ノーテーションの憂鬱、インターフェイスの冒険

連勇太朗(建築家、NPO法人モクチン企画代表理事)

複数のリアリティ、その把握と「ずれ」

現実を現実として、その複雑性をその有り様のまま鷲摑みにしたいという欲望を私たちは持っている。そして、それができていると錯覚することもあるが、知性が身体という有限性のなかで作動している限り、認知できるものは常に制限と限界が加えられる。ゆえにそれは達成されることのない夢で、原理的には身体、認知、知性の数だけリアリティは存在していることになる★1。また社会的には、立場が変われば認識しているリアリティも異なるという現実を私たちは生きている。それでも、社会を運営していくためには、なにかをコントロールしたり、変えたりしなければいけないので、なるべく全体を把握しようと見取り図や概念モデルを必要としてしまう。それは矛盾したことであるが、この矛盾自体が、ノーテーションが有する問題系であるし、一方、創造性の契機がそこに隠れていることも紛れのない事実である。これは23年前の『10+1』第3号「特集=ノーテーション/カルトグラフィ」(1995)で八束はじめが指摘していることであった。冒頭文からその一節を引用する。

記譜すること、地図化することで、何が見えてくるか、何が操作可能になるのか。これは当然両義的な設問である。(中略)しかし、現実をこのような形で加工することを通してのみ、思考の対象を対象化することが可能になる。この場合、対象とその代補であるノーテーションの間で不可避的にずれが生じる。このずれは、時に応じて限界=欠陥ともなり得るし、また自由の函数ともなり得る。★2

世界をどのように把握し、操作するのか、それが問われているわけであるが、思考の対象と記譜という行為の間の埋まらない「ずれ」を自覚することからノーテーションの冒険ははじまる。

しかし困った時代になったものだ。事実や真実といったものは、いったいぜんたい、どこへ行ってしまったのだろう......。ポスト・トゥルースという言葉を持ち出すまでもなく、事実よりも快楽や享楽が志向され価値判断や意志決定が下される現代社会において、仮に世界を把握することが可能になったとしても、そのこと自体にどれだけの意味や影響力があるのだろうか。対象と記述との間に生じる「不可避的なずれ」は拡大していく一方......。それに加え、誰かにとっての利益や正義が、他の誰かにとっての不利益や悪になるという構造的ジレンマもつきまとう。これはプロジェクトを遂行していく際に、倫理的な問題として私たちの前に立ちはだかる。そうした状況のなか、あえて指摘するまでもなく、例えば観察−分析−計画という計画者を客観的な観察者として位置付け、トップダウン(あるいは線形的、俯瞰的)に物事を操作・更新していくという単純な図式も論理的には破綻しているということは明白である。そして、ノーテーションという概念そのものがこうした図式(そして欲望)と深く結びついてきたという歴史的経緯も認めなければならない。

ノーテーションからインターフェイスへ

「ノーテーション」という言葉に、どこか懐古的な響きを感じるのは私だけであろうか。20世紀後半のグラフィックをはじめ、ノーテーションというレトリックはときにフェティシズムと結びつき、趣味嗜好が入り込む特殊な領域となり得る。しかし、そうしたことから意識的に距離を置き、ノーテーションという概念を持ち出すことで問いを立てなければならなかった八束氏の冒頭の問題意識を共有しながら、不用意にノーテーションを歴史化することを避け、2018年の現在に適した想像力へと敷衍していくことはできないだろうか。

こうした意識から、私はノーテーションではなくインターフェイスという概念/言葉を好む★3。対象が対象化され続けるということと、対象に対して介入が加えられていくという、現実の把握と介入が相互に影響し合うものとしてインターフェイスは捉えられる。決定的に重要なことは、インターフェイスという概念の導入によって、時間の経過、対象の変化、対象への理解を連動させることができる点にある。インターフェイスという概念が駆動する想像力は、情報化社会における時間や空間の考え方と親和性が高いのだ。

学習者としての建築家

「ずれ」を解消することは原理的に不可能であるが、対象との連動性によって「ずれ」を補正、修正、矯正することはできる。そこで生じるコミュニケーションの循環のことを、「学び」と言い換えてもいい。学びはインターフェイスの設計次第で、瞬発的なものに基づく場合もあるし、中期的な定点観測のなかで育まれる場合もある★4。ここに建築家の社会的立ち位置を見つめ直す契機が宿る。そこでは初期モダニストのように建築家は「改革者」として存在するのではなく、部分的な理解を積み重ね、介入と操作によって新たな知見を得ていく「学習者」として存在する★5。それは建築家が特権的な立場から意思決定していくという存在から、ユーザー・与件・条件と同列に並ぶデザインの生態系の一部として位置付けられることを意味する。

