建築時間論──
近代の500年、マテリアルの5億年
近代の500年、マテリアルの5億年
「強い構造」と「意味的な強さ」
加藤──文化財になったとたんに建築の評価軸が完全に変わってしまうことも問題です。 建築としての良し悪しや、人々にとっての使いやすさではなく、史料としての正統性(オーセンティシティ)だけが求められるようになり、いかにオリジナルの状態を継承しているかという観点だけが文化財の理念となってしまっている。その結果、コールハースの述べているような、アンタッチャブルなものが都市にどんどん増えていくクロノカオスの状態を招くことになる。もちろん近代の建築のなかにも、文化財として残すべきものは出てくるのでしょうが、なんの疑いの念も持たずにただ保存だけを繰り返していくと、いつか破綻するはずです。長谷川──そうですね。じつはいま、世界遺産に登録された建物の敷地内に、来訪者が急増したことに対応するための休憩施設を設計しているのですが、そもそも世界遺産の場所に新築でなにかを建てることが非常に難しい。遺産化することによって新たな需要が生まれているのに、保存一辺倒の考えに大きな矛盾を感じます。そもそもなんのために建物を保存するのかという根本の部分についての議論がなく、保存が形骸化しています。
加藤──文化財の場合、建物を100%保存することが理想型としてあるわけですが、「ある程度改変しながら人々が使用する」というコンセンサスが仮に得られた場合、それならば「歴史的価値」のある部分だけは保存しなければならないという議論になるはずです。しかし、そもそも「歴史的価値」という価値観そのものが歴史のなかで変化していく相対的なものだと私は考えています。そのため保存すべき対象をどのようにして決定するかということが問題になってくる。
そこで、価値判断がなかった時代に歴史的建物の再利用がどのように行なわれていたのかに目を向けた時、そこには「強い構造」と「弱い構造」という区分けがあったのではないかと考えています。つまりごく単純なことですが、頑丈な「強い構造」の部分は残りやすく、壊れやすい「弱い構造」は簡単に改変されてきたわけです。
円形闘技場で言えば、上部の階段席の部分はなくなったけれども、それを支える下部の壁は残り、人が住み込むことで、やがて住宅の壁に置き換わっていきました。このことから階段席は「弱い構造」であり、下部の壁が「強い構造」だということができ、このうち後者のほうが円形闘技場の一部分として、容易に保存を実現することができるわけです。このように、保存対象の第1の決定要因として、物理的な強さがあると考えていけば、改変しやすい部分としにくい部分の判断をより自然に行なえるのではないかと思っています。
一方で、もしも建物に美しい彫刻が付随している場合、それがもつ意味の強さゆえに保存の対象となるといった「意味的な強さ」もありえます。「弱い構造」のなかに意味的な強さをもつものが含まれている場合もありうるでしょう。それらは現代の考え方だと、博物館などに展示されることになりがちです。
しかし、建築の再利用の方法の一例として、古代から西洋で行なわれてきた「スポリア」という行為があります。スポリアとは使われなくなった建物の彫刻や、大理石の円柱などを新築した別の建物で再利用する行為のことです 。現代でも、例えば古い建物で使われていたドアノブを、新築のビルのドアで再利用すれば、それも歴史の継承のあり方のひとつと言えるはずです。それは使っている人たちのための、ある種の贅沢な空間を生み出すものにもなりうる。
- fig.21──スポリアの事例《コンスタンティヌスの凱旋門》
A: トラヤヌス帝時代の彫刻、B: マルクス・アウレリウス帝時代の彫刻、C: ハドリアヌス帝時代の彫刻、D: コンスタンティヌス帝時代の彫刻
[出典=『時がつくる建築』]
長谷川─スポリアについて初めて聞きましたが、とても興味深いですね。建築は数多くのモノを組み合わせてつくられますが、それぞれのモノの時間にまで意識を広げれば、新しいモノ、古いモノ、空間にはさまざまな時間が混在していることに気づきます。新しいだけの建物がプアに見えてきますね。こうしたことを、私たち建築家はもっと意識すべきでしょう。
加藤──スポリアが生み出す豊かさは、歴史的価値にもとづくというより、物質そのものとして人々に訴えかける力があることに起因するものだと考えています。史料としてのオーセンティシティではなく、物質性が訴えかける強さが結果的に歴史性を伝えるものとなる。そのような物質としての強さを、建築家の方々にはうまく再利用してほしいと思っています。古い建築の一部が、展示物としてではなく建築の部材として再び使われるということは、その建築にとって幸せなことでしょう。
