創造的復興のジャッジ

饗庭伸(都市計画、まちづくり)

制度的な文脈

「創造的復興」という言葉をいつの頃か耳にするようになったが、岡田知弘によると、語源は阪神・淡路大震災(1995)後に、当時の兵庫県知事の貝原俊民が初めて使用した言葉であるとされている★1。その意味は「単に震災前の状態に戻すのではなく、21世紀の成熟社会にふさわしい復興を成し遂げる」というものだった。なお、震災当時神戸市役所職員であった中山久憲によれば、語源はさらに少し遡り、同震災後の神戸市助役の言であるとのことである★2

阪神・淡路大震災以降、わが国で災害が途切れず続いたこともあり、創造的復興という言葉は継続的に復興政策のなかで使われ続けることになる。東日本大震災(2011)では、震災1カ月後に閣議決定された東日本大震災復興構想会議(座長:五百旗頭真)の開催趣旨文に「震災からの単なる復旧ではなく、未来に向けた創造的復興を目指していくことが重要である」と明記され、熊本地震(2016)では、くまもと復旧・復興有識者会議(同座長)が「熊本地震からの創造的な復興の実現に向けた提言」を提言するなど、創造的復興は復興政策の最上位概念といってもよい扱いとなっている★3。同提言書の前書きに創造的復興という言葉の経緯が簡潔にまとめられた一節があったので抜粋しておこう。

「1923年の関東大震災時には大論争があり、復旧論が勝利したかに見えたが、実際には都市計画による帝都の創造的復興が幸いにも実施され、今日の東京がある。阪神・淡路大震災は、公費は復旧まで、創造的復興を行う場合は地元資金でと、国は区分を設けた。しかし、この技術革新の著しい時代に、旧に復することしか許さない方針の不十分さが、その後かえって痛感され、東日本大震災時にはよどみなく創造的復興が政府の公的方針となった。仙台で2015年3月に行われた、国連防災会議の主張点は、「防災・減災の主流化」と"Build Back Better"(より良く再建する)であり、今や創造的復興は国際的基準ともなろうとしている」。

ここで確認しておきたいことは、創造的復興という言葉には、なんとなく「創造性」や「創造的」といった言葉が醸し出す香り、有り体に言えば、アーティストやクリエーターの香りがつきまとうが、そのじつは、震災前になかったものをつくるという、大くくりの意味しか持たされていないということである。創造的復興という言葉が対抗している言葉は、災害前と同じものを元どおりにする「復旧」である。例えばA地点とB地点を結ぶ幅員8mの橋が被災したとして、元どおりの同じ幅に再建することが「復旧」、安全のために歩道をつけて幅員12mで再建することが「創造的復興」である。このように創造的復興には「復旧ではない」という程度の意味しか持たされておらず、「創造性」や「創造的」といった言葉から連想される行為よりも、はるかに広い行為に対して使われている。災害後の神戸市が神戸空港を建設したのも「創造」であるし、もともと何もなかった浜にL1津波を防ぐための防潮堤を張りめぐらせるのも「創造」である。一方で、「ISHINOMAKI 2.0」の活動も「創造」であり、地域産材をふんだんに利用した復興公営住宅も「創造」である。それは、最初は崇高な理念のもとで使われて、だんだん世俗化してきたという類の言葉でもなく、阪神・淡路大震災の時から徹頭徹尾、同じ意味で、同じような雑多さをくくる言葉として使われている。

「復旧」は、災害が起きたら必ず出てくる普遍的な立場であろう。緊急的に復興に使える財源は限られている。それを振り分けるときに、不公平があってもいけないし、計画や調整に時間をかけてもいけない。こうした場合に、まずは「全体を元通りにすることを原則としよう」というのは、ひとつの普遍的な立場である。創造的復興という言葉は、こうした普遍的な立場に対抗して、つねに議論を呼び起こす普遍的な言葉としてつくりだされた。おそらくこの言葉は、後藤新平がリードした関東大震災からの「帝都の創造的復興」以来、同じように振る舞いたい人たちがやっとのことで手に入れた普遍的な言葉なのであり、今後も流行り言葉として消費されることなく、あらゆる災害復興の場面で使われ続けるのであろう。

