたうえで調和のとれた関係性を築くのがランドスケープ・アーキテクトの振る舞いなんですね。例えば建築や土木や設備や構造の専門家と仕事をするときのランドスケープ・アーキテクトの立ち位置は、それぞれとの関係性によって決まります。ランドスケープはいわばそれぞれの相手に対する行いなんですね[figs.30, 31]

fig.30──隣接分野との関係としてのランドスケープ

fig.31──思考としてのランドスケープは、領域としてではなく、さまざまな分野や対象を横断するため のツールである
ともに作成=石川初

一方、大学の研究室ではバックグランドも関心の方向性も進路もばらばらな学生たちにランドスケープを教え、ともに研究をしていますが、学生たちはそこに私が予想しないような考えやものを持ち込みます。そこで、つねに共通言語を探りながら、思考を鍛えている状態です。過去3年間の研究室運営を通じて、これ自体が「ランドスケープ」という思考方法の実践ではないか、ランドスケープはどこにでも開かれる、と考えるようになってきました。[fig.32]

fig.32──バラバラな興味や専門の間で話が通じる言語としてのランドスケープ
作成=石川初

そろそろ時間も押しているのですが、最後に、最近あらためてFAB-Gについて考えていることを話したいと思います。先ほど、100均の話をしました。100均を「素材の雑木林」だと見なせば、そこから創造的なものを引き出すことは可能なんだと。そもそも、なぜ私たちは100均は創造的ではなく、なにか、私たちの生活を損なうもののように敵視するのか、と言うと強すぎるなら、「あまり豊かなライフスタイルではない」というニュアンスで揶揄されてしまうのか。たぶん、あの物凄いスピードで供給される安価な標準品を見たときに、そこに恐怖を覚えるからなんじゃないかと思うんです。FAB-Gのバックヤードでそのことに気づいたんです。現代のように大量生産される100均世界に生きているなかで、FAB-Gがプラスチックの洗面器と杉の桶を等価に扱っている光景を見たときに、「これで俺はプラスチックの洗面器に勝てる」と感じたんですね。圧倒的な物量であるプラスチックの洗面器には勝てないと思っているからこそ、プラスチックの洗面器のようなものは排除して、杉の桶だけを用いるようになり、ものの由来に厳しい「本物の正義」という態度を取るように思えたのです。

大山──正義という方法に達するのが手っ取り早いんでしょうね。

石川──FAB-Gのプラスチックの洗面器の扱いに対して、自分たちが100均に対して勝手に抱いていた敗北感や喪失感に対する希望をもらったんです。車道と歩道を自由にまたぐ125ccバイクや、道を自由に分節し、組み合わせ、繋いでいくサンセット・ウォーカーズも同様で、既存の制度を乗り越え、主体的に使いこなす振る舞いを東京に持ち帰ることで、自分たちもFAB-Gとして生きていけるんじゃないかということを考えています。

大山──それぞれの人にとってのFAB-Gがあるといいよね。それによって正義に達することなく乗り越えることができると。

石川──それこそがランドスケープ思考じゃないかと思うんです。それぞれの心のなかのFAB-Gを見つけて、そこに定期的に立ち戻っていただきたい、というのが本日の結論ですね。

さて、皆様、今日は長時間お聞きいただきましてありがとうございました。今日の話を思い出しながらまた『思ラ本』をめくっていただけると嬉しいです。大山さんとも久しぶりにちゃんと対話ができてうれしかったです。みなさんありがとうございました。


[2018年9月20日、下北沢B&Bにて]


石川初(いしかわ・はじめ)
1964年生まれ。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科/環境情報学部教授。著書=『READINGS〈2〉ランドスケープ批評宣言』(共著、LIXIL出版、2002、2006[増補改訂版])、『ランドスケール・ブック──地上へのまなざし』(LIXIL出版、2012)、『今和次郎「日本の民家」再訪』(共著、平凡社、2012)、『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』(LIXIL出版、2018)ほか。

大山顕(おおやま・けん)
1972年生まれ。フォトグラファー/ライター。著書=『団地の見究』(東京書籍、2008)『ジャンクション』(メディアファクトリー、2007)、『高架下建築』(洋泉社、2009)、『ショッピングモールから考える──ユートピア・バックヤード・未来都市』(共著、幻冬舎新書、2016)、『真上から見た──狭くて素敵な部屋カタログ』(共著、宝島社、2018)など。 Twitter:@sohsai


201811

特集 プラネタリー・アーバニゼーション──21世紀の都市学のために


プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開
ジェントリフィケーションをめぐるプラネタリーな想像力
「広範囲の都市化」が生みだす不均等な地理──後背地、ロジスティクス、地域闘争
インタビュー:都市化の時代におけるデザインという媒介作用
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