庭的なるもの、外構的なるもの
──《躯体の窓》《始めの屋根》《桃山ハウス》から考える

中川エリカ(建築家)+増田信吾(建築家)

内と外──「境界付近」の設計方法

中川──「庭的なるものに」関連する話として、内と外の関係をどのように捉えるかは今日の議論のひとつのポイントになると思います。《桃山ハウス》はできるかぎり内と外の区別をせずにつくれないだろうかと試行した建築なのですが、増田さんは内と外を区別して設計をしていますか?

fig.8──増田信吾+大坪克亘
《躯体の窓》のサッシまわり[話者提供]
増田──取り掛かる時点ではしていませんが、どこかのタイミングで内外にかかわらず、どこかにある境界線をいったん設定したうえで、それを乗り超えるというやり方を続けています。そのときによく意識するのは、建物の構成要素を単純に組み合わせるのではなく、できるだけ分解したうえで具体的な前後関係を「組み立て」ることで、向こうとこっちの関係を模索することです。例えば《躯体の窓》では、通常はデザインが後回しにされがちな手摺やカーテンレールなどをサッシと一緒に設計の初期から建築の構成要素と見なすことで、最終的に必要なもの以外は残らない、最大限の接続方法を探りました[figs.8, 9]。その他のプロジェクトでもサッシまわり、基礎の立ち上がり方、反射の効果などを用いて具体的な関係をつくることで、内と外の境界の越境を試みています[fig.10]

fig.9──増田信吾+大坪克亘《躯体の窓》の庭や塀に反射する光[話者提供]


fig.10──増田信吾+大坪克亘《リビングプール》(2014)

編集──内と外をいったん区別したうえでもう一度両者をつなぐ、と。《躯体の窓》と《始めの屋根》の解題を踏まえると、それらは内部をいったん保留し、外部との「境界の付近」に目を向けてさまざまな状況を発見することで、結果的に内部を成立させる迂回的なプロセスだとも言えます。

増田──はい、迂回的かもしれません。ガラスを多く用いる建築においては、いかに内と外の区別をしないかという実践をし続けてきたといえます。そこでは、ガラスのスクリーンによって外との視覚的な連続性を獲得しつつ、建物としては外と縁を切って自律的なものとする手法がしばしば用いられてきました。けれども当たり前ですが内と外がなくなることは絶対にないわけで、言い換えるならばすなわちそれらを区別しないことを極限まで突き詰めていくことにしかならないので、むしろ内と外の存在を認めたうえで何ができるのかという地点に一度立ち戻って僕らは設計をしているつもりです。
最近体験した「庭」の話ですが、今年の5月にスリランカのランドスケープ・デザイナーで──ジェフリー・バワの兄である──ベヴィス・バワの自邸を見に行きました。《ブリーフ・ガーデン》[fig.11]と呼ばれる庭はとても官能的で、裸の男性が走り回っていそうなある種の楽園という感じで、例えば、植物でできた人がギリギリ通れるくらいのトンネルの小道を行くと、かなり奥深くにまで進んだ先に突然視界が開けたと思ったら、芝生の広場が現われ、そこにはコンクリートでできた卓球台とその隣に小さなステージがあったんです。古くなって使えそうにありませんでしたが庭にバスタブとシャワー、大きなミラーもありました。トイレは庭との間にあるコートヤードにもありました。街から庭までのアプローチやシークエンスまでの体験が一体的でした。

fig.11──ベヴィス・バワ《ブリーフ・ガーデン》[話者提供]

しかしその一方で、これを自分たちが行なう設計行為と同じものとしては見ることができませんでした。やはり自分にとって設計というものは、切実な事柄に対して(それが建物であれば、危険や腐食などから身を守るために、外に対してどう閉じるかということになり)、「組み立て」を考えることだと思っているんです。気候的にそもそも建築を閉じなくてもよいということに因むのかもしれませんが、だとしたらバワは何を前提にしてつくっているのか、とても遠い存在に感じました。

中川──ちなみにその見方からすると《桃山ハウス》は「建築」に見えますか?

