第4回:21世紀のアール・デコラティフ(前編)

加藤耕一(西洋建築史、東京大学大学院教授)

前回(連載第3回)の末尾で予告したとおり、本稿「21世紀のアール・デコラティフ」は、ここまで論じてきたインテリアとマテリアリティの問題についての完結編である。末尾を飾る「第1部・完」の文字に辿り着くべく勢い込んで原稿に向かったところ、通常の2倍の分量のテクストとなってしまった。そこで本稿は、前後編に分けて掲載させていただこうと思う。連載第4回は「第1部・完結編(前編)」としてお楽しみいただければ幸いである。

産業革命とファブリック

第1回でも論じたように、近代の建築理論はインテリアを一段低いものとして見てきた。だが21世紀の建築界は、少しずつインテリアに再接近してきたといえる。それはハイブランドの商業施設においても、住宅のリノベーションにおいてもいえることだろう。たとえば近年、建築家が主導するインテリア・ガイドが出版され★1、テキスタイルデザイナーの作品集が〈現代建築家コンセプト・シリーズ〉から発表されるなどしたことも★2、この新傾向を端的に表わしている。

こうした新傾向に呼応して、この問題を歴史的に問い直してみようというのが、本連載でここまで論じてきた「インテリア編」の目的である。インテリアとはすなわち、建築の内部空間の問題であった。1898年のロースの絨毯論(第2回「マテリアリティとは何か?」)を理解するためには、19世紀以来のインテリアに関する議論の蓄積を再認識する必要がある。ロースは、絨毯のような布地ばかりでなく、大理石や木製パネルなど、さまざまなマテリアリティを駆使して空間を設計した。大理石パネルにせよ、木製パネルにせよ、さまざまなマテリアリティに包み込まれた建築空間は、じつはきわめて伝統的なものである。だが、織物と建築空間の関係が強烈に紡がれるようになったのは、産業革命以降のことであった。ロースの絨毯論は産業革命以降のインテリア論の帰結だったのである。

産業革命における革新的な発明が蒸気機関だったことは、周知の事実であろう。蒸気機関は、鉱山における工業用原料の採掘を推し進め、また工場における機械の動力として、さらに蒸気機関車や蒸気船などの運輸業を大いに発展させた。産業革命に関する教科書的な記述において、蒸気機関の発明と並んで強調されるのが、紡績・毛織物工業および製鉄業である。

従来の建築・都市の歴史記述において、もっとも重視されてきたのは、いうまでもなく製鉄業の発展による建築の革新であった。19世紀は「鉄の世紀」とも呼ばれる。鉄は建築の構造とデザインを革新的に変化させたし、製鉄業と蒸気機関という2つの産業革命の成果を体現した「鉄道」の発達は、都市空間や、さらに広域な都市間の関係性を大きく変貌させた。19世紀の鉄の建築や、鉄道の発達によって大きく変化した近代都市というテーマは、従来の建築史や都市史の分野でも繰り返し論じられてきた★3。だが、紡績と織物工業の発達と建築空間の変化については、充分に論じられてきたとは言えない。しかしよく考えてみれば、産業革命によって生み出されたファブリックの氾濫は、間違いなく建築の内部空間を激変させたはずなのである。

連載第3回「建築史学の現代性」でとりあげたニコラウス・ペヴスナーの『モダン・デザインの展開』でも、18世紀から19世紀初頭の「猛烈な産業の進展」を牽引した英国の優位を示す実例として、製鉄関連の発明と合わせて、紡績・織物業の発明品がリストアップされていた★4

1733年:飛び杼(ジョン・ケイ)
1760年:杼替え装置(ロバート・ケイ)
1764-67年:ジェニー紡績機(ジェームズ・ハーグリーヴス)
1769-75年:水車紡績機(リチャード・アークライト)
1774-79年:走錘精紡機〔筆者註:ミュール紡績機〕(サミュエル・クロンプトン)
1785年:力織機(エドモンド・カートライト)
1799年:ジャカード機(ジョゼフ・マリー・ジャカール)

飛び杼の発明により、織物のスピードが飛躍的に高まり、そのことが綿糸の生産性を高める紡績機の発明を促した。そうして実現された紡績機による綿糸の大量生産に対応すべく、再び織機の自動化が進み、力織機の発明、さらには複雑な模様の織物を自動化するジャカード織機までもが18世紀のうちに発明され、来るべき19世紀の準備が整ったのである。

