第1回:森美術館からの学び

高島純佳(森美術館ラーニング・リーダー)+白木栄世(森美術館アソシエイト・ラーニング・キュレーター)+西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)+森純平(建築家、PARADISE AIRディレクター)
高島純佳氏、白木栄世氏

ラーニング・プログラムができるまでの経緯

森純平──私たちは2017年2月に行なわれたコンペで、八戸市に新しくつくる美術館を「ラーニング・センター」と位置づける提案をしました[fig.1]。ここでは、地域の文化、風俗、民俗的資源を活用していくために、これまでの一般的な教育普及を、より動的で双方向的に、鑑賞者だけでなく地域の人々を巻き込みながら「アート」という制度と形式をうまく利用していくことが必要だと考えました。そこで取り出した概念が「ラーニング」です。このワードを通して、教えるひとと学ぶひとの立場が常に入れ替わっていくことで、新しい美術館が知識や感性の交換をし続ける場所になることを目指しています。この考え方は、いま世界中で同時代的な広がりをみせており、アートにまつわる現場での切実な問題意識になりつつあるのだと感じます。例えば「ラーニング」をロンドンのテート・ギャラリーがいち早く導入したのは、これまでのような特権的なアートのあり方から脱却し、多様化する社会と価値観のなかでありうべき美術館像を模索しようとしていることが背景にあるようです。
これからのアートと美術館はどのように身のまわりの世界を扱い、どのような姿を目指すべきなのでしょうか。そしてアーティストやキュレーターやエデュケーターが果すべき役割にはどんな可能性があるのでしょうか。
今回インタビューをさせていただく森美術館は、2017年よりそれまでの「パブリック・プログラム」を「ラーニング」というワードに切り替え、東京・六本木という大都市の中心地にあって、その場所に相応しい国際性と地域性、アートと生活を結びつけようとしているように見えます。ここでの実践はどのようなものであり、どのような葛藤があるのか、今日はじっくりと聞かせてください。もちろん、八戸市とは地理的・文化的背景はまるで違います。しかし、これからのアートにどのような機能を見出し、さまざまな物事に関連づけていく方法とアイデアがあるのかは、場所や規模にかぎらず共有できるのではないかと思っています。

さて、2015年の森美術館リニューアル・オープン時のプレスリリースの資料には、美術館としてのミッションや「アート&ライフ」の重要性などが記載されていますが、まだ「ラーニング」という言葉は見られません。この時点でラーニング・プログラムの構想はすでにあったのでしょうか。

fig.1──八戸市新美術館コンセプト模型[撮影=西澤徹夫]

白木栄世──よろしくお願いします。ラーニングという言葉を公式に用い始めたのは2017年からのことですが、構想は2014年からありました。リニューアルの準備で森美術館が2014年から2015年にかけて数カ月間休館していたとき、今後も活動を継続するうえでふさわしい名称を考えるために、欧米のさまざまな美術館の部署名をリサーチして、候補として「ラーニング」のほか「クリエイティブラーニング」や「ラーン」などの言葉が挙がっていました。
別の経緯として、2014年にブリティッシュカウンシル主催の日英エデュケーター交流の研修に参加し、日本の美術館の教育普及担当者やキュレーターらがイギリス国内を旅して学ぶ機会を得たということもあります。それ以前からも交流の機会があった、テート・モダンでパブリック・プログラムを担当しているサンドラ・シコロバさんとも定期的に意見交換しラーニングの考え方を血肉化していきました。

西澤徹夫──テートでの取り組みと、それまでの森美術館のプログラムとで決定的に異なる点はありましたか。

白木──規模的にはテートのほうが活動に携わる人数が多く、組織力の違いは感じたものの、内容的には日本でのプログラムと大きく変わらないなという印象も受けました。

西澤──「ラーニング」という言葉を採用するにあたって、「エデュケーション」よりも適しているという感覚があったということでしょうか。

白木──もともと森美術館では「教育普及」という言葉を使わずに「パブリック・プログラム」と呼んでいたので、「ラーニング」という言葉を使うことにさほど違和感はありませんでした。「エデュケーション」と「ラーニング」の違いは研修のときも議論になったのですが、「ラーニング」の場合はプログラムの結果を客観的に言語化することが重要だと思います。具体的には映像、ウェブサイト、報告書などを通じて、プログラムの参加者や美術館のスタッフ以外の方々からの評価につながることまでをふまえた活動となっています。

