20世紀の遺産から考える装飾

石岡良治(早稲田大学文化構想学部准教授)+砂山太一(京都市立芸術大学美術学部特任講師)

──本号では、現代の「装飾」について考えてみたいと思います。批評家の石岡良治さんは『10+1』No.40(2005)に思想・哲学領域と建築とを往還する論考を寄稿され、また、アドルフ・ロースを論じたテキストも書かれています。砂山太一さんはデジタル技術を用いた建築設計の研究者であり、実践者でもあります。これまでの過去の議論、とりわけ19世紀末から20世紀前半の近代建築の時代、それに対する20世紀後半のポストモダニズムの時代を振り返り、さらに、機械生産性(デジタルファブリケーション)と計算可能性(コンピュテーション)が向上した今日まで、装飾を切り口として対談を展開していただきます。

近代建築と装飾論──アドルフ・ロースの「図と地」

石岡良治──近代建築と装飾という意味では、『装飾と犯罪──建築・文化論集』(伊藤哲夫訳、中央公論美術出版、2011[新装普及版])で知られるアドルフ・ロースを避けて通れないと思います。かつて15年ほど前に書いた論考「装飾と反復」では、ロースを論じるときに、ドレスデン控訴院民事部部長を務めながらもパラノイア患者だったダーニエル・パウル・シュレーバーの妄想体系がまとめられた『シュレーバー回想録──ある神経病者の手記』(平凡社、2002)を引き合いに考えてみました★1。いわゆる規律訓練の権化みたいなものから生まれたのがシュレーバー症例です。シュレーバーは、神との性的交わりを妄想し、狂人の戯言のような富んだ内容を、しかしながら理路整然と、明確に体系としてつくり上げています。
アドルフ・ロースの文章もシュレーバーに似たところがあって、「装飾に耽る者は犯罪的だ」や「便所の壁の落書き」など、激烈なトーンがヤバい感じです(笑)。ロースはじつは幼児卑猥罪の容疑で逮捕・告訴されたりもしていて★2、猥褻を指摘しながらも自身で猥語を言ってしまっているようなところがあり、その激しい告発や発話が本人の言説の危うい魅力を示しています。

砂山太一──2014年にウィーンの応用芸術美術館(MAK)で「WAYS TO MODERNISM Josef Hoffmann, Adolf Loos, and Their Impact」という展覧会がありました。プレスリリースでは、1900年前後のウィーンにおけるアドルフ・ロースとヨーゼフ・ホフマンの対極的なアプローチを起点として、近代のデザインの軌跡を探るもの、とされています。展覧会を見たわけではないので精確には把握できないのですが、カタログの表紙ではこの二人のデザイナーの寝室が象徴的に扱われています。「ヤバさ」ということで、この写真を思い出したのですが、ロースのプライベートな寝室は、当時10代の花嫁に捧げられたもので、床が全面ファーで覆われていて、非常に触覚的で性的です。一方、ロースが批判したホフマンの寝室のほうが、今日的に見ればモダンで理知的に見えます。このロースの寝室の写真は、あとで言及するビアトリス・コロミーナとマーク・ウィグリーの『我々は 人間 なのか?──デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』(ビー・エヌ・エヌ新社、2017)にも小児性愛の話とともに載っていますね。「機能するということは、時代遅れだということだ」というマーシャル・マクルーハンの引用とともに見開きで強く打ち出されているのが印象的です★3