創造を見極める

しかし例えば、A地点とB地点を結ぶ橋を「復興を象徴するシンボルプロジェクト」として幅員12mでつくったはいいが、B地点からは災害後にほとんどの人が移転してしまっていたらこの言葉はどう見えるだろうか。こうした問題はこれまでも起きてきたし、これから先の人口減少時代では当たり前のように起きてくる。

例えば塩崎賢明は阪神・淡路大震災後に、創造的復興の旗印のもとで多額の予算が注ぎ込まれたものの赤字経営で被災自治体や被災者を苦しめている神戸空港建設、新長田駅周辺の再開発、六甲道周辺の再開発を「復興災害」と呼ぶ★4。河北新報社と共同で東日本大震災の復興基金の調査を行なった福留邦洋は、本来は安定性、柔軟性、先駆性を持ち、創造的復興を支えるべき復興基金が「単なる「便利な財源」」になり、当面の復旧対応に活用されてしまい、ほとんど使い切られていることを指摘している★5、6。こうした基金の仕組みは、著名な世田谷まちづくりファンドのように、小さなモチベーションを持った人々の創造的な動きを柔軟に支援できる強みを持っているが、こうした創造的な動きを拾い上げる仕組みが被災地には不足しているということである。

後藤新平は日本という近代国家の行く末を想像し、できるだけ遠くにボールを投げるように東京市の復興都市計画を立案した。それは、確実に人口が増える、確実に都市は拡大する、日本は発展する、という無邪気な確信だけを根拠にしたものであったが、私たちはもうそういった確信を持つことができず、慎重に、より正確にボールを投げる必要がある。これから人口が減少するから、創造的復興はやめて復旧でよい、という単純な論法ではもちろんない。しかし、創造的復興という言葉は、「創造と銘打っていれば、許されるだろう」という、魔法の言葉として使われてしまうきらいがある。私たちは「創造」をどうジャッジし、この言葉をどのように正確に使っていけばよいだろうか。

創造的復興のジャッジ

創造的復興に含まれる諸々の取り組みを図に整理してみよう。それほど含意のある深い図ではなく、縦軸は空間に対する投資を行なうかどうか、つまり投資の多寡と、投資が空間に固定化されることによる「取り返しのつかなさ」の多寡を示した。横軸は取り組みの目的や事業スキームを丁寧に考えているかどうか、例えば岩手県紫波町での取り組みのように確実に稼げるスキームを考えているのか、空港の建設のように未来に対する漠然とした公共投資を考えているのか、の軸である。

図ではこの2つの軸で創造的復興を4つのタイプに分け、さらに創造的復興が対抗してきた「復旧」を対置させた。

復興の5つの立場

創造的復興をジャッジし、正しく機能させるにはどうしたらよいだろうか。例えばある街に、創造的復興にかこつけて空港が計画されたとする。その街の未来のために空港が必要だと夢を語る市長がおり、一方で被災者のために公営住宅の建設を充実せよという強い市民運動が展開されている。そこでどう「創造的復興」をジャッジし、丁寧な意思決定につなげていけるか、という命題を考えてみよう。