西澤──それまで森美術館でやってきたことを振り返りつつ、より広い対象に向けた活動としてラーニング・プログラムが生まれたわけですね。

白木──そうですね。また別のいきさつとして、現代アートの作品形態や展覧会自体が変わりつつある状況も関係しています。ボストン美術館で活動されていた菊池宏子さんに半年間ほど森美術館に来ていただき、ラーニング・プログラムを考えるのに協力していただいたこともあります。ちょうどその頃、森美術館では「リー・ミンウェイとその関係展」(2014)[fig.2]をやっていて、会場に展示されているガーベラの花を一輪来館者が持ち帰り、来たときとは別の道で帰り、その途中で出会った人にその花を渡すことを企図した参加型の作品《ひろがる花園》(2009/2014)も展示していました。その展覧会に関連するプロジェクトとして、菊池さんにプロジェクト・リーダーになっていただき、展示室のなかでいろいろな人がホストになり、観客を出迎えて六本木の思い出を語る《プロジェクト・リビングルーム》(2000/2014)を考えていきました。
そこから2年間くらいかけて議論を重ねながら、森美術館なりのラーニング・プログラムの構想を進めていきました。

fig.2──「リー・ミンウェイとその関係展」プログラム風景[撮影=田山達之、提供=森美術館]

高島純佳──森美術館が現代アートを扱う美術館だということも、ラーニングが求められるに至った背景のひとつといえます。近代や古典の美術の場合は既に評価も定まっている分、一定の教育システムのなかで作品について考えることが一般的ですが、現代アートの場合はそれとは違ったアプローチとして、ある種のフラットな環境で作品について学びあうほうが適していると思います。

浅子佳英──たしかに現代アートの場合、現在進行形のものなので、あらかじめ問題と答えがセットになってはいませんね。一方で、私たちが設計中の八戸市新美術館は現代アート専門の施設ではないのでお聞きしたいのですが、古典や近代などの現代アート以外のもので、ラーニング・プログラムを活かすとすればどのような方法がありえるでしょうか。

白木──そうですね。近代美術も扱った「東京―ベルリン/ベルリン―東京展」(2006)の子ども向けワークショップでは、東京とベルリンの絵画に描かれた人物の衣装に注目して、それぞれの作品について考えるという企画を行ないました。「日本美術が笑う展」(2007)では、展示された埴輪や浮世絵、現代アート作品のもつ「笑い」の表情が「ははは」「ふふふ」「ほほほ」などのうちのどの笑い方に該当するのかについてディスカッションしました。いずれも作家の言葉や先行する言説とは別のアプローチで、実際に作品の前に立ってみたときに何を感じたかという視点から作品を理解してもらうことを試みました。

学校教育との違い──生徒が自ら進んで授業をつくるということ

白木栄世氏[撮影:御厨慎一郎]

白木──日英エデュケーター交流では地域コミュニティとアートの関係についても議論しました。イギリスの美術館では地域との密接なつながりが学校教育のレベルからできていて、すべての人たちが自らのものとして文化的体験を得る、すなわちオーナーシップを持つ権利が確立されています。一方でアメリカの美術館の成り立ちはイギリスとは異なるため、コミュニティの意識にも違いがあります。ホイットニー美術館では移転にともなってコミュニティも変化するなかで、「美術館の近隣にある学校からは何パーセントの子どもが来館しているか」といったことを緻密にリサーチして、コミュニティをマッピングしているのだそうです。
私たちも美術館の客層をグラフで示そうとしたことがあります。アートを見慣れているコアなファン層、誰かに連れてこられるときくらいしか行く機会がない層、一度も美術館に行ったことのない層などを地図上にマッピングすると、単純に年齢でコミュニティが区分されているわけではなく、家庭環境や学校環境、個人の興味関心なども関わっていることがわかりました。これを踏まえて、コアなファン層のプログラムを考えつつも、初めて現代アートに触れる人たちが行ってみたいと思えるタイトルを考えたりするようになりました。あるいは美術館まで足を運ぶのが困難だったり抵抗を感じたりする人に向けて、美術館の外でのプログラムを考えることもあります。

