プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開

平田周(南山大学外国語学部フランス学科准教授、思想史)

今回特集する「Planetary Urbanization」は、直訳すれば「地球の都市化」となるが、ひとつづきの鍵語であるということを明示するため、翻訳ではカタカナ表記にした。プラネタリー・アーバニゼーションは、ニール・ブレナーとクリスチャン・シュミットによって提起され、現在進行中の研究プログラムとして推進されているものである。都市はこれまで農村との対比で規定され、領域的に境界画定された行政単位として把握されてきた。しかしプラネタリー・アーバニゼーション研究では、こうした従来の都市の定義に代えて、アンリ・ルフェーヴルに依拠しながら、境界横断的な都市化の過程を考察する必要性が提起される。この研究は、人文地理学を中心として社会科学、広くデザイン分野(建築、都市計画)、カルチュラル・スタディーズなどの研究者が寄稿するジャーナル『Environment and Planning D: Society and Space』(通称『社会と空間』)で2018年6月に特集が組まれたように、それに対する批判的な論戦を含め、英語圏の都市研究の領域で議論に盛り上がりを見せている。

Implosions/Explosions

プラネタリー・アーバニゼーションという言葉は、ブレナーらとほぼ同時期にアンディ・メリフィールド(Merrifield, 2012)によっても用いられたものであるが、どちらにこの語の「著作権」があるのかというのは無用の詮索なのかもしれない。というのもその後ブレナーが編著者を務めた『Implosions/Explosions(内破/外破)』(Jovis、2014)にはメリフィールドもともに地球の全表面に拡がる都市化という波を理論化するために、論文「都市への権利とその彼方」を寄稿したからである★1。そもそもこの著作にまとめられた共同研究はブレナー(ハーヴァード大学デザイン大学院)やシュミット(スイス連邦工科大学チューリッヒ校バーゼル・スタジオ)らを中心に築かれた国際的な研究ネットワークを基盤としている。そこで読み直しの対象となったのがルフェーヴルの都市・空間論であった。その成果となる『Space, Difference, Everyday Life: Reading Henri Lefebvre(空間、差異、日常生活──アンリ・ルフェーヴル読解)』(Routledge、2008)では、デヴィッド・ハーヴェイやエドワード・ソジャにつづく「第3」のルフェーヴル解釈の波をつくりだす試みがなされ、その嚆矢としてメリフィールドの名がクリスティン・ロス(Ross, 1995=近刊)と並んで挙げられていた(Schmid et al., 2008: 12-13)。さらにこの研究ネットワークは、理論的作業だけでなく実践的活動にも取り組んでいる。事実ブレナーは、ヘルベルト・マルクーゼの息子で弁護士兼都市計画家であるピーター・マルクーゼと都市政策の比較研究を専門とするマギット・マヤとともに、2007年のサブプライム危機以降の都市状況に介入する『Cities for People, Not for Profit: Critical Urban Theory and the Right to the City(利潤ではなく人々のための都市──批判的都市理論と都市への権利)』(Routledge、2012)を編集し、出版したのである。

Space, Difference, Everyday Life:
Reading Henri Lefebvre

このようにルフェーヴルを媒介として理論的認識を深めつつ現代のグローバル化における都市研究の実践的地平を押し広げながら、ブレナーらの共同研究プロジェクトが今現在着手しているのが、プラネタリー・アーバニゼーション研究である。そこで中心的な問いとなるのが都市化という過程であり、地球というスケールである。

