建築模型のメディア試論
──〈未来/過去〉と〈手段/目的〉の媒介性

松井広志(愛知淑徳大学講師、文化社会学・メディア論)

本稿では、建築模型をメディア論の視点から考えたい。そのために、模型のメディア論という枠組を確認したうえで、建築模型についての諸言表から4つの理念型を提示していく。

1 模型というモノ=メディア

筆者は『模型のメディア論』において、模型というモノを「時空間を媒介するメディア」と捉え、その変遷を歴史的・理論的に考察した★1

そもそもメディア論では、メディアを「人と人」だけでなく「人と対象世界」をつなぐものとも考える★2。後者の発想に基づくと、なんらかの〈実物〉を模す立体物である模型はある種のメディアだという発想が得られる。こうした視座からの模型メディア史の概略は次の通りである。

日本社会での模型は、未来と機能を媒介する戦前期に登場した科学模型から、現在と理念を媒介する戦時下の兵器模型を経て、過去と形状を媒介する戦後のプラモデルに至った。ここでのプラモデルは、模する対象が現実に存在するスケールモデルと、その対象が虚構的存在であるキャラクターモデルの両方を含み、歴史的には前者から後者が派生した(特に「ガンプラ」のブーム以降、後者はプラモデルの主流にとなった)。ただ、スケールモデルとキャラクターモデルはともに「すでにある存在」を模している点で、参照先が過去にあることは共通している。

上記の歴史的検討から得られた模型のメディア論は、いくつかの要素が組み合わさっている。本稿では、建築模型について考える際に有用だと思われる2つの軸に限定して以下の議論を進めていきたい。すなわち、〈未来/過去〉と〈目的/手段〉という軸である。

2 建築模型のメディア論的分類

かつて多木浩二は、建築模型を念頭においた論考で、次にように述べた。

「模型」は、現実を観念化し、観念を現実化する、中間的な存在なのである。そこには、曰く言いがたい曖昧さがつきまとっている。現実を可能なかぎり再現しようとすると同時に現実を否定する★3

ここでは模型の現実との関係が、その曖昧さや二重性とともに語られている。「現実を観念化」するというときの現実は〈過去〉、「観念を現実化する」という場合の現実は〈未来〉の位相にあると考えられる。

また、同じ論考で多木は、「モデルは、結局、それ自体はとらえがたい事実と意味という(中略)二元的な方向にわたって作用するきわめて仮説的で『方法的』なものである」とも述べている★4。たしかに、建築模型において目立つのは「方法的」、本稿の表現でいう〈手段〉的な性質だろう。ただ、それとは逆の〈自己目的〉的な特性をもつ建築模型もあるのではないか。

スタディ模型──〈未来〉と〈目的-手段〉


第一に、制作の際の検討用につくられる「スタディ模型」がある。いわゆる建築模型として想定されることが多いのは、このタイプの模型だろう。

模型史に照らすと、スタディ模型は明治以来の科学模型に含まれる。別の角度から言えば、当時の科学模型には、航空機や鉄道の模型とともに、建築模型も含まれていた。例えば、科学雑誌『子供の科学』(誠文堂新光社)には建築模型の記事がしばしば存在しており、同社の主催する模型展覧会には建築模型の作品も出展されていた。

こうした模型のあり方は戦後も継続するものの、ミリタリー模型やキャラクターモデルの分野では、先述したように〈過去〉指向かつ〈自己目的〉的な模型が主流となった。しかし、建築模型では、戦後にも科学模型的なあり方が持続したことに特徴がある。

例えば、1960年代に出された「少年少女 技術・工作文庫」シリーズ『建築模型の作り方』には次のような記述がある。

建物の模型には、専門の建築家が建物を設計してゆくうえに、各部のバランスを見たり、材料の研究をしたりするために作る模型があります。
ここで取扱う模型は中学校、小学校の高学年のみなさんが、模型をとおして建物を理解し、研究していただくように計画しました★5

この文章では、建築模型をつくることが科学(建築工学)的な創造力を育むものだとされている。こうした科学や工作と結びついた建築のスタディ模型は、まだ見ぬ〈未来〉を空想する媒介性をもった、実物制作のためや建築知識の学習のための〈手段〉的なメディアと言える。

