戦後空間の萌芽としての民衆論・伝統論(戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体)

鳥羽耕史、ケン・タダシ・オオシマ、日埜直彦、青井哲人(シンポジウム企画・進行)+

▶︎地政学としての戦後空間

青井──さて、戦後の建築と文学をめぐる比較の構図が次第に整いつつあるように思われますが、同時に、話せば話すほど1920、30年代からの連続性や反復性も浮上するのを感じます。それは否定しようのないことだとしても、これらを踏まえたうえで、では戦後を独自の磁場をもった、輪郭のある空間性として取り出すとしたらどのような議論が可能か──、この点について示唆をいただきたいと思います。たとえば、戦前の「伝統」表現はほとんど国家エリート層の問題で、それが折衷主義建築か近代建築かで対立していたのであって、「民衆」は出てこない。だから、戦後の議論は国家体制(天皇制や官僚支配)に対して、その下にあった「民衆」を対抗的かつ自己批判的に打ち出す構えが「戦後」的な言説空間を規定した。それがモダニストの伝統論の変化と、左派の運動実践とがかろうじて「民衆」というひとつの指標を共有しうる状況を生んだように思います。

日埜──モダニズムが信頼を得る時代とはつまり、近代的な思考の枠組みが通用し、成立している時代なわけですよね。そこでは理想と現実の乖離がつねに問題となっていた。理念系として本来的なものがあり、一方で現実は理想からある距離で隔てられている。近代においては、こうしたギャップをどう埋めるか、どうすれば理想に近づけるかということが問われる。そこでひとつ向かう先として、グロピウスのようにある種の普遍性を理想の手がかりとして指向する立場もあれば、現実のほうを検証するための対象のひとつとして「民衆」という主題が取り出されることもある。このように捉えると、モダニズムが信頼されている時代だからこそ「民衆」は主題化されたと言えるでしょうし、モダニズム批判や反省といった揺り戻しの後、同じようにこの主題を扱うのは難しいということも言える。例えばそこで、民衆とは誰を指すのかという問いが必ず浮上する。しかし「伝統」という問題はそこでも生き延びられるんですよ。こうした違いはあるんじゃないでしょうか。

青井──なるほど。近代日本で「近代建築」は1930年前後に帝都復興時の公共建築など部分的な採用があるけれども、近代建築家の圧倒的主導権が突然50年代に、たぶん国家の方から与えられた。その土台のうえで「民衆」もまた問題にされえたというわけですね。その状況は、戦争による都市と国土の壊滅があって、近代建築のヘゲモニー獲得は世界的ですね。

日埜──もちろん戦中期に国民が主体的に近代建築を否定していたわけではなく、むしろモダニズムを受容する社会的な素地がそこにでき始めていたからこそ、戦後一気にモダニズムに向かうことも可能だった。しかし、55年体制のような対立の構図がリアリティをもったのもある時点までで、70年代以降には非常に複雑な状況になっていく。もっと即物的で実利的な構図のなかで妥協点を見出さざるをえなくなる。こうしたプロセスのなかで「伝統」というものがある役割を果たし、一方の「民衆」はその途中である種の賞味期限を迎えたんじゃないかと思います。

鳥羽──冒頭の問題提起で提示されたマッピングと、先ほどの竹内好と白井晟一が似ているという話から連想したのですが、やはり伝統というとき、日本浪漫派が言う日本独自の伝統の系譜以外に、東アジア的、中華的伝統の影響は圧倒的だったのではないかと思います。中国の伝統からの影響はもちろん竹内好の視野に入っていし、武田泰淳をはじめ大陸にいた経験がある作家たちにも当然そういう感性はありました。また、中国が革命に成功したことにならって革命を志向する路線と、ソ連共産党直属を是とする路線があり、中国共産党とソ連共産党の対立が鮮明になるなかで日本の左翼ももまれ続けていく。

