都市を変えるいくつもの戦術的方法論
──アイデア、スケール、情報工学

泉山塁威(東京大学/ソトノバ)+笠置秀紀(建築家)+竹内雄一郎(Wikitopia)

スケーラブルなアーバニズムの可能性とローカリティ

竹内──情報工学とタクティカル・アーバニズムのような活動との関わりを考えるうえで、まずボトムアップという言葉の捉え方について少し整理したいと思います。建築や都市計画の分野では、ある特定の場所のコンテクストに根ざした、質の高い局所解を提供することが目指されているように思います。一方でITの分野では、例えば「姫路駅前」といった特定の場所から、ボトムアップ的に発想するということは少ないんですね。ある場所に特化した解答にはあまり関心が払われず、ひとつの解答が世界中にバーッと広がること、そのアイデアがスケーラブルであることが求められます。スケールしないアイデアというのは、ITの世界では価値が低いのです。

Wikitopiaの発想は、ある意味ではボトムアップとは言えるのですが、だからといってモロゾフやドーリッシュが主張する解決主義批判や帝国主義批判を免れるわけではありません。ソーシャルなプロセスや、ITを使ったデモクラティックなプロセスをまちづくりに適用しようというのはたしかにボトムアップ的な発想と言えますが、それを特定の場所ではなく、世界中のいろいろな街に等しく適用しようとした時点でトップダウン的、帝国主義的とも言えるわけです。その意味においては、Wikitopiaにも帝国主義的な側面があって、どういうアプローチをとるべきなのかを今考えています。言い換えれば、ITの解決主義とローカルな局所解のバランスをとることは可能なのかどうか。

笠置──Wikitopiaが求めるスケールは、どういったものなのでしょうか?

竹内──まだ考えがまとまっていない部分なので乱暴な表現になってしまいますが、例えばグローバルシティと呼ばれるようなところはすべて対象となるような技術開発ができるのではないかと考えています。僕の経験からくる個人的な印象かもしれませんが、マンハッタンと東京都心には今や大した差がないと思うんですね。でも姫路と東京には差を感じて、しかもその差は年々大きくなっている。姫路と東京のどちらでも等しく機能する仕組みをつくるのは難しいと思いますが、ニューヨークと東京で同等に機能する仕組みをつくることはそんなに難しくないんじゃないかと。良くも悪くも、グローバル化が進むなかで一部のメガシティには一定の共通性が生まれていて、その共通性に賭けた技術開発が可能なのではないかと思っています。

泉山──従来の都市計画では、地権者や住民と対話して合意形成をしながら都市更新や再開発のプロジェクトを動かしていきます。つまり深くローカライズしなくてはいけない。しかし不確実性が高くリスクも大きい社会状況になり、市民ニーズも多様になり、ビジョンを描いてスケジュール通りに動かしにくくなってきたのが今の日本の都市計画の状況だと思っていて、ここにアクションやタクティクスが組み合わさると状況が変わってくるのかなと思っています。

笠置──つい「グローバル対リージョナル」という見立てをしてしまいますが、そうした構図はなくなってきていますよね。例えば、世界中にネットワークを持つグラフィティライターたちが共鳴しあっていること自体が、帝国に対するマルチチュードのような存在のあり方を示しているんだと思います。僕らの活動においても、彼らの手法を見て勇気づけられることがあります。なので、グローバルなものへの対抗手段がリージョナルではなくてもよい。ちいさなスケールのノウハウを世界中で人々が共有するようなイメージです。

もうひとつ、手続き上のローカリティの問題もあると思います。僕らは写真で各地のアクションの事例を見ることができますし、表面的には同じことを真似できます。しかしながらそれを支える社会の背景は見えてきません。本当に大切なのはそれが生まれた社会的背景であり、実現を可能にしている手続きの仕方、方法論なんですね。例えば、日本ではアクションを起こす際に地元が「祭り」として申請すれば許可が降りたり。そうした手続きのデザインや情報を共有していく必要もあると思います。

泉山──そうですね。タクティカル・アーバニズムを行なうなかでローカルな課題がいくつかあります。現在ではかなり国が規制緩和をしていますが、同時に自治体の人々のマインドを変えていくことも必要です。例えば「SHINJUKU STREET SEATS」ではベンチが固定されていますが、これを少し可動式の椅子にしようとした途端に管理や責任の問題が出てくる。こうした制度を超えた課題をクリアする必要があります。また、社会実験が増えたことで、実験的なアクションをしてみようという機運は高まりつつありますが、実験をすることが成果とされていたり、目的化している事例も散見され、「Long-term Change」につなげる視点が欠けていることもあります。それではただのイベントですね。またやり方やルールをわかりやすく見える化したガイドを、オープンソースで公開することで、市民や誰でもアクションしやすい状況をつくりだすことも一策だと思います。