1980年代以降の経済的グローバリゼーションを背景に、建造環境の変化が先進国だけでなく世界のあらゆる地域で進んでいる。他方で、現在明らかになりつつあるのは、都市への莫大な資本投下によって引き起こされる建造環境の変化、すなわち都市化そのものがグローバル化を牽引する側面をもつということではないだろうか。つまり、グローバル化から都市化への一方向的な流れだけでなく、都市的なものの過程が地理的に境界画定された「都市」という領域を超えて、さらには国家という空間スケールの外に広がっていることが確認できないだろうか。ブレナーとシュミットが指摘するように、とりわけ産業革命以降、都市は農村との対比で、境界画定された領域とそこにおける人口変化に基づいて分析されてきた。しかしパリ郊外、あるいはニューヨークのビルの屋上、銀座の高層建築物の一室でも実践される垂直農法や南仏の田園風景に広がるソーラー・パネル地帯に見られるように、既存の都市と農村の関係は決定的に変化している。それは単に風景や景観といった美的次元にとどまらず、食やエネルギーの流通ネットワークおよびそれを支えるインフラストラクチャーの配置に根底的な変化をもたらしているのである。

Cities for People, Not for Profit:
Critical Urban Theory
and the Right to the City

そこで、ブレナーとシュミットは相互に関連しながらも明確に区別される2つの都市化を研究対象とすることを提案する。第1のものは都市研究者が従来扱ってきた「高密度の都市化(Concentrated urbanization)」であり、そこでは人口や資本などの集積が分析される。第2の都市化は2人が新たに分析対象とする「広範囲の都市化(extended urbanization)」である。そこで都市の集積過程の分析は、これまで都市の「外部」とみなされながらも、食糧やエネルギーの供給、資源採掘、廃棄物処理、物流とコミュニケーションのインフラストラクチャーの場として確実に存在してきた後背地との関連で分析されることになる。日本でも話題になった『プロミスト・ランド』(ガス・ヴァン・サント監督、2012)のなかで、シェールガスの採掘権を獲得するために開かれた住民説明会の舞台裏に巨大企業や金融投機が存在していたように(あまりにも自明なものとして描かれているため見た後に忘れてしまうが)、広範囲の都市化はしばしば金融資本を介した不均等発展によって特徴づけられ、結果として地域間の不平等をもたらすのである(こうした都市化の地理については本特集の北川氏の論考を参照)。

プラネタリー・アーバニゼーション研究に向けられる批判、例えばそれを「都市は死んだ」といったポスト・モダン的なレトリックに切り縮める議論(Storper and Scott, 2016: 1130)に対してブレナーが反論するように、従来の都市中心的な研究手法に対する批判は、高密度の都市化、すなわち集積過程の分析を放棄するものではない(Brenner, 2018: 586)。ましてやこの概念は地球というスケールからトップ・ダウン式に都市のスケールを考察するものでもないし、都市に普遍的な理論モデルを適用することでそのモデルとの合致や逸脱を検証しようとするものでもない。それゆえシュミットがドリーン・マッシー(2002)に依拠しながら強調するように、プラネタリー・アーバニゼーション研究は、日常生活が営まれるローカルな場から、都市、国家、超国家的な地域に至るまでの異なるスケールの配置を考察することを通じて、さまざまな場の連関とそれに変化をもたらす過程を検討する「関係論的」アプローチを採用するのである(Schmid, 2018: 601)。

こうした研究の方向性において、都市周辺部で生じる郊外化と中心部(インナーシティ)で生じるジェントリフィケーションという都市化のモデルを問い直し、ジェントリフィケーションが地球規模で生じているという見方を推し進める「プラネタリー・ジェントリフィケーション」研究が位置づけられよう(この点について本特集の荒又氏の論考を参照)。さらにブレナーとシュミットによる研究は、最近の日本での研究動向との接続可能性を有する。例えば、広範囲の都市化に関する議論は、海上のインフラとの関わりで東京という都市単位の限界を論じた渡邊大志氏の『東京臨海論──港からみた都市構造史』(東京大学出版会、2017)との関連性が見られるし、また日本でも紹介され実践されている「タクティカル・アーバニズム」というXSサイズの都市的生活実践は、地球というマクロなスケールとの関連でも考察が深められるように思われる★2

