刊行記念対談:石川初『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い──歩くこと、見つけること、育てること』

石川初(ランドスケープアーキテクト)+大山顕(フォトグラファー/ライター)

車道によって寸断された歩径路

石川──続いて、神山町の地形と道についてお話しします。調査を開始したとき、自動車の免許を持っている学生も少なかったので、最初われわれは自転車で回ろうとしていました。なかには自転車に乗れなかった学生もいたので、神山で乗れるように練習してきてもらったんですけど。

大山──いきなり大変なところで走ったんですね(笑)。

石川──そもそも神山を自転車で走る住民はまずいません。移動手段は基本的に車です。神山のほとんどの場所へは車で行くことができますが、このように車道が広く整備されたのはそれほど古いことではない。棚田が連なる地区の風景写真を見ると、後から挿入された車道が、周囲の棚田や段畑と違うスケールで風景を削るように突っ切っているのが見えます[fig.12]

fig.12──棚田が連なる風景のなかの車道
撮影=石川初

車道の特徴はもっと広域スケールにも表れます。fig.13は、神山町付近の明治時代の道を赤い線でプロットした図です。道のネットワークが主に尾根を伝っていることがわかります。これらのほとんどは歩経路です。fig.14は、現代の道路を青色の線でプロットした図です。これらは車道です。よく見るとものすごく蛇行しているのがわかります。車道は勾配を緩くしないといけないので、尾根を伝うことはできず、そして全部行き止まりなんです。これが、近代に起きた道の変化です。歩経路が集落同士をネットワーク状に結んでいた状態から、谷底の幹線道路からツリー状に広がって行き止まりのある車道へという変化です。このように道路が整備されたことで、道路空間にヒエラルキーが生じ、山の上にある集落は辺境に位置づけられてしまいました。昔の神山町は尾根の上の集落のほうが日当たりもいいし、物質的にも豊かだったと言われているのですが、現在、人々は徐々に谷底の中心市街地に降りてきて、尾根の上の集落から人がいなくなっています。

fig.13──旧版地形図に記載された明治期の道

fig.14──現在の道路
ともに作成=石川初研究室・伊藤渚生、石川初

最近、私たちが注目している「名(みょう)」という集落があります。神山町の西の山間にある傾斜地です。ここは、車道が建設される前から使われていた村の中心を通る歩経路が、現在でも行きている集落です。1975年と2015年の航空写真を見ると、周りはかなり森林化していますが、大きな土地利用のパターンはあまり変わっていないことがわかります。

村を歩くと、道と民家の位置の関係がほどよくて、軒先と道がちょうど会話が発生する距離感だったり、道沿いにお墓があったり、とても気持ちがいいのです[fig.15]。道沿いには、名のFAB-Gの工作物があちこちに点在しています。ここを歩いてみると、車道が整備されたほかの集落がじつは歩きづらかったことがわかりました。ほかの多くの農村集落では、もともと等高線に対して垂直方向に伸びていたであろう急傾斜の歩径路が失われて、延々と車道を歩くことになります。さきほどお見せしたように、車道は後からつくられるので、道路と民家の間に高いコンクリート擁壁があったり、すごく遠回りさせられたり、家の裏からガレージにアプローチしていたりと、歩行者から見た「道と家の関係」は必ずしも良いわけではないんです。

fig.15──名集落の道から民家へのアプローチ
撮影=石川初

地理院の旧版地形図から、時代ごとに名集落の道路の変遷を追ってみると、集落のある斜面が急だったためか、車道が中心部を避けて回り込むように建設されてきたことがわかります[fig.16]。これによって、期せずしてラドバーンシステムみたいな歩車分離が実現して、集落の真ん中の歩径路が残ったのではないかと考えられます。

fig.16──名集落の道路の変遷
国土地理院地図をもとに石川初作成

集落の一番上には、立派な神社が残っています。現在では神社の横に車道が通り、境内にはそこからアプローチするようになっているので[fig.17]、かつて存在した参道がなくなってしまい、神社の正面にある鳥居の先は何もない、森になっています[fig.18]
このような、かつてあった道を地図に記そうと、学生が村の人に話を聞きながら、とにかく歩けるところは全部行って記録を取ってみました。そこでわかったのは、単に「歩経路が車道に交代した」というような単純な変化だったわけではなく、古い歩径路もあれば最近できた歩径路もあり、失われたもの、今できつつあるものもある、ということです。つまり道は静的な施設ではなくて、使われることで生成したり消滅したりする、いわば動的な現象なんです。それらを施設として空間的に固定するのが舗装であり、制度として固定するのが土地の所有や管理区分です。