『日本共産党の戦後秘史』(新潮社、2008)を書いた政治評論家の兵本達吉さんによれば、1950年のコミンフォルム批判の目的は、平和革命論批判などではない。朝鮮戦争の兵站基地になっていた日本で、米軍の物資輸送や基地を妨害して日本も朝鮮戦争を後方攪乱するべきだとして、火炎瓶闘争の方針に切り替えさせられたという見方をしています。ソ連、中国、朝鮮半島を含んだ1950-53年の大きな戦時のなかで、日本もやはり巻き込まれていました。もちろん朝鮮特需といったドメスティックな表現が今の中心的な歴史の見方だとしても、こうした背景をもって民衆の表現が現われた状況もありますし、中国の表現に学ぶかたちで日本的な実践が考えられた事実もあるでしょう。こうしたことを踏まえれば、1945年8月15日に終戦を迎え、それからというもの日本は平和国家の道を歩んできたという言説はとても嘘くさく響きます。GHQによる占領期とそれ以降という区切りはあるにせよ、朝鮮戦争前後に起こる最初の民主化に伴う劇的な変化というものも捉えなければ、左翼の文学、文化は見えてこないのではないでしょうか。同様のことが建築も含めた大きな枠組みのなかで言えるかわかりませんが、左翼的な文化を考えるにはソ連や中国を含めたもっと広い構図のもとでなければやはり見えてこないと思います。

▶︎「戦後空間」の萌芽としての表現と方法

青井──「戦後空間」を考えるとき、1945年から50年頃まではまだ戦前・戦中期の延長と捉える見方もありえるという気がします。30年代の左派/モダニストの対立がその論調もふくめて戦後ただもう一度吹き出しただけ。しかし1950年頃には東西冷戦が決定的になり、中国が革命を成し遂げるけれど、日本ではアメリカは日本を保守化して独立させ、日本共産党は混乱し、力を失っていく。文化・芸術分野でこうした状況に反応したのは、左派ならば公式的マルクス主義はダメだと感じた人々、モダニストならば合理主義すなわち日本的といった貴族的近代建築の次を模索した人々、総じて「新しいリアリズム」を模索しはじめた人々だったのだと思います。ここからが「戦後空間」だと見てはどうか。

ケン──分離派と戦後を同時に考えてみると、ポストモダンというものがいつ始まったかという問題も浮上するように思います。ポストモダンの意識が強くなるのは戦後のことですが、ではこうした意識が戦前にはなかったと言えるかどうか。西洋ではポストモダンといえばアルド・ロッシですが、『アルド・ロッシ自伝(A Scientific Autobiography)』(原著=1981、邦訳書=1984)ではモダニズムを建築だけでなく、都市との関係で捉えることが重要だとしている。ロバート・ベンチューリはローマに行った後、『建築の複合性と対立性(Complexity and Contradiction in Architecture)』(原著=1966、邦訳書=1978)を書きました。私たちが「伝統」という場合、こうした言説で語られる「歴史」とどのように区別して理解するかが重要です。1954-55年にMoMAで開催された「Japanese Exhibition House」展では、吉村順三の設計で会場内に書院造り(松風荘)の実物展示が行なわれましたが、キュレーターのアーサー・ドレクスラーの文章にはそれを「近代建築」とする表現が見てとれる。1950年代以降、モダニズムを表現する立場もあれば、モダニズムは終わった(ポストモダン)とする立場もあり、伝統論争もまた歴史を最初から見直すという立場に関わるので非常に複雑です。芸術や文学、建築といった分野の違いだけでなく、欧米ではグロピウスやミース・ファン・デル・ローエのようにドイツからアメリカへと渡る人の流れもありました。こうしたさまざまな文脈があるなかで「伝統」という言葉を意味づけするのは非常に難しい。そう考えると、ポストモダンというものはスタイルではなくやはり意識の問題なのだと感じます。

青井──今のケンさんのコメントは、私が先ほど触れた1950年頃以降の近代主義的なものを修正する動きにつながっていく話のようにもとれますし、あるいはまた、それとも違う別種の新たな回路を切り拓く側面がやはり50年代に胚胎していたことを示しているようにも捉えることができます。例えば、文学ではシュルレアリスムや、あるいは安部公房の「サブリアリズム」のように、目に見えるものの奥に真のリアルを見ようとする動きが次の段階をつくっていくような側面を持っていたのだと思いますが、建築の分野でははたしてどうでしょう。安部公房や岡本太郎と交流があったのは磯崎新さんですが、その磯崎さんが次のポストモダン的な状況をつくっていったように、50年代の民衆論や伝統論のなかに次の段階を生み出す萌芽みたいなものがあったのではないか。建築と文学、それぞれの分野でどのように捉えられるでしょうか。

