第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形

伊藤隆之(YCAM R&Dディレクター)+渡邉朋也(YCAMアーキビスト)+菅沼聖(YCAMエデュケーター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

展示や収蔵のこれからのあり方

浅子──これは第3回の「学ぶこととつくること」でも話題になったことなのですが、展示や収蔵に関して二つほどお聞きしたいと思います。
ひとつはメディア・アートの修復、収蔵、再展示、保存についてです。きのう施設の見学をさせていただいた際にさまざまな資料も見せていただきましたが、そのなかの動画「メディア・テクノロジーが生み出す新たな空間表現」(https://vimeo.com/238799680)で、メディア・アートの場合、作品の部品がなにかしらの理由で壊れた場合にはパーツの入れ替えをすると渡邉さんが話されていました[17:27−19:20]。原理的にはフレスコ画の修復とじつはそれほど変わらないはずだけれど、やはりなにか妙な感じがしてしまう。収蔵、再展示、保存の方法も含めて、あまり議論されてこなかった問題にメディア・アートもとうとう直面しはじめているのだと感じます。まずはこの点について。
二つめは「活動型の展示」の方法について。アーティストの田中功起さんや、第3回で登場いただいた田村友一郎や山城大督さんなどもそうですが、活動やリサーチのあいだに生成されたものも展示の一種とみなそうとする動きが近年の美術の分野では出てきています。おそらくその次の段階として、そのような活動型の展示をいかに再展示するかという議論が起きるはずです。彼らの展示は展示したその当時の状況も味方につけてしまっているぶん、再展示するときには最初の展示とは異なる作品になってしまう側面がどうしてもある。これらの作品をいかに再展示するのか。というのも、自分たちが設計しているのはラーニング・センターだと思っているので、そのような活動型の展示をする可能性が高い。それらをどのように扱えばよいのか。保存やドキュメントなども含めて、もしアイデアがあれば教えていただけないでしょうか。

西澤──つまり、ワークショップやイベントでうまくいったものをパッケージングして移植するという考えは思い浮かぶわけですが、本当にそんなことが可能なのか、またそれはどのくらい意味のあることなのか、答えがなかなか見えてこないのです。
たとえばYCAMが取り組まれている「コロガル公園」の場合は、「あちこちに立体的なものをつくる」という緩いルールのおかげでそれがうまくいっているとは思いますが、物理的な形をともなわないタイプの展示については、どのように再生産、再制作、再展示、収蔵するのかをお聞きしたいです。

渡邉──難しい質問ですね。われわれが「オリジナルワークショップ」と呼んでいる教育普及コンテンツの場合、専用のツールと、参加者に向けたある種のインストラクションが用意されており、それらを再現・再実行することで、固有の状況を再起動することができます。こうしたコンテンツは、一種のサービスとしてそれなりの持続性をもって提供できるようにする必要があるので、開発時にそうしたパッケージングも強く意識しています。
一方で、たとえばいま開催している「布のデミウルゴス──人類にとって布とは何か?」展(会期=2017年12月9日−2018年3月11日)は、担当者が外部のクリエイターや研究者とともに2年以上に渡って研究と開発を重ね、実現した展示です。その結果、展覧会の展示物もさることながら、展覧会場で配布されているハンドアウトもかなり情報量が多く、充実しています[fig.06]。長期間の研究開発の最中においても、アウトプットのマイルストーンをきちんと設定すること、そしてそういうアウトプットをていねいにまとめることの重要性を素朴に感じるところです。YCAMが扱う作品にはソーシャリー・エンゲージド・アートのようなリサーチや、ワークショップ的要素を含み込んだものが、まだそれほど多くないので、これからトライするなかで、自分たちなりのセオリーを確立していけたらと思います。
また、近年取り組んでいるメディア・アート作品の修復については、業界全体でもまだ手探りな状態ですが、自分としてはその作品がいつまで見られるようにするのかということを、現実的なレベルである程度決めておいたほうがよいと考えています。つまり未来永劫に残そうというような、理念的な立場に立脚しないことが重要で、作品に使用しているテクノロジーの動向はもちろん、使用しているテクノロジーに対する鑑賞する側のリアリティを把握して判断していくことがむしろ健全な気がします。

fig.06──「布のデミウルゴス──人類にとって布とは何か?」
(会期=2017年12月9日−2018年3月11日)
撮影=古屋和臣
写真提供=山口情報芸術センター[YCAM]
Photo by Kazuomi Furuya
Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]

