「広範囲の都市化」が生みだす不均等な地理──後背地、ロジスティクス、地域闘争
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「ミラノはもっとも有害な活動をひっきりなしに外へ追放し、周辺地域をたえずつくり変えてきた。(...中略...)この地域のローカルなアイデンティティはいつも侵害されてきたのだ。ここから、自閉症的な住まい、あるいは地元に引きこもるような症状にとても似た何かが生み出されている。(...中略...)私たちはもはや地域に住んでいるわけでは微塵もない。そうではなく、数々の軌道のなかに住んでいるのだ。私たちはこの無数の軌道の保有者にすぎない。(...中略...)ここは、ロジスティクスと交易の地域になってしまった」★1。ミラノから北西に13キロ離れたところに、ローという町がある。人口5万人ほどのローは、ミラノの後背地として位置づけられてきた。冒頭の引用文は、ミラノ市に隣接するこの町が置かれた状況を述べるものだ。大戦後のローには、アジップ社などの巨大な石油精製所が建設され、その景観が町を象徴するものだった。しかし、脱工業化のなかでそれが解体された後、この町はすぐさま、無数のモノの移動によって横断されると同時に、それが集中する町へと変貌した。ローは、ロジスティクスの町へと変貌したのだ。なぜなら、21世紀に入って、ヨーロッパ最大規模の見本市会場が建設されたから、その会場のすぐ隣に2015年のミラノ万国博覧会の会場が設けられたからである。
「フィエラ」と呼ばれる見本市は、ミラノの文化や経済を象徴してきたものだ。だが、以前にはミラノで行われてきた見本市(1906年のミラノ万博跡地の一部で行われてきた。この市内の見本市跡地は現在、「シティ・ライフ」と呼ばれる高級地区になっている)は、自身のブランド価値をさらに高め、それに見合った規模にするため、新しい土地、広い土地を欲した。こうして、鉄とガラスでできたポストモダンな装いを新たに、34万平方メートルに及ぶ巨大建造物が、ローを象徴する新たな景観となったのだ[fig.1]。ミラノの見本市がローの地を占拠した(それは隣接のペーロ市にもまたがる)。さらにミラノの万博がわずかな面積とはいえ、ローの地を占拠した。
- fig.1──見本市(フィエラ・ミラノ)会場
筆者撮影(2013年2月24日)
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見本市や万博の会場になることは、無数の商品・モノ・人が、この地へとひっきりなしに運ばれてくると同時に、この地から運ばれていくことを意味する。世界の各地から、数々の展示イベントが開催されるたびに、大量の新たなモノが、ローよりもさらに北西にあるマルペンサ国際空港を経由して、バイパス道路や鉄道を経由して、無数の車両に積まれて運ばれてくる。これらの軌道が機能するためには、回廊という名の物質的インフラが必要である。それゆえ、新たな巨大インフラの建設が進められる。トリノ─ミラノ間の鉄道路線に設けられた新しい駅、ミラノ市内から拡張された地下鉄の新しい駅、そしてロンバルディア平原をはるかに超えて拡がるさらなる高速道路網の建設といったように。ちなみに、2015年万博開催への立候補時に、当時のミラノ市長は、かつてミラノにあった運河を復活させ、ミラノ市内から万博会場まで、「水の道」を通って行けるようにするとさえ熱弁していた。ローの住民が本当にこうした「軌道の保有者」ならまだ救いもあろうが、実際には保有者などではない。保有しているのは、フィエラ・ミラノ社、巨大不動産会社、建設会社、物流企業、これらと結びついた政治家、マフィア的組織である。この町の住民は、この軌道、このフローの何を保有しているというのか。この新しい鉄道駅とそこを走る高速列車を優先するせいで、ローの住民がミラノへの通勤・通学に使う昔からのロー駅に止まる「低速」の電車数は、著しく減らされてしまった(一日に30本も)。ミラノからローまで延長された地下鉄は、ロー(ここにおいては町ではなく、見本市会場を意味する)まで行く場合、値段が高くなる[fig.2]。郊外のこの町への無数の軌道の集中。それが意味するのは、この町の一部をそこから切り取ることである。無数の軌道の通過。それが意味するのは、残されたほかの部分が、ただ高速に、スムースに軌道が通り過ぎる空間、その移動の速度と空間から置いてきぼりをくらい、閉じ込めを生きる場所になることである。そのような場所に住むことは、だんだんと「監獄」に住むことへと近似していくのかもしれない。
- fig.2──ローに至るミラノ地下鉄図、ロー・フィエラと万博とある
筆者撮影(2015年10月4日)