まずとりうる大きな戦略は、図の①の矢印のように、復旧派に足を引っ張ってもらうという戦略だろう。復旧とは広い意味で保守主義であるので、それが何を保守するのかを徹底的に明らかにすることで、空港建設の是非をジャッジできるかもしれない。いわば「復旧の再定義」とも言える。一方で、②の矢印のように、空港について、徹底的に目的を絞り込む議論を行ない、身の丈開発に転換していく、という戦略も考えられる。しかし、多くの場合、空港を決める意思決定の回路と、身の丈開発を決める意思決定の回路が異なるので有効な戦略ではないことが多い。むしろ有効なのは、③の矢印のように、空港建設についての意思決定をひたすらペンディングして何もつくらない、牛歩戦術よろしく意思決定をひたすら遅らせて、スラムが発生する状態に持っていくということかもしれない。「スラム」や「つくらない」ことが、創造的復興にはたして含まれるのか、と疑問に思う向きもあるだろうが、人口減少時代においてはこの選択も創造の一形態でなくてはならない。

そして次にとるべきは、④の矢印のように、スラムから小さな丁寧な目的が湧き上がってくるのを待つことである。関東大震災後にスラムからわきあがる創造性に名前をつけていった今和次郎のような作業がそこに求められる。今日的には市民向けの小さな集中したワークショップが、小さな目的をかき集めて、丁寧なリノベーション事業のスキームを組み立てることを助けるだろう。

いくつかのリノベがうまくいったら、⑤の矢印のようにそこで育ったものを冷静に見極め、身の丈にあったパーマネントな空間の開発につなげていく。そして最後に、身の丈開発のなかから自他ともに認めるイノベーターが現われたとして、その人たちが「空港が欲しい」と心の底から考えるのであれば、⑥の矢印のように空港をつくればよいのである。

図では、造語としてあまり丁寧につくられていない「創造的復興」という言葉が概括するあれこれを、4つタイプに分解して示した。どこかで災害が起こり、創造的復興が進められるときに、そこにはこうした4種の立場の人々と、復旧派の人々が存在するだろう、という仮説である。5種の人々は、それぞれの切実さ、それぞれの理屈を持っている。こうした人たちが、創造的復興という大きな船の中でただぼんやりと過ごすのではなく、お互いが争い、お互いの切実さや理屈を調整しあうなかで意志形成が練り上げられていく。創造的復興のジャッジはこのように行なうしかない。

こうしたことの道筋を本稿では示したつもりである。



★1──岡田知弘「『創造的復興』論の批判的検討」(『現代思想』2012年3月号、青土社、147-151頁)
★2──中山久憲「創造的復興、そして持続可能な地域への復興へ」(『現代社会研究』第3号、神戸学院大学、2017、2-20頁)
★3──くまもと復旧・復興有識者会議「熊本地震からの創造的な復興の実現に向けた提言」(2016)
★4──塩崎賢明『復興〈災害〉──阪神・淡路大震災と東日本大震災』(岩波新書、2014)
★5──「〈復興基金〉創造的復興へ新たな発想を」(『河北新報』河北新報社、2017)
★6──「〈復興基金〉被災4県の市町村 残額なし31%」(『河北新報』河北新報社、2017)




饗庭伸(あいば・しん)
1971年生まれ。首都大学東京都市環境学部建築都市コース・都市システム科学域准教授。専門は都市計画、まちづくり。
主なフィールドは、山形県鶴岡市(中心商店街の再生や都市計画のマスタープランの作成)、東京都国立市谷保(空き家の再生)、岩手県大船渡市綾里(復興計画作成の支援)など。
著書=『都市をたたむ──人口減少時代をデザインする都市計画』(花伝社、2015)など。共著書=『住民主体の都市計画』(学芸出版社、2009)、『白熱講義──これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社、2014)、『東京の制度地層』(公人社、2015)『自分にあわせてまちを変えてみる力 -韓国・台湾のまちづくり』(萌文社、2016)『まちづくりの仕事ガイドブック』(学芸出版社、2016)『初めて学ぶ都市計画 第2版』(市ケ谷出版社、2018[近刊])など。


201803

特集 復興からの創造


復興からの創造はいかに可能か
創造的復興のジャッジ
復興を生かす力──インドネシアの津波被災地に学ぶ
岩手県上閉伊郡大槌町 2018/2011
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