都市が過程であるということはどこか街の一角がつねに工事中であるメタボリズム的光景を何気なく目にしている日々の生活を振り返ってみても、見慣れたものである。そこで、つくり変えられているその一角がどこに結びついているのかを問い始めるならば、その人はすでに現在進行中のプラネタリー・アーバニゼーション研究の地平にいるのだと言えるのかもしれない。




★1──筆者は、村田学術振興財団の助成のもと、「ポスト・アーバニズム理論の構築──21世紀の複合的都市研究のために」と題した共同研究に従事するなかで、原口剛、仙波希望、小谷真千代とともに『空間・社会・地理思想』(第21号、大阪市立大学、2018)において本文で触れた関連文献を翻訳する機会を得た(翻訳されたのは以下の論考である。ルフェーヴル「地球の変貌」、ブレナー+シュミット「プラネタリー・アーバニゼーション」、ブレナー「都市革命?」、メリーフィールド「都市への権利とその彼方」)。こうした機会を与えてくださった関係者の方々に感謝を記したい。付言すれば、『空間・社会・地理思想』は紙媒体だけでなく、以下のアドレスからも閲覧することができる。 http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/Space,%20Society%20and%20Geographical%20Thought.htm
★2──とりわけ本サイトの2つの論考を参照。渡邊大志「東京港・港湾倉庫の世界システム」笠置秀紀「〈タクティカル・アーバニズム〉──XSからの戦術」。付言すれば、この主題についてブレナーもまた2014年11月22日から2015年5月25日にかけて、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開かれた展覧会「Uneven Growth: Tactical Urbanisms for Expanding Megacities(不均衡な成長──拡大する巨大都市のためのタクティカル・アーバニズム)」に寄せて論考を書いている(Brenner, 2016)。

参照文献
• ドリーン・マッシー「権力の幾何学と進歩的な場所感覚──グローバル/ローカルな空間の論理」(加藤政洋訳、『思想』933、32-44頁、岩波書店、2002)。
• Brenner, N. (2016) Is Tactical Urbanism an Alternative to Neoliberal Urbanism? Critique of Urbanization: Selected Essays, Basel: Birkhäuser, pp. 128-146.
• Brenner, N. (2018) Debating planetary urbanization: For an engaged pluralism. Environment and Planning D: Society and Space 36(3): 570-590.
• Merrifield, A. (2012) The urban question under planetary urbanization. International Journal of Urban and Regional Research 37: 909-922.
• Ross, K. (1996), Fast Cars, Clean Bodies: Decolonization and the Reordering of French Culture, Cambridge: MIT Press.(中村督+平田周訳『もっとはやく、もっときれいに』人文書院、近刊予定)
• Schmid, C., Goonewardena, K., Kipfer, S., Milgrom, R. (2008) Space, Difference, Everyday Life: Reading Henri Lefebvre, New York: Routledge.
• Schmid, C. (2018) Journeys through planetary urbanization: Decentering perspectives on the urban. Environment and Planning D: Society and Space 36(3): 591-610 • Storper, M. and Scott, AJ. (2016) Current debates in urban studies: A critical assessment. Urban Studies 53(6): 1114-1136.



平田周(ひらた・しゅう)
1981年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)を経て、南山大学外国語学部フランス学科准教授。思想史。論文=「人間主義論争再訪──アルチュセールとルフェーヴルの理論と実践における人間の位置」(『相関社会科学』第21号、2012)、「ニコス・プーランザスとアンリ・ルフェーヴル──1970年代フランスの国家論の回顧と展望」(『社会思想史研究』第37号、2013)など。共訳=クロード・ルフォール『民主主義の発明』(勁草書房、2017)ほか。


201811

特集 プラネタリー・アーバニゼーション
──21世紀の都市学のために[前編]


プラネタリー・アーバニゼーション研究の展開
ジェントリフィケーションをめぐるプラネタリーな想像力
「広範囲の都市化」が生みだす不均等な地理──後背地、ロジスティクス、地域闘争
インタビュー:都市化の時代におけるデザインという媒介作用
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る