だがペヴスナーは、こうした機械の発明と産業の発達が、デザインの堕落をもたらしたという立場をとった。彼はこうした状況を「野蛮主義」と呼び、そのデザインは「支離滅裂」で「無知」で「下品」であったとたたみかける★5。ペヴスナー以降、建築史の記述において、こうした産業革命以降の布地の氾濫と建築インテリアの関係が論じられることは、ほとんどなかった★6

だがおそらく、19世紀のヨーロッパ世界を席巻した、溢れかえるファブリックは、人々の生活空間を激変させたはずである。購買力のある都市のブルジョワたちは、室内にカーテン、カーペット、ベッドカバーやシーツ、ソファーや椅子の座面、テーブルクロスなどを買い揃え、そこで、以前には考えられなかったようなカラフルで豪奢な衣服を身にまとい、真新しい「近代的な」生活を始めたのである。それをモダンな感性にもとづいて「悪趣味」と呼ぶかどうかはさておき、建築空間がまったく新しいものに変化したことは間違いない。色彩豊かな布地の柔らかなマテリアリティが、建築空間を大きく変化させたのだ。

ファブリックと建築空間──19世紀の熱狂

19世紀におけるファブリックの氾濫に対する、人々(特に女性たち)の熱狂を克明に描き出したのが、エミール・ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』(1883)である。この小説は、世界で最初のデパートとして知られるパリのボン・マルシェ百貨店(1852年創業)と、その3年後に開店したルーヴル百貨店をモデルに執筆されたもので、19世紀後半のデパートという消費空間の誕生と、そこにおける人々の熱狂ぶりが鮮烈に描写されている。

デパートの熱狂を生み出した要因は2つあった。ひとつは鉄とガラスの革新的な建築空間。そしてもうひとつが、さまざまな種類の布地が商業の世界を席巻したことである。小説の冒頭、2人の弟を連れてパリに出てきた20歳の主人公の田舎娘ドゥニーズは、ボヌール・デ・ダム百貨店のショーウィンドーに吸い寄せられていく。そこにはウール、ラシャ、メリノや毛皮や羽毛など、さまざまな布地でつくられた女性物の衣類や生地など、「ヌヴォテ(nouveauté)」と呼ばれる流行品の数々が展示されていた。

しかし何よりも三人の目を惹きつけたのは、最後のショーウィンドーであった。そこには絹、サテン、ベルベットの布地が華やかに展示されており、しなうように揺らめき、色のグラデーションをつくりながら、花園にも似た微妙な色合いを出していた。頂には漆黒のベルベットと凝乳を思わせる白のベルベット。その下にはバラ色やブルーのサテンがくっきりと折山を見せ、次第にトーンをおとし、淡く落ち着いた色へ限りなく変わっていくのであった
──エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(1883)★7

ゾラの『ボヌール・デ・ダム百貨店』が発表された1883年頃、モデルとなったボン・マルシェ百貨店では、創業から30年が経過し大成功を収めたこのデパートの、規模拡大工事が進められていた。創業者アリスティド・ブシコーはセーヌ県知事オスマンと交渉して、パリ左岸に巨大な街区の一区画を買い取り、そこに現在のボン・マルシェ百貨店のもととなる建物の建設を進めていた★8。建築家アレクサンドル・ラプランシュの設計による1869年から72年の第1期工事が完了し、続いて建築家ルイ・シャルル・ボワローの設計、ギュスターヴ・エッフェルの構造による第2期工事が1874年に一段落している★9。ただし建設工事はまだ継続し、ようやく1887年にボン・マルシェ百貨店の全体が完成しているので、ゾラの執筆時期は、ボワローの設計部分が世間にお目見えしたが、まだまだデパート自体の拡張工事は続いている、という時期にあたるようだ。

fig.1──『ボヌール・デ・ダム百貨店』のモデルとなったパリの《ボン・マルシェ百貨店》。ガラスのトップライトと空中に渡された鉄のブリッジ(引用出典=Sigfried Giedion, Building in France, Building in Iron, Building in Ferroconcrete, The Getty Center, 1995, p.116より)

