八戸市新美術館のプロポーザル──相互に学び合う「ラーニング」構想

西澤徹夫(建築家、西澤徹夫建築事務所主宰)+浅子佳英(建築家、タカバンスタジオ主宰)

チーム体制での参加

──本日は、「八戸市新美術館建設工事基本設計業務委託」(以下、「八戸市新美術館」)の公募型プロポーザルで最優秀者に選ばれた西澤徹夫さん、浅子佳英さんから、案ができるまでの経緯とその内容、今後の計画についてお聞きします。また、この一例を通して、新しい建築をつくるために必要なプロポーザルのシステムについても伺いたいと考えています。
まずは、設計者として複数のプロポーザルに応募された経験から、お2人が国内のコンペに対して感じていらっしゃることをお聞かせください。

西澤徹夫──私自身は「滋賀県新生美術館の設計者の選定(プロポーザル)」(2015)、「京都市美術館再整備工事基本設計業務に係る公募型プロポ-ザル」(2015)で青木淳さんとともに応募しました。この2つは私が初めて取り組んだプロポーザルでしたが、幸いなことに「滋賀県新生美術館」では次点、「京都市美術館再整備工事」は1等を取ることができました。ただ、プロポーザルに参加してみて感じたのは、募集要項に素直に従えば、どのような問題に答えるべきかがおおよそ決まってしまうということです。そして最終的にその施設によって、例えば「◯◯の中心となること」や「にぎわいを創出する」ことが目指されているので、提案をまとめようとすると、「誰もが......できます」とか「多様な......が」といった美辞麗句で説明を締めざるをえないところがあって、自分の身に引き寄せてリアリティを持って考えるには何か物足りなさを感じていました。また、自分たちの提案がいかに優れているかをアピールする場においては、どうしても耳障りのいい言葉ばかりになってしまいます。あるいは、減点方式で進められるプロポーザルが多く一通りのことを一応すべて書いておかないと減点されてしまうということもあって、自分たちの提案も含め最近の応募案を見ていると、当たり障りのない案になりがちな傾向があるように思います。その後、「八戸市新美術館」のプロポーザル(2017)に応募するにあたり、プロポーザルへの取り組み方そのものを変えたいという意識がありました。

「八戸市新美術館」模型 [撮影=西澤徹夫]

浅子佳英──大規模な公共施設のプロポーザルでは、経験や実績が応募条件に規定されているため、そもそも参加のハードルが高く、ぼくたちの世代がひとりで応募できるものはそう多くありません。これは90年代以降の景気の悪い時代に独立した建築家に共通の問題意識だと感じています。しかし、誰かと組んで応募すれば、その問題をクリアできる。その一方でこれは個人的な感覚ですが、あまりに作家性の強い建築家同士が組むのは、意見をまとめるのが難しい。そうではなく、案を一緒に詰めていける相手を選べば、片方が苦手としていることを互いに解決していけるため、強い案をつくることができます。
「水戸市新市民会館」のプロポーザル(2016)では、吉村靖孝さんと組んで応募しました。今回の対談の主軸である「八戸市新美術館」の話をする前に、この案について少し説明させてください。募集要項では、オーケストラピットも備えた、フルスペックに近いホールを設けることが条件になっていました。ただ、敷地の隣に《水戸芸術館》(磯崎新、1990)があるため、ハイクオリティなコンサートやオペラを開く場合はそちらを使えばいいし、収容人数として想定された2,000人が毎日埋まるような演目を水戸に呼び続けるのも難しいでしょう。また、水戸市は中心市街の地空洞化が進む街で、かつていくつもあった百貨店は撤退し、《水戸芸術館》の反対側の隣に建つ京成百貨店しか残っていない。そこで、カジュアルなジーンズとスニーカーで行けるような、そして、創作と上演のどちらもができるような工場のような、《水戸芸術館》と京成百貨店という街の2つの核をつなげるモールのような劇場を提案しました。また、水戸市の場合、坪単価を計算すると約250万円/坪ほどですが、劇場という設備にお金のかかる建築であることと、現在の工事費の上昇を加味すると先行きはかなり厳しい。そこで、プログラムを整理し、面積自体を可能なかぎり小さくすることにしました。周辺施設やプログラムを含めて要項に答えること、限られた予算のなかでどうやって持続できる建築をつくるかという部分は、「八戸市新美術館」につながっていると思います。 1等は伊東豊雄さんになりましたが、私たち以外にも最終候補に若手建築家が複数残っていたことには今後の可能性を感じました。