日埜──的を射ているかわかりませんが、ケンさんの話を聞いていてふと思い至ったのは、ヴィンセント・スカーリーの存在です。スカーリーの『近代建築(Modern Architecture)』(原著=1961、邦訳書=1972)というのはある種の歴史の書き換えですよね。アメリカのルーツ、つまりある種の伝統から書きはじめて、そこからの展開として近代建築史を書くのはひとつの伝統の捏造──とまで言っていいかわかりませんが──であり、そうすることで近代建築のアイデンティティ自体を強引に書き換えてしまう。そうすることで、そもそも近代建築はアメリカの社会に根ざしたものなんだと言う。そしてそれが後のいわゆる「ホワイト・アンド・グレイ」のグレイ派のアイデンティティをつくったし、さらに後にはそれがポストモダニズムにつながっていく。

自分たちの伝統あるいは歴史を参照しながら、建築をより豊かにしていくものとして歴史を描く、という意味では確かに磯崎さんの日本を巡る議論はあって、例えば「間」展を考えてみても、すこし意味合いは違うけど「日本的なもの」の議論を考えてみても、それらは似たプロセスと言えるかもしれません。こうした動きを捉えようとするとき、やはりケンさんの立ち位置は絶妙で、日本とアメリカの両方がわかるといろんな複雑さが見えてくるのではないでしょうか。日本の建築史はおそらく単純にドメスティックな議論のなかから立ち上がってきたわけではないし、日本の建築家だって日本のことばかりを考えていたわけでもない。どちらかと言うと、むしろ外のことばかり考えていたところもなきにしもあらずでしょう。こうしたなかで、ふとわれに返る参照点としての日本の伝統、私たちの伝統というものがあったんじゃないか。それが70年代あたりにある、戦後のひとつの大きなターニングポイントに関わっていたんじゃないかと思います。

鳥羽──戦後文学におけるシュルレアリスムとして有名なものに、『近代文学』の創刊1号(1946)に花田清輝が寄せた「変形譚──ゲーテ」というエッセイがあります。このなかで花田は身体が変わっていくことのリアリティみたいなものを提示するのですが、これにつづいて文字どおりに身体が変形してしまう野間宏の「崩解感覚」(1948)──手のなかで手榴弾が爆発した経験が繰り返し蘇るという、現実のような幻覚をもつ身体性のある小説──が登場し、その後には島尾敏雄の「夢の中での日常」(1948)や、安部公房の「デンドロカカリヤ」(1949)のような、現実ではありえないような変形がイメージとして提示されるようになります。そういうアヴァンギャルドの方法論からくるリアリティの捉え方がまず戦後の初期にあり、戦後における新しい実存の描き方であるとする評価につながっていく。それを安部公房は、1950年代のルポルタージュやサークル運動に関わるなかでルポとつなげていくのです。単純に自然主義的なルポをやるだけでは本当の現実は見えない。そこで方法論としてのルポを考えていく。現実はつねにステレオタイプの皮膜に覆われており、本当の現実が見えていないわれわれは解剖刀としてのルポを使い、現実の皮膚を切り裂き、中の内臓を見ていく必要がある。そういう思想のもと、安部自身もちょっと変わったかたちでのルポルタージュをやり、「ルポルタージュ絵画」的なものも推奨していく。と同時に、生活綴方運動のような素朴な実感から行なわれる記録などに対しては、まったく現実が捉えられていないと批判するんですね。とはいえ、むしろそちらのほうに民衆のリアリティや現実があるという考え方もできるわけで、こうしたエリートやアヴァンギャルドの側での現実へのアプローチの仕方と、民衆の側での自己表現を獲得していくなかでのアプローチの仕方の違いが、1950年代には妙なかたちで共存していました。こうしたものを現在いかに評価するかというのも主題のひとつですが、そもそもそのような明快な二項対立で歴史を捉えようとするのも、じつはなかなか難しいのです。