長谷川──今年完成した《吉野杉の家》や《グアスタッラの礼拝堂》における素材への注目は、私にとって新たな試みでした。大阪城の築城にも使われた吉野杉は大口径のものだと数百年かけて育てられ、またポルトガル産の大理石Estremozは5億年前のオルドビス紀のものでした。素材には物質としての厚みだけでなく、時間の厚みがある。これら2つの厚みに対して、現代の技術や使い方をどのように重ねられるか、いまさまざまなプロジェクトで試行錯誤しています。
加藤さんが著書のなかで、モダニズムは20世紀のものではなく、再開発という考え方として捉えれば16世紀から続いてきたものだと書かれていて、とても痛快でした。「モダニズム=20世紀」という定型化した歴史観に揺さぶりをかける。そのような時間軸そのものをリノベーションする試みは重要な作業だと思います。
加藤──ありがとうございます。執筆時にも、特定の時間軸に建築を位置づける、いわゆる様式史観とは異なる論を展開したいという気持ちはありました。先ほどタイプとフォルムの違いについて伺いましたが、19世紀以降の建築史家たちは、時間軸上の建築をフォルムによって定義することで様式を整理していきました。つまり、時間と形態の指標として様式があったわけです。そして同時代の建築家は、建築史家によって定義されたギリシャ、ゴシック、ルネサンスといった各時代のフォルムを用いて、ギリシャ風、中世風の建築をつくってきた。ポストモダニズムもその変奏と言えます。
建築史の教科書を初めて読んだ人は、様式というものが西洋建築において絶対的なものとして捉えてしまいがちですが、じつはそれも19世紀の歴史家が考え出したひとつの方法論に過ぎないのです。フォルムにもとづく百年スケールの歴史ではなく、千年の枠で考えるやり方があるべきだと思っていました。そうした観点から、私は再利用によって歴史を捉える「線の建築史」を書いたわけです。長谷川さんのタイポロジーで建築の歴史を捉えるアプローチも、フォルムとは異なるやり方で百年のスパンを越える建築を目指すという点で、「線の建築史」と似た構えをもっていると言えるかもしれません。
「線の建築史」を考えるために
長谷川──ヨーロッパに比べると、日本には現存する歴史的建造物は少ないですね。でも先ほども少し触れたように、日本各地で建築のタイプは見出すことはできます。私が感じているタイポロジーの強みのひとつは、いわゆる歴史的に価値があるとされている建築だけにとどまらない視野を持てることです。アノニマスな建物までを含めれば、日本でも百年以上の歴史的な時間を考えるきっかけはいたるところにあるはずです。さらにタイポロジーがマテリアル以外の要素も含む考え方である点も、百年以上の時間の射程を超える手立てになると思っています。加藤──たしかに建物そのものが残っていなかったとしても、タイポロジーとして生き残っている部分をきっかけにして、そこにあったものを掘り起こすように分析していくことができるかもしれませんね。
私自身は専門が西洋建築史なので、基本的には西洋における千年スパンの歴史を見ていますが、西洋と日本のつながりで言えば、日本は明治のジョサイア・コンドル以降に西洋の建築史と接続したわけです。つまり西洋建築史との出会いをきっかけに、現代日本の建築観は育まれてきた。そのような背景をもつにもかかわらず、コンドル以降のスパンだけで考えるのは視野が狭いと言わざるを得ません。西洋建築史との関係を踏まえて見ていけば、より広いスパンのもとで日本の建築観について考えられるようになるのかもしれません。
長谷川──近年の日本の建築史家の本のなかで、『時がつくる建築』のようなアプローチで書かれたものはなかったと思います。そこで繰り広げられている議論に驚きましたし、さらに今日お話を聞いて共感する部分も多々あり、とても勇気づけられました。どうもありがとうございました。
[4月29日、東京大学大学院加藤耕一研究室にて]
- 「点の建築史」から「線の建築史」へ
- 系譜全体の意味や力学を更新するProto-type-ology
- フォルム(形)とタイプ(型)/千年のパースペクティブを獲得する
- 「強い構造」と「意味的な強さ」/「線の建築史」を考えるために