第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方

田村友一郎(アーティスト)+服部浩之(インディペンデント・キュレーター)+山城大督(美術家)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)

美術(館)と公共性

服部──じつは「公共」について強い興味をもっています。美術館は当然公共施設ですが、その「公共」という概念を狭めて考えられてしまうことが多いですよね。たとえば、コンセプチュアルな作品やインスタレーションが集合した展覧会はわかりにくいとか難しいとされがちな一方で、キャンバスに収まった絵画が集められた展覧会の場合、誰もが絵画展と認識できるためか、それだけで「わかりやすい展覧会」とされてしまうことがあります。その絵画がどのような背景において、いかなる技法を用いて描かれたかとか、細部に込められた意図など簡単にはわからないことはたくさんあると思います。そもそも、美術においてはわからないことや謎のままのことはたくさんあります。アーティストには、わからないことや未知の物事を人と共有し考えるために作品を制作するという側面もあると思います。わからないということを認識することや、それについて考えてみることは重要だし、そもそも世の中で起こることが全部説明できてしまったら、そんな世界は全然おもしろくないですよね。美術はある意味、わからなさを共有し、世界について想像を巡らせるきっかけでもあると思います。
ですが公共施設で求められる「公共性」においては、美術館であっても、簡単な説明でわかった気にさせることが求められがちです。
芸術作品は、ぱっと見ただけではわからないたくさんの要素が折り重なり、複雑な背景を備えていることが多いですし、作品と短い説明文でそのすべてを伝えることは不可能だと思います。わかった気になることではなくて、「わからない」とか「理解できない」ということに気づき、そのわからなさを考えたり不安を楽しんだりすることが重要なんですが、正解や正しい理解みたいなものが求められがちですよね。
どうすれば「わからない」ことをそのまま受け入れたり、その理解できなさについて議論や対話する創造的な場が築けるのか、ずっと考えています。そもそも芸術作品をつくらざるをえない複雑な思考を重ねる創作者が探求することは、他者がそんなに簡単には理解できないはずです。
これまで物事の評価は、来場者数にしろ満足度アンケートにしろ、具体的な数値で成されることがほとんどでした。でも、地方の公立美術館にとって顔の見える個人の存在は大きい。スタッフだけでなく観客や受注業者などさまざまなかたちで美術館と関わる個人が、美術館の存在価値を築いていくわけで、そういう人が美術館や展覧会を通じてどのような体験や思考を紡いでいくのか、個人の多様な声を顕在化する方法がないものかと考えています。
わからないことを発見し共有することや、そこから生まれる各個人の変化を捉えていくことは、公共空間の形成を考えるうえで重要だと思います。

西澤──異なる場所や人や展覧会の枠組みのなかで、どのぐらいのわからなさをチューニングするのか、その匙加減がさっき言われていた直感ということなのでしょうか。

服部浩之氏

服部──そうですね。どうやったらおもしろくなるかは、場所や状況によって変わります。さまざまな条件の重なり合いで物事は成立していますし。
また、体験した人たちには、美術というもののどこかにおもしろみを発見してほしいと考えていますが、100人全員が同じおもしろさとして感じなくていい。ある作品が納得いかなかったり腹がたつと感じる人がいてもよくて、それぞれが受け取る幅の広さや多様さが重要なんだと思います。
建築や空間の体験において、僕は設計者が意図していなかった余白や予期せぬ部分に魅力を感じたりします。八戸市新美術館の模型を拝見すると、一見フィックスしたプランのようですが、よくよく見ると使う人が考えなければならない部分がかなりあるのではないかと思いました。言い換えると誰が使うかによって、使い方が大きく変わる可能性をもっているのではないか。利用者が育てていける建築は魅力的ですよね。
展覧会をつくることも似ていて、美術館や展覧会に訪れる人が自分で判断する余白があることが重要だと思います。キュレーターの提示したスマートなステートメントがあって、それに沿って展覧会を見ていった結果、すばらしい展覧会だったと言われるような展覧会をつくるとか、あるいはたんに共感しました、感動しましたという意見が出てくるだけではものたりないんです。むしろ観客が異和感を感じてしまうような、ザラツキや摩擦の部分にこそ可能性があるのではないか。腑に落ちない部分、あるいは自分で考えなければならない部分ののりしろ、余白をどうやったらつくることができるか。そういうプロセスを組み立てていくことが、公共空間を築くことにつながるという感覚があります。