増田──「構造」がないように見えるため、僕にとっての建築かどうかは曖昧だという印象をもっています。

中川──増田さんのいう「構造」は「構成」に近いものだと思います。私にとっての「構造」は、建物自体の躯体でありつつ、不確定なものを下支えするインフラストラクチャー的なものを意味していて、《桃山ハウス》では柱と屋根がこれに該当します。たしかに大屋根によってまとまりをもたせるという以外、明快な「構成」はないので......。あの大らかな敷地で、すべてを明快にすることは逆に窮屈に感じたというか......。

増田──《桃山ハウス》では内と外の区別をしていないとおっしゃいましたが、ガラスの仕切りやテクスチャーの切り替えなど、いろいろな材料で境界をつくり出しているようにも見えます。説明できないものをあえてつくろうとしているようにも思えたのですが、《桃山ハウス》では「境界」をどのように設定しているのでしょうか。

中川──説明できないものをつくる、というのはまさにその通りで、すべてを説明しきってしまおうという社会だからこそ、可能性を感じているんですよね(笑)。《桃山ハウス》では、1本の強い境界ではなく緩い境界をいくつも重ねることで「面的な境界」をつくりました。領域的ともいえるかな[fig.12]。そこでは敷地を越えたつながりや、外部から内部へのつながりをどこまでも生じさせ、最終的には建築スケールで部分的に見れば一つひとつの境界線があるけれど、もっと大きな環境スケールの全体として見るとそれを強く感じないような状態になる。そのような境界のあり方を想定していました。方針だけはこうでなくてはならないと決めていましたが、答えは実現したヴァージョンひとつだけではないとも思っています。












fig.12──中川エリカ《桃山ハウス》におけるさまざまな境界[話者撮影]


庭か、外構か──時間に対するコンセプト

中川──私と増田さんとでは境界の設定の仕方に違いがあることがわかりました。おそらく「庭」の捉え方も異なるのだと思います。私にとっての「庭」は「敷地境界内に限らず、自分の建築に直接的に巻き込んだり影響を与え合うことができる環境的と身体的の両義を持つギリギリの範囲の外部すべて」のことで、それは、変化を続ける具体性をはらんだ存在です。そして「庭」は設計する際のコンテクストや建築の組み立ての材料になりうるし、そうしたいと考えているのですが、増田さんはどうでしょうか?

増田──その違いは、コンテクストと見なせる外部のことを「庭」と呼ぶか「外構」と呼ぶかの差にも出ていて、僕の場合は後者をよく使います。単に言葉通り「外にどう構えるか」という建築の建ち現われ方という意味で、それは時間が経っても変化することがないものとしてあります。
大坪と2人で設計しているからなのかもしれませんが、僕らは一般的に対話可能であろうところで議論の対象を大きく線引きしていきます。要は施主が求めていないであろう、そしてわれわれだけでは判断できかねることに関しては積極的に提案しません。つまり変化しないものは設計対象として議論できるけれど、変化する可能性があるものは一個人の主観が重要だと思うのでコンテクストに組み込まない。例えば《躯体の窓》の庭の植栽をどうするかについては、竣工後に変化する可能性があるため設計者として議論できないものであると判断し、クライアントにいったん委ねることにしました。一方でこのとき僕らが議論できるとみなした対象(=外構)は光の当たり方の条件をどう設定するかという点にあり、そのような条件づくりをふくめて「設計」と呼んでいます。それは別の言い方をすると仕事としてどこまでやるのかというドライな話でもある。その後で一個人として仲間には加わって、こっちのほうが綺麗だとか、合わないのではないかなどのやりとりはしていきます。
だから《桃山ハウス》のように愛着が湧いてしまうくらい時を経た塀を設計に持ち込むことは、僕らの場合は印象的な議論に終始してしまい、提案できないのです。例えばの話ですが《桃山ハウス》の住人が数年後に気が変わって塀を新しいものに取り替えていたら、中川さんはどう思いますか?

