建築時間論──
近代の500年、マテリアルの5億年

加藤耕一(建築史家)+長谷川豪(建築家)

系譜全体の意味や力学を更新するProto-type-ology

fig.8──レム・コールハース『S,M,L,XL+』
(太田佳代子+渡辺佐智江訳、
ちくま学芸文庫、2015)
長谷川豪──今日はよろしくお願いします。加藤さんの『時がつくる建築』を読んで、建築史家の視点から現在にアプローチされている方が日本にいることに勇気づけられ、頼もしく思いました。同世代ということもあって、考え方も近いように感じます。今日は御著書を読んで考えたことと、これまでの私自身の取り組みや最近の関心などを交えてお話しします。
近年の建築と歴史の関係について、レム・コールハースは「クロノカオス」という言葉を使って論じています。そこでコールハースは、歴史保存が大きなうねりとなっていて、いまや世界の12%ものエリアが保存のために建築家が立ち入り禁止になっていることを指摘したうえで、保存と開発が同時進行して乖離し、それらを共存させる理論が不在であるとしています(「クロノカオス」『S,M,L,XL+』[太田佳代子+渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫、2015][fig.8]所収)。このことは例えばイタリアの若い建築家と話しているとよく実感できます。彼らの国では開発はデベロッパーが牛耳り、教会など歴史的建造物の保存や改修はリノベーションを専門とする地域のベテラン建築家が担っていて、両者がまるで別の業界のようになっている。若い人たちにプロジェクトのチャンスがまるでない。日本は若い人たちのチャンスという意味では遥かに恵まれていると思いますが、業界が引き裂かれているのは同じだと思います。私はたまたま新築の小住宅を設計することからキャリアを始めましたが、新築を手がける建築家とリノベーションをやる建築家はどこか仕事が分断されているようなところがある。同じ建築なのに、開発と保存、新築とリノベーションということがまるで違う分野かのように切り離され過ぎではないでしょうか。両者を横断的に捉え、議論できるようにできないかと考えています。

『時がつくる建築』で興味深かったことのひとつは、スミッソン夫妻の論考「変化の美学」(1957)に触れていた部分です。彼らは、自分たちの設計に建築の時間変化というコンセプトを加えた。しかし、それはあくまでも未来の想定であって、加藤さんはチームⅩやメタボリストたちの実践を例に挙げ、「建築家の手を離れた建物は、建築家が想定したようには変化しなかった」と述べていますね。建築家として複雑な気持ちをもちますが、これは認めざるをえない。建築の設計とは多かれ少なかれ未来を想定することが求められるものですが、想定した未来はそのとおりに実現しないというジレンマを抱えている。計画と現実のズレを抱え込んで建築家は仕事をせざるをえない。
しかしそもそも、過去・現在・未来を明確に分断して捉えるべきではないように思います。この課題に対して、私はここ数年、プロトタイプとタイポロジーをかけあわせた「プロトタイポロジー(Proto-type-ology)」という造語について考えています。プロトタイプ(prototype、原型)でありタイポロジー(typology、類型学・類型論)でもあるもの。系譜というと、既存の系譜の末端にぶら下がるというイメージがありますが、そうではなくてそのタイプの原型や起源にまで遡ってプロジェクトごとに思考することで、その系譜全体の意味や力学を更新する方法論です。その着想の原点には、私が東工大で構成論をベースとした建築作品のタイポロジーを研究していたこともあると思いますが、ヨーロッパの建築家と議論すると、ヨーロッパにおけるタイポロジーをどこか教義的に捉えているように感じます。つまり、分析の対象として考えている。でも私にとっては、建築に蓄積されてきたタイポロジーという知性をきっかけとしながら、どのように新しい建築をつくるかということが関心の中心です。そこでタイポロジーをつくる対象として捉え直し、原型かつ類型となるものを目指しています。
先ほど加藤さんから再利用の話が出ましたが、新築とリノベーションの区分にかかわらず、私は建築がこれまで積み重ねてきたことに書き換えを加えることに興味があります。プロトタイポロジーも、タイポロジーがこれまで描かれてきた系統図をもう一度自分で書き換えるという点で、タイポロジーをリノベーションすることだと言えるかもしれません。

その実践として、まずは現在ハーバードGSDのスタジオで進めている課題について紹介します。ここではボストンの「トリプルデッカー」と呼ばれる住宅のタイプを題材にしています。トリプルデッカーとは19世紀後半から20世紀始めにかけてボストンで多く建てられた木造3階建てのアパートのことですが[fig.9]、興味深いのは消防法によって設置が義務付けられた2つの階段が、住宅ローンのシステムとしてうまく機能したということ。オーナーは最上階に住み、下のフロアを他の家族や学生に貸すことで、早くローンを返すことができる。この時2つの階段をオーナー用と賃貸用に使い分けることができるため、プライバシーもほどよく保たれるというわけです[fig.10]。こうしたこともあって市民に広く受け入れられ、ボストンには15,000戸ものトリプルデッカーが建てられタイポロジーの一部になっていく。学生にはこの2つの階段、出窓、ポーチ、廊下などのエレメントに着目して、この凡庸な建物を現代のトリプルデッカーに書き換えよ、という課題を出しています。この課題の背景には、モダンとヴァナキュラーを統合するデザインは可能かという大きな問いがあります。

fig.9──「トリプルデッガー」と呼ばれる木造3階建てのアパート
[写真=長谷川豪]

fig.10──トリプルデッカーの平面ダイヤグラム(クリックで拡大)
[提供=長谷川豪]