浅子──なるほど。服部さんにとっては、そのような状況をつくること=設計すること、という感覚なのでしょうか。

服部──はい。建築の設計に近いと思っています。

西澤──建築の場合、計画という概念がすごく難しいんですね。当たり前ですが、こう使ってほしいという意図をもって計画をします。たとえばキッチンの横にテーブルを置く場合は、料理をつくっているそばで食事をしてほしいという意図があるわけです。ですが現実にはその通りにならないことが山ほどある。
公共建築の場合はとくに顕著ですが、なぜそうつくるのかという説明責任を求められます。とはいえ、われわれが説明責任を果たすために想定した通りに使われてもなにもおもしろくない。一方、そうは言いつつもある程度想定した使い方をしてもらう前提がないと、設計行為自体が成り立たたない。そこが建築の難しさでもありおもしろさでもあります。このことは、みなさんの作品がどのように受容されるかということと──余白があることも含めて──とても近いと思いました。
計画するためには、実際に使う人と対面して、どう使うのか、あるいはどんな展覧会にしたいと考えているのかなど、さまざまにリサーチすることが必要です。その際に、どのように自らの態度決定を行なうか、あるいはどういうものを拾い上げていって共有化するのかについてのヒントがほしいと考えて、きょうはみなさんにリサーチの方法やドキュメントの可能性について伺った次第です。

山城──ここまでお聞きしていると、建築家の方たちはそこまで考えなければならないんだなと正直驚いています。

西澤──それは設計チームにとっても同じです。いま、アーティスト、キュレーター、建築家というように名前をつけられて呼ばれていた職能が完全に融解して混じり合っていることや、互いの専門的な知識や経験をやりとりすることに関心をもっていることは、私たちにとっての共通理解であると思います。
なにが設計の対象になりえるのか、ということはつまり、いまなにをもって「つくる」と言えるのかということだと思いますが、きょうお聞きしたなかには、この複雑な世界を解きほぐすこと、そしてその過程では作者も協力者も観者も境なく「巻き込み−巻き込まれる」関係が発生すること、それらを記録することまでを含めてつくる対象として捉えるような視点が随所にあったと思います。しかし服部さんがおっしゃるように、このような状況を受け止められる公共としての制度はありません。そんななかで私たちが共に目指さなければならないことは、そこにふさわしい形式を与えていくことだと思いました。ひきつづき、さまざまな知見を交換できればと思います。 本日はありがとうございました。

[2017年11月30日、東京藝術大学にて]

田村友一郎(たむら・ゆういちろう)
1977年生まれ。アーティスト。東京藝術大学大学院映像研究科博士後期課程修了(映像メディア学)。主な作品=《NIGHTLESS》(2010-)、《世話料理鱸包丁》(ソウル市立美術館、2014)、《六本⽊⼼中》(国立新美術館、2015)、《裏切りの海》(横浜美術館、2016)、《Hey Daddy, Hey Brother》(Haus der Kulturen der Welt、ベルリン、2017)、《γ座》(横浜トリエンナーレ、2017)、《試論:栄光と終末、もしくはその週末/Week End》(小山市立車屋美術館、2017)、《栄光と終焉、もしくはその終演/End Game》(日産アートアワード、2017)ほか。

服部浩之(はっとり・ひろゆき)
1978年生まれ。インディペンデント・キュレーター。主な展覧会=「24 OUR TELEVISION」(青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]、2010)、「十和田奥入瀬芸術祭」(共同企画、十和田市現代美術館、2013)、「あいちトリエンナーレ2016」(共同企画、愛知県美術館ほか、2016)、「歴史の構築は無名のものたちの記憶に捧げられる」(青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]、2015)、「ESCAPE from the SEA」(共同企画、マレーシア国立美術館ほか、2017)ほか。

山城大督(やましろ・だいすけ)
1983年生まれ。美術家、映像ディレクター、ドキュメント・コーディネーター。山城美術代表。中崎透、野田智子とともにNadegata Instant Partyとしても活動する。主な作品=《24 OUR TELEVISION》《Instant Scramble Gypsy》(Nadegata Instant Party、2010)、《COUNTRY ROAD SHOW》《ONE CUP STORY》(Nadegata Instant Party、2012)、《VIDERE DECK》(2013)、《HUMAN EMOTIONS》(2015)、《TALKING LIGHTS》(2016)ほか。

西澤徹夫(にしざわ・てつお)
1974年生まれ。建築家。株式会社西澤徹夫建築事務所主宰。作品=《東京国立近代美術館所蔵品ギャラリーリニューアル》(2012)、「映画をめぐる美術──マルセル・ブロータースから始める」展会場構成(2014)、《西宮の場合》(2016)、「京都市美術館再整備工事基本設計・実施設計監修」(共同設計=青木淳建築計画事務所)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=浅子佳英)ほか。

浅子佳英(あさこ・よしひで)
1972年生まれ。建築家、デザイナー。2010年東浩紀と共にコンテクスチュアズ設立、2012年退社。作品=《gray》(2015)、「八戸市新美術館設計案」(共同設計=西澤徹夫)ほか。著書=『これからの「カッコよさ」の話をしよう』(共著、角川書店、2015)『TOKYOインテリアツアー』(共著、LIXIL出版、2016)、『B面がA面にかわるとき[増補版]』(共著、鹿島出版会、2016)ほか。

森純平(もり・じゅんぺい)
1985年生まれ。建築家。東京藝術大学建築科助教。PARADISE AIRディレクター。


201801

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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