いうまでもなく、19世紀に登場したデパートという新たなビルディングタイプは、鉄とガラスの建築の代表格のひとつであった。ジークフリート・ギーディオンも、『フランスの建築──鉄骨と鉄筋コンクリート』(1928)と『空間・時間・建築』(1941)の2つの著作にfig.1と同じ写真を掲載し、ボン・マルシェ百貨店を取り上げている。鉄とガラスが19世紀の建築を大きく変貌させたことを、ギーディオン以降の建築史研究によって、私たちはよく知っている。ギーディオンの『フランスの建築』は、ヴァルター・ベンヤミンによっても、彼の『パサージュ論』のなかで繰り返し引用された。

だが、百貨店という近代の消費の殿堂を生み出した、鉄とガラスの建築空間の衝撃は、ギーディオンを待つまでもなく、同時代のゾラによってすでに克明に記述されていた。

まるで鉄道の中央ステーションのようだった。二階、三階には欄干が周囲に巡らされ、宙に吊るしたような階段で分断され、さらに浮き橋がかけられていた。左右対称に設置された鉄の階段は、大胆なカーブを描きながら、上がるにつれ踊り場の数を増やしていた。空中に架けられた鉄の橋は、非常に高いところを一直線に走っていた。そしてそこでは、ガラス天井から降り注ぐ白光の下に、これら鉄のすべてが軽やかな建築物を造りあげていた日の光を通して浮かび上がる精巧なレースのような、近代的な夢の宮殿の実現であり、何層もの階を積み重ね、数多くのホールを連ね、次の階へ次のホールへと無限に眺望を開くバベルの塔であった。要するにあらゆる場所に鉄が君臨していた。
──エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』★10


figs.2, 3──ボン・マルシェ百貨店の吹き抜け空間と大階段(引用出典=fig2: Bertrand Lemoine, L'architecture du fer, Champ Vallon, 1986, p. 196より、fig.3: Le Monde Illustré, 13 mars 1875 より)

だが本稿で提示したいのは、ゾラをはじめとする19世紀の人々が、デパートの建築空間に感じ取っていた新しさは、鉄とガラスだけによってもたらされたものではなく、それに加えて布地の色彩とマテリアリティの豊かさがあったのではないかという仮説である。前述の引用部分に続いて、ゾラは次のようにデパートの内部空間を描写した。

目を上げると、階段も浮き橋も各階の欄干も、次から次へと騒ぎながら上っていく人々であふれかえり、空中に群れをなしている人々は、巨大な鉄の骨組を昇り下りしながら歩きまわり、釉薬を施したガラス天井から差し込む光の中に黒い塊をなしていた。金めっきされた大きなシャンデリアが天井にかかっていた。カーペットや刺繍入りの絹地や金ラメ入り布地などがずらりと垂れ下がり、欄干は輝かしい軍旗でもかけたような光景だった。辺り一面にレースが舞い、モスリン〔メソポタミアの首都モスル原産の織物。薄地の面または毛織物〕が波打ち、絹地が誇らしげに揺れ、半裸のマネキンが神のようだった。
──エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』★11

建築写真のなかに、私たちはしばしば人間を入れず、また生活用品のような「建築とは関係のない」品々が写り込まないように、注意深くアングルを調整しがちである。そうしたものを取り除き、剥ぎ取った末に残ったものにこそ、建築空間の本質があるかのごとく考えるように訓練されてきたような気がするほどだ。ギーディオンが『フランスの建築』に掲載したfig.1にも、フランスの建築史家ベルトラン・ルモワンが『鉄の建築』に掲載したfig.2にも、人間は写っていない(むろんそれは、初期のカメラが長時間露光を必要としたため、室内を動き回る人間を撮影するには適さなかったという技術的要因が大きいが......)。結果として、そこに写し出されているのは鉄骨の躯体がつくりだす建築形態と、静謐なる光と空間の関係性である。だがボワローとエッフェルの第2期工事が一段落した当時、当時の週刊誌 『ル・モンド・イリュストレ』に掲載されたfig.3の挿絵を見ると、fig.2とほぼ同じ空間が描かれているにもかかわらず、そこにはこの空間を埋め尽くす着飾った買い物客たちや、この吹き抜け空間のあちこちに吊るされた布地など、写真では省略されたものが多数描かれていることがわかるだろう。私たちが、建築空間を考える上で邪魔者扱いし、無意識のうちに取り除いてしまいがちな、建築の不変の躯体とは異質のエフェメラルな存在もまた、じつはこの真新しい建築空間のアトモスフィアを決定的に特徴付けていたはずなのだ。