高島──ほかにも、まちなか(六本木ヒルズ内)でプログラムを実施したり、難解すぎないパブリックアートを扱ったワークショップや、衣食住に関連する場をつくってアーティストと出会う機会を設けたりといったことを仕掛けはじめています。

──森美術館では展覧会プログラム、クリエイティブ・ラーニング・プログラム、コミュニティ・エンゲージメント・プログラム、シンポジウム、アーカイブと、大別して5つのプログラムで年間140本もの活動が行なわれているそうですが、各プログラムにおいてその参加者ターゲットや、目的は具体的にどのように決めているのでしょうか。

高島──子ども向けの場合は、学年ごとに語り方を変えたほうが理解が円滑になることもあるため、ある程度年齢に応じて区分けしています。ほかにも使用する言語やバックグラウンドの違いで分けることもあれば、居住地から美術館までの距離であったり、まちとの関係の深さなどによる区分け方もあります。もちろんコミュニティが変動することも踏まえて、区切り方はプログラムをつくるたびに更新しています。

白木──ゆくゆくは、学びを得た参加者たちによる世代間を横断するようなプログラムがあると理想的ですね。
レクチャーの場合、長時間のシンポジウムを通じてとことんコアな学びを提供することがある一方、ラーニング・キャンプという取り組みでは、大学の先生などの専門家と気軽に話せる場を提供しています。ほかにも他者とのコミュニケーションを重視するタイプのアーティスト・トークでは、座席を円形状にしてカジュアルな雰囲気をつくることもあります。

高島──あらかじめ正解が定められている算数などの教科とは違い、アートはより自由に発想できるということを活かして、学校では普段経験できない学びをいかに体験できる場とするかということを心がけています。

浅子──小学生の娘がいるので実感として思いますが、今の学校ではなかなか自分で考える力を身につけることができないですよね。

白木──ええ。なかにはプレゼンテーション慣れしている子どももいるのですが、自分の言葉で話しているわけではなかったりするので、意識的にほかの人の意見と自分の意見を比較してもらうようにしています。

高島純佳氏[撮影:御厨慎一郎]

高島──ラーニングというと、自分の意見を積極的に話さなければいけないという意識を持たれがちですが、実際は無理に発言しなくてもよいものです。ほかの人の意見に対して首を振ったり、リアクションするだけでもよくて、それもまたプログラムへの参加のひとつのあり方だと思っています。
美術館のなかでのレクチャーやワークショップのほかに、われわれが近辺の小学校や教育機関と連携してラーニングに取り組む機会もよくあるのですが、図工の授業だけではなく、社会や国語、総合学習の時間の一環として行なうこともあります。

白木──港区のある中学校の生徒たちは、展覧会を観たあとに自分たちで同級生に向けて授業をつくり、その授業を受けた生徒たちがまた鑑賞しにくるという試みをやっています。「LOVE展」(2013)[fig.3]のときには愛とは何かについて、「シンプルなかたち展」(2015)[fig.4]ではシンプルとは何かについて、自分たちで授業を考えてくれたのです。

fig.3──六本木ヒルズ・森美術館10周年記念展「LOVE展:アートにみる愛のかたち──シャガールから草間彌生、初音ミクまで」展示風景、森美術館(2013/4/26-9/1)[撮影:木奥恵三、写真提供:森美術館]

fig.4──大巻伸嗣《リミナル・エアー スペース−タイム》(2015、布、送風機、 サイズ可変)
展示風景:森美術館「シンプルなかたち展:美はどこからくるのか」(2015)[撮影:木奥恵三]

西澤──生徒たちが自ら進んで授業をつくるというというのは、じつに面白い試みですね。ちなみに学校で観覧するときは、どのくらいの人数が美術館にやって来るのでしょうか。