この表現は大げさに感じられよう。しかし、こうした軌道に連結する地域とスルーされる地域からなる都市化の地理が、もっとも露骨に実験に移されてきたのは、イスラエルの占領するヨルダン川西岸地区なのだ。そこでは入植者たちの日常的な移動を快適にするバイパス道路のようなインフラ網が配置・建設され、結果としてパレスチナ人たちの土地をこれでもかと切り刻んできた。これらの道路網とそこに設置される無数の検問所は、パレスチナ人たちの移動性を奪うために、そしてかれらの都市や村落を分断することで、パレスチナ人としての空間的一体性を困難にするための装置として建設されてきたのである★2。
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「地球の全表面のいたるところに広がり、さらに地中や大気圏にまで拡張している」★3プラネタリー・アーバニゼーション、特に「広範囲の都市化」という現象は、けっして一様な過程ではない。それは、地理的にきわめて不均等な発展過程なのだ。このように強調するニール・ブレナーは、都市と農村、中心と周辺など、これまでの領土組織を基盤にした「概念文法とメタ地理学的な枠組み」に代わって、「目まぐるしく変化する私たちの地球規模の都市状況の地理をより効果的に把握することのできるオルタナティブな『認知地図』の作成」★4を求める。上述したローの都市状況から浮かび上がる、プラネタリー・アーバニゼーションの地理があるとするなら、いかなるものか。思うに、それはこのような世界の各地を接続する高速の軌道によって迂回され、スキップされる場所が、無数に増殖している状況にある。多数の場所が、棄て置かれ、「監獄」化され、飛び地となっている。ここに、プラネタリー・アーバニゼーションのひとつの地理的特徴があるのではないか。軌道によって接続される空間と、その軌道によって迂回される場所がある。接続されるということは、その軌道を流れてくるモノや人を選別する境界(=検問所)がその分だけ増殖することでもある。無数の高速回廊、無数の飛び地、無数のゾーン、無数の境界★5。惑星全体に拡がるグローバル資本主義のロジスティカルな空間の生産は、空間的連続性や時間的直線性を破壊し、圧倒的に不連続かつ不均質な時空間をもたらすと同時に、それらを暴力的に接合・連結することで、シンクロさせてもいるのだ★6。
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トリノから50キロほど西、フランスとの国境に近いところに、スーザと呼ばれる渓谷がある。1990年代からイタリアとEUは、山中の渓谷に、トリノ─リヨン間を結ぶ高速列車(TAV)用の線路とトンネルを建設しようとしてきた。「2時間でリヨンに行いける!」「ピエモンテはヨーロッパで孤立する」、TAVという発展への好機を逃すなら。ここがつながると、東はキエフから西はリスボンまでが、高速に一直線に接続されることになる。しかし、それはなおも実現されていない。それは、この渓谷が抵抗しているから、NO TAV運動が抵抗し続けているからだ。NO TAVというのは、単に線路一本の建設に反対するだけの運動ではないし、巨大インフラ建設が住民の健康や環境に与える悪影響を懸念するのみの運動でもない。「手つかずの美しい自然」を守るために、近代技術を拒否する運動というわけでもない。工業都市トリノの後背地だったスーザの住民たちは、フォード主義時代の激しい労働闘争の記憶を有する。1980年代の高速道路建設を目の当たりにしたスーザの住民たちは、回廊によって横断されることの意味を知っている。「NO TAV運動は、コミュニケーション、越境、交換の道に適したこの場所の長きに渡る歴史的天分を犠牲にして、この渓谷を単なる『通過の回廊』に還元することに対して抵抗している」★7。NO TAVは、この無駄な巨大インフラを建設し(すでにトリノ─リヨン間にはTGVさえ走っているし、フランス─イタリア間の商品の流れは後退している)、そこにフローを通過させることはもちろん、土地を囲い込み、切り開いて、このインフラを建設することそのものに伴っている資本主義の論理と暴力とをとらえている。プラネタリーな都市化の拡大に伴う富・地域・協働を略奪、採掘する論理と暴力を。それに伴う不安定かつインフォーマルな労働の収奪の論理と暴力を。現代の本源的蓄積の論理と暴力を。
だからこそ、この山々の「普通の人々」が協働し、勉強し、知を社会化しながら、対抗的主体性を生成させるNO TAV、国家と資本を根源的に拒否するNO TAVは、全国規模の広がりをみせたのだ。この開かれた地域闘争は、資本主義とそれを駆動させるロジスティカルな空間の生産に限界を課そうとするものにほかならない。
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NO TAVは、スーザにおいて、集会やデモ[fig.3]、数々の抗議キャンプの創出、さらには既存の高速道路の封鎖、工事予定の土地の占拠などの直接行動を行ってきた。2011年春に、NO TAVが占拠・自己防衛した「マッダレーナ自由共和国」という自主管理地域は、司法によって、国家の外部に位置する場所とさえ述べられた★8。国家は警察、さらには軍隊を送り込み、この地域を文字通り、軍事化することで応答した。NO TAVの住民たち、活動家たちは、催涙弾から身を守るガスマスクを装備しながら交戦してきた。警察と軍隊は、かれらが占拠し、封鎖した場所を力ずくで奪い取ってきた。TAVの工事予定地の周辺には、高いフェンスが建てられ、検問所が設けられ、武装した軍人がいる。- fig.3──スーザにおけるNO TAVのデモ