再現模型──〈過去〉と〈目的-手段〉


第二に、建築物の「再現模型」がある。日常語で建築模型と言うときは区別されないことも多いが、建築に関わる言説では、スタディ模型と再現模型の性質が対照的に語られることもある。

例えば、建築史家の笠原一人は「村野藤吾の建築──模型が語る豊穣な世界」展(目黒区美術館、2015)を論評するなかで油粘土のスタディ模型について詳しく論じているが、それだけでなく、展覧会のポスターやチラシ、図録の表紙に用いられている「再現模型群」についても触れている。そこでは、代表的な建築を集めて配置された模型群が「村野の建築作品が群像となって表れるという、現実の建物では体験しようのない、誰もが見たことのない光景を作り出した」と述べられている★6。ここで指摘されている性質は、建築の再現模型一般に敷衍可能だろう。

再現模型は、この例でそうであったように展覧会やミュージアムでの展示でしばしば見られる。また、駅や空港、あるいは観光名所に、建築物や都市(の一部)の再現模型が置かれていることも多い。

以上のような建築の再現模型は、すでにある〈過去〉の事物を想起する媒介性と、実物の建築を想起するという目的のための〈手段〉的な性質をもつメディアである。

建築物のプラモデル──〈過去〉と〈自己目的〉


第三に、建築物のプラモデルを代表とする、ホビーとしての建築模型がある。

模型史のなかでは、1960年代から70年代にかけて、プラモデル、特に〈過去〉の形状を再現するスケールモデルが普及した。この背景には戦後の高度経済成長のなかで、プラスチックを材料とする工業製品が増加したことがある。プラスチックは、人工材料として分子レベルの設計が可能である★7。そのため、プラモデルでは、それまでの木製や紙製、金属製の模型では不可能だった細かな形状をもった製品を量産することが可能になった。趣味としての模型の世界で主流となったのは、こうした精密なプラモデルである。

スケールモデルで多く見られるのはミリタリー模型だが、戦後のプラモデルのなかで建築の模型も一貫して存在してきた。そのなかでも目立って人気なのは城郭だが、城以外にも、世界遺産やランドマーク的な有名建築物のプラモデルも多数発売されている★8。こうした建築模型のプラモデルは、〈過去〉の事物を媒介するメディアであり、それ自体が趣味として〈自己目的〉的なものだと言えよう。

建築フィギュア──〈未来〉と〈自己目的〉


第四に、建築物のフィギュアと言えるあり方がある。このカテゴリーには、ミニチュアハウスや、アートの領域にある建築模型が含まれる。

例えば、「INAX BOOKLET」シリーズ『建築のフィギュア』の冒頭に、次のような文言が見られる。

建築の模型フィギュアには不思議な魅力がある。
(中略)
フィギュアをつくる人 フィギュアをコレクションする人
建築のフィギュアに魅せられた者は皆、小さな世界には、誰かが住んでいるはずだ、と思っている。コレクターの部屋にこっそりつくられた小さなコレクションを 私たちも、さまよってみよう★9

模型にルビが振られている通り、同書では建築模型をフィギュアと捉えた分析が展開されている。この種の建築模型がコレクションや鑑賞の対象であるとするならば、それは〈自己目的〉的な存在と言えないだろうか。また、すでにある実物ではなく、作り手の想像力によって必ずしも現実にはない建築の模型をつくりうる。その点で〈未来〉の媒介性をもっている。

ここには、藤沢みのる作品のようなアート的なミニチュアハウスはもちろんのこと、「シルバニアファミリー」のようなポピュラー文化的なミニチュアハウスやドールハウス、さらには「レゴ」などのブロックでつくった建築模型も含まれるだろう。

また、同書ではオリヴァー・ボーバーグの写真集が言及されているが、彼の作品は(人のいない)建築模型をわざわざ制作したうえで、それを撮影している。小山明は、そこから「模型は、実物の代替物としての存在を超えて、独立した世界を確立している」と論じた★10。この指摘は、建築物を制作するための手段ではない、ある種独立・完結した建築模型のあり方を示している。

上記の点を考慮すると、フィギュアとしての建築模型における〈自己目的〉は、ある種の無関係性をもつ。つまり、本稿での〈自己目的〉性は、実際の建築物との〈手段〉的な関係に収まらない、そうした意味を含んでいるのである。