高島──クラス単位や、ときには学年単位で来館しています。私たちラーニング・スタッフのほうが学校に行くときは、アーティストとの出会いの機会を設けることを前向きに捉えている学校の先生方と連携してやっています。たとえば「ペドロ・レイエス植樹プログラム」(2017)[fig.5]のときは平和について学ぶという裏テーマがありつつ、アーティストに協力してもらい、作品制作の過程や動機などを小学校の授業のなかで話していただく機会を設けたこともあります。

fig.5──「ペドロ・レイエス植樹プログラム」(2017)

白木──学校教育との違いという点でいえば、「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」(2017)[fig.6]では東南アジアでの戦争の歴史について扱っている作品も展示されています。先生のための鑑賞会を行なった際に、公立の小学校の先生たちのなかには生徒に見せられない作品があるとおっしゃられる方もいました。一方で同じ場にいた大学の先生からは、義務教育で日本の歴史教育をきちんと行なうことの重要性が説かれ、こうした意見の違いに目を向ける機会として美術館が機能していたことは事実でしょう。

fig.6──「サンシャワー:東南アジアの現代美術展」展示風景[撮影=木奥恵三、提供=森美術館]

高島──「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」[fig.7]のときにはLGBT関連の作品を女子校の先生が見せられないとおっしゃったり、学校によって温度差があることがわかります。けれども先生方自身が違う学校の先生たちと出会っていただくことも重要だと思うので、展覧会毎に続けています。

fig.7──「六本木クロッシング2016展:僕の身体、あなたの声」展示風景 森美術館(2016)[撮影:永禮賢、写真提供:森美術館]

浅子──とても興味深いお話ですね。たしかにそれは美術館以外の場所では担いにくい機能かもしれません。つまり、社会や政治の話も、そのままだと生々しくなるところを、アートを通じて捉えることで、問題を一段階だけ抽象的なレベルに押し上げて考えられるようになる。アートの機能がそのようなものとしても期待されているわけですね。

西澤──作品理解を通して社会と接続させるような「美術で教育する」のではなく、「アートの機能を通して学ぶ」場所を提供しているということですね。アートの機能が、先生方が持っていた潜在する問題意識のありかそのものを露わにしていくのですね。

白木──ええ。現代の子どもたちは非常に多くの情報に囲まれた環境のなかで生活しています。インターネットで得られることが正しいか間違っているか判断がつかないまま、本当に情報が垂れ流されるままになっています。そのときに「アートの機能を通して学ぶ」ことによって自ら意見を持ち、他者とディスカッションできるようになるきっかけになればと思います。自発的に考え、判断することにつながる場をつくることが学校教育との違いといえるのではないでしょうか。

ラーニングは新たな作品を生むか?

西澤──ラーニング・プログラムが展覧会に関連して行なわれるだけでなく、ラーニングの活動やその評価が展覧会のつくり方にフィードバックされるような環境をつくる構想はありますか。キュレーター・チームがラーニングの活動をふまえて展覧会のテーマを選ぶようなことが起きうるとしたら、どのようなものが考えられるでしょうか。

高島──そうですね、それは考えています。機動性の高いプログラムに比べ、展覧会はつくり込むのに期間を要するため、プログラムを反映した展覧会にしようとするとかなり時間差ができてしまうという問題がありますが、小規模のリサーチやプロジェクトではラーニングの要素をできるだけ取り入れていこうという議論も進んでいます。

浅子──すぐには難しいかもしれないですが、大型の展覧会でもラーニングに関連した展示をすることは考えられるでしょうか。

白木──そうしたことは実際に起きていて、「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」(2017)[fig.8]では作家の地元での様子を、現地をリサーチで訪れたキュレーターが撮影して展示室で紹介しました。鑑賞者は作品を見ると同時に、作家を取り囲むさまざまな環境を知ることができます。

fig.8──N・S・ハルシャ《空を見つめる人びと》(2010 / 2017)、展示風景:「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅」森美術館(2017)[撮影:椎木静寧、写真提供:森美術館、Courtesy: Victoria Miro, London]
西澤徹夫氏