石岡──ロースは、今では間違いとされる発想も持っていました。胎児から成人に至る人間の成長が原始時代から次第に文明化していくプロセスをなぞるという説で、「子供やパプア人」が性的なシンボルを書きなぐっていた状態から、それを内面と外面に分け、理性的になっていくと。そして最終的な頂点としては、「聖なる都市、天国の首都シオンのようにひかり輝く日が」というポストヒストリー的な理想を掲げていました。
一方で、装飾についての論理の見事さにも惹かれます。ロースが具体的に非難・揶揄していたのは、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデによるユーゲント・シュティールの内装です。簡単に言ってしまえば「ひとりのデザイナーによる有機曲線の構成が室内を全面的に統一してしまうのが気持ち悪い。それは便所の内装を内外の区別なく広げるのと一緒で猥褻だ」というようなものです。これはジョン・ラスキンやウィリアム・モリスのような、統一した美意識で身の回りを整えていく志向性への批判につながるところもあります。内面に抱えた叫びや欲望と、外面に纏う紳士的な着衣のようなメリハリをなし崩しにすること、もしくは全生活をあるひとつの論理でつくり変えることへの嫌悪です。ここには、インターナショナル・スタイルが批判されていた頃のいわゆる「ポストモダン」的な発想が先取りされているとも言えます。単一の意匠ではなく、内外や、基壇と上部を分節し、そこに秩序(オーダー)を持つ歴史的な意匠を各自が選び、組み合わせていくわけです。
《ロースハウス》(1911)は、ミヒャエル広場に建ち、ウィーンの街並との対比によって「図」として際立つだけではなく、低層部と上階の分節によって、「図」と「地」の関係を自身のうちに折り返しています[fig.1]。低層部は、ロースにとっては都市の過酷な装飾的状況に対する移行の空間としてあり、バッファーとして働いているように見えます。エルンスト・ゴンブリッチによる『装飾芸術論』(岩崎美術社、1989、原題は『The Sense of Order』)では、「アドルフ・ロースは反対運動を繰り広げた人物であるが、逆に民衆はそこにオーストリア・バロック建築の美しさと活気を再発見し、それがまぎれもなくオーストリアの特色ある遺産であることを確認する審美眼を持つに至ったのである」と、保守主義者としてヴァールブルク研究所に「収まった」かに見えるオーストリア系ユダヤ人らしい皮肉で書かれていますが。
また、代表作《ミュラー邸》(1930)では、外観のそっけなさに対し、内部の複雑に空間が穿たれた「ラウムプラン」、石や絨毯による室内装飾との見事な対比があります。

fig.1──《ロースハウス》[photo by Thomas Ledl (2015) / CC BY-SA 4.0

砂山──建築では、周辺環境と建築物自体、内と外の関係で図と地の議論が展開されます。既存の街並みや文脈のうえで、いかに地と図を操作するかということも議論の対象になるわけです。マーク・ウィグリーの論考「ディープ・スキン」では、ル・コルビュジエの装飾性について、関連する言及があります★4。建物を白く塗りつぶすことによって、色彩をよりはっきりさせ、対象を枠取りする。ウィグリーはこの行為を対象の「飼い慣らし」と称し、モダニズムの「強迫的な自己監視」と言っていますね。
近代の機械生産システムに則ってつくられた四角い箱は、ひとつのデザイン意図で建築全体を包み込むものでした。まさしく、20世紀美術で議論されるような、「オールオーヴァー」や還元主義的な発想です。しかしながら、《ロースハウス》においては石岡さんの指摘のように、図と地の折り返し、装飾と建物と周辺環境が、どれが図でどれが地なのか、判別がつかないような状態で提示されています。あるときは図であり、別の見方をすればすぐさま地になってしまうような。つまり《ロースハウス》では、下層部は上部の無装飾を指し示し、逆に上部のミニマルな形態は下層部を指し示しているという構成を持っています。《ロースハウス》は、ひとつの建築のなかに2つの対概念を並置して、振り子的状況、図と地が反転を繰り返すような状況をつくっています。僕は親しい建築家とのあいだでは、そうした状態を「バチる」「バチっている」と言い表わしています。

石岡──「バチる」っていいですね。僕も建築だったらオールオーヴァーよりはバチる派のほうが好きです(笑)。
近代建築の理念が表わされた典型として、よくル・コルビュジエの《サヴォア邸》(1931)が取り上げられます。大地からコンテクストを切り離し、2階に居住部分がありますが、彼のデザインはそうした理念的なものだけではないですよね。《マルセイユのユニテ・ダビタシオン》(1952)や《ラ・トゥーレット修道院》(1960)はけっしてオールオーヴァーでもピュアなものでもありません。
余談ですが、上野の《国立西洋美術館》(1959)は《サヴォア邸》の理念が挫折した建物だと感じます。その一番の理由は、表側にあるエントランスの階段が使われてないことです。おそらく狭すぎるし、バリアフリー的な意味もあって、今では進入禁止になっているんですね。利用者が多すぎるというコンテクストが、理念的な構成を打ち砕いたわけです。


★1──「装飾と反復」『建築文化』(2002年2月号、彰国社)、102-105頁
studium.xsrv.jp/module/Review/ISY030802_decor2/index.html
★2──田中純『建築のエロティシズム──世紀転換期ヴィーンにおける装飾の運命』(平凡社、2011)
★3──『我々は 人間 なのか?──デザインと人間をめぐる考古学的覚書き』(ビー・エヌ・エヌ新社、2017)、220-221頁
★4──マーク・ウィグリー「ディープ・スキン」『10+1』No.10(INAX出版、1997年8月)


201804

特集 装飾と物のオーダー
──ポストデジタル時代の変容


20世紀の遺産から考える装飾
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建築の修辞学──装飾としてのレトリック
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