タイポロジーへの意識は、独立して初めて設計した《森のなかの住宅》(2006)のころからありました。この時は軽井沢の別荘建築によく見られる大屋根に着目し、大きな小屋裏を光や風景が透過する「深い窓」と見立てることで、どの部屋からも森の自然を感じられる建築をつくりました[fig.11]。奈良の吉野川沿いに建てた《吉野杉の家》(Airbnbと共同、2016)では、勾配の異なる2つの屋根を重ねた「大和棟」と呼ばれる奈良の民家の形式に着目し、2つの勾配をそれぞれ下階のコミュニティースペースと上階のゲストハウスに与え、目の詰まった美しい木目で知られる吉野杉・吉野檜でつくりました[fig.12]

fig.11──《森のなかの住宅》(2006)[提供=長谷川豪建築設計事務所]

fig.12──《吉野杉の家》(2016)[提供=長谷川豪建築設計事務所]

またギャラリーとアトリエとワーキングスペースが複合した台北の「新富市場」では、歴史的建造物に指定されたコンクリート造の平屋の建物のリノベーションのプロジェクトです。もともとは内装の依頼だったのですが、既存建物の屋根にあった直径70cmほどの換気塔に丸太を突き刺して、その上に膜屋根をかけて2階建てにする提案をしました[fig.13]。ここでは既存の建物よりも歴史的に古い建て方である「堀立柱」の他、テフロンの膜構造という現代の技術も使うことで、複数の時間軸を建物のなかに並走させることを意図しています。
既存の建物に新たな要素を加えて、新旧を対比的に扱うのがリノベーションの定石だと思うのですが、オリジナルを際立たせることが「正しい」という態度にどこか息苦しさを感じます。このプロジェクトでは過去・現在・未来の時間が並存する空間を目指していました。

fig.13──「新富市場」模型[提供=長谷川豪建築設計事務所]

fig.14──《グアスタッラの礼拝堂》
大理石の展示会で展示されたあと、
公共墓地に移築される
[提供=Stefano Graziani]
イタリアの公共墓地にチャペルをつくる《グアスタッラの礼拝堂》では、ヨーロッパで見かける厚い壁のなかのニッチ、ベンチ、窓という「窓辺3点セット」を用いました。ポルティコに囲まれた中庭に12個の大理石のユニットを並べただけのシンプルな建物です[figs.14, 15]。精度の高い現地の石材加工技術を用いて、ポルティコに呼応するアーチ型の穴を大理石にあけてベンチをつくります。外から見ると高さ3m、直径4.2mほどの大理石の塊ですが、各ベンチの背もたれの部分の壁を1cm厚にしているため光が透けて窓のように現われます。

fig.15──グアスタッラの公共墓地中庭[提供=長谷川豪建築設計事務所]

最後に、『カンバセーションズ』(LIXIL出版、2015)で議論したケルステン・ゲールスとダヴィッド・ファン・セーヴェレンという同世代のベルギーの建築家との展覧会「Besides, History」を紹介します[figs.16, 17]
会場はモントリオールのCanadian Centre for Architecture(CCA)で、北米最大級の建築アーカイブを保有しており、ミース・ファン・デル・ローエのスケッチなど厖大な資料をコレクションしています。今回の展示では、私たちのプロジェクトの模型やドローイングとともにCCAのコレクションも展示するという展示手法を試みています。ただし過去のアーカイブと現在の私たちの作品とのあいだに、直接的な参照関係があるわけではありません。
「Besides, History」というタイトルには「歴史を携えて」という意味合いに加え、歴史のA面に対するB面(B side)を見せるという意味も込めています。ポストモダニズムの建築家は先行世代のモダニストを否定して自分たちを位置づけるために歴史を引用しましたが、そこでの引用先はいわゆる大文字の歴史、つまり歴史のA面でした。しかしその後ポストモダニズムの失敗によって、いわば歴史に対するトラウマが芽生え、多くの建築家は長らく歴史に触れないようにしてきたように思います。でも今の若手建築家は、ポストモダニズムを直接的に経験していない。つまり私たちは、歴史に対するトラウマから解放された世代なのかもしれません。歴史を主題として大きく掲げるのではなくて、構造や素材や周辺環境と同じように歴史との関わりも大事にしたいと考えている。この展覧会では、建築にとって歴史というのはそれくらい身近な存在であること、建築をつくることと歴史は地続きであることを伝えられたらと考えています。

figs.16, 17──「Besides, History」展[提供=CCA]

201706

特集 時間のなかの建築、時間がつくる建築


建築時間論──近代の500年、マテリアルの5億年
時が建築を成す
点・線・高次の構造、それでも実在としての歴史
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