西澤──展覧会自体も変わりつつあるということですね。「サンシャワー展」でも厖大な数の議論からなる展覧会のメイキングとしてのドキュメンテーションが展示されていました。あのようなものを展覧会のなかで観たのはおそらく初めてだったのでとても面白かったです。展覧会についての議論の内容が展示されるという入れ子状の関係が、どこまでもプロジェクトがフィードバックされ続けるラーニングに近い印象を持ちました。
テートが公開しているラーニング・ルームの活動の一覧を見ると、ラーニングの導入以降、それまでの学校関係者向け学習プログラムや作品制作ワークショップなど、次々にプログラムを提供する実践ベースだったものから傾向が変化していることがわかります。展覧会と提供するプログラムを1セットで実施して終わりにするのではなく、ラーニング・プログラムとして手に入れた知見をもう一回別のところで議論したり、コミュニティにぶつけてみたり、二次的にどんどん使用していくことを目的にしているように見えます。そうした仕組みのなかで、毎回コンテンツを展覧会の内容にあわせて柔軟に変えていけるところが面白いと思っています。

浅子──そもそも事前に問いと答えがセットになっていないからこそ、新しい問いが生まれていく。展覧会をすることも、ワークショップをすることも、それぞれがひとつの答えであると同時に次への問いでもある。それらが相互にフィードバックされていくサイクルが重要なのでしょうね。

白木──作品の前で行なわれた議論を蓄積して次につなげていくことは、ひとつの展覧会のなかでも起こっています。たとえば子どもたちの見方や、視覚に障がいがある方たちを対象にした耳でみるアートや手話ツアーで鑑賞したときの様子などを、一般のギャラリー・トークのときに伝えると、オーディエンスの理解が深まるということもあります。

森純平氏
──テートではラーニング・プログラムも新しい美術をつくるためのひとつの要素であると言っていますよね。森美術館では、プログラムが作品に与える影響についてどのように考えているのでしょうか。

高島──森美術館では「アート&ライフ」を大きなモットーとして掲げており、未来のアーティストやキュレーターを育てることと、そして一般の人たちに日常的に現代アートを楽しむためのライフスタイルを提案することという、深度の異なる対極にある両輪を同時にまわしながら企画の運営を行なっています。今後も意義ある活動をしていくためには、やはりオーディエンスの方たちに必要とされる美術館でなければならないと考えています。そこで来館者に自分たちの美術館だと思ってもらえるような企画を考え、実現していこうとしています。もちろん、新しいアート作品をつくろうとしている作家たちを応援するプログラムを一緒に考えることも多々ありますし、若手の作家とともに実験的なプログラムを考える取り組みもあります。

──なるほど。ラーニングに関わるアーティストはどのようなバランスで選んでいるのでしょうか。

高島──プログラムの目的や達成したい成果に応じてアーティストをリストアップしています。展覧会と連動するプログラムでは出展アーティストが参加することが多いのですが、そのなかでも地域展と個展とでは考え方が変わります。個展の場合は、誰と組んでもらったら面白いかなど、やはり展覧会を基点にキュレーターとともに考えることが多いですが、それとは別に、まちなかで展開するようなプログラムの場合、協働するアーティストは、コミュニケーションが上手で作品へ発展していく視点が強くなってきています。

白木──開館から3年に1度の頻度で開催している日本の現代美術展である「六本木クロッシング展」の参加アーティストから選出するケースも出てきていますね。ほかにも、「メタボリズムの未来都市展」(2011)の「大東京お笑い建築ツアー」では建築をあまり知らない人向けに東京を建築家と一緒に巡るという企画を組みました。2007年には、美術家の鴻池朋子さんとワークショップ参加者が「六森未来図」という継続的なプロジェクトに取り組んだことがあり、六本木の未来図を考える企画をまるまる1年かけて実施しました。プログラムの参加者が都市開発用の白地図を用いてさまざまな要素を発見し、最終的に鴻池さんが作品として制作するという内容でした。


201710

連載 学ぶこととつくること──八戸市新美術館から考える公共のあり方

第6回:MAT, Nagoyaに学ぶ
街とともに歩むアートの役割
第5回:YCAMの運営に学ぶ
地域とともにつくる文化施設の未来形
第4回:学ぶ場の設計から学ぶ──
ラーニング・コモンズと美術館
第3回:美術と建築の接線から考える
美術館のつくり方
第2回:子どもたちとともにつくった学び合う場
──八戸市を拠点とした版画教育の実践
第1回:森美術館からの学び
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