西澤──このインタビューの前に、渡邉さんからうかがった話で面白かったのは、アーティストも自身が扱っているメディアやデバイスが100年も200年ももつものではないということを自覚しているのではないかという点です。メディア・アートの場合には、収蔵の問題が存在することがわかっているから、それを前提にした作品をつくる人も出てくるだろうということでしたよね。

渡邉──オンライン上で発表・鑑賞する「ネットアート」と呼ばれる領域では、そうした問題系にアプローチするラディカルな試みも多数あります。テクノロジーはつねに更新されていくので、それが突きつける問題意識にも鮮度のようなものがある。テクノロジーが発達するスピードが加速している今日、こうした鮮度とか、それが保持できる期間をむしろ強く意識させられるようになってきているのではないかと思います。本当はテクノロジーを用いたアート作品に限った話ではないと思うのですが、どこかパフォーマンス的な性質が強くなってきているとも言えるかもしれません。ただ、収蔵と作品の関係で言えば、ランド・アートなどもあるわけで、収蔵が難しい作品自体は、珍しい話ではありません。

浅子──そもそも美術の歴史は、制度との戦いの歴史と言ってもいいわけですから、メディア・アートも例外ではないはずです。

渡邉──2017年に、国が文化芸術基本法を改正し、メディア・アートをはじめとする「メディア芸術」の保存を打ち出しました。また、メディア・アートの黎明期から作品発表を行なってきたアーティストの物故も相次いでいるという現状もあります。そうしたこともあって、収蔵に向けてどのような制度がありうるのかについても、美術館の側もアーティストの側も、だんだん意識が高まっていると感じます。

浅子──美術ではなく、テクノロジーという別の制度が発生していますからね。

場所をもつ美術館の役割

浅子──最後に国内外で盛んに行なわれている芸術祭やアート・プロジェクトとの関連についてお聞きします。とくに地方では芸術祭がまちおこしの手段として期待されていますが、それに対して具体的な場所をもつ美術館としてはどのような役割がありうると思いますか。

伊藤──やはり蓄積することだと思います。これまでYCAMでやってきたことが蓄積されているおかげで、次のフェーズに一歩ずつ進んできたという現状があります。

菅沼──芸術祭のフォーマットでもそれをできるのかもしれませんが、館があること、人がいることで技術もコンセプトも場所の使い方も含めて暗黙知的な蓄積がある。それを紡いできたのがYCAMなのだと思います。

渡邉──僕もほぼ同感です。動かないということは大事だと思う。

浅子──図書館が併設されており、それこそ知を蓄積した場所が間近にあるわけですが、両者の蓄積が結びつくとすごく面白い関係が生まれるような気がします。

渡邉──空間としての図書館に注目したプロジェクトはこれまでに何回かありました。先ほど紹介した大友さんの展覧会で発表された作品「filaments」のほか、イギリスの演出家のアント・ハンプトン+ティム・エッチェルスの「The Quiet Volume」(2014)では、図書館を舞台にした演劇を行なっています[fig.07]

fig.07──アント・ハンプトン+ティム・エッチェルス「The Quiet Volume」
(上演=2014年12月1日−12月14日)
撮影=丸尾隆一(YCAM)
写真提供=山口情報芸術センター[YCAM]
Photo by Ryuichi Maruo (YCAM)
Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]

菅沼──知の蓄積を活かすという意味では、たとえば図書館の郷土資料の制作に子どもたちも参加し、他愛のない知も含めてどんどん書き重ねていくような仕組みがつくれたら面白いですね。

渡邉──かつて、郷土資料の収集や研究は、小学校や中学校の教員の有志が担っていたのだけど、近年は教員の学務が多忙を極めるようになり、そういう人が減り、資料のアップデートが滞っているという話を聞いたことがあります。そういう意味では郷土資料も、公教育の現場の問題ともつながっているとも言えるわけで、そこにYCAMが取り組むための接点を見つけられるかもしれないですね。

菅沼──いわば「リアル版Yahoo!知恵袋」みたいな場所をつくるということです。運営はたいへんでしょうが、地域の知恵が交錯する場所をつくれば課題解決につながるかもしれません。じっさいYCAM地域開発ラボの活動で地域の掲示板「YCAM!知恵袋」(2014)として設置したことがあります[fig.08]。悩みとそれに対してのアンサーという初源的な人の営みをエンジンにコミュニティを自走させるシンプルな仕組みです。

fig.08──「YCAM!知恵袋」(2014)
撮影=丸尾隆一(YCAM)
写真提供=山口情報芸術センター[YCAM]
Photo by Ryuichi Maruo (YCAM)
Courtesy of Yamaguchi Center for Arts and Media [YCAM]