西澤──いま浅子さんが言ったように、応募条件には「◯◯平米以上の敷地面積を設計したことがある」「美術館を設計したことがある」といった実績を要求されることが多いので、要件を満たすのは、独立前の設計事務所や組織設計で経験を積んだ人しかいない。そうなると、どうしても応募者数が限られてきてしまいます。そのため、最初から応募できないと諦めざるをえない状況がどうしてもありました。そうした時に、独立して数年の建築家同士が組んで応募することには、新しい可能性を感じています。
「八戸市新美術館」の場合は、応募のハードルは比較的低く設定されていました。門戸が広く開かれている分、多くの人が応募するであろうことも予測できましたし、そうした発注者側の姿勢も信頼できる気がしました。応募しようと思えば、浅子さんも私も別々に応募できましたが、2人で出すほうが強い案をつくることができると考えました。ひとりでつくっていると、どうしても案を深く掘り下げるほうにしか進まず、盲目的になってしまいます。しかし今回の場合は、造形性や作家性、提案の新奇性が求められているわけではなくて、基本的な方針以外はそれを解釈しコンセプト・メイキングし直したうえでどのように建物に着地させられるかを問うているということが事前に出された説明書から明らかでしたので、破綻のない案をつくるためには、案を出し合って至らないところを指摘し、喧嘩をして(笑)、完成度を高めていくというプロセスが重要でした。
説明書には細かい要求が決められていなかったため、プロジェクトが動きはじめてから関係各所とさまざまなレベルで議論していく必要があるだろうし、複数人で考えをぶつけながら案をつくるような進め方になるだろうと思いました。つまり、プロポーザルに取り組むこと自体がその後予想される設計の進め方へのテスト期間でもあったわけです。初めて協働する2人が、自分たちが考える最高のものをつくれなければ、そもそも後々満足のいく働きができないだろうと考えていました。

浅子──そういう意味では、あまり似た人同士でチームを組んでも意味がないでしょうね。

西澤──そうなのです。自分とやり方の似た人と組むのは楽ですが、そうすると自分の問題点や足りていないところに気づくチャンスをみすみす逃してしまう。それよりも自分とは違う批評性や興味を持った人と組んだほうが、リスクは高いけれど取り組む価値はあると思います。

要項から導き出される提案

──では、「八戸市新美術館」プロポーザルの要項から導き出された提案についてお聞かせください。

浅子──要項を読むと、形態的な面での新規性は求められていないことがわかります。収蔵庫が700平米、展示室が500平米ということは決まっていたものの、それ以外の部分に関しては面積すらも提案することが可能でした。そこから読み取れるのは、面積をどのように配分するか、どのような室で構成するかが重要な点とされていて、かたちに対する提案はそこからおのずと導き出されるものであるということです。そこで、まずはプログラムをきちんと提案することを重要視することにしました。
コンペやプロポーザルに応募するにあたり、建築家は要項を熟読するわけですが、そもそも本当にその要項が妥当なのだろうかと思わされるものも少なくありません。とはいえ、そこに疑問を呈する案を提出したところでカウンターにしかならないので採用されることはまずない。ただ、今回の要項はプログラムにも踏み込んで提案できる仕組みがつくられていました。要項を読み込むなかで、ホワイトキューブの展示室で巡回展を行なうことを前提とするこれまでどおりの美術館をつくることは求められていないと判断しました。このことは、西澤さんと最初に話した時にすでに共有していましたね。その意味では、ここ数年あった日本の美術館コンペ・プロポーザルのなかでもかなり特殊な事例でした。