こうした立場の転換は建築家だけにとどまらず、アジャイル開発、ユーザー中心デザイン、リーンスタートアップ、スペキュラティブデザインなどの諸概念が象徴するようにあらゆる分野・領域で同時多発的に起きている変化と言えよう。それは情報技術の急激な進歩はもちろんのこと、それに付随して起きている人々の想像力と社会的制度の変化によるところが大きい。故にインターフェイスについて考え、構築していくことは建築家にとって重要な生存戦略になり得る。そして、そうした意識は建築家の興味をより包括的な方向へと向かわせ、真の意味で職能を拡張・変化させていく原動力になる★6。インターフェイスの構築によって、無限の学びのサイクルが私たちの前にもたらされる。そうしたとき、そうした認識の枠組みを手に入れたとき、改めてノーテーションという概念を見つめ直してみたい。インターフェイスと比べると、意味内容が明瞭で、歴史的文脈がはっきりしているこの概念を、再びどのように扱えるだろうか。化石化したノーテーションのカタログ集を捨て(それはそれで個人的には好きだが)、積極的に現代の諸条件にその定義やイメージを曝すことでノーテーションの概念やイメージを刷新することはできないだろうか★7。その具体的な手法と道具が発明されたとき、それは建築や都市が新しく生まれ変わるときを意味する。ノーテーションの憂鬱は超えられるべきだ。


★1──例えば、ドナルド・ホフマンによる「視覚の文法--脳が物を見る法則」が参考になる。TEDでもわかりやすい解説動画を視聴することが可能だ。
★2──八束はじめ「現代建築におけるノーテーションの冒険──見えない建築へ」『10+1』特集=ノーテーション/カルトグラフィ(INAX出版、1995.5)
★3──インターフェイスについては、「10+1website」(特集=ブック・レビュー2018)での拙稿「『建物』を設計している場合ではない」でも論じたので、本稿の理解を助ける参考にされたい。
★4──設計実務を遂行するOMAの鏡組織としてつくられたAMOはそれを体現した存在である。魅惑的なノーテーション、ダイアグラム、グラフィックはAMOを象徴するアウトプットではあるが、より大きな見方をすれば、現代都市の有り様をプロジェクトの実践を通して定点観測していくインターフェイスとしてAMOを捉えることができる。ほかにも、中国で起きている都市の変容を現象として、プロジェクトの実践によって継続的に観察しリサーチ成果を発信しているRural Urban Framework(RUF)も興味深い存在である。このように、インターフェイスを論じることは、組織論やビジネスモデルの話にも繋がっていく。
★5──イギリスのASSEMBLEは、学ぶ主体として、プロジェクトの実践を通して新たな知見を得ながら、次のプロジェクトに反映していくという特異な知の循環を持つ建築家集団である。
★6──WeWorkがBIMなどのデジタル技術に基づいた設計技術を有するCaseを買収し、オフィスの設計をアプリケーションやソフトウェアのように実現していることや、秋吉浩気率いるVUILDがshopbotという機械と設計システムを提供することで中山間地域や木材産業の問題を包括的に解決しようとしている動きは、インターフェイスの構築による建築家の新たな振る舞いを予感させてくれる。
★7──こうしたことを真正面から取り組んでいる建築家として、国内であれば市川創太/doubleNegatives Architectureがまっさきに思い浮かぶ。また、建築史家であるマリオ・カルポの問題意識にも繋げることも当然可能であろう。


連勇太朗(むらじ・ゆうたろう)
1987年生まれ。建築家。現在、特定非営利活動法人モクチン企画代表理事、慶應義塾大学大学院特任助教、横浜国立大学非常勤講師、法政大学大学院非常勤講師。共著=『モクチンメソッド──都市を変える木賃アパート改修戦略』(学芸出版社、2017)ほか。


Thumbnail: Forgemind ArchiMedia / adapted / CC BY 2.0/ 2007


201810

特集 都市をいかに記述するか
──ノーテーションの冒険、その現在形


ノーテーションを振り返って
ノーテーションの憂鬱、インターフェイスの冒険
形象化された世界──《都市の記述》とその表現
バーチャル・リアリティの記譜法──パノラマ、キュビズム、座標系
建築模型のメディア試論──〈未来/過去〉と〈手段/目的〉の媒介性
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