浅子──今回のお話を伺って確信したのは、これほどややこしい施設を成り立たせるためにいちばん大事なのは、月並みですがやはり「人」だということです。「八戸市新美術館」でもどういうスタッフやアーティストが必要かを考えさせられました。

菅沼──物事を柔軟に媒介するようなキーマンが必要になるでしょうね。抽象的なアイデアを具現化させてくれる人がいると周囲の実験性への理解も高まっていくと思います。その意味では、ソフト、ハード双方に精通し3Dプリンタやレーザーカッターなどでラピッド・プロトタイピングができるデジタル・ファブリケーション系の人はほかを巻き込んで展開させるのがうまい。加えて長期的なビジョンを示せる人が組み合わさると小さなチームができそうです。

浅子──まさしくアマチュアのてっぺんにいるような人ですね。YCAMのようになんでもかんでも自分たちでつくろうとするような文化施設はほかに知りません(笑)。

菅沼──YCAMを通じて「つくる」というリアリティを身近なところに戻したいという感覚はあります。与えられるのではなく、自分でつくる。YCAMではつくっている姿をなるべく感じられるようなオープンで野性味がある雰囲気を目指したいです。そういった余白にこそ参加可能性は滲み出るのだと思います。

──そういう意味でもわれわれが使っている「ラーニング」という言葉についてはどのように思われますか。

菅沼──学びを考えるうえで重要なのがその方向性です。ラーニングは、上から下へ、先生から生徒へという教示主義的なものではなく、自発的で主体性をもった学びのひとつのかたちです。いまの社会状況と照らし合わせると後者が不可欠であることはみなさんも実感するところだと思います。これは子どもに限った話ではなく、大人も同様です。しかしここで難しいのが自発性を生み出すモチベーションのあり方とそのコミュニュティの運営です。ありがちな学びのコミュニティ・デザインの失敗例は、企画書に出てくる登場人物全員の意識が高すぎる点です。蓋を開けてみると、少数で排他的なスモール・サークルができあがってしまうなんてことはよくありますから。
誰もが学びに対して意識が高いわけでもなければ、放任で自学していくはずもないので、学びを促すためのさまざまな環境的な仕掛けづくりが必須になると思います。自分はよく「意識ふつう系」と言いますが、多種多様な人の日常の流れのなかにラーニングの要素を埋め込む。YCAMと図書館の関係性はまさにそういったものなのかもしれません。僕はそういった雰囲気がすごく好きなんです。

[2018年1月25日、YCAMにて]

伊藤隆之(いとう・たかゆき)
1978年生まれ。山口情報芸術センター[YCAM]R&Dディレクター。東京工業大学生命理工学部生体機構学科、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)を経て、2003年YCAMの開館準備室に音響エンジニア/プログラマーとして着任。2010年より現職。

渡邉朋也(わたなべ・ともや)
1984年生まれ。山口情報芸術センター[YCAM]アーキビスト。多摩美術大学美術学部情報デザイン学科情報芸術コースを卒業後、伊東豊雄建築設計事務所設計の《多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)》のコンセプト・メイキングから携わり、オープン後は館内に併設されたオープンスペースの運用などを行なう。また、並行して大学在学中から現在に至るまで美術活動を行なっている。2010年より現職。

菅沼聖(すがぬま・きよし)
1982年生まれ。山口情報芸術センター[YCAM]エデュケーター。京都造形芸術大学芸術学部環境デザイン学科建築コース卒業後、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)に入学。2009年YCAMのスタッフに着任。

西澤徹夫(にしざわ・てつお)
1974年生まれ。建築家。株式会社西澤徹夫建築事務所主宰。作品=《東京国立近代美術館所蔵品ギャラリーリニューアル》(2012)、「映画をめぐる美術──マルセル・ブロータースから始める」展会場構成(2014)、《西宮の場合》(2016)、「京都市美術館再整備工事基本設計・実施設計監修」(共同設計=青木淳建築計画事務所)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=浅子佳英)ほか。

浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀と共にコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。著書=『これからの「カッコよさ」の話をしよう』(共著、角川書店、2015)『TOKYOインテリアツアー』(共著、LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(共著、鹿島出版会、2016)ほか。

森純平(もり・じゅんぺい)
1985年生まれ。建築家。東京藝術大学建築科助教。PARADISE AIRディレクター。


201803

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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