青井──「縄文的なもの」というイメージも、白井晟一の意図はともかくとして、建築界に広く新しい思考のスタイルを喚起する役割をもったような気がしています。つまり左派とモダニストの対立があり、左は公式的マルクス主義から文化運動へ、モダニストは貴族的な形態から民衆的な形態へ、というヴェクトルが50年代にあったとして、後者を言い当てたのが「縄文的なもの」であったとみるのが一般的な見方でしょうが、もうひとつ大事なのは、議論の水準を可視的な形態から、それを生み出してくる不可視の力へと移動させる役割をもったことではないか。これも丹下の「ミケランジェロ頌」(1939)にあるディオニソス的なものへの視点の転換にすでに萌芽はあったのでしょうが、50年代のシュルレアリスムが「新しいリアリズム」の軸として力をもったことが、「縄文的なもの」への着眼を、形態の生成そのもの、あるいは生成の背後にある機構と力といったものへの視点の発見として多くの人に理解させた可能性はあるんじゃないか。60年のメタボリズム、60年代後半以降のデザインサーヴェイ、そしてそれ以降の諸種の都市論や建築論は、みな形態を生み出してくる力や論理を独自の方法で言い当てるために議論が急速に拡散していった状況ですが、50年代の「民衆」「伝統」の議論がパンドラの匣を開けたという見立ても可能ではないかと思うんです。

今日は「民衆・伝統・運動体」と題して、「戦後空間」の磁場や輪郭について考えてきました。鳥羽さんとケンさんをお招きして、建築に閉じた議論を、一方ではほかの分野に接続し、また他方では世界史的な視野に置いてみることで、多くの伏線が浮かび上がり、「戦後」という空間を張る力の作用線のようなものが見えてきた気がします。他方、日埜さんが強調されたように、歴史が動いてきたにもかかわらず建築界の生産と主体をめぐって似た図式を生み出しつづける奇妙な構造がある。そのパースペクティブでみた場合、1920-30年代から今日までを貫くように見ることもできるわけですが、その反復に実質的な基盤があるのか、今日それは避けがたいものなのかどうか。「戦後空間WG」では今後も視点を動かしながら戦後と建築を問うシンポジウムや研究会を続けますので、多くの方に議論に参加していただきたいと思います。




2017年12月16日、日本建築学会にて


*当日は会場からも多くの鋭い質疑や意見が出されたが割愛せざるをえなかったことを付記しておく。

鳥羽耕史(とば・こうじ)
1968年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。日本近代文学、戦後文化運動研究。著書=『運動体・安部公房』(一葉社、2007)、『1950年代──「記録」の時代』(河出書房新社、2010)。共著=『杉浦明平を読む── "地域" から "世界"へ 行動する作家の全記録』(風媒社、2011)ほか。

ケン・タダシ・オオシマ
1965年アメリカ生まれ。ワシントン大学准教授。著書、共書=『International Architecture in Interwar Japan: Constructing Kokusai Kenchiku』(University of Washington Press,2009)、『Arata Isozaki』(Phaeton, 2009)ほか。

日埜直彦(ひの・なおひこ)
1971年生。建築家。日埜建築設計事務所主宰。芝浦工業大学非常勤講師。作品=《ギャラリー小柳ビューイングルーム》《F.I.L.》《ヨコハマトリエンナーレ2014会場構成》ほか。共著=『白熱講義──これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社、2014)、『磯崎新インタヴューズ』(LIXIL出版、2014)ほか。「Struggling Cities」展企画監修。

青井哲人(あおい・あきひと)
1970年生まれ。建築史・都市史。明治大学准教授。著書=『彰化一九〇六年──市区改正が都市を動かす』(アセテート、2007)、『植民地神社と帝国日本』(吉川弘文館、2005)、『福島アトラス』(NPO法人福島住まい・まちづくりネットワーク、2017)『近代日本の空間編成史』(共著、思文閣出版、2017)ほか。 https://medium.com/vestigial-tails-tales-akihito-aois-notes

▶︎日本建築学会のwebsite「建築討論」(委員長:青井哲人)で本シンポジウムに関連する以下の記事を読むことができます。

017 | 201803 | 特集:イベント・レビュー 戦後空間シンポジウム01 民衆・伝統・運動体
逆井聡人「皮膜としての「民衆」──冷戦期日本の「国民」の範疇」
高田雅士「『戦後空間』を民衆の側からとらえ返す」
辻泰岳「戦後空間の肌触り──シンポジウム「民衆・伝統・運動体」について」

あわせてお読みください。


201802

特集 戦術的アーバニズム、Wiki的都市──場所と非場所のタクティカル・アーバニズム


都市を変えるいくつもの戦術的方法論──アイデア、スケール、情報工学
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何かをハックすること
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