第4回:コンピュテーショナルデザインの現在地

モデレータ:角田大輔(日建設計 DigitalDesignLab室長代理)
石津優子(竹中工務店コンピュテーショナルデザイングループ)+杉原聡(コンピュテーショナルデザインスタジオATLV代表)

コンピュテーショナルデザインとは──サイエンス、エンジニアリング、デザイン

角田──ありがとうございます。みなさんとディスカッションするにあたり、事前に質問を用意しています。まずは、コンピュテーショナルデザインとはそもそも、サイエンスかエンジニアリングか、それともデザインなのか? ということを改めて議論したいと思います。

石津さんのお話の後半では、エンジニアリングに焦点が当たっていたように思います。杉原さんはそれぞれ横断的に関わられていて、実務的なところではエンジニアリングの側面もあります。一方、そのために数学的な領域を交えながら問題を解いているように思います。コンピュテーショナルデザインという概念を、コンピューターサイエンスとして捉えるのか、あるいはエンジニアリングとして捉えるのか、それとも最終的にはデザインなのか。その捉え方で考え方や求めるものが変わってくるのではないかと思います。


石津──私はフリーランスの立場から建設業に入り、最近はエンジニアリング的な場面でコンピュテーショナルデザインという言葉が使われるようになってきています。構造設計の人がエンジニアリングのなかで使っていたり、設備設計の人が効率化や高速化の意味合いで、AIといった領域で話をされることが、自分の環境下では多くなっています。

自分は意匠系が専門だったので、デザインのなかでコンピュテーショナルデザインをどう使うかをかなり考えています。デザインの制約条件や、このデザインをどのフェーズで誰に見せて、どのような合意形成のためにデザインしているのか。特にコンピュテーショナルデザインにどう取り組んだらいいのかも考える必要があります。相手が3Dを使っていなかったり、CAD上でやっているようなものに、どうつなげて情報を開示していくか。そういった側面で意識的に取り組んでいます。なので、サイエンスという面はまだ自分では見出せていないかなと思っています。

杉原──質問を質問で返すと人に嫌われるんですが(笑)。翻って「建築はサイエンスかエンジニアリングか、あるいはデザインか?」というのを逆に問えばいい。すると「すべてである」という答えが返ってくると思います。僕は、コンピュテーショナルデザインも同じことだと思っています。プロシージャルなコンピュータ言語が一般的なので、少なくとも再生可能、反復可能、自動化可能なプロセスを内包すること。僕はそれがコンピュテーショナルデザインだと思っています。自動化することで大量に制作できるし、すべての違う人に対してそれぞれ異なるものをつくることもできる。僕がデザインする場合は、デザインを試す回数を増やすことができます。すると、試した回数だけクオリティを上げることができる。コンピュテーションを経ることで、クオリティを上げたり、ツール化して、ほかの人もそれを使えるようになる。いろんな恩恵があります☆24

☆24──[豊田]やっぱり経験を積み重ねている人は、同じような言葉を使っても具体性と説得力が違う......面白い。

ゴールを示すか、フレームを壊すか

角田──コンピュテーショナルデザインと言っても、従来のデザイナーやアーキテクトと同じ位相のなかで、デザインを生み出す手段として「コンピュータを使っている」と考えるのか、あるいは少し違う位相の立場として考えるのか。つまり、コンピュテーショナルデザインは、デザインのフレームを提示するのか、最終的なゴールを提示するのか──といった捉え方の違いは重要なことだと思います。僕は現状の実務のなかだと、比較的フレームを提示する側の機会が多いのですが、実際の最終的なデザインのゴールを決めるという意思決定はどうするべきなのかという部分が、おざなりになっているところがあるように思います。そういったことは、あまり議論されていない。

以前、杉原さんからお聞きした話が印象に残っています。コンピュテーショナルデザインをやればやるほど、最終的にその答えはフレームの中で同じようなものしか出ず、特異なものは数%しか出てこない。だから「意図的にフレームを壊し続ける」のがトム・メインだと杉原さんが言っていたことです。そのあたりを詳しくお聞きしたいです。

杉原──トム・メインはシステムというものを見抜く力が異様に高いんです。僕がデザインすると、そのシステムでは「何ができないか」を一瞬で見抜く。そしてそれを要求してくる。だから、これまで書いたコードは毎回全部やり直しなんです。でも、それに追いついて、さんざんやった結果が《エマーソン・カレッジ・ロサンゼルス・センター》のようなものになる☆25

☆25──[石澤]この話が本当に好きで......。上司と部下とか、依頼元と依頼先とかの関係があったとき、お互いが技術的素養を持っていたほうが効率的に本質的な議論ができる、といつも思うのだけれど、システムの限界を見抜きながらシステムを鍛える・使い倒すの操縦桿を握れる人と、それに応えて動ける人の関係性は羨ましいほど。でも、いわゆる「終わりのない仕事」と紙一重なんですよね。[木内]これは本当に理想形という感じがしますよね。システムの限界の問いただしがないと、容易にシステムが形骸化してしまう(もっと単純にいえば、どこにでもどこかで見たことのあるようなコピーがばらまかれるだけになってしまう)。少なくともデザインという観点からは、つねに留意しておきたいところ。

デザインにはフレームの中で答えを探すプロセスもありますが、他方でフレームそのものを壊したり、ジャンプしたり、統合したり、次元を増やしたりする。コンピュテーショナルデザインには、両方のプロセスがあります。僕はフレームのことを「モデル空間」と呼んでいますが、モデル空間ごとジャンプしたり、違う次元に飛び込んでいく。モデル空間内の探索(最適化)と、モデル空間をつくること。そのふたつを担うことが、自分のコンピュテーショナルデザイナーとしての責任だと思っています。

