ジェントリフィケーションをめぐるプラネタリーな想像力

荒又美陽(明治大学文学部教授)

「ジェントリフィケーション gentrification」という言葉に注目が集まっている。関連するシンポジウムが次々に開催され、学会誌は特集を組み(『都市社会学年報』18号、2017など)、議論を整理する本や論考が出版されている(eg. スミス、2014/藤塚、2017)。マスメディアにおける注目も見られる。今、再開発や立ち退きといった従来からの表現にとどまらない何かが起きていると研究者を含む多くの人々が感じているがゆえであろう。

用いる人々が多くなると、その指し示す内容も多様化する。バズワード化してきたと言ってもよい。その功罪はさまざまあるが、ときにこの語を都市のポジティヴな変化、あるいはそこに導かれるまでの段階として捉える人も出てきた。ここでは、その姿勢だけははっきりと否定したい。都市再開発(urban redevelopment)や都市更新(urban renovation)、あるいは都市再生(urban regeneration)といった、都市改造をポジティヴに捉えようとする表現に批判的であるためにこそ、この語の意義があるからだ。

ロンドン中心部の変化にジェントリフィケーションという語を与えた社会学者ルース・グラスは次のように書いた。「一つまたひとつと、ロンドンの労働者階級地区の多くが、(上層あるいは下層の)中間階級によって侵略されている(invaded)。古く、つつましいアパートや(2階に2部屋、1階に2部屋といった)小さな住宅が、賃貸契約が切れると奪い取られ(taken over)、おしゃれで高価な住居となる。[...中略...]一旦ある地区でこの『ジェントリフィケーション』のプロセスが始まると、それはもともとの労働者階級の居住者が全員あるいはほとんど立ち退かされ、その地区の社会的な性格が変えられるまで急速に進む」(Glass, 1964, xviii)。彼女の書きぶりは、変化を中立的に捉えるものではない。問題はより豊かな層がより貧しい層、強者が弱者の地区を奪っているという点にある。その含意が骨抜きにされるなら、現在のジェントリフィケーションへの注目はむしろ否定的に捉えるべきこととなる。

1960年代には同じような現象に「ブルジョワ化 embourgeoisement」という言葉を用いていたフランスでも、近年、あえて英語由来のジェントリフィケーションという言葉で都市の変化を読み取ろうとする動きが見られる(eg. Chabrol et al., 2016)。この世界的な思想状況をどう考えるべきなのだろうか。

Planetary Gentrification

ジェントリフィケーションという語が生み出されたイギリスでも新しい研究が出てきている。2018年3月、都市思想に関する研究会(本特集の平田氏の論考の★1を参照)にLSE(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)の都市研究者であるシン・ヒュンバン氏を招き、講演を依頼した。彼は2016年にロレッタ・リーズ、エルネスト・ロペス=モラレスと共著で『プラネタリー・ジェントリフィケーション(Planetary Gentrification)』(Polity)を出版しており、その指し示すところについて話を聞きたいと考えたからである。講演の具体的な内容は別稿に譲り(『空間・社会・地理思想』第22号に掲載予定)、ここではその中心的な概念について触れておきたい。

プラネタリー・ジェントリフィケーションとは、世界で起きているジェントリフィケーションを捉え直そうとする概念である。それは、単に世界各地で似た現象が起きているということを指すのではない。同じ著者たちが2015年には『グローバル・ジェントリフィケーションズ(Global Gentrifications: Uneven Development and Displacement)』(Policy Press)という本を出版しており、2016年の本はそれを乗り越える、あるいは少なくとも新たな見方を提示することを目指していると言える。「Gentrification」を『プラネタリー』では単数形、『グローバル』では複数形で表現していることは重要である。『グローバル』のほうはジェントリフィケーションの多様な形に関する議論であるのに対し、『プラネタリー』はそれらをあるひとつの過程と捉えようとしているのである。

プラネタリー・ジェントリフィケーションをめぐる著者たちの問いは、まず、ジェントリフィケーションという概念がロンドンで生まれたにせよ、それが「北から南、西から東」(つまり欧米から南米・アジア・アフリカ)に「伝わる」という考え方への異議申し立てに発している。世界各地で起きているのは、単純にロンドンで起きたことが順々にほかの地域に広がっているのではなく、世界規模の変化の表れなのであり、ブラジル、インド、東アジアで起きていることは欧米のコピーと読むのではなく、むしろそこから考察を広げていかなければならないものだとする。「グローバル」には中心から周辺に広がるイメージがあるため、ここでは「プラネタリー」が採用された。それは、特に世界共通言語として君臨する英語で研究する人々に、欧米中心の世界の見方に関して反省を促すための主張でもある。

もうひとつ、「プラネタリー」という形容詞の選択には、ニール・ブレナーらによる「プラネタリー・アーバニゼーション」(『空間・社会・地理思想』21号、2018の翻訳特集を参照のこと)という問題提起への共鳴も含まれている。アンリ・ルフェーヴルの都市論を参照しつつ、ブレナーらは都市研究で用いられてきた都市、農村、郊外という区分はもはや意味を成しておらず、認識論的な基礎を転換すべきだと主張している。それは単に都市が巨大化して農村の開発が進んでいるとか、農村に都市的な生活が入り込んでいるといった議論ではない。そうではなく、都市の外部となる空間が地球規模で失われ、世界全体が一体として再編されているというのである。メリフィールドはそこに資本の第二次循環、不動産投機とのかかわりをみている(メリフィールド、2018)。