fig.17──名集落の神社
引用出典=神山町・森林基本図
fig.18──鳥居の先の消滅した参道
撮影=石川初

用水路と「サンセット・ウォーカーズ」

今年は、その他の集落でも「歩行」という観点から地域を描こうと、調査をしています。車道を外れて細い道の痕跡をたどっていると、橋の名残の向こう岸に道が残っていたり、家と畑の間に細い道が残っている風景が見られました[fig.19]。実感として、細い道のほうが遠くまで続いています。細い道は人家の庭先を通ったりしていますが、近年の獣害対策で電気柵が作られて敷地が囲まれたりすると、道が分断されます。土地を一元的に管理しようとすると、所有区分が顕在化するわけです。

リサーチを続けるなかで、「第3の道」として用水路の存在にも気づきました。用水路というのはなるべく遠くまで自然の力で水を運ぶものですから、地形を慎重に読んでつくられています。だから用水路はゆるい等高線を描いています。その経路や形状は、車道や歩径路とはまた違う様子を見せています。管理のために用水路沿いが歩けるようになっています。高低差が少ないので、場所によってはいい散歩道になります[fig.20]

fig.19──畑の中を通る細い道

fig.20──等高線を描く用水路と散歩道
ともに撮影=石川初

神山町の市街地の近くに「谷(たに)」という集落があるんですが、ここは散歩が盛んで、夕方になると湧いて出るように村のあちこちから散歩者が出てきます(笑)。そのなかで、最初に散歩を始めたご夫婦にお会いしました。

大山──本当に? 最初に歩いた人?

石川──そう、最初に歩いた人。地元の人たちにはそう知られています。ご本人たちによると、健康のために始めたという。いまはお年ですが、現役時代は軽トラを乗り回しておられたわけです。引退してからはその道路を歩くようになったと。その散歩がご近所に波及したらしく、そのご夫婦が散歩される夕方になると、あちこちから散歩者が湧いて出てくるわけです。彼らの通るルートが非常に面白いんですよ。楽でかつ景色のいいところであったり、このご夫妻の場合は自分たちの畑の巡視も兼ねているそうで、「え、そこを曲がるんだ」という意外性があったりしました。道中で近所の人と会って話をするなど、道がちょっとした社交場みたいになっています。私たちはこの散歩者を「サンセット・ウォーカーズ」と呼んでいます。散歩者たちの行く道は、用水路とはまた違った「第4の道」と言えるんじゃないかと考えています。サンセット・ウォーカーって、いわば道のFAB-Gなんです。サンセット・ウォーカーの価値観は、われわれが先入観として持っている、「車道」「歩径路」「用水路」などのフレームを軽々と越境するんです[fig.21]。道をサンセット・ウォーカーの目線で見ることによって、車道と歩行者という都市の二分法的な視点を乗り越えられるんじゃないか。ということを最近考えています。

fig.21──道を越境して横断してゆくサンセット・ウォーカーのルート
作成=石川初

大山──さっきの話では車道は緩くて歩径路は急ということだったけれど、急な車道もあれば緩い歩径路もあると思うんですね。サンセットウォーカーはそういう目線でものを見ているということ?

石川──サンセットウォーカーは道を施設や制度として見ていない。そのような「歩く場所」として眺め直すと、地域には様々な、輪郭を持った「歩きうるひろがり」があります。その空間・景観の単位を「パス」と呼ぶことにしました。パスのつながりや組み合わせで「ルート」ができる、サンセット・ウォーカーはそうやってルートを作っている。ということです。

ジャカルタの125ccバイク

神山町でサンセット・ウォーカーのことを考えて、「歩く」という視点から地域を見直していた時期に、研究室でインドネシア、ジャカルタ市のチキニという地区に行く機会がありました。ここは、インフォーマル・コミュニティと呼ばれている、無計画に建てられた住宅が密集している、比較的低所得の人たちが住んでいる地区です。ジャカルタもモータリゼーションが進んでいますが、チキニで最もポピュラーな交通手段は125ccクラスのオートバイです。学生たちと一緒にこういう場所を調査すると、広場や歩道にバイクがいっぱい駐めてある様子を見て、歩行者がバイクによって阻害されていると、まずバイクの存在を問題視してしまうんですね。しかしこの写真を見るとわかるように、子どもたちがバイクをベンチとして使っているし、共存していると言っていいような光景がある[fig.22]。バイクは極端に狭い路地と、幹線道路のような大通りの両方を走行できます[fig.23]。バイクの持っているモビリティはすごく高く、今ジャカルタではGOJEK(ゴジェック)やGrab(グラブ)というUber(ウーバー)のような運送(バイクタクシー)サービスが整備されていて、安いからみんな利用しているんですね。働く側からすれば、バイク1台で商売ができるので起業ツールなのです。以前は屋台を引くぐらいしか仕事がなかった人たちが、今はバイクで人を運ぶようになり、経済効果を上げていると考えられます。止まっているバイクはストリートファニチャーとして使われています。バイクは大きな車道と細い歩道を軽々と超えていて、神山で見たサンセット・ウォーカーのように「Another way to look at street public/private space」(公・私とは別の視点)を象徴しているのではないかと思いました。