もうひとつ、サイエンスとエンジニアリングとデザインの違いについて。サイエンスとエンジニアリングのモデル空間には客観的な妥当性が要求されます。大抵のものは、デカルト空間に入れなきゃいけないし、慣習的なものに従う必要がある。でもデザインの場合はその限りではない。デザインのプロセスを見せないのであれば、自分のパーソナルなものとしてつくってもいい。そこにデザインの職能があると思っています。別にデカルト空間ではなくフーリエ空間だけでデザインしてもいいわけです。

デザインの内部のプロセスには、パーソナルなもの──ある種のデザインのファンタジーというか、どんなものをつくりたいかというイメージ──をコンピュテーショナルなツールを使って実現できるのは、サイエンティストでもエンジニアでもなく、デザイナーなのかなと思います。パワフルな自分のデザインファンタジー、デザインスペキュレーション、自分が思い描く未来の世界観でプロセスを走らせる。そんな、いろんなファンタジーをできるのがコンピュテーショナルデザインなのかなと思います。ただし、最終的に製造可能なものに落とし込むのも、コンピュテーショナルデザインの責任です☆26

☆26──[豊田]涙出るわ......。


角田──責任の話が出ましたが、石津さんがふだん関わっているフィールドでは、最終的に何をすることが責任として発生しているのでしょうか。重要なのはプロセスなのか、最終的な答えとしての成果物なのか。

石津──私の場合、そもそもコンピュテーショナルデザインで何ができるのか、クライアントのイメージが湧いていないことが多いんですね。なんでも自動にできて、要件に合った形をそのまま提示してくれる。コンピュテーショナルデザインには、そんなイメージが先行しているところがあります。私は設計支援のケースが多いのですが、設計者が何をつくりたいのか、コンピュテーショナルを使いたいということで、ぼやけている場合がかなり多いです。あるいは恣意性が入っていない、アノニマスなデザインにしたいという要求がすごく多いんですよ☆27

☆27──[豊田]恣意性をイメージとして排除してくれる自律的ツールという期待感は、間違いなく、かつ根拠なくあるよね。恣意性なんてあらゆるところに入ってくるし、その排除なんて設計という行為の無価値化にしかならないのに。[石澤]同感です。もうほとんど「自分が決めたんじゃないデザインにしてほしい」みたいな要望も見かけます。合理的な説明は必要なことが多いでしょうけれど、プロジェクトを形作る特有のコンテクストは必ずあって、そのコンテクストは合意によって決まっているのだから、それに沿うものを「主体的に」選び取ることは当然なはずなんですが。しかし、それを以て多数の関係者にどう働きかけるか悩んでしまう、というのも確かにわかります。

角田──そのとき、わかることを見越して、変更可能なようにつくるのか、それともその場で求められているものにそのまま素直に対応するのか。僕は変更可能なフレームをつくろうとしちゃうんですよね。そのなかで自由につくってください、というように。そういった条件が緩い場合、どうされますか。

石津──緩い場合は、まず言われた条件のものをつくったり、つくらなかったりしますね。あるパラメータから、いろんなバージョンを出したいという依頼が来たりするんですけれど、なんとなく「こんな形になりそうだ」と想像がつくので、あえて組まずに違う方法で「こんなのはどうですか」と逆に提案します。例えば地層や雲など、形のイメージを写真などで提案して「それをつくるならこういうパラメータでできますよ」と返してあげる。最初は、どんなデザインにしたいかをヒアリングするところから入りますね。効率化と自動化の依頼が多いんですが、どういうものがつくりたいのか投げ返す感じです。

角田──僕がジレンマを感じるのは、手続きを経るなかで、たしかに依頼者の望んでいるものになっていくのかもしれないけど、それはじつは僕らのイメージのなかで操作しているんじゃないかということです。それっていうのは、最終的にはすごく責任のあることではないかと。そんな気にはならないですか。

石津──そうですね。どちらかというと、一緒につくっている感覚が強くなります。できるだけ早い段階で参加させてもらって、一緒に構想を練っていきましょう、と。一緒でなくても、了承を得ながらやっていく感じです。

角田──さきほど杉原さんが言っていたように、どこかで「フレームを壊す」勇気を誰かが持っていないといけないのかなと思うんですが。

杉原──僕はコンピュテーショナルデザインのコンサルタントとして建築家と仕事をすることが多いですが、その場合の意思決定者は建築家です。デザインの意思決定は誰がするか、最初からクリアにしようと心掛けています。できるだけ建築家のイメージやアイデアに沿うようにしますが、僕が考えるデザインのクオリティもあるので、そこでいろんな調整はしています。

だから、コンピュテーショナルデザインの特に重要なところは、自動化することによって、直感的な判断を最終的に人間ができるということです。大事なのはフィードバックをどれだけするか。だから、プロシージャルのイメージだけがあって、最終形がわからないものは、即実行しないといけない。それを手伝うのがコンピュテーショナルデザインです。そして、できたもののジャッジは自分や建築家がする。建築家が良いと判断しても、僕のほうで満足できなければ、モデル空間を破壊した違うものも提示をします。同一のモデル空間の場合だけじゃなくて、違う空間のバリエーションを出す。その全体を見せて、相手に判断してもらいます。


201811

連載 建築情報学会準備会議

第6回:建築情報学の教科書をつくろう第5回:エンジニアド・デザイン
──一点突破から考える工学的プローチ
第4回:コンピュテーショナルデザインの現在地第3回:感性の計算──世界を計算的に眺める眼差し第2回:BIM1000本ノック──BIMに対する解像度を上げるために第1回:建築のジオメトリを拡張する
このエントリーをはてなブックマークに追加
ページTOPヘ戻る