光やテキスタイルは、ぼくたちと実体としての建築との間に挟まっている。それらを介して、ぼくたちは建築を感受する。光は時間とともに移ろい、天候によって変化する。テキスタイルは触れば動き、風が吹けばなびく。光やテキスタイルは、その生き物的な不安定さにおいて、ぼくたちに親しい。
──青木淳「くうきを伝える、くうきのような生き物」 (安東陽子『テキスタイル・空間・建築』所収)★12

21世紀の建築家も、布地と建築空間の密接な関係性に、少しずつ接近しはじめている。布地の柔らかなマテリアリティは、光を伝え、空気感を伝えることで、建築空間を雄弁に語るのである。そしておそらく、その建築空間に彩りを与える布地には、建物に金具で接続されたカーテンや、床面に固定されたカーペットばかりでなく、もっと自由に移動可能な、テーブルクロスやソファーカバー、そしてそこで生活する人間の衣服すらも含まれると考えるべきだろう。

近代的な都市空間のなかで動き続ける「群衆」が、近代の新たな都市空間における重要な要素であることに、ベンヤミンもまた気づいていた。彼は群衆を「都市のヴェール」と呼んだ。いうまでもなくこれもまた、布地のメタファーである。そして、これらの群衆が身にまとっていた衣服、なかでも着飾った女性たちのカラフルなドレスは、産業革命以降のファブリックの氾濫を示す重要な側面であったのだ。彼らが身につけていたファブリックもまた、百貨店の商品や、店内を飾るさまざまな布地と同じく、都市空間と建築空間に大きな彩りを与えていたのである。

つまり本稿で示したいのは、私たちが19世紀の「鉄とガラス」の建築と呼んで、その革新性を強調してきた建築空間は、じつは「鉄とガラスとファブリック」の建築空間だったのではないか、という仮説である。

鉄とガラスの商業空間としてのデパートの先行形態がパサージュであったことを、ベンヤミンが指摘していたことはよく知られている。だがもうひとつ重要なのは、彼がパサージュとデパートの出現に共通する要因に織物取引があったという事実を見抜いていた点であろう。

パサージュが栄えた第一の条件は、織物取引が絶頂に達していたことである。大量の商品在庫を店に常備する最初の店舗であった流行品店(magasins de nouveautés)が登場し始める。それらは百貨店の先駆である[...中略...]パサージュの発展にとって必要な第二の条件は、鉄骨建築の開始によって用意される。
──ヴァルター・ベンヤミン「パリ──19世紀の首都〔フランス語草稿〕」★13

ベンヤミンのパサージュ論のなかでは、織物取引とパサージュの繋がりは、主として流行(モード)の観点によって論じられ、直接的にファブリックが織りなす建築空間については論じられていない。ベンヤミンにおいてさえも、建築空間としてのパサージュの革新性は、鉄とガラスによってもたらされる。『パサージュ論』に含まれる「覚え書および資料」の項目Fは「鉄骨建築」であり、この項目のなかで、ギーディオンが繰り返し参照されるわけである。だが同時に項目Iの「室内、痕跡」に代表されるように、彼の目線は19世紀のインテリアにも間違いなく注がれていた。そこでは「痕跡論」としてのファブリックの問題が論じられていたのである(連載第2回「19世紀のインテリア論へ」参照)。

世界で最初の百貨店、パリのボン・マルシェ創業前年の1851年には、ロンドンで世界初の万国博覧会が開催された。その会場として建設されたクリスタルパレスこそ、「鉄の世紀」19世紀のもっとも象徴的な建物といえるだろう。だがここでも私たちは、無色透明の「クリスタル」のような建築空間を思い浮かべがちではないだろうか[fig.4]。現存しないこの建物について、私たちは残された図版によってしか、その空間をイメージすることができないのだが、ギーディオンの『空間・時間・建築』の白黒印刷の図版からは、余計な色彩を省いた抽象空間を脳内に構築しやすいだろう。極端に言えば、色彩などないほうが建築空間の本質が表現できると考えるのが、モダニズム的な態度のようにも思われる。