Long-term Changeの描き方

泉山──ローカリティや場所性について言えば、じつは「Park(ing) Day」にはあまり場所性は関係ないのです。アクションをするプレーヤーたちは、車に占有された道路空間を人のための空間に変えていきたいというモチベーションを持っているので、その場所自体は結果的にはどこでもよかった。興味深いのは「Park(ing) Day」が行政に政策化されて「Parklet」に変わるとき、これまでのプレーヤーたちが「昔のほうが面白かった」と言っていたことです[figs.13,14]。「Park(ing) Day」は1年に1度だけのイベントですが、「Parklet」は日常的なもの。さらに地域やカフェが「Parklet」へ投資している。行政から見れば、どちらが都市を変えるかと言えば、当然「Parklet」ですよね。最初にアクションを起こしたプレーヤーが感じた醍醐味や楽しさを、継続的な都市の変化に繋げていくことは大事なポイントだと思っています。言い換えれば、「Short-term」と「Long-term」とでは、ゲリライベントから行政政策へとプレーヤーと位置付けも変わっていますね。「Long-term Change」への切り替わりには、そんな難しさもあるのだと思います。

fig.13──「Park(ing)Day」[提供=REBAR Group]

fig.14──Public Parklet (Samovar Tea Bar, Valencia St. SF)[写真=泉山塁威]

笠置──逆に僕が『Tactical Urbanism』を読んだときに違和感を覚えたのは「Long-term」という言葉でした。はたして縮退する都市に「Long-term Change」は必要なのだろうかと。かつて「戦術(Tactical)」という概念をもとに都市論を描いたド・セルトーによれば、権力は時間を空間に固定すると言っています。初期のタクティカル・アーバニズムにはハキム・ベイの「T.A.Z(一時的自律ゾーン)」のように一時的な都市の占有を通して、都市計画への異議申し立てをする姿勢があった。失敗しないために小さく変化を起こして継続的に変えていくんだという意義は理解できます。でも、そもそも本当に都市は変えていくべきなのか。都市は資本主義の運動のなかで勝手に変わっていくものだとすれば「変えない都市計画」としてのタクティカル・アーバニズムもあるんじゃないかと。

泉山──なるほど、おっしゃることはわかりますが、「都市が変わる」ことと「都市を変える」ことの意味は違うと思っています。都市は自然に変わりゆくものですが、停滞したり、都市を変えていく機運が高まったときに、タクティカル・アーバニズムは有効だと言われています。

竹内──サンフランシスコの「Park(ing) Day」から「Parklet」へという変化もそうですが、ゲリラ的なアクションが公的な制度へと展開していったのは、2008年のリーマン・ショック以降ですよね。市が節約のために住民の自発性を活用しようとした背景がある。すると、現在の日本でタクティカル・アーバニズムが求められる背景にはなにがあるのでしょうか?

泉山──そのひとつは、戦後から高度経済成長期の都市計画によってできた現在の都市が、それから半世紀以上が経って制度疲労を起こしていることです。例えば道路法第2条では、「道路」とは、「この法律において『道路』とは、一般交通の用に供する道......」とあり「道路=自動車と交通のため」という公共空間の目的がそもそも70年近くも変わっていないですね。だから特例を重ねて対応することしかできない。もうひとつは、現在、都心部が車社会から人の社会に変わってきていることが挙げられます。地方と都心では状況や論点がまったく違い、公共空間の利活用は都心のほうが圧倒的に盛んで、それは都心は公共交通が発達し人が歩いているからです。もうひとつは、実験を重ねて特例を定める、という流れが定着してきたことです。日本での社会実験は、古くは1969年の旭川市の買物公園の事例があります★4。こうした実験を積み重ねて実績をつくり、やがて常設や制度認定(特例)に発展させる手法が、近年の規制緩和の流れのなかで求められています。

笠置──くわえて、短い期間のあいだに都知事や区長が変わったり役人が担当部署を外れたりして、行政側が「Long-term」を描けないという背景も関係しているかもしれません。そうした日本独特の状況下で、結果的にタクティカル・アーバニズムが有効性を持ち始めていると。その意味で、商店会のようにずっとその場所にいる市民がもつ思いと継続性は強度がありますし、これをもとにした「Long-term」の描き方がありえるのかなと思います。

★4──国道を遮断して日本で最初の歩行者専用道路を設けることに成功した社会実験(参照:旭川平和通買物公園ウェブサイト)。


201802

特集 戦術的アーバニズム、Wiki的都市──場所と非場所のタクティカル・アーバニズム


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