fig.22──広場でベンチのように使われているバイク

fig.23──路地と大通りを接続するもの
ともに撮影・作成=石川初

道路という強固な存在をいかに乗り越えるか

大山──調査報告で出てくるさまざまな名前が印象的ですが、こういうネーミングは誰が考えるの? ちょっとトンチの効いたネーミングを考えようぜ、みたいなことを推奨しているんですか?

石川──そうですね。やっぱり楽しく呼びたいじゃない? 最初は「散歩者」という名前が挙がり、「冴えねーなー」みたいな感じで話し合って(笑)。出てきた「サンセット・ウォーカー」という名前は暫定でした。「FAB-G」は最初はお爺さんの「じい」だったんですけれど、誰かが間違って「G」としたんですね。

大山──この間ニューヨークに家系ラーメンの店ができて、「家系」をなんて訳しているんだろうって思ってたら「E.A.K」って訳してあったことを思い出した(笑)。
あと神社の話が面白かったですね。神社って向きが非常に大事だと思うんですけど、モータリゼーションによって向きなんかどうでもよくなってしまった。そういうことって神山町だけじゃなくて日本全国で起きているでしょうね。僕は今川崎に住んでいるんですが、駅前にラゾーナ川崎というモールがあります。日本ではモールは少し前までは郊外や地方に出店するものと思われていましたが、世界的には巨大モールは中心地にあることが多いそうなんですね。ラゾーナ川崎はまさにそれで、駅前の中心地にあるんだけど、僕は車をもってないので駅側から入っていくわけです。神山町の神社の話で言うと、いつも入るルートが参道だと思ってたんですよね。ところが車道は駅と反対側にあるので、車で来る人とアプローチの話が一致しないんだよね。中心地にあるモールって郊外や地方とは違って動線が2種類あるんですよ。

石川──なるほど。東京ディズニーシーに入るときのもどかしさも同様ですね。駅からのアクセスしかないんだけど、もし海から船で直接入っていくことができれば、表から入ったという感じがあるんだろうな。

大山──石川さんは神山に通って何年なんですか?

石川──3年ですね。

大山──道路施設や制度としての道路によってわれわれは行為を決められていてるということを実感するのに、石川さんですら3年かかったと。われわれにとって現在の道路がいか強固な概念としてあるかということですよね。

石川──逆に、神山町のようなところで道路というもののあり方に気づいて都市に帰ってくると、道路を道路と思わなくてもいいんだと思えるようになりましたね。国道や県道を外れて細い道路を通ったり、路地や空き地を横切ったり、そんなふうに「制度としての道路」を横断して、俺は越境してゆけるんだと(笑)。こういうことはなかなか都市では発見できないんですよ、ルールがあまりにも強固でみんなそれを忠実に守っているから。

大山──神山で発見したことを東京に持ち帰って、東京でもこういう研究をやる、東京を改めて解説するとこうなるということを期待していたら、石川さんが里山暗黒面に陥らずに100均に結びつけて理論立てていて、非常に嬉しかったです。でも今度はジャカルタに行っちゃったのがなんか残念(笑)。

石川──いやいや、確かにジャカルタはとてもエクストリームなところだけれども(笑)。100メートル×400メートルの地区のなかで人口5,000人が居住している、みたいな非常に密な地域で、そういった極端なところで発見したものを東京に持ち帰ったとき、やはり東京は土地としては手強い、強固だなあと思うんですね。極端なところじゃないとなかなか発見できないことではあるので。東京近郊でサンセット・ウォーカーについて考えるとすれば例えば分倍河原とか産業道路とかかもしれない。そういうところで戦っていきたいですね。


201811

特集 プラネタリー・アーバニゼーション──21世紀の都市学のために


プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開
ジェントリフィケーションをめぐるプラネタリーな想像力
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