だがカラー印刷を目の当たりにすると、この空間の印象は一変する[fig.5]。鉄骨の構造材から吊られた極彩色の布地の数々。訪れた客たちは、男性たちは一様に黒いジャケットに黒のシルクハットという装いだが、女性たちは思い思いのカラフルなドレスを身に纏っている。クリスタルパレスもまた、「鉄とガラスとファブリック」の建築空間だったといえるのだ。さらに鋳鉄の構造部材には、オーウェン・ジョーンズの色彩理論にもとづき、赤・青・黄のカラーリングがなされていた。クリスタルパレスはけっして無色透明の世界ではなかった。そしてそこでの展示品そのものも、産業革命がもたらした、ありとあらゆる大量生産のプロダクトだったのである。


figs.4, 5──クリスタルパレス内観:The Great Exhibition of 1851 in Hyde Park: View of the Transept, looking north(引用出典=fig.4:Sigfried Giedion, Space, Time and Architecture, Harvard University Press paperback edition, 2008, p. 256より、fig.5: Great Exhibition of 1851, London; Printed Ephemera. 1851. MS Larry Zim World's Fair Collection. National Museum of American History Archives Center. Smithsonian Collections Online, http://tinyurl.galegroup.com/tinyurl/6xNc54. Accessed 26 Aug. 2018.より)

ロンドン万博とインテリア

おもしろい話がある。

イギリスには1696年に制定された窓税というものがあった。細かい規則は時代によって少しずつ変わったが、要するに窓が多ければ多いほど、住宅にかかる税金が上がる仕組みである。徴税のために土地面積や床面積を調査するのは大変だが、窓の数ならば敷地の外からでも容易に数えることができるわけで、窓が多ければ豪邸と判断されたわけだ。

この法律のために、18、19世紀のイギリスでは、住宅にたくさんの窓を開けることが厭われた。既存の窓も、可能ならばレンガなどで塞がれてしまい、結果として室内はかなり暗かったと言われる。建築環境学的な観点から見れば「悪法」と呼ばれそうなこの法律が撤廃されたのは、ようやく1851年のことだった。鉄とガラスの建築、クリスタルパレスが建設された年である。建物の壁がすべてガラスでつくられる時代の到来とともに、この法律も役割を終えたのだった。

これを機に、イギリスの住宅でも、ようやく安心してたくさんの窓を開けることができるようになった。明るくなった室内で大いに流行したのがレースのカーテンだった★14。産業革命による織物産業の発展は、まさにカーテンのような大判の布地の生産を発展させたのである。そしてクリスタルパレスで開催されたロンドン万博の展示品のなかでもっとも重要だったのが、こうした布製品などの機械生産のプロダクトの数々であり、そのなかでもかなりの部分を占めた展示品が、住宅のインテリア用品だったのだ。

1851年のロンドン万博は、19世紀前半のフランスで流行していた国内博覧会をモデルにしながら、初めて国境の垣根を越えるイベントとして開催されたもので、正式名称をThe Great Exhibition of the Works of Industry of All Nationsという。世界中の国々からさまざまな物品を集めて展示するというコンセプトから、ロンドン万博とは、世界の国々を知るための博物学的なイベントだったと誤解されることもあるようだが、正式名称が示す通り、主要な目的は産業革命以降の工業製品の展示会であった。ロンドン万博の展示品のうち、大きな部分を占めたのは、英国製の工業機械や工業製品(分類(1)~(30))である。それに加えて諸外国(30カ国★15)および植民地諸地域(32地域★16)からの出展があった。

fig.6──展示コーナーを示したクリスタルパレス平面図(引用出典=Ellis, Robert, et al. Official Descriptive and Illustrated Catalogue: by Authority of the Royal Commission in Three Volumes. Vol. 1, Spicer Brothers, Wholesale Stationers; W. Clowes and Sons, Printers, 1851. Smithsonian Collections Online, http://tinyurl.galegroup.com/tinyurl/6xuWoX. Accessed 29 Aug. 2018.

英国製品は、東西方向の全長約560メートルに達するクリスタルパレスの西側半分に展示され、東側が主として外国からの展示物に割り当てられた。中央に長く伸びる大吹き抜け空間(身廊)に面して、北側と南側の1階および2階ギャラリーに展示コーナーが並んでいく。展示空間の基本単位となるのは、鋳鉄の柱の1スパン分となる24フィート×24フィートのスペースで、身廊側から見上げると、国名や分類名などが書かれた赤いフラッグが、鉄の梁に掲げられていた。またそれとは別に、身廊の吹き抜け空間に面して、カーペット、テーブルカバー、タペストリーなどの色とりどりの大判の布製品も、ずらりと吊り下げられていた[figs.5, 6]