議論を戻すと、グラスが1960年代に「ジェントリフィケーション」という言葉を用いたとき、それはロンドン中心部の再編過程を指していた。それに対し、「プラネタリー・ジェントリフィケーション」は、それはもはやロンドンから起きるものでも、中心部から広がるものでもないというところから現象をとらえようとしている。それぞれの現場で起きていることは多様である。しかし、それを起こしている原因を辿っていくなら、そこにはやはり地球規模での資本の再編過程が見えてくる。実際、各地のジェントリフィケーションにおいては、「ベストプラクティスの輸出」と言える共通性が確認できるという。それはジェントリフィケーションと呼ばれることはない3つの政策(ゼロ・トレランス、ミックス・コミュニティ、クリエイティヴ・シティ)であり、安全・多様性・創造性といった一見否定しづらいキャッチフレーズのもと、実態的には低所得層やホームレスの人々を排除する。同書の白眉と言える指摘である。

メリフィールドは現在の都市の改変過程を「ネオ・オスマン化」と呼んでいる。19世紀にパリで行われたオスマンの都市改造を工業化時代の資本の動きと連動するものと捉えるなら、現在はポスト工業化時代の金融・企業・国家による都市改変だと言う。実際のところ、今まさにそのパリにおいて、「オスマン以来」と銘打った都市の再編が行われている(eg. Blanc, 2010)。グラン・パリ大都市圏Métropole du Grand Parisの名の下、パリ市と130の周辺自治体が協力体制を組み、ひとつの都市としての決定を行える仕組みをつくりあげた。政策として一般によく知られているのはパリ市の外側に環状鉄道を建設することであるが、その背後には、低所得層が多く、治安が問題視されがちな郊外の再開発が見え隠れしている。都市中心部ではなく郊外の再編のためにつくられた政策という意味で、この事業はまさに『プラネタリー・ジェントリフィケーション』の問題提起に合致している。

2015年に政府が発行した資料には、グラン・パリの「促進剤」として2024年オリンピックと2025年万博を誘致すると書かれている。それは都市の再編のためのさまざまな事業に「方向性を与え、すべてのアクターを活性化させる」ものと捉えられている。いずれも、開催が決定されれば期限を遅らせることは許されず、その他の政策に優先して事業が進められる。ワールドカップなども含め、これらのメガプロジェクトが都市改変のために利用され、ジェントリフィケーションを引き起こすことは、シン氏らも指摘している。東京大会に続く2024年の夏季オリンピック大会の開催がパリに決定したことは、報道されている通りである。

グラン・パリ、オリンピック・スタジアムの位置[クリックして拡大]

グラン・パリについて、パリ市長のアンヌ・イダルゴは、大都市化というのは世界で起きている否定できない事実であり、実際それこそがパリの将来だと説明している(L'Humanité. fr, 15/12/2016)。イダルゴは社会党だが、グラン・パリ法が策定されたのは右派のサルコジ元大統領の時代であり、右派でも左派でもないとする現マクロン大統領は2015年の政府資料の作成委員のひとりである。グラン・パリについて書かれた本をみても、ほとんどが世界の大都市との競争という観点からこれを必然の過程と捉えている。このように政策担当者が一致して問題を自分たちではなく時代の流れとして責任回避するなら、誰が何をもってすれば地球規模のジェントリフィケーションに抗することができるのだろうか。

『プラネタリー・ジェントリフィケーション』では、時にグローバル・サウスの草の根活動がグローバル・ノースよりも先進的であると紹介している。また、さまざまな事例に何が共通しているのかを見極め、個別性を把握することで、その場に合った対抗措置を構築できるとする。当面の対策としてそれは正しいが、共通性を持ったパッケージとして襲ってくるジェントリフィケーションに対して、それぞれの現場でできることは限られており、歯がゆさは残る。何が起きているのかは見えてきているのに対し、起きないようにするための方策は遅れたままである。本特集のブレナーへのインタビューは、まさにその「オルタナティブな都市の未来」を描くべき主体のあり方について考察しており、多くの示唆が含まれている。




参考文献
• Blanc, Ch. (2010) Le Grand Paris du XXIe siècle, Le cherche midi, Paris.
• Chabrol, M., Collet, A., Giroud, M., Launay, L., Rousseau, M., Minassian, H.T., (2016) Gentrifications, Éditions Amsterdam, Paris.
• 藤塚吉浩『ジェントリフィケーション』(古今書院、2017)
• Glass, R. et al. (1964) London : Aspects of Change, Macgibbon&Kee, London.
• Lees, L, Shin, H-B., López-Morales, E. (2016) Planetary Gentrification, Polity, Cambridge.
• アンディ・メリフィールド「都市への権利とその彼方──ルフェーブルの再概念化に関するノート」(小谷真千代+原口剛訳、『空間・社会・地理思想』第21号、大阪市立大学、107-114頁、2018、原著2011)
• ニール・スミス『ジェントリフィケーションと報復都市──新たなる都市のフロンティア』(原口剛訳、ミネルヴァ書房、2014、原著1996)


荒又美陽(あらまた・みよう)
明治大学文学部教授。著書=『パリ神話と都市景観──マレ保全地区における浄化と排除の論理』(明石書店、2011)。共著=山下清海編著『世界と日本の移民エスニック集団とホスト社会──日本社会の多文化化に向けたエスニック・コンフリクト研究』(明石書店、2016)、共訳=シルヴァン・アルマン編『私はどうして地理学者になったのか──フランス地理学者からのメッセージ』(学文社、2017)ほか。


201811

特集 プラネタリー・アーバニゼーション
──21世紀の都市学のために[前編]


プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開
ジェントリフィケーションをめぐるプラネタリーな想像力
「広範囲の都市化」が生みだす不均等な地理──後背地、ロジスティクス、地域闘争
インタビュー:都市化の時代におけるデザインという媒介作用
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る