筆者撮影(2012年2月25日)
このほとんど植民地戦争のような景観は、かつての第三世界で1980年代あたりからなされてきた多国籍企業と国際金融機関による無慈悲な「採掘アーバニズム」のそれのようでもある。アフリカなどでは、土地の囲い込みによって、場所との結びつきを断たれた無数の人間たちが、アフリカ内のメガポリスの肥大化する周辺部やスラムへ★9、あるいは、ほとんど都市的様相を帯びている巨大な難民キャンプへ★10と流れ込んでいる。さらには公式・非公式の主体から構成される「移住のロジスティクス」を通じて地中海を渡り、イタリアへと流れ込んでいる★11。かれらのさらなる移動は、イタリア─フランス国境に陣取る警察によって徹底的に妨害されている。
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「渓谷を都市に運べ」。これは、このスーザの抵抗への連帯のただなかで、2011年頃にイタリア各地の運動のなかで表現されたスローガンである。この渓谷の地域闘争を、それぞれの都市の文脈へと翻訳すること。それは十分には実現されてこなかったのかもしれない★12。見本市と万博の会場へと通ずるさらなる道路や鉄道の建設のために、ミラノ近郊にある数々のロマ・キャンプ(出入りを含めすでに厳重に管理されていた)は排除された。見本市のイベントごとに繰り返される会場と展示物の設営・撤去は、「不法移民」の労働に依拠してきた。ミラノ万博の運営は、ボランティアという名の無償労働に依拠していた(次の東京オリンピックが目指しているように)。それでも、ローの町は、見本市に流れ込む軌道が優先され、住民に必要な列車が減らされたことに異を唱えてきた。社会センター「SOSフォルナーチェ」というスクウォット空間[fig.4]の活動家や、ローの住民は、署名を集めて抵抗した(結果、ある程度は取り戻した)。さらには、この社会センターの呼びかけで、安い切符で電車に乗る「切符ストライキ」や「列車スクウォット」が行われた(限られた参加者だったとはいえ)。活動家たちは、移民労働を酷使する、見本市の労働条件を告発する潜入調査を行った。ミラノ万博へ向けた「水の道」の建設予定地周辺の一部の住民たちは、その工事を妨害した。ローとミラノの「反万博の会」は、こうした巨大事業・巨大インフラを、ただ「セメント、借金、プレカリティ」をもたらす装置として研究した★13。
- fig.4──社会センター「SOSフォルナーチェ」の建物内部の様子
筆者撮影(2013年9月8日)
これらは、大規模で激しいスーザのそれとは異なる、些細な住民運動なのだろうか。ミラノ郊外の交通や労働にのみ関わる些細な争いなのだろうか。たとえ異なる地理的・社会的文脈、異なる運動の構成・方法だろうとも、これらもまた、プラネタリー・アーバニゼーションの不均等な空間の生産と軌道の生産を妨害、遮断するものである。それは、おのれの移動と横断の回路を保持し、ときには創出しようとするに違いない。「フローは妨害されなければならない。場所は獲得されなければならない。時間は領有されなければならない。空間は構築されなければならない。資本のロジスティクスに、転覆のロジスティクスが対置される。敵対関係の内側において、敵とのいかなる協調もなしに」★14。
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これらの闘争を、都市から離れた山奥にあるから、郊外の規模が小さなものだからという理由で、周辺的とみなすなら、それは資本・国家の側からのみプラネタリー・アーバニゼーションをまなざし、プラネタリー・アーバニゼーションという空間の再編成過程を脱/構成する亀裂と敵対の物質性を見落とすことにしかならない。思い出そう。プラネタリー・アーバニゼーションは、中心と周辺、中心と郊外などの所定の認識論的・物質的区分をたえずズラしていく過程なのである。ちなみに、このような絶え間なきズレの運動は、トニ・ネグリらが論じる「大都市metropoli」空間のひとつの特徴でもある。それが「大都市」化でもある限りにおいて、プラネタリー・アーバニゼーションは、不均質かつ不安定な労働群(製造する人、建設する人、運搬する人、それを制御する人、労働力を手配する人、労働力の再生産にあたる人とさらに続く)からなる社会的協働に依ることなしに進展しえない★15。「イタリアを止めよう」と叫ぶ露天商や商店主などによる都市交通の遮断が示しているように★16、フードラ社やデリバルー社などの高速フードデリバリーを担うライダーたち(不安定な労働者たち)のストライキが示しているように★17、そこには亀裂と敵対が存在している。