3 建築模型の理念型

本項では、建築模型を「人と対象世界」、より具体的に言うと「私たちとなんらかの〈実物〉をつなぐメディア」として捉えて、模す対象である〈実物〉の位相に即して〈未来/過去〉と〈目的/手段〉という2つの軸から整理してきた。それが、スタディ模型、再現模型、建築のプラモデル、建築フィギュアの4つだ[fig.1]

fig.1──建築模型の4つの理念型

なお、メディアのもうひとつの媒介性として「人と人」があるが、こちらの側面の考察は本稿では行えなかった。しかし、例えば、建築家の西田司は筆者との対談のなかで、建築模型について、施主と建築家との「対話のツール」であるという考えを述べている★11。こうしたあり方は、建築模型の「人と人のコミュニケーション」を媒介するメディアとしての可能性を示す。

そうした「人と人」をつなぐ建築模型の考察は今後の課題だが、ひとまず本稿では「人と世界」をつなぐメディアとしての側面を論じてきた。もちろん、本稿で提示した枠組はひとつの理念型にすぎず、実際には境界線上に位置する建築模型もある。また、〈未来〉と〈過去〉、〈手段〉と〈目的〉が循環した模型もあるかもしれない。

さらに、近年ではアクターネットワーク理論★12やオブジェクト指向存在論★13といった、モノとモノとの関係、あるいはモノ自体を、人間中心主義的にではなく捉える思考群が登場している。こうした動向を受けて、メディア論においても、人だけではなく、モノや場所を組み込んだ枠組が要求される★14。これをメディアとしての模型に敷衍するならば、「人と対象世界」や「人と人」のみならず、「モノとモノ」という関係も考える必要が出てくる。例えば、多木浩二はかつて、模型について「物と物とを結ぶ比喩」だと述べた★15。今後の建築模型をめぐる思索においては、このような論点を発展させていく必要があるだろう。



★1──松井広志『模型のメディア論──時空間を媒介する「モノ」』(青弓社、2017)
★2──伊藤守「メディアの媒介性」伊藤守編『よくわかるメディアスタディーズ』(ミネルヴァ書房、1995)pp.11-12
★3──多木浩二「思考としての模型」『視線とテクスト』(青土社、2012)p.217
★4──同上、pp.201-202
★5──鈴木与也『少年少女 技術・工作文庫 建築模型の作り方』(岩崎書店、1968)まえがき
★6──笠原一人「模型から村野藤吾を考える」『村野藤吾の建築 模型が語る豊饒な世界』(青幻社、2015)p.220
★7──林隆紀「持続資源としてのプラスチック材料」『社会学部論集』45(佛教大学、2012)
★8──日本プラモデル工業協同組合編『日本プラモデル50年史──1958-2008』(文藝春秋、2008)
★9──『プライベート・プロダクツ──建築のフィギュア(INAX BOOKLET)』(INAX出版、2004)p.4
★10──小山明「建築のフィギュア」同上、p.71
★11──松井広志・西田司「建築と模型とメディア#01」(Beyond Architecture、2018)
★12──Latour, B., Reassembling the Social: An Introduction to Actor-network-theory, Oxford University Press, 2007.
★13──グレアム・ハーマン『四方対象──オブジェクト指向存在論入門』(岡嶋隆佑監訳、山下智弘・鈴木優花・石井雅巳訳、人文書院、2017)
★14──岡本健、松井広志編『ポスト情報メディア論』(ナカニシヤ出版、2018)
★15──多木浩二「模型的思考」『小さな建築──建築のトポロジー(INAX BOOKLET)』(INAX出版、1987)


松井広志(まつい・ひろし)
1983年生まれ。愛知淑徳大学創造表現学部講師。文化社会学・メディア論。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(文学)。共編著=『いろいろあるコミュニケーションの社会学』(北樹出版、2018)『ポスト情報メディア論』(ナカニシヤ出版、2018)ほか。著書=『模型のメディア論──時空間を媒介する「モノ」』(青弓社、2017)。


Thumbnail: Forgemind ArchiMedia / CC BY 2.0/ 2010


201810

特集 都市をいかに記述するか
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