第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
地域とともにつくる文化施設の未来形
- fig.01──《山口情報芸術センター》外観
写真提供=山口情報芸術センター[YCAM]
YCAMの概要
浅子佳英──僕たちは「八戸市新美術館」が、これまでの公共の美術館とは少し違ったものになるだろうと思っています。具体的には、展覧会を必ずしも中心には据えず、地域とともにあるラーニング・センターにしたいと考えているんです。といっても、そのラーニング・センターはまだまだこれからの施設なので、このインタビュー・シリーズは、基本設計にとどまらず、開館後の運営までもを視野に入れながら、先行する事例を積極的に参照することで、美術の動向や、地域社会との関わり方について、新しいあり方を探ろうという意図で始めたものです。そうした流れのなか、第3回の「学ぶこととつくること」でお話をうかがった、アーティストとキュレーターのお三方から、山口情報芸術センター[YCAM]について言及があったんですね。とくに運営に関してはぜひ参考にするべきだと勧められたこともあって、今回YCAMインターラボに所属されているみなさんにお話をお伺いする機会を設けたという次第です。
ではさっそくですが、まずはじめにYCAMがどのような建物であり、どのような活動をしているかについてお話しいただけますか。
- 伊藤隆之氏
伊藤隆之──YCAMは2003年に山口市にオープンした磯崎新さん設計の複合文化施設です
。メディア・テクノロジーを軸にした芸術作品の制作や展示を行なうだけでなく、それらと市民のみなさんとをつなぐ教育プログラムを実施し、また山口市における地域のことを市民のみなさんとともに考えていくような活動をしています。渡邉朋也──施設に関していうと、三つのスタジオのほか、インフォメーション・スペース、コミュニティ・スペース、キッズ・スペース、キッチンのあるスペース、図書館などを有しており、開館以来の年間平均来館者数は70万人、2017年2月には累計の来館者数が1000万人を突破しました。 「芸術表現」「教育」「地域」というYCAMの活動における三つの方向性のベースにあるのが、われわれ3人も所属しているYCAMインターラボという研究開発のためのチームです。現在は、キュレーター、エデュケーター、プログラマー、照明デザイナー、グラフィック・デザイナー、プロダクション・マネージャー、パブリシストなどさまざまな役割をもつ27人(2018年3月現在)から構成されています。はじめに浅子さんからも紹介がありましたが、「学ぶこととつくること」の第3回で美術家の山城大督さんが、YCAMのスタッフィングについてお話をされていました。われわれがここでしか見ることのできない新しい作品制作を志向しながらも、展覧会を内製化できるのは、それぞれに専門性をもった人材を複数雇っているからです。むしろ人を雇うことで事業費の圧縮につなげている側面があります。
西澤徹夫──人を入れたほうがコスト減につながるということなんですね。
- 渡邉朋也氏
渡邉──厳密に計算をしないとわかりませんが、圧縮した事業費にスタッフの人件費を加算すると、すべて外注で展覧会を制作した場合と、金額的にはそう大きな違いは出ないかもしれません。ですが、さまざまな人が所属し活動していますから、作品制作などの活動を通じて生まれる人や組織とのつながりや、メディア・テクノロジーに関する知見など、金銭には換算できないメリットがつねに発生し、蓄積されます。その点がYCAMの活動にとって重要な資産になっていると思います。
伊藤──「10+1」の読者には、磯崎さんの設計ということもありますし、またこれまでの活動から、アーティスト・イン・レジデンスによって先端的なアート作品が生産される場だというイメージをもっていらっしゃる方が多いかもしれません。もちろんそれはそのとおりなのですが、10周年を迎えた2013年頃でしょうか、われわれの目指すべきところが、作品づくりから、YCAMが立脚する山口という土地のほうへ少しずつ変化してきて、現在にいたっているという経緯があります。
森純平──開館当初は、最先端の展示やコンサートを行なう、コンテンツを中心にした場なのだというイメージでしたが、最近はインターラボを中心に、面白い人や仕組みが、ほかにはない活動を生み出しつづけているのだという印象に変わってきたと思います。
- 菅沼聖氏
菅沼聖──YCAMでは活動の中心を担うメディア・アート制作を通じて、インターラボを構成する人と場所に技術的、運営的な知見が蓄積されています。その蓄積がここ5年くらいでいっせいに多面展開しはじめたのです。教育、地域に始まり、スポーツ、福祉、バイオ、衣食住と新たなプロジェクトが次々生まれています。
浅子──5年前まではそこまで多方面に開かれていく状態ではなかったということですか。
菅沼──もちろん開いてはいたのですが、メディア・アートの制作、具体的にはアーティストとのコラボレーションにより、まだ誰も見たことのない作品をつくり、世界に発信するという、一連の流れに力点が置かれていました。こういった活動が軌道に乗り知見が蓄積した頃、インターラボ主導のR&D(リサーチ・アンド・デベロップメント=研究開発)事業が派生的に生まれ領域横断がますます盛んになったいきさつがあります。背景にはテクノロジーの応用性、可変性の高さとYCAMの蓄積した知見のオープン化のスタンスがあると思います。