英国製の出展品は、以下のように4つの部門(原材料部門・機械部門・製品部門・美術品部門)に大別され、さらに細かく30項目に分類された。

【原材料部門】
(1)鉱物系/(2)化学系/(3)食物系/(4)動植物由来

【機械部門】
(5)動力機械/(6)製造機械/(7)建設機械/(8)船舶・軍事機械/(9)農業機械/(10)その他機械(時計、楽器等)

【工業製品部門】
(11)綿/(12)ウール/(13)シルク・ベルベット/(14)亜麻および麻製品/(15)混紡繊維・ショール/(16)皮革・毛皮等/(17)紙類および文具/(18)織り・紡ぎ・フェルト等のプリントおよび染め見本/(19)タペストリー/(20)服飾小物(帽子、手袋等)/(21)カトラリー/(22)金属製小物(ヤカン、アイロン、照明器具、他)/(23)貴金属製小物および模造品/(24)ガラス製品/(25)陶器/(26)室内装飾品(壁紙、パピエ・マシェ、漆器を含む)/(27)石製品(大理石、スレート、セメント、人造石等)/(28)動植物由来の製品(布製品など他分類に含まれない物)/(29)その他の製品(石鹸、蠟燭、傘、杖、玩具、その他)

【美術品部門】
(30)彫刻・模型・造形美術

この分類名を見てもわかるように、製品部門と美術品部門の分類(11)~(30)のかなりの部分がインテリアや服飾関連などの、人々の生活空間を彩る品々であった。いかにもデパートで売っていそうな品々と言ってもいいかもしれない。はたしてこれら大量生産のプロダクトは、ペヴスナーが断じたような、「幾千の安物」に過ぎず、「機械で作られていて、所詮それなりにしか見えない」ものだったのだろうか?

以下ではこの問題をめぐる2つの大国、イギリスとフランスを順に取り上げ、そこでの歴史を追ってみたい。




★1──浅子佳英+安藤僚子『TOKYOインテリアツアー』(LIXIL出版、2016)
★2──安東陽子『テキスタイル・空間・建築』(LIXIL出版、2015)
★3──なかでも重要なものとしては以下を参照。北河大次郎『近代都市パリの誕生──鉄道・メトロ時代の熱狂』(河出書房新社、2010)
★4──ニコラウス・ペヴスナー『モダン・デザインの展開』(白井博三訳、みすず書房、1957)34頁
★5──同書、32頁
★6──ペヴスナーを批判的に超克し、19世紀を論じた重要な先行研究に、言うまでもなく鈴木博之氏の一連の研究がある。「ペヴスナーによってはモリスが近代建築の源泉のひとつに挙げられるという、まったくな不可解な事実」を指摘した『建築の世紀末』(晶文社、1977、288頁)が、20世紀後半における「装飾論」を切り拓いたことに対し、本連載では21世紀のインテリア論とマテリアリティ論の地平を開拓したい。
★7──エミール・ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(伊藤桂子訳、論創社、2002)4頁
★8──鹿島茂『デパートを発明した夫婦』(講談社現代新書、1991)63頁
★9──Nathalie Mercier, Un Grand Magasin Parisien: Le Bon Marche, 1863-1938, Memoire, Ecole Nationale Superieure des Bibliotheques, 1985, pp.3-4.
★10──同書、325頁
★11──同書、326頁
★12──安東陽子、前掲書、16頁
★13──ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』第1巻(今村仁司+三島憲一ほか訳、岩波現代文庫、2003)37頁
★14──谷田博幸『図説 ヴィクトリア朝百科事典』(河出書房新社、2001)130-131頁(「窓」の項目)
★15──ただし、ドイツ関税同盟加盟諸国を、ドイツ1国として数えた。
★16──アジア2地域、ヨーロッパ4地域、アフリカ5地域、アメリカ16地域、オーストラリア5地域。


  1. 産業革命とファブリック/ファブリックと建築空間──19世紀の熱狂/ロンドン万博とインテリア
  2. 大量生産とデザイン・装飾・アートをめぐる用語について/ヘンリー・コールとイギリスにおけるデザイン理論

201810

連載 アーキテクトニックな建築論を目指して

第4回:21世紀のアール・デコラティフ(前編)第3回:建築史学の現代性第2回:マテリアリティとは何か?第1回:素材と構築が紡ぐ建築史
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