中川──ある種の進化の過程なので、それはそれで逆によいと思う。とてつもなく高い塀がつくられていたら話は別ですが、例えば車が追突して塀が壊れて直すときに新たな要素が入ってきたとしても、元の塀や柱と同じように扱いたいし、新しくつくるからこその塀の組み立て方をリアクション的にまた重ねていきたい。できるのであればその更新作業に参加したいです。

増田──そうなんでしょうね。仮に僕らが《桃山ハウス》のように、街に馴染んでいた塀をコンテクストとして読み込んで設計条件に入れる場合、その塀が変わってしまうことは受け入れられない。だから初めから入れ込まないで何ができるのか探してしまうんです。
塀の話でいえば、初期の《ウチミチニワマチ》(2009)[fig.13]では実家の塀を新設しました。なぜ塀という箇所に注目したのかというと、塀しか設計するところがないという消極的な理由が発端でした。ですが、街と家と庭のまさに境界に建っている塀のあり方を考えることは、よくよく考えるとそれが最終的には街とのあり方や風景にも影響を与えていくのかもしれないと思い、ダイレクトに外につながる手段として塀を設計することの重要性に気がつきました。

fig.13──増田信吾+大坪克亘《ウチミチニワマチ》(2009)[写真=増田信吾+大坪克亘]

中川──一貫していますね。《桃山ハウス》で新規材料のテクスチャーに古い表情を混ぜているのは、既存の塀に合わせたいという理由ももちろんあるのですが、それとは別の理由として街全体の鉄筋コンクリートのテクスチャーとの関係をつくることも意図していました[fig.14]。たとえ敷地内の塀の一部が新しいものに取り替えられたとしても、街の表情全体がいきなり変化することは考えにくい。だから、建築の材料とした既存塀が更新されたとしても、それは街としてみれば小さな部分の変化で、そのことさえも受け止められるような庭の捉え方をしたかった、という考え方です。






fig.14──中川エリカ《桃山ハウス》
街全体との関係をつくることを意識したテクスチャー。上、中は既存のコンクリート、下は新規に打設したコンクリート[写真=Yuji Harada]

増田──変化するものについて議論することを躊躇してしまう背景には、建築に対する根本的な認識が関係しているのだと思います。
例えば僕らは設計段階で竣工後のことを予測するようなコンセプトの立て方はしないようにしてしまいます。なぜならコンセプトを立てるという行為自体、人間の知識やそれに基づく仮説で時間がもち備えている圧倒的な説得力を歪めにかかることに近い行為だと考えるからです。設計をしている時というのは、建っていないのに、建ったらどんなにすばらしいかを議論するわけですから。《桃山ハウス》での既存の塀への愛着の話もそうですが、時間の経過の議論を絡めてしまうと、竣工以前にもかかわらずモノとしてのリアリティの強度や説得力が増していきますよね。われわれはそこに疑いの念があるというか、むしろその状況をひっくり返すことこそが設計だと思っていて、どこか時間に対抗するものとしてコンセプトを捉えている気もするんです。それゆえ経験的なことや時間に直接的に関わることを避けてしまうんです。

中川──私は竣工後に不確定なことが起こっても大丈夫な下地となるものがコンセプトだと考えていますが、増田さんの場合は不確定であってはならないという美学があるわけですね。

増田──それについては僕たちも同じです。竣工後、不確定なことが起こっても大丈夫な下地までを設計としています。たしかに下地は不確定であってはいけないとは思っていますが。
中川──下地が不確定であってはならないということは共通していますが、空間・時間と分けて考えるか、時空間として時間も巻き込んで考えるかの違いはありそうですね。経験や居場所づくりというのは、そもそも時間を積み重ねる行為だと考えている私からみると、増田さんは、未来的な時間だけでなく、来歴的な時間との距離の取り方やスタンスも異なるのかもしれません。

201711

特集 庭と外構


庭園と建築、その開放
庭的なるもの、外構的なるもの──《躯体の窓》《始めの屋根》《桃山ハウス》から考える
市街化調整区域のBuildinghood
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