西澤──八戸にどんな美術館が必要だろうかと考えた結果、「八戸ラーニングセンター」として位置づけるのがよいのではと考えました。すでにある八戸の民俗・風俗文化と所蔵品といった文化資源とプロジェクトベースの活動を結びつけながら、市民にとって学びの拠点になることを目指そうというわけです[figs.1,2]。そのために、作品制作のための設えを持ったアトリエや映像展示に照準をあわせたブラックキューブといった機能に特化した個室を設けることと、それらを結びつける動線の役割をもちつつ横断的な活動や展覧会準備などのバックヤード的な活動をも柔軟に飲み込んでしまうような巨大な空間を設けることという方向性をまず共有しました。
その後それぞれの機能をどのように配置するかは、ありとあらゆるパターンを検討しましたね。お互いリファレンスを出し合い、図面を引いてみながら、双方の案をアップデートしていきました。

fig.1──ラーニングセンターの構想(提案書より)。[提供=西澤徹夫建築事務所・タカバンスタジオ設計共同体]

fig.2──八戸市内で毎週日曜日に開かれている館鼻岸壁朝市の様子。日本国内で最大規模の朝市として知られる。 [撮影=西澤徹夫]

浅子──最初の考え方自体は共有していたので、具体的なプランに落とし込んでいく段階に集中して取り組むことができました。

西澤──設計者が2人いることで、互いにプレゼンして欠点を潰しながら案を練り、この場所で何ができるのか、どのような意味があるのかを考え提案しながら発展させることができました。これは、いままであまり経験してこなかった設計の方法でした。

浅子──私が持ってきたレファレンスとなる建物と西澤さんがレファレンスとしていたものもずいぶん違いましたね。「八戸市新美術館」は展示室と収蔵庫だけしかない美術館とは違って地域の拠点とすることが構想されていたので、私はレファレンスも美術館ではなく学校や商業施設、シェアオフィスなど、さまざまなものを集めました。西澤さんはこれまでも美術館の仕事をされてきたので、美術館のプランを多くもってきてくれました。そもそもプログラムの違うものを持ち寄っているのでなかなか噛み合わせるのが大変でしたが(笑)、それらをなんとかまとめたのが現在の提案です。
ただ、プログラムとして見ると、美術館と学校やオフィスはまったく違うもののように感じられますが、重要視したのは空間の配列です。例えば学校における特別教室とホームルームという区分けは、特別な展示室と一般的な展示室というように見ることもできる。異なるプログラムのプランを抽象化してみて、八戸の土地にあった配列と面積を模索していきました。

西澤徹夫氏
西澤──提案の核になった「ラーニング」という言葉は、大雑把に言うと、学びをシェアするという概念です。上意下達的なニュアンスのあるエデュケーションに対して、教えるほうも教わるほうも立場は同じで、いつでも入れ替わりうるというニュアンスを含みます。要項に示されていた施設のありうるべき姿は、美術館でありアートセンターでありエデュケーションセンターでもあるということでしたが、「ラーニング」は、これをまとめていく核として考えうるのではないかと思いました。今後、新しい公共施設としての美術館が求められるのは、活用する市民やアーティスト、運営するスタッフがうまく協働していけることでしょう。要項には「エデュケーション・ファーム」という言葉で説明されていますが、ほとんど目指すべき考え方は同じだと思います。それを建物の配置に着地させるために「ラーニング」という言葉に置き換えたことが提案になっています。
このコンセプトを思いついたあと、世界各国のラーニング・プログラムをよく知っている森純平さんへヒアリングすることになりました。森さんからは、イギリスのテート・ギャラリーが行なっているラーニング・プログラムをはじめ、世界各国で試みられているラーニングの動向を聞きました。その話を聞いているうちに、森さんにスキーム段階から関わってもらうことで絶対に面白いものになるという確信をもち、チームに加わってもらうようお願いしました。今日もこの場に来てもらっているので、後ほど少し話を聞いてみたいと思います。森さんが加わってくれたことで、小さなパワーが集まったような編成になりましたね。

浅子──ええ、とても心強いです。森さんはもともと建築を学ばれた方ですが、いまは千葉県松戸市のアーティスト・イン・レジデンス「PARADISE AIR」の運営ほか、アートや舞台芸術、まちづくりに関わる活動をされています。これまでコンペやプロポーザルで建築家がチームを組む相手は、構造家や造園家など、建築家が考えた形態に説得力を持たせてくれる職業がほとんどでした。しかし今回は美術館の運営やプログラムを考えてくれる人に入ってもらい、自分たちの提案するプログラムが説得力をもつ体制をつくりました。


201707

特集 設計競技の変遷、建築プレゼンテーションの変容


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